池澤優先生とお別れしてきました。
昨年12月の投稿で、先生の「最終講義」に触れたばかりでした。
病魔と闘いながら二冊目三冊目の単著を残された先生は、最後まで本物の研究者でした。
池澤優『古代中国の“死者性”の転倒』、汲古書院、2024年3月刊行
池澤優『東アジアの死生学・応用倫理へ』、東方書店、2024年6月刊行予定
今後、これら二冊とじっくり向き合うつもりです。
少し前のものですし、既によく知られたものですが、以下のインタビューを共有したいと思います。
「人生を“退場”しても、この世は続くー東京大学 死生学・応用倫理センター長 池澤優さんインタビュー」
インタビューのなかで先生が触れておられる高見順の詩とは、『死の淵より』のなかの「青春の健在」です。
その次の「電車の窓の外は」も印象深いですよね。
「電車の窓の外は
光りにみち
喜びにみち
いきいきといきづいている
この世ともうお別れかと思うと
見なれた景色が
急に新鮮に見えてきた
この世が
人間も自然も
幸福にみちみちている
だのに私は死なねばならぬ
だのにこの世は実にしあわせそうだ
それが私の心を悲しませないで
かえって私の悲しみを慰めてくれる」
「私」は「死へと出発」したわけだけれど、いや、「死へと出発」したがゆえに、この世に生が、幸福が、充溢していることに気がつく。このことが、池澤先生が仰る「希望」に、さらには「死の受容」に繋がるのですね。
インタビューを改めて読むと、先生の声のトーンが再現され、いくつものシーンが浮かんできます。(いずれ新訳を出すことになっている)エルツ「死の集合表象研究試論」について、もっと言葉を交わしたかったなと思うと、寂しくて、悔しくてなりません。でも、悲しみで下を向き、ふさぎ込んでしまうのは、ちょっと違うのかなと感じます。先生への恩返しは研究以外ありえません。
池澤優先生、どうか安らかにお眠りください。本当にありがとうございました。