叱るべきことと、叱らないこと
子どもを育てる上で避けて通れないのが躾ではないでしょうか。
躾しない主義の人もいらっしゃるようですけど。
まぁ、それはそれで選択だと思います。
さて、多くの方が子どもを色々な場面で叱ると思います。
ですが、叱ることが必要な場面と、叱る必要がない場面とが混ざってしまっている場合が多いようです。
特に、叱る必要のないこと
・失敗
・出来ない
・忘れ物
・おもらし
・こぼした
・遅刻
・食べ物の好き嫌い
などなど。
要するに
苦手・未熟・個性・好み
お水をこぼしたというのも
ただ手が滑ってこぼしたのか
何度も注意されたのにふざけててこぼしたのかで意味が違ってきます
後者の場合は、こぼしたことではなく親の指示に従わなかったことが問題になってきます。
親の指示に従うというのは幼い頃はとても大切です。
「道路に飛び出さない」 という指示を守らなかったり、「ストップ!」という声かけて止まれなかったりすると、事故に遭う危険性があります。
親の指示に従うというのは安全な保護の範囲の中にとどまる事を意味します。
命令に従う、軍隊のようになるという意味ではありません。
成長と共に自分に任されるようになる範囲です。
なので、幼い頃に、子ども自身が、コレは従おう、コレには従わないぞと自分で決めていたら、安全か否かなどまだ判別できないこともあるので、一貫して安全の枠におさまっている練習が必要です。
そのため、ふざけないのよ、という指示にも従う必要があります。
自分で出来るようになっているなという成長を確認して徐々に枠が減っていくのです。
なので、こぼしたことは結果であり、叱りません。
些細なミスでこぼしたのであればそれもゆるします。
若干話がそれましたが
遅刻・忘れ物も叱る対象ではありません。
未熟さや苦手がそこにあるのです。
《出来るようにならないと社会人になった時に困るじゃないか!》
そう親は心配しますね。
しかし、出来るようになればいい!ではなく
どうしたら出来るかな?
どうしたら困らないかな?
という事を一緒に考えてあげる必要があります。
違いがわかるでしょうか。
出来るようになれというのは、とにかく特訓、訓練、慣れで自然にそれが出来れば良いという事です。逆に言えば出来なければ悪い。
しかしそれが苦手な人には負荷が大きく、出来ない自分はダメという自己否定が植え付けられます。
しかし、どうしたら出来るかな?というのは、出来ない自分を肯定して良いよ、そういう苦手があるんだよね。という肯定です。
しかし、出来ないままだと確かに困ります。だから 《どうしたらいいだろう?》 という工夫を考えるのです。
本当に大人になったときに困るのはどちらでしょうか?
出来ない事、苦手なことを必死になってやることよりも
どんなに苦手や出来ない事、仕事でのトラブルがあったとしても
《どうしたら出来るのかな?》 という工夫を考える事が出来るチカラが備わっている方が、どんなことにも対応可能なのではないでしょうか?
だから叱らない事なのです。
未熟さ、失敗、出来ない事は助けてあげる必要があります。