水曜日の夜、定時に退社し「世界遺産写真展」が開かれている
心斎橋の大丸へと向かった。
バレンタインのチョコレートの特設売り場の喧騒を背にし
暗く証明の落とされた会場に入る。

ふと目の前を見ると懐かしい風景が広がっていた。
アメリカのグランドキャニオン。フィレンツェのドゥオモ。
そしておととしの9月に訪れたエァーズロック。
どの場所も数え切れない思い出がある場所だ。

着いた日は雪に閉ざされ、次の日は寒さに震えながら
金色の朝日を見て、トレッキングをしたグランドキャニオン。

華麗な建物の装飾に何度も目を奪われ、美しさにため息をつきつつ、
身体全体でイタリア文化の伝統と重さを受けながら見下ろした
フィレンツェのドゥオモのテラコッタ色の屋根。

緑に包まれながら、そして緑色の種類の多様性に感心しつつ
歩きに歩いたけど、疲れを感じさせなかった屋久島。

知り合って1日しかたっていない15人の仲間と
ひいひい言いながらよじ登り、夕日・朝日も見られず
ワインで酔っ払った友の真っ赤な顔と黄色に輝くカンガルーの標識が
強く印象に残ってるエァーズロック。

写真を見ると、その時の思い出の詳細が次々と湧き上がってくる。
自分の足で歩いた大地、身体で感じた風は今でもなお
消えずに私に語りかけてくる。

私はこれまで素晴らしい旅をしたのだ。
次はどんな風が私を吹きぬけるのだろうか、
次はどんな空が私の頭上に広がるのだろうか。
吹きぬける風も、一面の空も過去から現在そして未来へとつながっている。

“above the sky”このブログのタイトルの由来と同じ。
どんな時でも頭上には青空が広がっているし
この空の広がりの下には大切な人がいる。
例え遠く離れていても、空を通じて私達はちゃんとつながっている。

同時に空は幼い日に見上げた時からずーっと現在まで
そして未来へと続いている。

だから忘れないで。
つらい時、悲しい時、寂しい時、空を見上げてごらん。
この空はどこにでも、誰にでも通じているのだから
今朝目を覚まして窓の外を見ると、一面真っ白。
「!?、私の目どうしちゃったの?」
しばらくして「あ、霧が出てるんだ。」とようやく気付いた

駅に向かう道は、1m先も見えないぐらい濃い霧
に覆われていた。
学生時代は奈良に学校があったため、霧は日常茶飯事だった。
社会人になってからは、大阪市内で働いているので
霧に遭遇することはまずなかった。

「霧なんて、随分久しぶり。」
なんだかワクワクしながら道を歩いた。
霧の中では、普段の何でもない道がどこか
遠い国につながっているような不思議な感覚を覚えた。


5年前のイタリアのベネチアでの夜。
私と友達は旅行最後の日の夕食を終え、ホテルまでの
帰路を急ぎ足で歩いていた。
話がはずみ、真夜中近くだった為、あたりの人影はまばらだった。
いくつもの運河を渡り、サンマルコ広場近くにさしかかると
どこからともなく白い霧が周りを漂い始めた。
聞こえる音は、私達2人の回廊を急ぎ足で歩く足音だけ。
不意にピアノの音が聞こえた、それはまるで
蒼い深い海の中から聞こえてくるようだった。
運河の水が灯りに照らされ、青白く天井に映されていた。

初老の男の人がCAFEの前に置かれた一台の古いピアノの前に座っていた。
私達を見ても別段驚いた様子もなく、静かにピアノを弾きつづけていた。
時の流れが私達のいる空間だけ緩やかになっているような
それでいて何かふわふわするような一時だった。

翌朝同じ場所を通るとそこにはいつもの賑やかな光景
があり、昨夜私達が見たのは跡形もなく消え去っていた。
あれは一体何だったのか、ベネチアが異国の旅人に一瞬だけ見せた
街の素顔の1つだったのだろうか。


冬の日の日常に現れた突然の霧は,私を遠い思い出へと
不意に連れ戻してくれたみたいだ。
お昼には霧も晴れ、抜けるような青空が広がっていた。
休日の新聞の朝刊が私は好きである。
特に差し迫った用事がない休日の午前中は
家事を済ませ、お茶を入れて平日はなかなかゆっくり
見る事が出来ない朝刊に目を通す。
今の季節だと窓から太陽の光がさしこみ、
まるでサンルームにいるようにポカポカして気持ちがいい。

今私が毎回楽しみに読んでいるのは、日経新聞の
「私の履歴書」である。
勿論普段はすっとばしている事も多いのだが
今回の履歴書はそうそうたる人物の名前が毎日登場したので
否が応にも私の目を惹きつけた。


ピーター・ドラッカー。
コンサルタント、大学の教授、そして「マネージメントの発明者」と評されている人。
私は経済のことは、専門外だけれど本屋に行くと
必ずこの人の名前は経済書の棚でお目にかかる。
経歴など詳しい内容は、近いうちに履歴書欄で目にすることになるので
説明は省く。

彼は文章の中で93歳(!)になった今でもなお現役の道
をたゆむまず歩んでいる。
その上更に、自分の専門外の興味ある勉強をしようと
しているのだ。
期間を3ヶ月と3年間と区切りし、3か月目標、3年目標を定める。
彼は3ヶ月で中国の明時代の芸術を
3年間でシェークスピァ全集を丁寧に読み直す事を自分に課した。
その前の3年間はバルザック全集だったそうである。

ただただびっくりした。
例えどれだけ年を重ねても、目標というものは常に存在し
それに向かって邁進する人が必ずいて
彼はまさしくその一人なのだ。

この記事を読んで、私は消えかかっていた(あるいは
むりやり消そうとしていた)1つの事を思い出した。




著者: P・F. ドラッカー, Peter F. Drucker, 上田 惇生
タイトル: チェンジ・リーダーの条件―みずから変化をつくりだせ!
お正月を過ぎて、寒さが一段と厳しくなる2月から3月
のはじめにかけ、ひときわ輝く色がある。

それは「黄色」。
ほとんどの草木が葉を落とし、眠っているような
自然の中で、所々ぱっとと灯りがついたついたように
黄色の花が華やかに咲き誇っている。

ラッパ水仙、連翹、サンシュユ、福寿草、ミモザ。
気候条件の厳しい中、虫達の気を惹くために
子孫を残し、生き抜くためにこの時期に咲く花は
黄色が多いのだと聞いた事がある。

私のこれまでの旅もまた、黄色の花が思い出の中
に深く刻まれている事が多い。

高校生の春休みに訪れたイギリスのケンブリッジ大学
の寮の裏庭には、1本の大きな連翹の木の花が今を盛りと咲き乱れていた。
毎朝部屋の窓を開け、日本にも多く自生するこの木を眺めては
初めて一人で遠い異国に来た心細さを和らげる事ができた。

大学の卒業旅行で訪れた3月のイタリア。
私と友人はイタリアの華やかで、重厚な建物、文化に圧倒されそうになっていた。
ある日街角の花屋の店先で小さな黄色の花束を見かけた。
ミモザだった。
2、3本買って宿泊していたホテルの部屋に飾ると、負けまいと張っていた気が
ふっと緩み、落ち着いた。
数日後、ローマ郊外のアッピア街道を歩いていると、古い城壁の上に
ミモザの黄色の花がこぼれんばかり咲いていた。
私と友人は、その鮮やかな黄色の花からいつまでも目を離す事ができず
その場に立ち尽くしていた。


本日いけたお花 :連翹・薔薇(ピンク)・小菊(白)
かたち・うつわ : 傾ける形・丸水盤
出来      : 75点(まだまだ修行中)


土曜日は、月に3度お茶の御稽古に通っている。
今日は初めてお茶を習うという人が見学に来られていた。
その人の御茶碗を扱う、ちょっとぎこちない仕草を見ていると
4年前の事を思い出した。

私が初めて、お茶の教室に足を運んだのは4年前の
今日と同じ、寒さのまだ厳しい冬の晴れた日だった。
その時のことはものすごく寒くて、ものすごく緊張した事を覚えている。

社会人になっても、一向にしとやかな娘らしくならない私を母が見かね、半ば引きずられるようにして連れて行かれたのだった。

その頃の私は、お茶=昔の因習やきまりにがちがち固められた古い、かたくるしい世界と思いこみ、お茶を習うように何度も言われたがそのたびに
つっぱねていた。

お茶室に入ると、炭が真っ赤に燃え上がり、お湯が静かに沸いていた。
障子からは、ほんのりと外からの光が入り、畳や白壁に
えもいわれぬ陰影がついていた。
初めて足を踏み入れたお茶室は、すっきりとしていて
なぜかどこか懐かしい感じがした。
緊張して固くなっていた身体がすぅーっとほぐれていくのがわかった。

そしてお手前が始まり、亭主が棗(なつめ)を開けた時の感動は
今でも忘れられない。
とろっとした黒の漆が塗られた丸い筒の中に、目に鮮やかな抹茶の黄緑が私の目に飛びこんできた。
「きれい・・・」私がお茶を習おうと決心がついた瞬間だった。

4年目を迎え、一通りの事は大体わかるようにはなったもののまだまだ学ぶべき事は多く、毎回が発見の連続だ。
今日初めてお茶を習うという女性を目の前にして、私はお茶の
“お”の字も知らなかった4年前の頑なだった自分を懐かしく思う。

本日の主菓子(おもがし): 菜の花のきんとん(鶴屋八幡)
本日の御手前: お薄(筒茶碗)

お茶の事は、これからぼちぼち書いていくけれど
私が読んで共感を覚えたのは↓





著者: 森下 典子
タイトル: 日日是好日―「お茶」が教えてくれた15のしあわせ
今日2月3日は立春。
暦の上では寒さが少しずつやわらいでいく区切りみたいなものですけど、
関西ではお水取りが終わるまではいかんせん気をぬけません。

節分にちなんで、恵方巻きのかぶりつきなるものが今日のメディアで取り上げられていたけど、私は好きではございません。
だってどう見ても美しい頂き方じゃないもの。
妙齢の乙女が立ったまま、かぶりつくなんて・・・
なので私はきちんと切って、色彩を楽しみながら頂きました。



お嬢様の前置きが長くなっちゃった。
今日は仕事の後1月から通い始めたパワーヨガ教室に行きました。
今週はブログを始めた事と仕事が少々たてこんでいたので身体がガチガチ。
自分の身体と会話をしながら、少しずつ身体を緩めたり締めたりする。
人と競いあうのではなく、ただ一心に自分の身体を見つめ、
耳を傾け、対話する時間。
90分の授業が終わると、身体はポカポカ。


今年の目標の1つは、ヨガ教室に平日通う事。
去年から2、3のヨガ教室で体験を繰り返したけれど会社から遠すぎたり、
人が多すぎたり、雰囲気が馴染めなかったり・・・。
私は所謂「ヨガ教室ジプシー」だった。

今通っている教室は隣駅で会社から20分ほど歩いたところにあり、
生徒の人数もほどほどでこじんまりとしている。

先生も教え方が丁寧で、指導熱心。
そして何よりも同性ながらため息が出るプロポーションをお持ち。

偶然とは言え、良い所見つけちゃった!
これから早速今日の復習をしなくては。

そして今年の目標をもう1つ。
毎朝起きたら、5分でいいからヨガをする事。
その為にヨガマットを只今物色中。

自分の身体と向き合う時間を日常の中でもっと増やしていきたい。
今日も朝から身を切るように寒い。

寒い日には、身も心もキュッと縮こまりがちだけど
こんな時だからこそ、背筋をしゃきっと伸ばし
さっそうと歩こう。

1月から会社の一駅前で降りて歩くことにしている。
一駅といっても、商店街をつっきるので5、6分しかかからないのだけど
朝・夕往復×5日で50分のウォーキングになる。
1ヶ月だと200分。3時間20分にもなる。

疲れている時ほど身体を動かすのは気持ちがいい。
でも、身も心もクッタクタという時には特効薬が必要。

特効薬その① チョコレート
チョコレートにも色々あるけれど、私のお気に入りは
カカオ70%以上という御墨付き入りのリンツのチョコレート。
このチョコは最初はほろ苦いけれど、噛めば噛むほど口の中いっぱいに
カカオの芳醇な匂いが広がり、時々ほのかに甘味が感じられる。
ひとかけら口に入れるとなんだか頭がじーんと甘くしびれるような
感じがする。
まさに媚薬!
うーん、おいしい。

このおいしさを味わえるのは、成熟した大人になりつつある証拠なの
かもしれないな。
なぁんちゃって。

目を開けると、頬にふれる空気が冷たい。
辺りはなんだかぼんやりと仄白い。
そう、雪。

2月1日の朝は、この冬初めての銀世界で幕が上がった。
雪って不思議。
身体は寒さでぴりっと引き締まるけれど、一面雪に覆われた街の
景色はなんだか目にあったかく、やさしく感じられる。

ここに雪の持つ“やさしさ”と”厳しさ”があるんだろうな。

月の変わり目なので、時候の話題を1つ。
陰暦で今の2月は「睦月」にあたる。

2,3年前に買った「自然のことのは」
によると、睦月とは親しい人と睦まじく交わるという意味だそうだ。
昔の人は寒さが厳しいこの時期に外にはあまり出ず、家で仕事をしたり
火を囲んで語りあったのだろう。

そう考えると、睦月って寒さのなかにほっとするような
温かさを持つ月やね、雪のように・・・






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著者: ネイチャープロ編集室
タイトル: 自然のことのは