法藏館から一年ほど前に出た「宮沢賢治の仏教思想」(牧野静 著)は、1989年生まれの若い学者さんが博士論文に加筆したものや各誌に発表した論文を纏められた本なので、多少、学生の論文っぽい硬さはあるものの、なかなかに面白かった。
失礼ながら、この単行本出版のために新たに書き下ろされた「序章」が私には一番好感が持てたのだが、例えば梅原猛、吉本隆明といった錚々たる文化人たちが宮沢賢治を絶賛して来たこと、その半面、賢治の聖人化・神話化に対する批判が1990年代後半から行われるようになったこと、或いは賢治研究においては賢治の仏教思想に敢えて触れない論調と、極めて宗派的・教学的な著述という、両極端な二通りが見られることなどが書かれていて、大変に興味深い。
ところで、これはあくまで私の個人的な考えながら、宮沢賢治は仏教者としてよりもまず、文学者として優れていたのであって、その独自の仏教信仰を美しい日本語に結晶させたことこそが、最大の業績なのではないかと思う。
だから、賢治は利他行を実践した20世紀最大の菩薩だとか、宇宙と自然と宗教と科学が一つになった大思想の持ち主だとか、その作品内容は空想ではなく実際に幻視した光景を文字にしたのだとかいう、思い込みや思い入れたっぷりの論説は、却ってその作品の価値を貶めるものだと感じていたので、「宮沢賢治の仏教思想」の序章には大いに共感させて頂いた。
たとえば「雁の童子」の語り手の巡礼の最後の台詞、あるいは「ひかりの素足」のほとけが口にする言葉の数々も、賢治独自の文体で語られればこそ、読者の胸に透き通るのであって、そうした透明な世界を、仏教用語を使わずに不可思議な文法の積み重ねだけで表現したのが、畢生の名作「銀河鉄道の夜」なのではなかろうか。
ちなみに、賢治作品で「ほとけ」を表わす用語として頻出する「正徧知」(しょうへんち)という言葉は「正遍知」「正等覚」とも表記され、パーリ語のお経にも、その原語である「サンマー・サンプッタサ」という言葉がしばしば登場する。如来の十号、即ちブッダの10の別称の一つなのだけれど、これを「ほとけ」を表す手垢の付かない美しい言葉として使用したところにこそ、賢治の天才があるのだろう。
賢治が比叡山根本中堂の前で詠み、今も中堂前に歌碑が残る「ねがわくは 妙法如来 正徧知 大師のみ旨 成らしめたまえ」という歌も、もちろん根本中堂の本尊薬師如来のこと以上に、お薬師さまをも内包する、法華経が説くところの久遠実成の釈迦牟尼如来を踏まえている訳だけれど、それを「ねがはくば 久遠実成 釈迦如来」と詠まなかったことによって、普遍の真理が法華経から伝教大師を通じて、今ここにいる賢治にまで貫徹していることを、宗派色なく美しく表現し得ているのだと言える。
インドだか地球だか他の惑星だかわからない空間を舞台にした「四又の百合」などは、ただ「正遍知」という言葉の美しさだけから発想された作品ではないかと、私は秘かに思っている。
※「まことにお互い、ちょっと沙漠のへりの泉で、お眼にかかって、ただ一時を、一緒にすごしただけではございますが、これもかりそめのことではないと存じます」
ー 宮沢賢治 「雁の童子」より
※「四又の百合」「インドラの網」「雁の童子」「ひかりの素足」「銀河鉄道の夜」を読み直したので、念のために「宮沢賢治の仏教思想」を図書館で借りて読み、この機会に過去記事を改稿してみました。
※ホームページ「アジアのお坊さん」もご覧ください。