今朝、マーケティングの師匠・藤村正宏先生がFacebookに
【教養というのは自由になるための技】
という投稿をされていました。
内容は、昨日の札幌エクスマセミナーで話されたこと。
「これからの時代、経営者、ビジネスで成功したい人、
そういう人は『教養』が必要になると思う。
一見、仕事と関係ないことに興味を持つことが大事」と。
(たとえばこんなものをサクサクッと作れちゃう人って
すごいと思います!)
今日も広報ジャーナリスト・堀美和子のブログにお越しくださり、
ありがとうございます。あなたに感謝ですっ!
それは、例えば文化や芸術に親しんだり、
映画、音楽、ファッション、ゲーム、スポーツ、
なんでも心が動いた、やりたいこと、好きなこと、
それをやってみるってこと。
本を読むのでも、
ビジネス書ばかりでなく、小説も。
私がエクスマを知った約10年前から
師匠が説き続けてこられたことです。
もちろんそういうのをやったり読んだからといって、
すぐさま何かの効果が現れるってことではない。
どころか、表面上はなんの変化もない(なさそう)。σ(^_^;)
実はそう見えて、
その人の“奥の方”でじわじわと変化が起こり始める。
その変化がやがて“臨界点”に達すると、
何かのきっかけで、ひょいと顔を出したりする、、、
そういうものだと思います。
まるで、ツンデレの代表格っちゅうか、自由気ままの象徴の
猫ちゃんみたいなものかもしれませんねぇ。(^_^;)
藤村先生が、
「教養は明治時代に入ってきた
『リベラルアーツ』を和訳したものだそうです。
直訳すると『自由になるための技』ということ。
教養があるということは、
自由になれるってことなのです」
とおっしゃるとおりに。(^_^)/
教養とは、
≪自分が動ける/持てるフィールド≫を広げて、
≪自由に自分の頭で≫
考え、選択し、行動するために必要なのだと思います。
あるシンクタンクの人が、超一流の絵師に会った時のことを
こんなふうに書いておられました。
「優れた絵師は、小さなお皿に絵を描く時でも、
畳何畳分かの大きな部屋に絵を描くイメージを抱いて、
膨大なエネルギーを小さなお皿に集約するそうだ」。
また、
「テレビのコメンテーターの力量は、
『(わずか1分ほどの)短い簡単なコメントに現れる」とも。
簡単なコメントを(スピードの)緩い球に例えると、
それで精一杯なのか、
或いは、もっと速い球を投げる力のある人が、
あえて緩い球を投げているのかは、
自ずと分かってしまう。
“底の深い・浅い”がテレビの画面を通じても
視聴者に伝わってしまうんですね。
図で表せばこんなイメージでしょうか?
また、作家の阿刀田高さんが、
「スピーディーに情報を得ることができる世の中だからこそ、
その情報の背後に並々ならぬ努力の跡があるものと、
そうでない薄っぺらなものを読み分ける力が、
私たち一人ひとりに必要とされている」
とおっしゃっているように、
情報をうのみにせず、疑ってみたり、
自分なりの裏付けを探したりして、
自ら危険を回避する能力、
良いものを見極める能力にもつながってきます。
これも図示すればこんな感じかも。
「教養」というと、堅苦しい感じがしますが、
「自由になるための技」と読みかえれば
なんだかすごく興味が湧きます。
井上ひさしさんのこの信条に必要なものこそが、
教養なんだな~って思った。
これからも「何でも見てやろう!知ってやろう!」の
好奇心全開で突っ走ろうと思いました。(笑)
さあ、あなたもご一緒に~~♪♪
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