モネのアトリエです。


ジヴェルニーの敷地内には三つアトリエがあり、あの一連の名作「睡蓮」は庭に併設された光がたくさんはいるアトリエで生まれました。最初は2階のここを使っていたようです。

 

 

中庭で朝ごはんを食べて出発♡ジヴェルニーのモネの庭①

 

モネ最大のキャンバス♡ジヴェルニーのモネの庭②

 

「今しかない一瞬の光」ジヴェルニーのモネの庭③とオランジュリー美術館「睡蓮の部屋」

 

ジヴェルニーの食卓♡ジヴェルニーのモネの庭④

 

 

いくつもの絵が掛けられていました!

もちろん、モネが描いたもの。

ここにあるのはレプリカで、本物は全て美術館に所蔵されていますが、


モネの魂が感じられるようでした。

 

 

やっぱり、光が溢れ込む。

 

 

 

 

 

庭のお花、海の船、池の蓮の葉、遊ぶ子供達♡

色とりどりの煌めく絵がたくさん!!

 

 

 

 

 

モネは、「光」そのものが単に好きだったのではなく

光の変化に取り憑かれてしまったのだろうな。

 

光が移ろうから輝き、煌めき、動く。

その動き。

 

それには、人間の生死すらも関係なく、

止まることなど絶対にない、どうすることもできない、私たちの領域外のもの。

 

その煌めき、輝きが、森羅万象であって波である。

 

それは安心でもあり、絶望でもあり、

 冷たくもあり、温かくもあるもの。

 

 

ひとつ前の記事で、こう思ったことを書いたのですが、それは、アトリエに掛けられた鮮やかなたくさんの絵の中に、一緒にかけられたこの絵。

 

 

 

 

『死の床のカミーユ・モネ』

 

かつてあれほど愛おしんだ

女性の死の床で、

私は、もはや動かなくなった彼女の顔に、

死が加え続ける色の変化を

写し取らずにはいられなかった

 

 

最初の奥さんの、死の姿を描いた絵です。
 

 

 

 

  

「死が加え続ける色の変化」

 

 

ジヴェルニーの自然は、まさに優しい。

 

 


 

モネはやっぱり、 「自然」という「変化」に魅了されたのだろうな。

 

「死」はそこで時が止まるのではなく、そのまま動き続けているものなんだね。

 


人間の変化の最中。

自然の過程。




 

 

「変化」が本質の「自然」「光」を愛していた故に、

「愛する妻の死」の光の変化さえ、取りこぼさなかったモネ。

 


妻の死に顔に、

光の変化の味わい、豊かさ、美しさを見出してしまったモネ。

 

さすがの感受性ですよね。

 

 

 

 

そして、今回ジヴェルニーに来て思ったのは、

やっぱり自分が感じたことを信じたい、ということ。

 

 

美術史や批評など無数にあるので、例えば

 

「モネは金がなくてモデルを雇えないために妻のカミーユばかり描いていた」とか

「カミーユとは冷え切っていて後妻のアリスとあらぬ仲だった」とか

 

色々解釈はありますが、

 

 

私は、モネの絵や、家や、庭や、池や、

そしてこのジヴェルニーを選んだモネの心が

 

愛でいっぱいに思えるのです。

 

 

先に死んで行ったカミーユにも

後妻のアリスにも

どの子供達にも

 

愛でいっぱいに思えるのです。

 

 

だから、それを信じたいなと思った。

 

 

どの批評がなんと言おうと

誰がなんと言おうと

それはその人が感じたこと。


 

自分が感じたことが全てだよな。

 


きっと芸術ってそういうもの。

誰に共鳴してもいいし、何から何を感じても良い。

 

 

見たまんま♡

感じたまんま♡

 

 

自分の心が震えたところを信じて、世界を見て行こう。

 

 

 

 





 

 

今回とっても楽しみにしていたジヴェルニー、

本当に最高でした♡♡

 

Parisから車で約2時間、ぜひ機会があったら行ってみてはいかがでしょうか。

 

 



 

お昼は自然の中でピクニック♡

 

自然、最高。

すべて受け入れます。生かしてくれてありがとう。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 






 

素晴らしい人生にかんぱーい♡

 

 

 

 

 

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