心の構造を再構築するRCメソッド認定カウンセラー -319ページ目

何でもかんでも自己責任論じゃあないわ

種まきと刈り取りの法則があります

 

良い種を蒔けば、良い実りを刈り取り

悪い種を蒔けば、悪い結果を刈り取る

 

 

だけどね

何でもかんでも全部、自分がやったことの結果じゃないよ。

 

産み落とされて遺棄される赤ちゃんが、何の刈り取りですか

先祖のナンタラとか言いますか

 

幼い子どもが親に殴られる事に何の刈り取りですか

ふざけるなって言いたいですよ

 

親に虐待されることが子どもに何の責任がありますか

 

ただそこの土地に住んでいると言うだけで爆弾が飛んでくる

 

宗教が違うってだけでさらわれて暴行される

 

 

何でもかんでも

悪いことがおきたときに

本人の責任だとか、何かが巡ってきたとか

そんなことありません。

 

 

やった側は、やったぶんだけ返ります。

加害したぶん、刈り取ります。

 

巻き込まれることだってあるんです

引き寄せだとか言う人もいますよ。

でもね、被害を受けるって言うのは本人に何の責任もないところで起こることだってあるんです

 

 

境界線を踏み越えて

他者を加害する

 

そこには引き寄せもなんも関係ないです。

傷ついた人を目の前に、あなたに原因がある、なんて言うもんじゃないです。

お母さんが幸せでも子どもは幸せじゃない

良く聞かれますねー

「お母さんが幸せなら子どもは幸せなんだよ!」

 

最初はたぶん、DV被害者とかが夫から逃げ出したりするための励ましとして使われて居たんだと思います。

泣きながら耐える結婚生活から早く逃げなさい!!っていう。

 

そういう励ましや後押しの意味で使うだけだったら良かったんだと思います。

 

 

でも最近、この言葉が一人歩きして、お母さんが自分勝手に好き放題する口実として使われて居るような場面もちらほら。

 

 

なので私は新しいのを考えた。

 

「お母さんがニュートラルポジションに居るなら子どもは幸せなんだよ!!」

 

 

絶対そう。

間違いない。

 

命、存在、個性を肯定出来ていて

潜在意識にゆがみがなくある程度整っていて

境界線を侵害しないお母さん!!

 

最高じゃん。

 

 

そもそも子どもが何で傷つくかって

お母さんが自己肯定出来ていない事から来る否定を受け取ったり

潜在意識にゆがみが入るような事を言われたり(これは悪気無くても受け取り方次第で誰でも起こりえるけど)

境界線をガンガン侵害しまくって子どもの決定権を奪って支配してコントロールして自分の人生を生きられないような感じにしちゃったりするからなわけで。

 

ニュートラルポジションにいるお母さんはもちろん笑顔であることは当然ながら、子どもを傷つけるようなことはあまりしない。

 

 

お母さんがニコニコ笑顔でも、新興宗教にはまって、子どもにもその価値観を押しつけていたり

お母さんがニコニコ笑顔でも、子どもをコントロール下において支配出来てるからご機嫌笑顔だったり

お母さんがニコニコ笑顔でも、彼氏と遊び歩いて全然家に帰ってこなかったり

お母さんがニコニコ笑顔でも…

 

 

幸せな訳あるかー!!!

 

ないよ。

 

 

そういうわけで、お母さんが笑顔でもお母さんが幸せでも、子どもが幸せかどうかはわからない。

 

でもお母さんがニュートラルポジションならば。

子どもは幸せにより近いところに居られるのだと思う。

 

 

 

 

加害者が傷を負う

なんらかの犯罪やトラブルがあったときに

被害者の人は傷つきます。

 

当然ですね。

 

暴力、窃盗、詐欺、いじめ、事故、パワハラ、セクハラ、性暴力

色々な事で《被害者》と呼ばれる人が居ます。

それは刑事事件や民事訴訟まで行かない事でも、ちょっとした悪口や、親子関係でも、傷ついた人が居れば、加害者と被害者になり得るのです、誰でも。

 

そういったときに、被害者は心に傷を負うということは誰にでもわかることだと思います。

 

 

加害者も心に傷を負う、ということも現実です。

 

加害者は、加害者であると言うことがあまり認識できていないことがほとんどです。自覚できてたらやりませんね。

 

例えばDV加害者も、いけないとわかっていても、でも相手が自分を怒らせたから仕方ないと本気で思っていたりします。

となると、暴力の原因は相手にあり自分が悪いとは認識できません。

 

セクハラもからかいだと認識していれば加害者という自覚はありませんし、パワハラも指導だと思っていれば自覚はありません。

いじめも、悪ふざけ、あそび、軽い気持ちだと加害者意識はありません、一緒に遊んでいる意識かもしれません。

 

自覚が無いうちは…

実は、いつ爆発するか解らない爆弾を抱えているという状態です。

爆発したら大惨事ですよ。

重傷は免れません。

 

カウンセリングを受けていたら…

爆弾処理をしてもらうような感じになります。

傷は付くけど後遺症を残さないように出来る限りの応急処置を施して…。

 

 

自分が加害者であると認識できた瞬間に

自己否定が一気に爆発します

 

だって、加害者です。

【良い存在】ではなく【悪い存在】になってしまうのです。悪い人間、存在悪。

自己肯定がとても大事だというのは誰でも知っていると思いますが、一気に爆風のように否定、否定、否定、否定で心に破片が飛び散ります。

 

 

加害者が、事件が明るみになったときに自殺するということがあるのは、こういった理由もあるのだとおもいます。

死ぬくらいならなんであんなことした!!と、世間は加害者に思うかも知れません。でも事件が明るみになった瞬間に初めて自覚でき、自分に絶望して命を絶つのでしょう。

 

 

しかもその否定は、自分が自分に対して行った裏切りなのです。

被害者に対してだけではない、自分自身に対しても、大きな傷を負わせるのです。

 

 

自動車事故などであれば、不注意であったり、運であったりの要素があるので比較的その否定からも回復しやすいと思います。

 

しかし、自分が 「加害者である」 という事に気がついてしまったら…

たとえば自分は知らなかったけれど、あの時にふざけて言ったひと言で相手が傷つき、遺書を残して自殺してそのことが書いてあったら。

 

自分は存在していてはいけない、生きていてはいけないと、思うかも知れませんね。大きな自己否定です。心をえぐります。

 

 

加害者がのうのうと生きている、ということは実際あります。

加害者がそれを認識できていないうちは。

しかし、加害者が、加害者であることを自覚した瞬間…

加害者は自分で自分の心を刺すのです。

それは致命傷にもなり得るのです。

良いか悪いかをジャッジするつもりはありません。ただ傷つくという事実がそこにあります。

 

 

子どもにきつく当たってしまい、なぐったり突き飛ばしたりしてしまった。

寝顔にごめんねと謝るお母さん、加害者ですが傷ついています。

 

私は、子どもを殴る理由が無くなればいいと思います。

ひどい母親だ!と責める気持ちにはなれません。

行いは正しくない。殴ってはいけない。

殴られた子どもにもケアが必要。

でも、寝顔に謝るお母さんは、本当は殴りたくないお母さんです。

 

 

誰でも何かの被害者になる事はあるでしょう。

軽いこと、重いこと。

浮気されたり嘘を言われたりかもしれないし。

だから、加害者も傷つくと言われると、そんなの当然だ!!自業自得だ!!と言いたくなるかもしれません。自覚して反省しろ!と言いたくなるかも知れません。

確かにね。

そうかもね。

 

刈り取りは必ずあります。

責任は取らなければならないけれど…

やはり傷は傷、どんなに凶悪犯でも、血を流していたら病院には連れて行ってもらえると思うのです。

傷を治してこその償い、なのかもしれません。

 

でも自覚した時こそ、自分をゆるすというのはとても難しいのでしょう。