「有機農業や農家の公務員化で自給率100%」参政党~【常づねに点検せよ】
有機農業への移行を急いで農業を壊滅させたスリランカを忘れたかおはようございます みなさん参政党が「有機農業や農家の公務員化で自給率100%」を訴える ─ 有機農業への移行を急いで農業を壊滅させたスリランカを忘れたかhttps://the-liberty.com/article/22246/《ニュース》コメ価格の高騰で農政が注目を集まる中各種世論調査で議席増が予想されている参政党は「有機農業を推進し農家の公務員化などで食料自給率100%」を掲げていますしかし多くの人々から「現実的な政策ではない」との批判が巻き起こっています《詳細》参政党は参院選の公約として「事実上継続している減反政策を転換しコメの増産や輸出を奨励して生産性を向上させる」「化学肥料や農薬などを使わない有機農業に順次切り替える」「輸入農作物から国産品を守るため適正な関税を課す」「第一次産業の担い手の公務員化を進める」ことなどを訴え10兆円規模の予算を投じて(全額国債発行?)2050年には食料自給率(カロリーベース)100%を目指すとしています自公政権は農業分野の「脱炭素」を進めるため有機農業を推進してきました(50年までに有機農業の耕地面積を25%にする目標)これに対して参政党は脱炭素としてではなく「学校給食での有機食材の義務化などで目標達成を15年前倒す」と主張していますしかし20年の有機農業の耕地面積は「たったの0.6%」に過ぎず10年で0.2%しか増えていないためすでに達成は不可能と見られています食料自給率(カロリーベース)が低くなった大きな要因は「食生活の多様化」にあり消費者が安くて豊かな食を求めた結果です極端な話として自給率を高めるには市場原理を無視して消費者の選択肢を狭め豊かな食生活を諦めればすぐにでも実現することは可能ですそのため豊かな食生活を手頃な価格で維持しながら自給率も上げていくには「狭い国土で限られた資源である農地をいかに有効活用(生産性)するか」という経済合理性にかかっていますこの農地の生産性を高める手段としてこれまで農薬などが使用されてきただけに有機農業への転換を急げば気候や虫害などの影響を受けやすくなり収穫量が急減して今以上の物価高騰が起きる恐れがあります有機農業への完全移行に動いたスリランカは21年に化学肥料や除草剤の使用などを全面的に禁止し農業に壊滅的なダメージをもたらしたことが政府破綻の元凶にもなりました《どう見るか》スリランカは「環境にも優しいエコを目指す」という幻想の下農業を崩壊させた国として世界的に知られていますこれに対し「スリランカの失敗は準備不足だから」という反論が起きていますがさすがに無理があるでしょう参政党の農業政策からは「農家が1000万円以上の所得を得られる」といった繁栄するビジョンや企業家精神が発揮される自由な未来が全く見えず"儲からない農家"に自民党も可愛く見えるほどの多額の予算を投じて政府が丸抱えで管理するという「社会主義」が非常に色濃く出ています特に物議を醸すコメについては自公が進めてきた「減反政策」が経済合理性に反しているのは明らかであり全面的な見直しが必要です政府がコントロールして生産量と消費量を一致させる減反自体がソ連顔負けの計画経済でありそれが機能しない現実がいよいよ突き付けられている中社会主義路線を一層強化していくのは全く理解できません(関連記事参照)幸福実現党が掲げるように規制や補助金でがんじがらめになっている農業は現状からの脱却を促せば成長産業になる可能性が非常に高く政争の具になること自体が不幸と言わざるを得ません確かに農業には有事を想定した安全保障の感覚が鈍いなど多くの課題があることは事実ですしかし農業を盛り上げていくという方向性が正しくても手段が間違っていれば将来に大きな禍根を残すということも冷静に考えるべきですザ・リバティwebカロリーベースで自給率が先進国で最下位の日本はある程度農業に保護策を取っても問題ないとは思います市場原理を取り入れた実現可能な方策を考えることが重要だと思いますすべてを急速に有機農業にするのはかなり無理がある農業に株式会社が参入できるような規制撤廃があってもいい大手企業による農業の工場化を進め全天候型の農業を目指すことは可能ではないでしょうかこの記事では農業の社会主義化を危惧していますが現状の稲作においてはすでに社会主義化しているのではないでしょうか食糧自給率の低さからある程度の農業への保護策は必要ですが農業従事者を公務員化する施策は極端すぎます参政党の農業施策はもっと練るべきところがあると思います今日の光の言霊は【常づねに点検せよ】です智慧ある農業を目指したいですねその施策の基本はやはり怒る心がないか妬む心がないか愚癡る心がないか常づねに点検せよということにつきます【常づねに点検せよ】怒る心がないか妬む心がないか愚癡る心がないか常づねに点検せよそしてこうした心あらば自らが愚か者の一人に入っているということを忘れてはならない愚か者であることを早くやめ智慧ある者となることだHS『仏陀再誕』 P.148