信じられないほどの暑さが続きますね。くれぐれもご自愛ください。

まだまだ作業が残っていますが、いちおう前期の授業を終えました。
今学期は受講生の皆さんのお陰で、本当に愉しかったです。

ありがとうございました!
(続き物の授業を履修した皆さんへ。後期のほうが面白くなる予定です。お楽しみに。)

さて、アンドルー・ラングに関する5月のポストの続きです。

 

昨年刊行された一冊の研究書が、先日、届きました。


John Sloan, Andrew Lang: Writer, Folklorist, Democratic Intellect, Oxford University Press, 2023

https://global.oup.com/academic/product/andrew-lang-9780192866875?cc=jp&lang=en&#

 

ラングのアカデミックな活動とジャーナリスティックな活動の両方に目が配られ、それらの連関とコンテクストが分析されています。19世紀文学の研究者によるもので宗教研究プロパーによるものではないのですが、ミュラー、タイラー、フレイザーらとの関係についても一定の記述があり、参考になりますね。

 

いずれ刊行されるラング翻訳本の解説で取り上げるつもりです。


追記

以前にも一度紹介したことがある、五人組のバンド、Blu-Swing。
先月発売されたアルバム『Panorama』はもしかしたら彼女達の「過去1」かもしれず、聴いた瞬間から心を持っていかれました。


OTOTOYで試聴できます。

 

面識があるわけではありませんが、作曲・編曲・キーボードの中村祐介さん、作詞・ヴォーカルの田中裕梨さんは、僕と同郷です。同郷だから聴いているわけではなく、好きになったバンドが偶然、同郷でした。

 

誇らしさを感じると同時に、とても励みになります。
今夏はペッタッツォーニの翻訳をがんばります。

蒸し暑い日々が続きますが、いかがお過ごしでしょうか。 

 

恐れ入りますが、当ブログに対するコメント申請に広告や自ブログ宣伝が相次いでいることから、コメント欄を閉鎖させていただきます。 

 

同時に、新規フォロー受付も停止させていただきます。 

 

また、当ブログはアフィリエイトに一切関わっていないことを改めて申し上げます。ご自由にご活用くださいませ。

 

ご質問やご感想は、これまで通りメールにてお願いいたします。すべてにお返事することはできませんが、可能な限りご対応いたします。

 

今後も適宜更新する予定です。どうぞよろしくお願いします。


西欧文化に触れるうえで避けて通れないのが、キリスト教の教会についての知識です。『聖書』はもちろんですが、大まかな歴史の流れに加え、建築、聖具、彫刻、絵画(ステンドグラス)等についての知識がたとえ僅かでもあると、実際に訪れたとき、より愉しめると思われます。

 

そこで本日は、西欧の教会について知るための良書をいくつかご紹介します。

(ただ、私はキリスト教信仰を持っていないこと[欧州のなかでも「その段違いの世俗性」で知られたイタリア宗教史学の研究者ということもあり、どの団体にもコミットしておりません]、また、美術史や建築史の専門家ではないことを予め申し上げておきます。

 以下、「手に入れやすいもの」という点を重視して選んであります。あまりよろしくない写真であることをお詫び申し上げます。)

 

まずはこの本で基礎知識を習得するのが良いかもしれません。

 

①デニス・R・マクナマラ『教会建築を読み解く クリスチャン建築の謎と鑑賞をきわめるポケットブック』、田中敦子訳、ガイアブックス、2012年

(イラストが多く、分かりやすいです。一方でマニアックな面もある不思議な書物です。)

 

 

一見素朴なようで、実は多様なロマネスク(10-12C)にやはり惹かれます。

新書ながら写真が多く、とても楽しめるのが以下の三冊。

 

②池田健二『フランス・ロマネスクへの旅』、中公新書、2008年

③池田健二『イタリア・ロマネスクへの旅』、中公新書、2009年 

④池田健二『スペイン・ロマネスクへの旅』、中公新書、2011年

(写真はすべてカラー。古書店で見かけたら是非。蛇足ながら、個人的な推しはパヴィアのサン・ミケーレです。)

 

 

フランスのロマネスクについて

 

⑤饗庭孝男『フランス・ロマネスク』、山川出版社、1999年 (写真多数。カラーは巻頭のみ。)

⑥櫻井義夫、堀内広治『フランスのロマネスク教会 ヨーロッパ建築ガイド2』、鹿島出版会、2003年 (写真多数。カラーは巻頭のみ。)

(やはりプロヴァンスの三つの修道院、ル・トロネ、シルヴァカンヌ、セナンクですよね…)

 

 

スペインのロマネスクについて

 

⑦櫻井義夫、堀内広治『スペインのロマネスク教会 時空を超えた光と影』、鹿島出版会、2004年 (写真多数。カラーは巻頭のみ。)

 

 

独特の展開を遂げた英国の教会について

 

⑧三谷康之『イギリスの教会事典 英文学の背景を知る』、紀伊國屋書店、2017年 (名著! 写真多数。カラーは巻頭のみ。)

⑨ マシュー・ライス『英国教会の解剖図鑑』、岡本由香子訳、中島智章監修、エクスナレッジ、2022年 (イラストのみながら、細部へのこだわりが素晴らしい)

 

 

最後に、英語ですが、息を吞むほどの写真が詰まっているのが以下の二冊。

 

⑩Rolf Toman, Archim Bednorz, Romanesque : Architecture Sculpture Painting, H. F. Ullmann, 2015

⑪Rolf Toman, Archim Bednorz, Gothic : Architecture・Sculpture・Painting, H. F. Ullmann, 2013

(大部でやや重いですが、本当にお薦めです。)

 

 

ご活用いただけると幸いです。

 

管弦楽曲「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」(いわゆる「ローマ三部作」)などで知られる作曲家オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879-1936)は、宗教史学者ラッファエーレ・ペッタッツォーニ(Raffaele Pettazzoni, 1883-1959)の友人でした。

 

二人は年齢も出身地も近く、学んだ場所は共にボローニャ(レスピーギはG・B・マルティーニ音楽校、ペッタッツォーニはボローニャ大学文学部)、後の勤務先は共にローマ(レスピーギはサンタ・チェチーリア音楽院、ペッタッツォーニはローマ大学「ラ・サピエンツァ」文学部)、とても仲良しだったようです。

 

レスピーギの死後30日(「trigesimo」と言い、追悼ミサが行われます)にあたって、ペッタッツォーニはラジオで追悼文を発表しています。クラシック音楽と宗教学の交差・共鳴に関心を抱いている私にとって非常に興味深い内容ですので、日本語にしてみました。([ ]は訳者による補足です。また、邦訳にあたり段落を設定しました。)

 

 

1936年5月18日

 

 レスピーギについての私の最も古い記憶は、ボローニャでの青春時代にさかのぼります。カルドゥッチ[*1]という偉大な名前を中心に大学の内外で形成されていた知的風土のなかで過ごした時代でした。

 しかし、私が二年間ほぼ毎日のようにレスピーギと会っていたのは、ここローマにおいてです。彼は、ボローニャの当時の若者たちと同じように生家や、二つの塔の下[ボローニャの街]での愉しい日々や、ペトロニアノ[ボローニャ市民]の陽気な集まりから離れ、より幅広い人生に惹きつけられ、新たな地平――ベルリン、サンクトペテルブルグ、そしてローマ――へと向かっていったのです。暗黒の日々でしたが、内面的な苦悩のなかで彼の人格は成熟していきました。最初の困難と最初の成功のあいだで、彼の藝術的形成にとって決定的な年月でした。彼はそのことを友人たちに、勝利を確信した者のように自信に満ちた様子で、愉しそうに話したものです。

 彼は私の研究に興味を持ちました。どれだけ自分のものと異なっていても、他人の仕事を理解し共感する生来の能力を持っていたのです。私が一度オーストラリアの神(*2)の風変わりな名を口にしたのを聞いた彼は、それを決して忘れることなく、何年も経ってから冗談めかしてその名を繰り返したものです。彼は時々、コレッジョ・ロマーノの私の研究室を訪ねてきました。ある日、彼はアジアの諸民族の古い楽器をじっくり見たいと言い出し、オーケストラの器楽システムを豊かにするためにそれが役立つのではないかと、技術的な研究までさせました。

 彼は類まれな言語学的才能と、あまり知られていない言語(例えばフィンランド語)にたいする並外れた好奇心を有していました。これは、メゾファンティ(*3)からトロンベッティ(*4)に至るボローニャの天才の特徴であり、音に対する卓越した感覚によって彼のなかで研ぎ澄まされたものであります。

 彼は書物と教養を愛していました。洗練された文化的嗜好の持ち主でした。稀少なもの、古いもの、エキゾチックなものへの感覚を有しており、作品の題材を選ぶ際にもその感覚を頼りにしていました。古代東方の諸文明、ビザンティン世界、北欧のサーガ、中世の伝説、これらすべてが彼の藝術の素材でした。ローマはもちろんのことです。ローマに魅了され、その秘密を理解した詩人は殆どいないのですが、彼はそれを成しえました。「詩人」そのものである彼は、自分が創造、音楽的に創造するために生まれてきたことを感じ取っていました。そして自らの真実、自らの人生であるこの使命の妨げとなるものには断固とした態度で向き合いました。

 彼は美の創造者でした。自分自身のために、他者のために、すべての国々のすべての人々のために。そのなかのいくつかの国々には、作品という贈り物をもたらすために、イタリアの名をより大きく、より世界で賞賛されるものにするために、何度も足を運びました。彼はイタリアという精神的な帝国の創造者でしたが、その歴史的な帝国が再奉献される日を、その死にゆく目で見ることはありませんでした。

 彼の目は閉じました。でも、その声は生きています。決して死に絶えることはありません!

 

ラッファエーレ・ペッタッツォーニ

(Fondo Respighi, 資料番号C57より)

 

*1 Giosuè Carducci, 1835-1907。イタリア初のノーベル文学賞受賞者。ボローニャ大学におけるペッタッツォーニの師の一人。

*2 最高存在(とりわけ、天空が擬人化された天空存在)のこと。

*3 Giuseppe Mezzofanti, 1774- 1849。イタリアの言語学者、枢機卿。

*4 Alfredo Trombetti, 1866-1929。イタリアの言語学者。

 

 

ファシスト期の文章であることが、すぐに分かりますね。しかも論文の題材にできそうな内容です。自分のなかで重要な位置を占めている人物同士がどのように繋がっていたのかを知ることは、歴史研究の醍醐味です。

 

ちなみに数多ある「ローマ三部作」の録音のなかで僕が惹かれるのは、アントニオ・ペドロッティ(Antonio Pedrotti, 1901-1975。レスピーギの弟子でもありました)がチェコ・フィルを指揮したスプラフォン盤です。

 

現在「宗教学名著選」の積み残しであるペッタッツォーニの翻訳に取り組んでいます。来年度中に刊行される予定です。

ベルギー出身のソプラノ歌手、ジョディ・ドゥヴォス(Jodie Devos)が癌のためパリで亡くなったと、各紙が報じています。

Le Mondeより


僅か35歳(オペラ・リリカの世界は人文学と少し似ていて、30代はまだまだ若手です)。


ドゥセ(Natalie Dessay)、プティボン(Patricia Petibon)、ドゥヴィエル(Sabine Devieilhe)の後を継ぐフランス語圏のコロラトゥーラ・ソプラノ(soprano légerとも言います)で、輝かしい未来が約束されていた人でした。

フランス・オペラかモーツァルトを選ぶべきなのでしょうけど、ここではリヒャルト・シュトラウス「あした」を。

(指揮者 Manuel López-Gómezによる投稿より)

 

どこまでも伸びていくビロードのような声、安定感のあるフレージング、そして知性。
デッドな録音ながら、彼女の魅力が詰まっています。

 

これからもずっと彼女の歌を聴いていくつもりです。

 

十代、二十代、三十代、四十代(今年中に終えてしまう…)と、聴き続けているものが三つある。

・モーツァルト

・デューク・エリントン(含、楽団メンバー)

・YUKI(含、JUDY AND MARY)

これまでの人生が楽しいものになったのはこれら三者のお陰だとすら思う。心からそう思う。


モーツァルトについてはこれまで何度も触れているし、エリントン(やはりブラントン=ウェブスター時代ですよね)についてはいずれ取り上げる予定なので、今回はYUKIについて。

その魅力は尽きない。
包容力を有した光り輝く声、ヴォーカリストとしての引き出しの多さ、そして、聴き手のなかで自在に結びつき多様な宇宙を作り上げる歌詞。
つまり、無敵である。

以上。
だけど、これではあまりに素っ気ないので、一興として「ソロ以降の10曲」を思い切って選んでみたい。
(年代順です。コメントは全く私的な戯言でして、長短ありますが特に意味はありません。)

●「愛しあえば」(アルバム『joy』〔2005年〕収録曲)
 いつ聴いても「愛しあいたい」の後に来る、一番とニ番の歌詞の「差異と一致」にドキッとさせられる。

●「ワンダーライン」(シングル〔2007年〕)
 現在、天空存在(空が擬人化され、超越性を有したもの)についての専門書(要するにペッタッツォーニ)を訳しているのだが、この曲と響き合うイマジネーションがいくつもあり、日々驚いている。

●「笑いとばせ」(アルバム『megaphonic』〔2011年〕収録曲)
 とても気持ちの良い曲。晴れた日に秩父宮ラグビー場へ試合を見に行くとき、決まって頭のなかで流れる(実際に歌われているのは東京都庭園美術館周辺なのかもしれないけど)。この頃までは、好みの曲が重なったり、行ったライヴの日が同じだったり、一部の学生たちと話が合った(学校において、学生との年齢差は開くいっぽう…)

●「君はスーパーラジカル」(アルバム『FLY』〔2014年〕収録曲)
 彼女の歌唱はよりしなやかに、より深奥まで届くようになった。絶品。

●「ポートレイト」(アルバム『FLY』〔2014年〕収録曲)
 大好きなアルバムより。「奪うなら急いで」…感服である。ちなみに今回、泣く泣く落としたのが「It's like heaven」。

●「Night & Day」(シングル「tonight」〔2015年〕カップリング曲)
 「神様も どうぞ今日は探さないで」。ね? 彼女の歌には天空存在がいっぱい。

●「しのびこみたい」(アルバム『forme』〔2019年〕収録曲)
 ミディアムスローの佳曲。真夜中に聴くと、とりわけ胸に沁みる。お酒片手に、といかないのが(ほぼ)下戸の辛いところ。

●「Wild Life」(アルバム『パレードが続くのなら』〔2023年〕収録曲)
 この一年間で間違いなく最も再生した曲。エンドレスにしていた日が何日もあったほど。この曲の中毒性はおそらくコーラスに隠されている。南田健吾によって丁寧に作られたサウンドの上で、彼女の声が舞う。追いかけて手を伸ばしても決して届かない。まさに飛天である。
 主題は旅。そういえば先日、ある方がこんな話をしてくれた。「可能な限り旅をしなさい。身体が動かなくなっても旅の回想だけで老後を過ごせるから。それに旅は自分が何者でもないことを教えてくれる」。この言葉をいつまでも覚えておきたい。

●「金色の船」(アルバム『SLITS』〔2024年〕収録曲)
 一昨日発売のニューアルバムから。この曲はヤバい(こう言うしかない)。初めて聴いたのが電車内だったのが失敗だった。出征したまま戻って来なかった愛しい人のことが歌われていると受け止め(こうした解釈も決して不可能ではない)、そこに、さだまさし「片おしどり」における老婦人が繋がってしまったのである。俯いて顔を隠そうとした僕を、向かいの席の中学生たちが不思議そうに見ていた。そりゃそうだよね…ホントごめんなさい。

●「One, One, One」(アルバム『SLITS』〔2024年〕収録曲)
 同じくニューアルバムより。作詞・作曲YUKI。ひとつの到達点。

この曲に耳を傾けていると、若い人たちにこう伝えたくなる。


これから素敵なことがたくさんあります。

どれだけ回り道をしてもいいです。

とにかく生き続けてください。


あくまでも、今日の時点での10曲である。やはりエレクトロニカが多めだし、見事に偏っている。おそらくどの聴き手とも完全には重ならないだろう(ここが彼女のすごいところ)。

曲を選びながら再認識したこと。
年齢を重ねるのも悪くない。

チャオ、ア・プレスト。
(じゃあ、また近いうちに。) 

 

例のリストに以下の一冊を追加しました。

(発売されたばかりのものをすぐに追加するというようなことはせず、じっくり読んでから加えさせていただいております。)

 

竹沢尚一郎、『ホモ・サピエンスの宗教史 宗教は人類になにをもたらしたか』、中公選書、2023年

 

(キース・トマス『宗教と魔術の衰退』の欄も改訂してあります。)

 

また、「最初に読むとよいもの」を整理し、以下の五冊としました。

 

・星野英紀・池上良正・氣多雅子・島薗進・鶴岡賀雄編、『宗教学事典』、丸善、2010年

・田川建三、『宗教批判をめぐる 宗教とは何か(上)』、洋泉社MC新書、2006年(1984年) 

・島薗進、『宗教学の名著30』、ちくま新書、2008年

・末木文美士、『日本宗教史』、岩波新書、2006年

・竹沢尚一郎、『ホモ・サピエンスの宗教史 宗教は人類になにをもたらしたか』、中公選書、2023年

 

「宗教学的思考」を身に付けることで、各伝統における儀礼や経典、ひいては人間の営みそのものを、より面白く見ることができるようになる。僕はそう信じています。

 

学びのスタートはいつだって可能です。

本リストを自由にご活用いただければと思います。

昨年12月に刊行された、下記の本の書評が『週刊読書人』2024年6月7日号に掲載されました。

 

エリック・J・シャープ、『比較宗教学 ひとつの歴史/物語』
久保田浩・江川純一・シュルーター智子監修、
シュルーター智子・藁科智恵・渡邉頼陽・小藤朋保訳、国書刊行会、2023年

 

評者は大阪教育大学名誉教授の岩田文昭先生です。

 

岩田文昭「高い学習レベルが想定された宗教学入門テキスト 宗教学学説史として国際的評価の定まった一冊」

 

実に読み応えのある書評で、本書の内容と意義が丁寧に紹介されており、ありがたい気持ちでいっぱいです。訳者の方々も喜んでくれることでしょう。

 

文中で先生は、かつて、Jacques Waardenburg, Classical Approaches to the Study of Religion (1973-74)の翻訳出版計画(ヴァールデンブルク『宗教研究への古典的アプローチ』)が存在したことに触れていらっしゃいます。これはまったく初耳でして、刊行に至らなかったのが残念です。同書はペッタッツォーニについても一章が割かれている良書で、現在は第二版が流通しています。勝手ながら「今後の展開」を期待せずにはいられません。

 

シャープ『比較宗教学』は、宗教学に興味を持った人が最初に手に取るべき書物になりえると思っています。

「解説」も読みごたえがあるはずですので、お手に取っていただければ幸いです。

池澤優先生とお別れしてきました。

昨年12月の投稿で、先生の「最終講義」に触れたばかりでした。

 


病魔と闘いながら二冊目三冊目の単著を残された先生は、最後まで本物の研究者でした。

池澤優『古代中国の“死者性”の転倒』、汲古書院、2024年3月刊行


池澤優『東アジアの死生学・応用倫理へ』、東方書店、2024年6月刊行予定


今後、これら二冊とじっくり向き合うつもりです。

 

 

少し前のものですし、既によく知られたものですが、以下のインタビューを共有したいと思います。

「人生を“退場”しても、この世は続くー東京大学 死生学・応用倫理センター長 池澤優さんインタビュー」


インタビューのなかで先生が触れておられる高見順の詩とは、『死の淵より』のなかの「青春の健在」です。


その次の「電車の窓の外は」も印象深いですよね。

「電車の窓の外は
 光りにみち
 喜びにみち
 いきいきといきづいている
 この世ともうお別れかと思うと
 見なれた景色が
 急に新鮮に見えてきた
 この世が
 人間も自然も
 幸福にみちみちている
 だのに私は死なねばならぬ
 だのにこの世は実にしあわせそうだ
 それが私の心を悲しませないで
 かえって私の悲しみを慰めてくれる」

「私」は「死へと出発」したわけだけれど、いや、「死へと出発」したがゆえに、この世に生が、幸福が、充溢していることに気がつく。このことが、池澤先生が仰る「希望」に、さらには「死の受容」に繋がるのですね。

 

インタビューを改めて読むと、先生の声のトーンが再現され、いくつものシーンが浮かんできます。(いずれ新訳を出すことになっている)エルツ「死の集合表象研究試論」について、もっと言葉を交わしたかったなと思うと、寂しくて、悔しくてなりません。でも、悲しみで下を向き、ふさぎ込んでしまうのは、ちょっと違うのかなと感じます。先生への恩返しは研究以外ありえません。

 

池澤優先生、どうか安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。

 夏目漱石は「思い出す事など」(1910,11年発表)のなかで、こんなことを書いている。

 「臆病者の特権として、余はかねてより妖怪に逢う資格があると思っていた。余の血の中には先祖の迷信が今でも多量に流れている。文明の肉が社会の鋭どき鞭の下に萎縮するとき、余は常に幽霊を信じた。けれども虎烈剌(コレラ)を畏れて虎烈剌に罹らぬ人のごとく、神に祈って神に棄てられた子のごとく、余は今日までこれと云う不思議な現象に遭遇する機会もなく過ぎた。それを残念と思うほどの好奇心もたまには起るが、平生はまず出逢わないのを当然と心得てすまして来た。
 自白すれば、八九年前アンドリュ・ラングの書いた「夢と幽霊」という書物を床の中に読んだ時は、鼻の先の灯火を一時に寒く眺めた。」『夏目漱石全集 7』、ちくま文庫、1988年、617-618頁

 孤独のなかで、寒さのなかで、震えながら頁を繰ったのかと思うと、愛しさを感じてしまう。それにしても、当時英国においてメジャーな作家だったとはいえ、ラングに目をつけるとはさすが漱石! ちなみにこの文章は、ラングをはじめ、ウィリアム・ジェイムズやハーバート・スペンサーなど、宗教研究にとっても重要な人物の名が次々と登場し、静かな興奮を与えてくれる。

 The Book of Dreams and Ghosts(1897年刊行)。ロンドン時代の漱石が手に取ったこの本を、幸運なことに僕たちは現在、日本語で読むことができる。

アンドルー・ラング『夢と幽霊の書』(ないとうふみこ訳、作品社、2017年)

 

とても面白いため、機会があるごとに学生におすすめしている。
みなさんもぜひ。
(人々は同時代[19世紀末~20世紀初頭]の「未開社会」の事例を面白がるけれど、幽霊、クリスタル・ゲイジング、ポルターガイストなど、英国国内にも同様のものがこんなにあるんですよ、とラングは言いたいわけなのですね。)


 さて、スコットランド出身のアンドルー・ラング(Andrew Lang, 1844-1912)は、作家として、童話集やフェアリーテイル集の編者として広く知られ、19世紀以来読まれ続けてきた。日本においても、彼が編集した「色シリーズ」の童話集に触れた方は多いことだろう。


 一方で、彼はもともと古代ギリシア学の研究者であり、1880年代までは神話研究(主としてマックス・ミュラー批判)、1890年代以後は宗教研究(主としてタイラー批判)を繰り広げ、宗教学の展開に決して小さくはない影響を与えてきた(姉崎正治は非常に早い段階からラングに着目しており、帝大における講義のなかでも取り上げています。交流もあったはず。いずれ国書刊行会「シリーズ 宗教学再考」でアンドルー・ラング『宗教学と神話学』として翻訳が出ることが、既にアナウンスされています)。

 2010年代になってから、本国英国では二つのアンソロジーが相次いで刊行されているので、ここに紹介しておきたい。

Andrew Teverson, Alexandra Warwick, Leigh Wilson (eds.)
The Edinburgh Critical Edition of the Selected Writings of Andrew Lang, Edinburgh University Press, 2015.

 

vol. 1: Anthropology, Fairy Tale, Folklore, The Origins of Religion, Psychical Research

フォークロア、民間伝承研究、人類学、心霊現象研究に加え、神話学と宗教研究(トーテミズム論や『宗教の生成』序文など)にも目が配られている。さらにはタイラーやジェイムズへの書簡も収められている。

vol. 2: Literary Criticism, History, Biography

彼のメインの領域で、作品論も作家論もあり多様。


Tom Hubbard (ed.)
The Selected Writings of Andrew Lang, Routledge, 2017

 

vol. I: Folklore, Mythology, Anthropology; General and Theoretical

巻のタイトルにはなっていないが、マックス・ミュラー、フレイザー、デュルケームらへの批判など、宗教学の学説に関わる論集。

vol. II: Folklore, Mythology, Anthropology; Case Studies

中米、ヨーロッパ、インドなどの事例研究を集めた巻。

vol. III: Literary Criticism

「フィクションにおける不幸な結婚」などの総論、フランス、合衆国、スコットランド、イングランドと計五つに分かれている。

 両シリーズとも「宗教学者・神話学者ラング」にも目を向けている点が、これまでとは異なる部分である。アンソロジーが出たなら次は研究書、これが世の常であろう。僕も少しだけ齧ってきたけれど、ただ最高存在論の流れのなかでペッタッツォーニに注ぎ込んだ要素に着目してきたにすぎず、まだまだこれからである。スコットランド啓蒙からの影響、コナン・ドイルとの差異など知りたいことも多い。英国研究プロパーによる研究書の登場を待ちたい。