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アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

前回、バックパッカー関連の記事を投稿したついでに、旅人ネタの小咄を再録させて頂きます。

 

             ※

 

ここにおりました一人の男、アジアのあちこちを旅している内にインドに住みとうなって、小さな日本食レストランを開いたという日本人でございます。知り合いのインド人に名義を借りて、ビザの関係で日本とインドを往復する結構な暮らしなんですが、どういうわけかやってまいります客にややこしい奴が多い。大体がバックパッカーの中にはどんだけ長いこと旅してるかとか、少ない荷物や所持金で旅してるかとか、つまらんことを自慢するやからが多いんやそうですが、近頃はまあ、昔のことを思たらごく普通の若者がアジアを旅するようになってまいりました、それでもまだまだこの世界にはくせもんが多いようでして。

 

客A「こんにちは」
店主「いらっしゃい、何しましょ?」
客A「うん、ちょっとメニュー見せてんか。うん、わしも長いこと旅してるやろ。自分から日本人らしさ、いうもんがどんどん消えて行くねんなあ、これが」
店主「長いって、どれくらい旅行してはるんですか?」
客A「旅行やないねんなあ、これが。旅やねん。わしはツーリストやのうて、トラベラーやねんから、一緒にせんとってほしいねんなあ、これが」
店主「へえへえ、ほんでお宅はどれくらい旅してはるんですか?」
客A「かれこれ3ヶ月になるかなあ、中国からチベットからみな越えて来たやろ? 陸路でチベットからネパールへ抜けた時いうたら、そらもう…」
店主「なんや、たったの3ヶ月かいな、もう我慢でけへん、お客さん、そんなしょうもない話どうでもええさかい、はよメニュー選んどくなはれ!」
客A「こら、客に向かって何ちゅう言い種や、それでもあんた日本人か!」
店主「なんや、話に一貫性がないやっちゃで、出て行け、どあほ! 塩撒いたろ、塩。あれ、また誰か来たで。今度の日本人は自転車に乗って来たで」
客B「こんにちは、ぼく、コルカタから自転車で来たんで今日泊めてくださいね」
店主「何です? ここは食堂で宿泊設備はおまへんねん」
客B「しゃあけど、ぼく、自転車なんですよ」
店主「いや、自転車やろうがスケボーやろうが、泊まられへんもんはしょうがおまへん」
客B「あかんねんなあ、日本人は。ぜったい日本人的感覚、捨てられへんねんなあ。タイの商社マンとかもみんなそうやったからなあ。インド人は自転車で巡ってるいうたら、どこでもめちゃめちゃ親切やったのになあ」
店主「こいつも塩撒いた方が良さそうやな。出て行け出て行け。人のお情けに頼らな旅でけへんねんやったら、自転車でアジア旅行なんかすなっちゅうねん」
客C「すんません、開いてますか?」
店主「あれ、ちょっとまともな奴が来たかいな。はい、いらっしゃい」
客C「このカツとじ定食ください。へえ、チキンカツの卵とじですか。焼きシイタケが添えたある。コルカタの中華街で干しシイタケが売ってますのん? おいしいなあ。おいしいけど、今日はもうここを出ていかなあかんねんなあ」
店主「出ていかなあかんって、あんた、一体どないしはったんですか?」
客C「いやね、そこに仏教のお寺があるでしょ? 私、境内で煙草吸うてたインド人に、こんなとこで煙草吸うなって、下手な英語で注意したんですわ。そしたらその男、ここはわしのおやじが毎日掃除しとる、わしらの国のことを日本人がえらそうに言うなって言い返して来たんです。野次馬はいっぱい来るし、怖なってここまで来たんです。でもね、その中でインド人の乞食のおじさんがね、私の顔見て何とも言えんやさしい顔で笑ったんです。きっとお前は正しい、わしはわかってるって言ってくれたと思うとそれだけが救いで…」
店主「いやあ、たぶん馬鹿にされてただけで…あ、あかん、この人、目に涙ためてはる…しゃあから境内で煙草吸うのがええか悪いかよりも、あんたが自分の行動を思い出して、格好よかったなって思えるか、格好悪かったなって何べん思い出してもイィーってなるか、いうだけのことで…」
客C「そうなんですよね。それなんですよね。あの乞食のおじさん、それが言いたかったんですよね。それがわかっただけでもインドに来た甲斐がありましたよね。おつりはいりません。ありがとうございました。さよなら」
店主「あーあ、行ってまいよった。いっこもわかっとらんようやな。あれ、あそこ通るのん、日本のお坊さんやな、お坊さん、どうぞお茶でも」
坊主「いやあ、お宅も大変ですな、いや、のどは渇いてませんので、どうも、おおきに」
店主「いや、お代はいりません、まあどうぞ、あ、それともお宅もインドに来たら日本食は絶対食わんというバックパッカーの奴らみたいに…」
坊主「いやいや、遣唐使 後は茶漬けを 恋しがり、いう川柳があるぐらいでっさかい、日本の食べもんが日本人の口に合うのは当然ですわ。ふうー、おいしいお茶で。ほな、私はこれで」
店主「あ、ちょっと待っとくなはれ。いや、お坊さんやからええ人ばっかりやないのはわかってます。団体でも個人でも日本の坊さんはやっぱり日本人でんな。こないだもここに日本の坊主が短パンにTシャツで訪ねて来て、ああ君はぼくがこんな格好やから坊さんやと信じられへんのやな、って言うから、そんな格好してるのが日本の坊主やという何よりの証拠やって言うたったら、その坊さん、筆ペンで紙にくるっと丸描いて、これを壁に貼っとき、君にもいつかわかるやろって言うて帰りましたが、どないですやろ?」
坊主「ああ、これですか、わしはまた子供の落書きかと思った。そうですな、禅坊主 無ゥーと言うては 丸を書き、いう川柳があるぐらいで、丸なら字が下手な坊主でも描けますさかいに、まあ、その前の子ヤギに食わしてやりなはれ、ちょっとはその紙も世の中のお役に立ちますやろ」
店主「そうでっか、あ、ほんまにむしゃむしゃとよう食いよる。何や晴れ晴れしてきたな。いやね、私も元はバックパッカーやから皆の気持ちはわかるんですが、日本人にしろ、外国人にしろ、ええ人はええ人やし、悪い人は悪い人やと思いつつも、つくづく日本人はぱっとせん民族やなあと…あ、もう行くんでっか、お代はよろしい言うのに、ああ、行ってしまわはった」
 

このお坊さん、店主から見えん物陰まで来たと思ったら途端にため息ついて、
坊主「ふうー、やれやれ、今日は日本人に話しかけられたん、これで3人目や。ほんに日本人いうのは、うるそうてかなん」

 

 
                                                     おしまい。

 

※2007年11月1日投稿分の再録です。

 

※「旅行人」2006年春号に掲載して頂いた「バックパッカーのためのアジアお坊さん入門」を大幅加筆し、2019年に全面的にリニューアルした「ホームページ アジアのお坊さん 本編」も是非ご覧ください。

        

●2024年12月 バンコクの(バックパッカーが多いことで知られる)カオサン通り付近にあるエンバーホテルで火災があり、日本人2人も被害に遭う(1月に一人の死亡が確認される)。

 

●2025年1月 タイ北部・チェンマイのターペー門広場で、カウントダウンイベント後に禁止区域でランタンを飛ばそうとした日本人男性が制止した警察官に挑みかかり、罰金刑に処される。

男性はその後あらためて警察に謝罪。冷静かつ温厚なタイ警察に称賛の声ならびに当該の警察官にチェンマイ警察から報奨金。

 

 

※「旅行人」2006年春号に掲載して頂いた「バックパッカーのためのアジアお坊さん入門」を大幅加筆し、2019年に全面的にリニューアルした「ホームページ アジアのお坊さん 本編」も是非ご覧ください。

 

※以下、例によって日本人海外旅行者関連事件の私的一覧を再録いたします。

 

●97年7月 ネパールの仏跡ルンビニの日本山妙法寺の僧侶が射殺される。

●98年6月 チベットで日本人男子大学生が行方不明。
●98年12月 インドのデリーで日本人男子大学生が殺される。
●99年3月 トルコで日本人女子学生が不明。

●99年4月 ネパール・カトマンズのホテルで24歳の日本人男性が墜落死。
●2001年2月 バリ島で日本人女性が殺される。

●01年4月 トルコで卒業旅行の日本人女子学生4人が交通事故に遭い、死傷。

●01年11月 タイのチェンマイのダムで65歳の在留邦人男性の死体が発見。
●02年4月 銃撃戦の直後にエルサレムの聖誕教会を訪れた日本人男女2人が厳重注意を受ける。
●02年5月 ニューカレドニアのイルデパン島で日本人女性が殺害。07年と09年に容疑者2人に、それぞれ無罪判決。

●02年6月 バンコクの運河で二人の邦人男性が溺死。のちにタイ人とミャンマー人の二人が逮捕。

●02年7月 日本人女性ジャーナリストのY氏が、アフガンで兵士に鞭で殴打される。

●02年11月 アユタヤからバンコクに向かうバスが事故。日本人11人が重傷を含む被害。
●02年12月 フィリピン・セブ島を旅行中の日本人女性2人が強盗を撃退。
●03年1月 イースター島のモアイ像に落書きを彫った日本人男性が逮捕。
●03年1月 バンコクのチャオプラヤー河ラーマ8世橋下の運河で24歳の日本人男性の遺体が発見。
●03年6月 パキスタンのラホールの空港近くに日本人男性の遺体。

●03年6月 インドネシア・ジャカルタ近郊で48歳の日本人男性が22歳のインドネシア人女性を殺害。

●03年7月 タイ・パタヤのマンションで日系企業に勤める37歳の邦人男性が変死。

●03年11月 JALに務める日本人客室乗務員女性がバンコクのタクシーの運転手に腹部を撃たれる。
●04年3月 イラクのサマワで日本人男子学生2人、タクシーとのトラブルで逮捕される。
●04年4月 イラクでボランティアの日本人3人が拘束され、後に日本国内でバッシングされる。
●04年10月 香田証生さん、イラクで殺害される。
⇒参考文献:「香田証生さんはなぜ殺されたのか」下川裕治(新潮社)は、香田さん事件 をバックパッカーの観点から考察した著作。
●04年12月、シドニーのバックパッカー向けゲストハウスで、日本人旅行者の男性が、同宿のオーストラリア人旅行者の男性を刺殺。
●05年8月 パキスタンで自分のカメラを現地人の短銃と交換した日本人男性旅行者が逮捕。

●05年9月 ケニアのマサイマラ国立保護区で外国人観光客が斧を持った男に襲われ、日本人男性一人が負傷。
●05年9月 教員の日本人男女2人がアフガニスタンで殺害。
●05年11月 インドのジャム・カシミール州で日本人ジャーナリスト男性のS氏が武装グループに襲われて負傷。

●05年12月 22歳の日本人男子大学生がトルコで行方不明。
●06年4月 タイのパトゥムタニで50代の日本人男性2人が殺害される。

●07年2月 ギニアで民俗太鼓「ジャンベ」を習う日本人旅行者たち数名が、日本大使館の退避勧告に従わず、大使館で保護。

●07年9月 ミャンマーのヤンゴンで、デモ取材中の日本人ジャーナリストが狙撃され死亡。
●07年10月 イランで日本人男子学生が誘拐される(08年6月に解放)。
●07年11月 タイのスコタイで、ブログなどで旅の足取りを発信していた日本人女性の遺体が発見。

●07年12月 タイのチョンブリで67歳の在住日本人が惨殺。
●08年5月8日 イエメンで日本人女性2人が誘拐。
●08年8月4日 パレスチナ自治区で日本人フリーライターが拘束。
●08年8月12日 バンコクで長期滞在者の日本人男性が行方不明。その後、日本で貯金が引き出され、死体で発見。犯人は日本人男性2人。
●08年8月28日 アフガンでタリバンに拉致されていたNGO職員の男性、遺体で発見。
●08年9月 エチオピアで活動中の「世界の医療団」の日本人女性医師が誘拐。10月にソマリアで解放。
●09年8月 モンゴルのウランバトルで日本人女性教師がモンゴル人男性によって殺害。
●09年9月 バリ島で日本人観光客の女性が殺害。
●09年11月 イエメンでJICA関係の邦人が誘拐。
●09年11月 タイのプーケットで75歳の在留邦人の男性が殺害。
●09年12月 バリ島で在留邦人の女性が殺害。
●10年4月 アフガニスタンで日本人ジャーナリスト・T氏が誘拐。ちなみにこの方は、それまでに海外で何度もトラブルに巻き込まれていたお方。
●10年4月 チリのパタゴニア近郊のパイネ国立公園で、アフリカ、欧米を1年近く旅行中だった20代の日本人男性バックパッカーが遺体で発見。遭難の可能性も。
●10年4月 日本人カメラマン、バンコクのデモに際し、死亡。
●10年12月 インド・ヴァラナシのガートでテロ、邦人一人を含む多数が死傷。
●11年2月 ベトナム・ハロン湾の観光船事故で日本人男子大学生を含む乗客が、複数死亡。

●11年6月 ネパールで日本人女性が遭難。タケノコを食べて後に生還。
●11年9月 ミャンマーで一人旅の日本人女性が、バイクタクシーの運転手によって殺害。

●11年10月 インドネシア・ジャワ島でツアーバスが事故に遭い、日本人女性が被害に。

●12年5月 ドバイで日本人女性客室乗務員がチュニジア人の男に絞殺される。
●12年5月 ロシアのウラジオストクから東シベリアまでバイクで横断旅行中の日本人男性が刺殺される。

●12年8月 ルーマニアで日本人女子大生が、ブカレストの空港で声を掛けてきた男の車に乗せられ、近くの森で殺害される。

●12年8月 シリアで日本人女性ジャーナリストが銃撃に巻き込まれて死亡。

●12年11月 台湾のタロコ渓谷で62歳の日本人男性が転落死。

●13年3月 カンボジア・シアムリアプの遊園地でジェットコースターが脱線し、邦人女性が死亡。

●13年9月 トルコのカッパドキア付近で、日本人女子大生2人が襲われ、一人が殺害、一人が重体。

●13年9月 バングラデシュのコックスバザールからダッカに向かうバスがチッタゴンでデモに遭い、一人旅の日本人女性が重傷。

●13年10月 カンボジアのプノンペンで日本人女性が、9月の末に強盗に足を撃たれ負傷。10月に入って、カンボジア人の男二人が逮捕。 

●13年11月 コンゴの日本大使館で務めていた元3等書記官の20代の日本人男性が、大使館に放火。

●13年12月 エクアドルで新婚旅行中の日本人夫婦が殺害される。

●14年1月 ローマの地下鉄でスリを繰り返し、「地下鉄の忍者」と謳われた日本人男性が逮捕。

●14年8月 カナダでバス事故があり、日本人学生2人を含む観光客56人が重軽傷。

●14年10月 バンコク在住の日本語教師(79歳男性)が行方不明の後、殺害され、バンコク郊外の運河で発見。

●14年10月 日本人女性が iPhone(アイフォン)を密輸し、上海の税関に摘発される。

●14年10月 ネパールのヒマラヤ・アンナプルナで日本人男性が雪崩で死亡。

●14年10~11月 日本人ジャーナリスト2人がシリアで相次いで拘束され、翌年1月公開処刑される。

●15年1月 インドのブッダガヤ近郊の村で日本人女性旅行者が監禁暴行される。

●15年3月 イラク北部クルド人自治区にトルコから入国した日本人男性が不審者と疑われて拘束される。

●15年9月 ジャカルタのマンションで、日本人女性がマンション警備員に金品目的で殺害される。

●15年10月 バングラデシュで農業開発に携わっていた日本人男性が射殺される。

●15年11月 バングラデシュに10年滞在していた日本人女性がダッカの民家で死体で発見。

●16年2月 グアムで70歳の日本人男性がホテルに所持品を残したまま行方不明。

●16年3月 タイのリゾート地ホアヒンのビーチで、社員旅行の日本人男性約30人が泥酔の上、全裸に。タイ中で大問題に。

●16年9月 カナダに語学留学中の日本人女性がバンクーバーで殺害される。

●16年11月 インドのゴヴァラム・ビーチで日本人女性旅行者が暴行される。

●16年11月 バックパッカーとして世界各地を旅して、旅ブログの発信もしていた一橋大学の日本人学生がコロンビアで殺害される。

●16年12月 フランス留学中の日本人留学生女子がブザンソン市で行方不明に。

●17年4月 マルチ商法詐欺の日本人女性62歳が、38歳と年を偽り、タイ人男性と交際、タイ当局に逮捕される。

●17年9月 釜山の海雲台で40代日本人女性の旅券が入った持ち物が見つかり、女性は行方不明。

●17年9月 バリ島で70代の邦人夫婦が殺害される。

●17年11月 アユタヤで日本旅行のツアーに参加した日本人男女4人が移動中の自動車で事故に合う。

●18年2月 東シベリアのオイミャコン村を自転車旅行していた日本人大学生グループがキャンプ中に動けなくなり、地元の人に助けられる。オイミャコン村は世界最冷寒の地として有名だった。

●18年11月 タイのバンコクの両替所で、旅行資金が底を突いた33歳の日本人旅行者男性が強盗に及んだものの、そのまま両替所に閉じ込められて未遂のまま逮捕され、日本でもそのニュースが報じられた。

⇒旅行資金のなくなったバックパッカーが罪を犯すというケースはままあるが、現地の悪徳旅行業者などと結託して同国人を騙すようなパターンはよく聞くものの、こういった、普通の旅行者が直接、犯行に及ぶような事件は意外と珍しいので、興味深く思った。

●19年4月 十数人の日本人男性がタイのパタヤで共同生活を送り、日本国内の日本人に向けて、振り込み詐欺を働き、逮捕。

●19年11月 バリ島のマンションで日本人女性が襲撃され、防犯カメラの映像が日本のテレビでも放映される。

●19年月アメリカ・ユタ州のアーチーズ国立公園において日本人家族が転落事故に遭う。

●19年11月 2007年にタイのスコタイで日本人女性バックパッカーの方が殺害された事件について、10年以上たって、犯人がほぼ特定される。

●19年12月 タイで日本人4人の乗る車が事故に遭う。

●19年12月 アフガニスタンでNPO法人「ペシャワール会」代表の中村哲氏が銃撃されて死亡。

●19年12月 タイのバンコク在住の日本人男性が刃物で刺される。タイ人容疑者2名は外国人ばかりを狙って強盗に及んでいたとのこと。

●20年3月 インドネシア・バリ島沖の離島・ヌサ・ペニダ島で、22歳の日本人男性が海岸で高波にさらわれて転落し、溺死。

●20年8月 フィリピンで80代の日本人女性が殺害(2021年2月に犯人逮捕)。

●20年 11月 ブラジルで現地少年による強盗殺人。被害者は在住の40代日本人女性。

●21年 4月 バンコクで駐タイ日本大使のN氏が所謂「ナイトクラブ」でコロナに感染。大批判を浴びる。

●21年 4月 ミャンマーで日本人ジャーナリストのK氏が拘束。K氏は2月末にもミャンマーで一度拘束されていた。

●21年 4月 タイ・チョンブリ県の飲食店で午後9時半以降に飲酒を含む宴会をしていた日本人9人が、コロナ対策の禁止令違反で逮捕。

●21年5月 メキシコ北西部ティフアナでラーメン店を経営する日本人男性が、知人と見られる複数の男に殺害される

●23年7月 タイ北部チェンマイのホテルで31日午前、日本人女性が首に携帯電話の充電用のケーブルが巻かれた状態で死亡しているのを一緒に宿泊していた日本人の夫が見つけた。

●23年9月 ハワイの税関で、いかがわしい目的かと疑われて入国を拒否される日本人女性が増えているとの報道。

●23年9月 「持続化給付金」詐取の疑いで日本で逮捕状が出ていたものの、カンボジアからタイへ逃げていた日本人男性。不法滞在の疑いで当局に身柄を拘束されて、日本に強制送還される予定だったが、入管から車両で逃走。その後、パタヤで身柄を確保される。

      

 

今まで「合掌」について書かせて頂いたあれこれを箇条書きにまとめてみることにした。

 

・タイで修行し始めの頃、まだ上座部僧となるための得度式を終える前に、日本のお坊さん姿で近くの小さなお寺の僧坊に招き入れられたことがある。

その時、飲み水を持って来てくれたデック・ワット(寺男)の少年に、私が合掌しようとしたら、周囲のお坊さんたちに慌てて止められた。

なるほど、こちらでは大乗仏教僧であっても、お坊さんが在家の人に対して合掌してはいけないんだなと、その時、刷り込まれた。

 

・得度式を終えてテーラワーダ仏教僧となった後、私の止宿するワット・パクナムというお寺に、日本のとあるお偉い年配のお坊さまが従者を連れて、インドへの仏跡巡礼の途次に立ち寄られたことがある。

会見の間で、日本人の老僧は寺から敬意を表されて椅子に坐らせてもらっていたので、まだ若かった私は、初対面で他宗派の年配の日本のお坊さまに対して失礼のないように合掌して挨拶しようとしたのだが、今度はものすごくたくさんのタイのお坊さんたちや寺の職員たちが、一斉に悲鳴を上げて私を取り囲んで制止した。

 

・テーラワーダのお坊さんは大乗仏教のお坊さんに対してであっても合掌してはいけない訳だが、その後、日本仏教僧として赴任したインドのブッダガヤには、テーラワーダと大乗の寺院が混在していたので、テーラワーダ僧の合掌具合を観察してみると、仲良しだから愛想よく挨拶はしてくれるけれど、私の合掌に対してさりげなく片手を上げて応えていたりするだけの方も多かった。

 

・その反面、何の屈託もなく合掌を返してくれるテーラワーダのお坊さんも、意外と少なくはなかった。融通の利くインド仏教僧のみならず、タイのお坊さんの中でも、とりわけ戒律遵守に厳しいタマユット派のタイ寺院のお坊さんたちでも、本当に気さくに合掌を返してくれる人がいたものだ。

 

・だからテーラワーダのお坊さんが、大乗仏教のお坊さんに対して合掌しない、なぜならばテーラワーダのお坊さんは、大乗仏教のお坊さんのことを正式なお坊さんとは認めていないからだという説明は、必ずしも正しくないと私は思っている。

 

・さて、インド、ネパール、スリランカ、タイといった国々ではお坊さん以外の一般の方たちが、挨拶の時に合掌する。これはヒンドゥー教やテラワーダ仏教のようなインド文化が伝わった地域の習慣なわけだ。

 

・ではそもそもインドではなぜ手を合わせて挨拶するようになったのだろうか? お縄や手錠を受けるかのように両手を差し出す絶対服従のポーズが相手への帰依を表わすことになったという人類学説を読んだこともあるし、不浄の左手と浄の右手を合わせることにより、浄不浄を超えた境地を表わすのだなどという説明もよく行われる。

 

中国の拱手、中国伝来と思われる日本の仏教や神道の叉手、キリスト教の按手など、地球上には洋の東西を問わず手を合わせる挨拶や作法がいろいろあるし、仏教には様々な種類の合掌法が伝わっているところを見ると、両手を合わせるという行為は仏教徒に限らない人類共通の動作であり、手や指の発達が道具の使用と共に人類の脳の進化を促したのだから、手を合わせることが精神の安定に影響し、心を落ち着けることになるから合掌するようになったのではないかと私は考えている。

 

最後に余談ながら、合掌したくても片手がふさがっている時に、もう一方の手だけを立ててお参りすることを「片手拝み」と表現しておられる方がいるが、我々の方ではそれを「半掌」などと呼ぶ。ただし法儀集などにそんな作法は見えないし、どこまでこれが正しい呼び方なのかは知らない。一見、玄人っぽくて格好良く見えるのかも知れないが、できる限りは両手を合わせて合掌するように心がけるべきではある。ただ、最近になって、天台宗の法儀集にこんな箇所を見つけた。

 

「揖礼(しゅうれい)は起立平座に関わらず合掌し、いささか低頭して会釈する礼であって礼法中の最略式のもので、手に朱扇、華籠等を持つ時は合掌に及ばない。」

 

半掌という文字はないが、手に物を持っている場合の片手拝みは反則ではないということになるのかも知れない。

 

 

                  おしまい。

 

※ ホームページ 「アジアのお坊さん」 もご覧ください。

以前にタイ人は「金剛合掌」をしない、という話を書かせて頂いたことがある。

 

金剛合掌というのは下図のような指を組み合わせる合掌のこと。

 

 

ちなみに、この画像は台湾の仏教書からの引用なのだが、日本の仏教宗派では天台宗・真言宗の密教などで、この金剛合掌を使用する。

 

タイ人でこの形の合掌をする人を見かけることはないが、バンコクのサラ・チャレームクルン・シアターという劇場前に立っている猿神ハヌマンの像がこのような形で手を合わせていた記憶がある。

 

…ということを以前に書いたのだが、写真を撮ってはいないので不確かだったところ、ふと思い立って Google Earthで地図の画像を確認したら、何とハヌマン像の写真が映っている! 

 

しかし、ちょうど像の合掌の部分が不鮮明なので、それではと思って今度は素直にシアターのホームページを見てみたら、呆気なく下のような画像が見つかった。

 

 

 

ただし、このハヌマンの手の形が金剛合掌だとは、必ずしも言い切れないけれど。

 

 

 

※ハヌマンは今もタイの庶民に親しまれている「ラーマキエン」(インドの叙事詩「ラーマーヤナ」のタイ語版)に出て来る神猿です。

 

※本当は「合掌」について色々書きたかったのですが、長くなるので次回のテーマとさせて頂きます。

 

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。

「人間に服従せざるを得ないロボットの”本能”よ。いわゆる「アシモフ回路」ってやつ。」

  ー 「チェンジリング」佐藤史生(小学館)より

 

今でこそブログの中では「奇術」「ミステリ」「探偵小説」などという風に気取った単語を使わせて頂いているが、実を言うと子供の頃に好きだったものはと言えば「手品」に「推理小説」で、その言葉を使った方が今でも胸がときめくのが本当だ。

 

さて、そんな子供の頃のこと、「推理小説」はたくさん読んでいても、SF小説はほぼ読んだことがなくて、唯一、SF好きの従兄弟に借りて読んだのがフレドリック・ブラウンの短編集で、何年か前、身内の葬儀で何十年かぶりに出会ったその男性に、今でもSFを読んでいるのかと尋ねてみたら、SFを愛する心は忘れていないけれどなどという、曖昧な答えだけが返って来た。

 

だから私は他の人の奇術やミステリに関するブログを読ませて頂くたびに、子供の頃と変わらない気持ちで手品や奇術やミステリや推理小説を愛し、読み、語り、それについて考え続けるおとなの人たちが大勢いることを、とても頼もしく思っている。

 

ところで中高生くらいになると、奇術やミステリ以外に神や宗教や人類や宇宙といった事柄にも興味を持ち出したので、そうしたテーマのSF小説を何冊か読んだものの、さしてのめり込むこともないまま過ごして来たところ(佐藤史生のSF漫画だけは好きだったが)、近頃、日々、人工知能AIのことを耳にするに付け、一度も手に取ったことのなかったアシモフの古典的名作「われはロボット」を、一度読んでみようと思い立った。

 

読んでみて驚いたことに、この古き良き時代のSFがいささかも古びていないばかりか、現在はもちろん、さらにずっとその先の将来に渡ってAIについて考えるべき全ての事象が、既にここに描かれていることに気が付いた。

 

この年になって初めてこの物語を読み、それを愛することのできる心が自分に残っていることを、私は秘かに嬉しく思う。

 

                 おしまい。

 

「ホームページ アジアのお坊さん 本編」もご覧ください。