生老病死の話 | アジアのお坊さん 番外編

アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

娑婆との付き合いを最低限にしたいから、同窓会などにも行ったことがなく、世間の人が「年を取って同窓会に行くと病気の話で盛り上がる」的なことを仰るのを聞いても実感が湧かないのだが、去年たまたま何十年かぶりに再会した一般人の知り合いも、やっぱり大きな病気の話を聞かせてくれた。

 

ここ何年かの間に、自分自身も数回、思わぬ時に思わぬ所で大きな体調の不備を感じたのだが、またそれ以外にも、お坊さん・一般在家の方どちらも含めて身内や知り合いが、軽重様々な病気を体験しているのを最近に聞いた。

 

私は「生老病死」という仏教語を聞いて、生まれて老いて死ぬのはそれぞれ大きなカテゴリーだけれども、「病」だけはどちらかと言えばそれらに付随する副次的なものではないかという風に、大昔、仏教に興味を持ち始めた頃に違和感を感じていたものだが、今となっては、生まれて老いて病んで死ぬのは、ごく科学的で生物学的に自然なことであり、「生」「老」「病」「死」はそれぞれ4等分に同じ比重で重要な現象なのだと理解できるようになった。

 

だから、「生老病死」から「諸行無常」という原理を抽出して見極め、「苦」からの脱却を説いたブッダは本当に偉大だったのだと、この年になってつくづく思う。

 

 

               おしまい。

 

 

※画像はネパールで購入したブッダ伝絵葉書の内、四門出遊・生老病死を描いた1枚です。

 

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