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アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

娑婆との付き合いを最低限にしたいから、同窓会などにも行ったことがなく、世間の人が「年を取って同窓会に行くと病気の話で盛り上がる」的なことを仰るのを聞いても実感が湧かないのだが、去年たまたま何十年かぶりに再会した一般人の知り合いも、やっぱり大きな病気の話を聞かせてくれた。

 

ここ何年かの間に、自分自身も数回、思わぬ時に思わぬ所で大きな体調の不備を感じたのだが、またそれ以外にも、お坊さん・一般在家の方どちらも含めて身内や知り合いが、軽重様々な病気を体験しているのを最近に聞いた。

 

私は「生老病死」という仏教語を聞いて、生まれて老いて死ぬのはそれぞれ大きなカテゴリーだけれども、「病」だけはどちらかと言えばそれらに付随する副次的なものではないかという風に、大昔、仏教に興味を持ち始めた頃に違和感を感じていたものだが、今となっては、生まれて老いて病んで死ぬのは、ごく科学的で生物学的に自然なことであり、「生」「老」「病」「死」はそれぞれ4等分に同じ比重で重要な現象なのだと理解できるようになった。

 

だから、「生老病死」から「諸行無常」という原理を抽出して見極め、「苦」からの脱却を説いたブッダは本当に偉大だったのだと、この年になってつくづく思う。

 

 

               おしまい。

 

 

※画像はネパールで購入したブッダ伝絵葉書の内、四門出遊・生老病死を描いた1枚です。

 

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「お坊さまと鉄砲」は、監督も出演者も本物のお坊さんであるブータン映画「ザ・カップ 夢のアンテナ」以来久々のブータン製お坊さん映画だ。

 

監督のパオ・チョニン・ドルジ氏は「ザ・カップ」の監督であるケンツェ・ノルブ氏に師事した方だそうだが、僧院のお坊さんたちがワールド・カップを見たくて奔走する1999年制作の「ザ・カップ」と、ブータン国家におけるインターネット導入やテレビの普及、国王の退位と民主制への移行に伴い初の「選挙」が行われることになった2006年当時のブータンを舞台にした「お坊さまと鉄砲」(製作は2023年)を見比べると、ブータン社会の変遷と、それとは反対に変わらずブータン社会に一貫している事柄が、よく理解できるように思う。

 

ブータンならではのお国柄と美しい自然、ブッダの教えと民主主義の大切さを、のどかで、かつ奇妙な筋書きで描く「お坊さまと鉄砲」の素晴らしさは既に多くの方が触れておられるところなので、お坊さん目線で印象に残った点だけを述べさせて頂くことにする。

 

何よりも先ずプロパンガス1本を担いで山を登るお坊さんの描写に、その修行生活の在り様が込められているのがとてもいい。

 

また、同じお坊さんが大金を目の前にして「使い道がない」と口にする場面も素晴らしい。ごく普通の人格を持ったお坊さんが、ごく普通にそんな暮らしをしていて、自分もそう在らねばならないなあと、つくづく羨ましく感じさせて頂いた。

 

久々のお坊さん映画の傑作だ。

 

※ブータン、タイ、日本、韓国その他のお坊さん映画については、「ホームページ アジアのお坊さん映画」もご覧ください。

 

※ホームページ以降の最新情報は「その後のアジアのお坊さん映画」もご覧ください。

 

 

 

 

 

 

 

※私事ながら、日本寺の駐在同期の日本人のお坊さんの中にチベット仏教系僧侶の読経ができる方がいて、よく私に実演して下さったことを、映画の勤行シーンを見て、懐かしく思い出しました。

法藏館から一年ほど前に出た「宮沢賢治の仏教思想」(牧野静 著)は、1989年生まれの若い学者さんが博士論文に加筆したものや各誌に発表した論文を纏められた本なので、多少、学生の論文っぽい硬さはあるものの、なかなかに面白かった。


失礼ながら、この単行本出版のために新たに書き下ろされた「序章」が私には一番好感が持てたのだが、例えば梅原猛、吉本隆明といった錚々たる文化人たちが宮沢賢治を絶賛して来たこと、その半面、賢治の聖人化・神話化に対する批判が1990年代後半から行われるようになったこと、或いは賢治研究においては賢治の仏教思想に敢えて触れない論調と、極めて宗派的・教学的な著述という、両極端な二通りが見られることなどが書かれていて、大変に興味深い。

 

ところで、これはあくまで私の個人的な考えながら、宮沢賢治は仏教者としてよりもまず、文学者として優れていたのであって、その独自の仏教信仰を美しい日本語に結晶させたことこそが、最大の業績なのではないかと思う。

 

だから、賢治は利他行を実践した20世紀最大の菩薩だとか、宇宙と自然と宗教と科学が一つになった大思想の持ち主だとか、その作品内容は空想ではなく実際に幻視した光景を文字にしたのだとかいう、思い込みや思い入れたっぷりの論説は、却ってその作品の価値を貶めるものだと感じていたので、「宮沢賢治の仏教思想」の序章には大いに共感させて頂いた。

 

たとえば「雁の童子」の語り手の巡礼の最後の台詞、あるいは「ひかりの素足」のほとけが口にする言葉の数々も、賢治独自の文体で語られればこそ、読者の胸に透き通るのであって、そうした透明な世界を、仏教用語を使わずに不可思議な文法の積み重ねだけで表現したのが、畢生の名作「銀河鉄道の夜」なのではなかろうか。

 

ちなみに、賢治作品で「ほとけ」を表わす用語として頻出する「正徧知」(しょうへんち)という言葉は「正遍知」「正等覚」とも表記され、パーリ語のお経にも、その原語である「サンマー・サンプッタサ」という言葉がしばしば登場する。如来の十号、即ちブッダの10の別称の一つなのだけれど、これを「ほとけ」を表す手垢の付かない美しい言葉として使用したところにこそ、賢治の天才があるのだろう。

 

賢治が比叡山根本中堂の前で詠み、今も中堂前に歌碑が残る「ねがわくは 妙法如来 正徧知 大師のみ旨 成らしめたまえ」という歌も、もちろん根本中堂の本尊薬師如来のこと以上に、お薬師さまをも内包する、法華経が説くところの久遠実成の釈迦牟尼如来を踏まえている訳だけれど、それを「ねがはくば 久遠実成 釈迦如来」と詠まなかったことによって、普遍の真理が法華経から伝教大師を通じて、今ここにいる賢治にまで貫徹していることを、宗派色なく美しく表現し得ているのだと言える。

 

インドだか地球だか他の惑星だかわからない空間を舞台にした「四又の百合」などは、ただ「正遍知」という言葉の美しさだけから発想された作品ではないかと、私は秘かに思っている。

 

 

※「まことにお互い、ちょっと沙漠のへりの泉で、お眼にかかって、ただ一時を、一緒にすごしただけではございますが、これもかりそめのことではないと存じます」

  ー 宮沢賢治 「雁の童子」より

 

※「四又の百合」「インドラの網」「雁の童子」「ひかりの素足」「銀河鉄道の夜」を読み直したので、念のために「宮沢賢治の仏教思想」を図書館で借りて読み、この機会に過去記事を改稿してみました。

 

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先日、お寺に来られた顔馴染みの参拝者の方が仰った。最近いろんなことがあって色々大変で、是非お会いしたら背中を叩いてもらいたいと思っていたという風に、私に声を掛けられた

 

お加持をしてもらいたいという意味と、文字通り背中を押してもらいたいという、二通りの気持ちを込めて仰っているのかなと思い、お数珠で背中と頭を加持させて頂いた。

 

さて、お坊さんになって間もない頃に四国遍路の行脚で出会った母娘遍路の方に、娘の病気平癒祈願のためにお加持をして下さいと頼まれたことがある。

 

まだ修行も浅い私にその母親は、お坊さまはお若いようでお加持などなさるのかどうか存じませんが是非にと言われ、可能な限りそれまでの蓄積を全部込めて、病気平癒を祈念させて頂いたものだ。

 

その後、なにがしかの修行もさせて頂き、千日回峰行者の阿闍梨さんにたびたびお加持して頂いたことなども思い出しながら、先日参拝に来た顔馴染みのその信者さんに、万感の思いを込めて、お数珠を当てさせて頂いた。

 

 

 

                おしまい。

 

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旧作版の映画「ナイル殺人事件」(原作:アガサ・クリスティー「ナイルに死す」)が大好きで何十回も見直しているのだが、子供の頃に劇場で買ったパンフレットを今だに持っていて、脚本のアンソニー・シェイファーを始めとするスタッフや出演していた往年の名優たちの名前を当時熟読しては覚えたものだ。出ていた俳優や女優にはすべて思い入れがあるのだけれど、特にデビッド・ニーブン演じるレイス大佐とポワロの掛け合いが好きだった。

 

先日、レイス大佐の初登場作である「茶色の服の男」を初めて読んだのだが、レイスはその後、「ひらいたトランプ」でポアロやバトル警視やオリヴァ夫人と出会い、「ナイルに死す」でポワロと再会した後に、今度は単独で「忘られぬ死」事件を解決したりする。

 

実を言うと、後の3作は読んでいるのだが、レイス初登場の初期作品「茶色の服の男」を読んだのは今回が初めてだったので、彼は元々こういうキャラクター設定で登場したのかと、デビッド・二ーブンの顔を思い浮かべながら、感慨深く読了した次第。

 

                  おしまい。

 

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