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アジアのお坊さん 番外編

旅とアジアと仏教の三題噺

十句観音経という短いお経があって、これは中国で作られた偽経だとされているのだが、日本では人口に膾炙していて人気もあり、観音巡礼に際して唱えられたり、般若心経より短いので手軽に写経が行われたりもしているお経だ。

 

いろんな宗派で親しまれている中で、天台宗では常用経典の「台宗課誦」にも収録されており、私も日々唱えてはいるけれど、偽経だという情報が先に頭にあるせいで、お坊さんになった当初は何となく違和感を感じていた。

 

しかし、その後に訪れた台湾ではこの十句観音経に節を付けて唱えていて、お寺でテープを流していたりするし、台湾の仏教書にもこのお経のことがよく載っている(日本のインターネット上にも書かれていることだが、「仏法僧縁」の文句が台湾では「仏法相縁」となっている)。

 

また、台湾の仏教書には日本で特にこのお経が重視されていることや、白隠禅師や原田祖岳師の著作名までが挙げられているので、インドにはなかったお経だとは言え、信仰熱心なアジアの人々も読誦する経文だと思って、今は漢字の意味をかみしめながら、十句観音経を上げるようにしています。

 

 

               おしまい。

 

※画像は十句観音経についての記載がある台湾の仏教書の内の1冊。

「疑偽経」という章の中で、中国で偽経が作られたことの意味などにも触れながら、十句観音経以外の偽経についても記載されています。

他にも台湾四大宗派の一つ、法鼓山の出版物でも十句観音経の解説が載っているのを見たことがあります。

 

「ホームページ アジアの経本」もご覧ください

「わが庵は 都の巽 しかぞ住む 世をうぢ山と 人はいふなり」という和歌を残し、宇治山に隠棲して昇仙した(仙人となって天に昇った)喜撰法師が好きなのだが、先日、信者さんの車に乗せてもらっている時に、ちょっと道を逸れれば喜撰山の麓ですよと仰ったので、寄り道をして頂くことにした。

 

昔、喜撰山中の喜撰洞という所だけはお詣りしたことがあって、洞内の質素な喜撰法師像を拝んだ時に、

 

 先達に せめて衣を きせん洞

 

という拙い川柳を詠んだものだが、本当は宇治の平等院の辺りから山中を歩いて喜撰山ダムと喜撰洞に至るコースがあるそうで、山歩きの方が何人も普通に登山記録をインターネット上で紹介しておられるから、一度は行脚してみたいと思っていた。

 

紙上巡礼で地図を見ていた時に何度も目にした喜撰山大橋、上記の登山道は本当はこの橋からではなく、途中の別の橋か宇治市内から向かうようで、喜撰山大橋の方は一般人の通行を禁じていたのだけれど、何度も何度も地図で見たこの橋から宇治山を望み、私はとても感動した。

 

 

 

以前に纏めた、喜撰法師に関する資料一覧も、改めて再録させて頂くことに致します。

 

 

喜撰式 885年 

但し、これは喜撰法師に仮託した偽書というのが定説なので、喜撰法師の文献における初見は、次の古今和歌集となる。

 

古今集 905年 本文に「わが庵は」の歌が収録されているのと、序文に喜撰法師が六歌仙の一人であるということが記されている。

 

本朝神仙伝 1109年以前 

「窺仙」という表記になっている。喜撰法師のことが記載されていること自体は他の書物に見えるのだが、本文は散逸。

 

無名抄 1210年頃

鴨長明の和歌論で、喜撰法師や喜撰洞についての記述がある。

 

百人一首 1221年頃? 「わが庵は」収録。

 

玉葉和歌集 1300年頃

喜撰法師のもう一つだけ伝わる和歌「木の間より 見ゆるは谷の 蛍かも…」が載っている。

 

元亨釈書 1332年 久米仙人と共に喜撰法師のことを「窺仙」として取り上げている。

 

扶桑陰逸伝 1664年頃

「喜撰」の項がある。

 

本朝列仙伝 1686年頃

平安時代の「本朝神仙伝」の続編という趣旨で著された江戸時代の書で、「本朝神仙伝」同様、「窺仙」の表記。

 

本朝高僧伝 1702頃

「城州宇治山喜撰伝」の項がある。

 

歌舞伎 「六歌仙容彩」 1831年頃

ここでの喜撰法師の行跡は、全く創作上の空想に基づくもの。

 

             おしまい。

 

※上の画像は「本朝列仙伝」です。

 

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・2024年12月 草津市のスーパー銭湯で京都市の僧侶が、男子中学生を撮影して逮捕される。

 

・2025年1月 大津市の円満院門跡を懲戒解雇された僧侶2人が寺側を訴える。事件は約3年前のものだが、この度、判決があったのでニュースとなる。

 

 

以下、以前の記事も再録します。

 

2019年7月 京都市内の天台宗の有名観光寺院の役僧が、路上で女性に良からぬ行為を働き逮捕される。

 

2019年10月 大阪市阿倍野区の真言宗の有名寺院の住職一家が行方不明になり、寺が競売に掛けられた。

 

2021年4月 茨城県の日蓮宗寺院住職が、交通トラブルの相手をボンネットに乗せたまま車で逃走。

 

2023年6月 鳥取県内の僧侶が母親に暴力。

 

2023年7月 東京都の臨済宗寺院住職が他人の妻に横恋慕し、別れさせ屋を使って違法なことを画策。

 

2023年8月 栃木の臨済宗寺院住職が、坐禅に誘った女性の身体を警策(坐禅指導のための禅杖)で触って逮捕される。

 

2023年9月 京都市内の天台宗の有名観光寺院の役僧が、盗撮目的で女子トイレに入り逮捕。

 

2023年10月 東京の寺院住職が境内墓地の経営を委託した霊園業者とのトラブルで、その墓地の地下納骨堂で練炭により殺害される(事件そのものは7月に発生)。

 

2023年12月 岐阜県各務原市の真言宗系の寺院に勤める僧侶が大麻所持で逮捕される。

 

2023年12月 茨城県つくばみらい市の浄土宗寺院の僧侶が女性に対する暴行罪で逮捕される。住職の息子であるこの僧侶は以前から同様の余罪で問題を起こしていたとのこと。

 

2024年1月 四国の天台宗寺院住職が得度させた女性を長年に渡って心身共に支配。当該住職と住職を女性に紹介した回峰行者を懲戒処分にするよう、本山に訴える。2024年11月、天台宗はこの二人の男性僧侶に対し、懲戒審理が相当という判断を示す。

 

2024年11月 前年7月に東京の寺院住職が霊園業者とのトラブルで練炭により殺害された事件の初公判が行われ、犯人が起訴内容を認める。

 

2024年11月 天台宗で得度した男性芸人千原せいじ氏(法名・靖賢)が、仏教系一般社団法人「日本仏教協会」(公益財団法人「全日本仏教会」とは全く関係のない団体)の顧問に就任したとのニュースがに報じられる(追記:2025年に退任とのこと)。

 

2024年12月 草津市のスーパー銭湯で京都市の僧侶が、男子中学生を撮影して逮捕される。

 

2025年1月 大津市の円満院門跡を懲戒解雇された僧侶2人が寺側を訴える。事件は約3年前のものだが、この度、判決があったのでニュースとなる。

この事件は派遣僧侶に関する興味深い問題点を含んでいるので、是非検索をお勧め致します。

 

 

 

                   おしまい。

 

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子供の頃にカップラーメンならぬカップライスというものが作れないかと空想したことがある。その後、程なくしてそんな商品が開発されたとニュースで知り、先を越されたと小学生の私は悔しく思ったものだが、カップライスはさして人気も出ないまま、姿を見なくなったように記憶する。

 

最近、「カレーメシ」なるカップライスのシリーズの売れ行きが好調だと聞いてそんなことを思い出したのだが、どうやら自分は昔からいろんな食品のことを空想するのが好きだったらしい。

 

タイやインドのお寺での修行中に、「遣唐使 後は茶漬けを 食いたがり」という川柳のように、現地の食事が合わなくて苦しむということはなかったのだが、食事をする時に食の由来や食べ物について、あれこれ考えることは多かった。

 

こんな商品があったらいいのになと空想したのが、例えば以下のような品々。

 

・胡麻油や、有機卵や、上等な酢を使った、栄養価の高いマヨネーズ。商品名は「麻油濃酢」。

 

・身体に良いたくさんの種類の野菜を使った、グレードの高いミックスベジタブルの「これだけでベジタブル」。

 

・三大栄養素やミネラル、滋養も完璧で、それをご飯にかけるだけで一食分の栄養が摂れる「パーフェクトふりかけ」。

 

・味もおいしく、栄養のバランスも良く、塩分も多すぎず、化学調味料も使わず、値段も他のインスタントラーメンより高くない「ラスト・ベスト・パスタ」。

 

私が昔に空想したそんな商品の数々、「カレーメシ」同様に、今ならいくらでも実在しているのかも知れない。

 

 

 

 

                おしまい。

 

「ホームページ アジアの精進料理」もご覧ください

 

※お知らせ※

タイの高僧プッタタート比丘の著作の

三橋ヴィプラティッサ比丘による日本語訳である、
アーナパーナサティ瞑想の解説書「観息正念」、

並びに仏教の要諦の解説書「仏教人生読本」それぞれのPDF版を、
ホームページアジアのお坊さん本編 トップページに添付しております。

 

 

 

 

 

先日、横綱に昇進したばかりの力士の後方に、比叡山千日回峰行者・光永覚道大阿闍梨が揮毫した書が飾ってあるなと思っていたら、ニュースサイトの集合写真には光永覚道師ご自身の姿も映っていたので、これをご縁に過去記事を推敲して再録してみようと思う。

 

さて、私は比叡山で得度して天台宗のお坊さんになった後に初めて覚道大阿闍梨の著書を何冊か読ませて頂いたのだが、テレビの特集などで見る限り、華々しく精力的に見えたこの阿闍梨さんが、実に明晰に平静に、仏法や回峰行というものを捉えておられるということに驚いたし、覚道師が早い時期からご自身の隠居について考えておられたということも印象に残ったものだ。

 

さて、それから何年も経ってからの話だが、覚道師のお弟子さんである光永圓道大阿闍梨が、2009年、千日回峰行満行直前に修された京都大廻りの道中で、圓道師の到着を待つ我々の前に、歩きやすい白い衣装にキャップを被った師匠の覚道師が現れて、「昔の阿闍梨さんです~、一行はもうすぐ到着しますからね~」と気さくに話しかけて下さったことがある。

 

お弟子さんの回峰行に同行することを、とても嬉しく思っていらっしゃることがひしひしと伝わる笑顔ではあったが、こうした覚道大阿闍梨のお人柄があればこそ、お弟子さんの圓道大阿闍梨も、あれほど稀有にさわやかな阿闍梨さんでいらっしゃるのだろうと思う。

 

                    合掌

 

 

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