サワディクラップ!!
本日もKAZのブログにお越し下さいまして有難う御座いますヾ(@^(∞)^@)ノ
本日のコンケン、只今の時刻は午前9時半、気温30度、湿度60%、天候は今日も快晴(*^▽^*)
此処数日は涼しい風が吹いていてとてもサバ~イな陽気です。
さてカンチャナブリへの旅行記、もう少し御付き合い下さい(;^_^A(;^_^A
旅行5日目、いよいよカンチャナブリ市街地附近の観光最終日です(*゚ー゚)ゞ
まず向かった先は・・・・
クウェー川鉄橋・・・・(;^_^A(;^_^A
アンタどんだけ好きなんだ~?とツッコミが入りそうですが先日は列車の乗って通過しただけですので今度は自分の足で渡って触れてみたいと・・・σ(^_^;)σ(^_^;)
中央付近の平行弦トラス部分はアメリカ軍の爆撃により落橋してしまい戦後に日本の戦後補償により架け直された部分です。
本来はコンクリート製の橋脚が2本有って3スパンの曲弦ワーレントラスでしたが架け直した際には橋脚を1本として2スパンの平行弦トラスの橋に変更されたようです。
以前は線路中央の部分だけが板張り、両脇は何も無し、しかも手すりも無い状態で観光客が渡っていたようですが・・・・さすがにあまりにも危ない(w_-;
今では全て床板が張られましたので余程の事が無い限り川に落ちるような事は無いかと思います(^∇^)
架け直された平行弦トラス橋部分に張り付けられた銘板
横河橋梁の文字が見えます。
更に下り側(ナムトック駅側)に進んだ部分はプレートガーター橋により河川敷部分をまたいでおりますがこの部分も当時は木橋との事。
やはり戦後補償により日本橋梁により架け直された橋です。
此方はその銘板です。
クウェー川駅方面に戻ってみますと・・・・
観光列車が待機中、往復で20THBとの事でしたがたった今歩いて渡ってきたばかりですのでパス(^_^;)
駅の脇には・・・・
泰緬鉄道から昭和40年代まで使われて居たタイ国鉄719号機、日本のC56-23号機が静態保存。
更には・・・・
泰緬鉄道建設時に活躍したと思われる日本陸軍100式鉄道牽引車が静態保存(ノ゚ο゚)ノ
これは現存する車両は数少ないので結構貴重な資料だそうですΣ(゚д゚;)
そして次に向かった先はすぐそばの・・・・
第二次世界大戦博物館ですヽ(*'0'*)ツ
中に入るとすぐに目につくのは・・・・
やはりまたまた蒸気機関車 (;^_^A(;^_^A
いや、決してKAZは鉄オタじゃあないんですが・・・・(゚_゚i)(゚_゚i)
この蒸気機関車はイギリスの「ノース・ブリティッシュ・ロコモティブ社」製の蒸気機関車です。
掲げられた簡単な説明文によれば「ガンガナブリでの第二次世界大戦時のミャンマー、インドへの日本兵軍用具運搬用汽車」(原文のまま)となっていますのでマレー半島の戦いで勝利した日本軍が戦利品として此方に運んできた機関車なのかも知れませんね。
今でも現役で使われている様子のメルセデスベンツ( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
展望台?からはクウェー川鉄橋が一望。
真下に見えるのは水上レストランとか水上ディスコ。今はひっそりとしていますが夜になると船に引かれてカンチャナブリ名物の爆音ディスコと化してクウェー川を走り回ります(@Д@;
此方は捕虜を使って鉄道を敷設するシーンの人形。
見ていてあまり気分の良いモノではありませんね(ノ_-。)(ノ_-。)
その線路の先は・・・・
泰緬鉄道がクウェー川を渡るもう一つの橋「木橋」の一部です。
戦争当時度重なる空襲で破壊されますがその度すぐに修復し終戦時まで列車を通し続けた木橋ですが戦後大雨により流されてしまい今ではこの部分だけが現存。
橋の下を覗きこみますとアルヒル桟道橋と同様な造りの様子でした。
もう少し雑草を刈り取って貰ってよく見えるようにして戴きたいものです。(;°皿°)
此方は有蓋貨車・・・鉄格子の中居るのは捕虜?
此方は日本軍のジープ?でも左ハンドルですしベトナム戦争時の米軍のウィルス社製のジープに見えるのですがフロントガラスに張ってあるステッカーはイギリスの国旗、そして車の中に居る運転手と将校らしき人物はどうみても日本兵・・・訳わかりません(°Д°;≡°Д°;)
こちらはタンクに「JAPAN」と書いてあるオートバイ・・・・でもエンジンが水平対向?
KAZの記憶によれば第二次世界大戦当時も含め日本には水平対向のエンジンを載せたバイクは無かったように思うのですが・・・・
此方のタンクにも「JAPANESE」 日本の原動機付き自転車の歴史は戦後のはず。
KAZの亡父はこんなバイクの事を「バタバタ」って呼んでました(≡^∇^≡)
此方は軍服や鉄カブト、銃なんかも展示されています。
何故か歴代ミスタイランドの肖像画(@Д@;(@Д@;
東条英機やヒトラー、ムッソリーニそしてマッカーサー、チャーチルといった第二次世界大戦の主役達?の人形も・・・・
この博物館、宝石商で財を成したチャンスィリー家が運営している私設博物館で膨大な数の展示品が有るのですが説明文も無いですし統計だっての展示も無し、展示品は埃と蜘蛛の巣でまみれ一歩間違えればまさにゴミのよう。
まさに金持ちが金に任せて単に骨董品を買い集めて展示していると云った状態です。
一応入場料(タイ人は40THB/人)を徴収するからにはもう少し・・・と思いました(;^_^A(;^_^A
次に向かった先は・・・・
泰緬鉄道建設犠牲者慰霊碑です。
泰緬鉄道完成の年、まだ戦時中だった昭和19年、日本陸軍鉄道隊の手によって作られた慰霊碑です。
日本人だけではなく捕虜の方々やロウムシャと呼ばれたタイ人、ビルマ人、インドネシア人等々の作業員で不幸にして泰緬鉄道建設により命を落とされた方々を慰霊してあります。
記帳もできるようになっておりタイ人のお婆さんが管理していましたので記帳、献花すると共にしっかりとタンブンしてきました。
次に向かった先は・・・・
ムアンシン歴史公園ですγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
クメール時代(13世紀頃)アンコール王朝の最南西に位置した集落の跡地と言われている処です。
すぐ脇にクウェー・ノイ川が流れていて河川交易で栄えた町らしいのですが・・・・
何故かスコータイに行きますと「オオ~!!」と感動する様な遺跡なのですがどうもカンチャナブリにあると思うと今一つ気持ちが盛り上がらなくて・・・(ノ_・。)(ノ_・。)
やはりKAZ的にはカンチャナブリには泰緬鉄道のイメージが強いんですよね~σ(^_^;)σ(^_^;)
スコータイと同様に周囲は四方を何重かの土塁で囲まれていたようで此処はその門の跡です。
相当に大きな扉が付いていたのでしょうね。
土塁の外には死者を埋葬した処も発掘されていますΣ(=°ω°=;ノ)ノ
昔の女性も金の腕輪をしていたんですね~(ノ゚ο゚)ノ(ノ゚ο゚)ノ
そして次に車を走らせた場所は・・・・
カンチャナブリ市街から北北東に40キロ程行った街「ボーポイ」
実は此処はルビーの産地として有名な街なんです∑(-x-;)
「OTOP」と呼ばれる地域振興策である一村一品運動の製品も此方の街では・・・・
宝石屋さん一色((((((ノ゚⊿゚)ノ
事前に仕入れていた情報によると此方のお店は自社で山を所有して宝石を掘り出してきて自社で加工、販売しているので少し安いと聞いてきたのですが・・・
原石類・・・自分で選んで指輪やネックレスに加工して貰う事も可能だそうです。
此方は指輪の数々・・・・( ゚-゚)( ゚ロ゚)(( ロ゚)゚((( ロ)~゚ ゚
指輪本体にもよりますが(金とか銀とか)驚くほど高価っていうほどでは無いんですね(;^_^A
しかしこのような宝石ってどうも年配者向き?
若い女性でデッカイルビーが付いた指輪をしている人って見ないですものね~(^∇^)
ウチの女房は決して若い訳ではありませんが・・・「なんかピンと来ないんだよね~」
「そうだね~こう云うのって死んじゃったお母さんとかが好きそうだもんね~」
「そうだよね~アタシにはやっぱり似合わないよね~」
ヤッタ~γ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞγ(▽´ )ツヾ( `▽)ゞ
気が変わらないうちに早々に退散しました(≧▽≦)
続いては・・・・
カンチャナブリ・サファリパークはパスA=´、`=)ゞ
タイ空軍基地内にあります「ベトナム戦争博物館」です。
ベトナム戦争時に米軍からの依頼によりタイ軍も参戦、一番多かった年には12000人の兵士が参戦していたそうです。
それらの資料が展示されている「ベトナム戦争博物館」なのですが・・・・残念ながら個人での入館は不可との事。
学校や企業等団体で事前に申し込みをしないと入館できないそうです。
屋外には・・・・
爆撃機?
此方は輸送機でしょうか?
中に入る事も可能です(@ ̄Д ̄@;)
そして、ヘリコプター
すぐそこからジョン・ランボーが出て来そうです(^_^;)(^_^;)
此方は戦没者の慰霊碑。
この慰霊碑にはかなりの数の名前が刻まれていました。゚(T^T)゚。
実は帰宅後にタイ軍兵士の戦死者数を日本語とタイ語でググりましたが判りませんでしたので公式発表はされていないのかも知れませんね。
次に向かった先は此処カンチャナブリ市街観光では最後の場所・・・・
入口には大きな日本の国旗が・・・・
「SHINTO PARK」です。
言う迄もありませんが「SHINTO」とは神道の事。
日本語名は「神道平和祈念公園」と云う名前が付いています。
「アジア和平日本委員会」及び日泰合併の「21世紀文化教育財団」と云う組織で運営。
その母体は「日本青年社」です(ノ゚ο゚)ノ
今話題の尖閣諸島を守って来た団体としても有名ですよね。
KAZは神道派ではありませんが敬意を表して観光の途中では無く敢えて一番最後に廻る処に選ばせて頂きましたo(^-^)o
公園内には沢山の慰霊碑、モニュメントがあります。
公園内の一番奥には鳥居と神社が・・・・
「諏訪大地主 桑井川神社」と記されています。
お名前を伺うのを失念しましたがこの公園をお守りしている日本人の方(宮司さん?)に伺いましたらあの諏訪大社の流れの神社だそうです。
普段はその日本人の方とタイ人スタッフ一人の二人だけで管理して居るとの事。
かなり広大な敷地ですし博物館的な建物もありますので大変な労力でしょうね∑ヾ( ̄0 ̄;ノ
植木や芝生の管理の為にと少しばかりでしたがタンブンをして公園をあとにしました。
と云った処でホテルに帰館・・・・この日も再びSPAへ (///∇//)(///∇//)
サバ~イとなった処で・・・・・
美味しい夕食を戴きまして御馳走さまでした!!(*^ー^)ノ
カンチャナブリ旅行記、もう少しだけ続きます σ(^_^;)σ(^_^;)