管弦楽曲「ローマの噴水」、「ローマの松」、「ローマの祭り」(いわゆる「ローマ三部作」)などで知られる作曲家オットリーノ・レスピーギ(Ottorino Respighi, 1879-1936)は、宗教史学者ラッファエーレ・ペッタッツォーニ(Raffaele Pettazzoni, 1883-1959)の友人でした。

 

二人は年齢も出身地も近く、学んだ場所は共にボローニャ(レスピーギはG・B・マルティーニ音楽校、ペッタッツォーニはボローニャ大学文学部)、後の勤務先は共にローマ(レスピーギはサンタ・チェチーリア音楽院、ペッタッツォーニはローマ大学「ラ・サピエンツァ」文学部)、とても仲良しだったようです。

 

レスピーギの死後30日(「trigesimo」と言い、追悼ミサが行われます)にあたって、ペッタッツォーニはラジオで追悼文を発表しています。クラシック音楽と宗教学の交差・共鳴に関心を抱いている私にとって非常に興味深い内容ですので、日本語にしてみました。([ ]は訳者による補足です。また、邦訳にあたり段落を設定しました。)

 

 

1936年5月18日

 

 レスピーギについての私の最も古い記憶は、ボローニャでの青春時代にさかのぼります。カルドゥッチ[*1]という偉大な名前を中心に大学の内外で形成されていた知的風土のなかで過ごした時代でした。

 しかし、私が二年間ほぼ毎日のようにレスピーギと会っていたのは、ここローマにおいてです。彼は、ボローニャの当時の若者たちと同じように生家や、二つの塔の下[ボローニャの街]での愉しい日々や、ペトロニアノ[ボローニャ市民]の陽気な集まりから離れ、より幅広い人生に惹きつけられ、新たな地平――ベルリン、サンクトペテルブルグ、そしてローマ――へと向かっていったのです。暗黒の日々でしたが、内面的な苦悩のなかで彼の人格は成熟していきました。最初の困難と最初の成功のあいだで、彼の藝術的形成にとって決定的な年月でした。彼はそのことを友人たちに、勝利を確信した者のように自信に満ちた様子で、愉しそうに話したものです。

 彼は私の研究に興味を持ちました。どれだけ自分のものと異なっていても、他人の仕事を理解し共感する生来の能力を持っていたのです。私が一度オーストラリアの神(*2)の風変わりな名を口にしたのを聞いた彼は、それを決して忘れることなく、何年も経ってから冗談めかしてその名を繰り返したものです。彼は時々、コレッジョ・ロマーノの私の研究室を訪ねてきました。ある日、彼はアジアの諸民族の古い楽器をじっくり見たいと言い出し、オーケストラの器楽システムを豊かにするためにそれが役立つのではないかと、技術的な研究までさせました。

 彼は類まれな言語学的才能と、あまり知られていない言語(例えばフィンランド語)にたいする並外れた好奇心を有していました。これは、メゾファンティ(*3)からトロンベッティ(*4)に至るボローニャの天才の特徴であり、音に対する卓越した感覚によって彼のなかで研ぎ澄まされたものであります。

 彼は書物と教養を愛していました。洗練された文化的嗜好の持ち主でした。稀少なもの、古いもの、エキゾチックなものへの感覚を有しており、作品の題材を選ぶ際にもその感覚を頼りにしていました。古代東方の諸文明、ビザンティン世界、北欧のサーガ、中世の伝説、これらすべてが彼の藝術の素材でした。ローマはもちろんのことです。ローマに魅了され、その秘密を理解した詩人は殆どいないのですが、彼はそれを成しえました。「詩人」そのものである彼は、自分が創造、音楽的に創造するために生まれてきたことを感じ取っていました。そして自らの真実、自らの人生であるこの使命の妨げとなるものには断固とした態度で向き合いました。

 彼は美の創造者でした。自分自身のために、他者のために、すべての国々のすべての人々のために。そのなかのいくつかの国々には、作品という贈り物をもたらすために、イタリアの名をより大きく、より世界で賞賛されるものにするために、何度も足を運びました。彼はイタリアという精神的な帝国の創造者でしたが、その歴史的な帝国が再奉献される日を、その死にゆく目で見ることはありませんでした。

 彼の目は閉じました。でも、その声は生きています。決して死に絶えることはありません!

 

ラッファエーレ・ペッタッツォーニ

(Fondo Respighi, 資料番号C57より)

 

*1 Giosuè Carducci, 1835-1907。イタリア初のノーベル文学賞受賞者。ボローニャ大学におけるペッタッツォーニの師の一人。

*2 最高存在(とりわけ、天空が擬人化された天空存在)のこと。

*3 Giuseppe Mezzofanti, 1774- 1849。イタリアの言語学者、枢機卿。

*4 Alfredo Trombetti, 1866-1929。イタリアの言語学者。

 

 

ファシスト期の文章であることが、すぐに分かりますね。しかも論文の題材にできそうな内容です。自分のなかで重要な位置を占めている人物同士がどのように繋がっていたのかを知ることは、歴史研究の醍醐味です。

 

ちなみに数多ある「ローマ三部作」の録音のなかで僕が惹かれるのは、アントニオ・ペドロッティ(Antonio Pedrotti, 1901-1975。レスピーギの弟子でもありました)がチェコ・フィルを指揮したスプラフォン盤です。

 

現在「宗教学名著選」の積み残しであるペッタッツォーニの翻訳に取り組んでいます。来年度中に刊行される予定です。