プロフィール
- プロフィール|ピグの部屋
- ニックネーム:幸福実現党 岐阜県本部 加納有輝彦
- 性別:男性
- 誕生日:1960年9月12日
- 血液型:A型
- お住まいの地域:岐阜県
- 自己紹介:
- 幸福実現党岐阜県本部代表:加納有輝彦です。「この国の繁栄と安全、子供たちの未来を守りたい」その一心で...続きを見る
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丹下健三と北村サヨ
ここ何回か、大坂万博の事を投稿し、その関連で、建築家丹下健三氏の業績について言及した。
学生時代建築を専攻した者にとって、「丹下健三」はビッグネームであることは疑いないこと。
私が丹下健三という名を初めて知ったのは、EXPO’70でもなく、学生時代の建築の授業でもなく、実は、家に置いてあった「生書」という分厚い北村サヨの教祖伝であった。あるいは別冊であったかもしれない。
母が、次男(私の兄)を産んで後、産後の肥立ちが悪く、知人の紹介か何かで、山口県の田布施にしばらく養生に行ったという話は、子どもころ聞いていた。終戦直後ともいえる時代、田舎の農家の主婦にとって、病院にいくより宗教にお世話になる時代だったのである。
北村サヨとは、天照皇大神宮教の開祖、教祖で、口を開けば「うじ虫」の歌説法と無我の舞で、世間では踊る宗教として耳目を引いた宗教である。
その教祖伝が家にあって、私はパラパラめくっていたのだ。
確かに、うじ虫、うじ虫根性という活字だけは、今でも記憶にある。うじ虫根性を叩き出せ、というわけである。
その教祖伝の中に、グラビアページがあって、丹下健三氏が、北村サヨ教祖と写っていた。
おそらく本殿の建築設計のために訪れていた時の写真と思われる。あるいは完成時?
本殿の設計は、実際には、丹下氏の片腕と言われた大谷幸夫氏(故人・建築家、都市計画家。東京大学名誉教授)が行ったのであるが。丹下氏も当然関わっていたのであった。
北村サヨ教祖は、当時の知識人に大変可愛がられたというような記述をどこかで読んだ記憶がある。大宅壮一氏、徳川夢声氏等と対談しておられる。
その後、母は、天照皇大神宮教の信仰をしばらく続けたようだが、その後は、自然消滅のような形になった。ただ、次男産後の苦しい時期に慰めを得たことは終生感謝していたようだった。
ちなみに、北村サヨ教祖の後継、二代目北村清和教主のことは、母は姫神様、姫神様と呼んでいたが、自民党の清和会の名「清和」は、ここから来ている。
岸信介、佐藤栄作という兄弟宰相は、共に、本部のある田布施町に生まれたのである。
岸伸介氏に関しては、有名なエピソードがある。
岸は、戦争犯罪人として召喚された時、死を覚悟したという。岸が田舎から上京する時、北村サヨは岸の家を訪ね、「三年ほど行ってこい。魂を磨いたら、総理大臣として使ってやるわい」と言い放ち、今生の別れと思って意気消沈していた周囲の人々を仰天させたという逸話が残されている。
1957年に岸が総理大臣になった時には、北村サヨは上京して官邸に岸を訪ね、「どうだ、岸、オレが言うたとおりになっちゃろうがア」と語ると、岸首相のほうも「お蔭を持ちまして」と答えたという。サヨは総理大臣に向かって「オイ、岸!」と呼び捨てにしたと伝えられる。
それは、腹に入っている神様の方が、上位に位置すると確信していたからという。同時に同郷人として親しみもあったのだろう。
これは新日鉄の副社長に出世した藤井丙午氏を訪ねた岐阜県白川町の同級のお百姓さんたちが、役員室で、平気で「おい、丙午!」と呼び捨てしていたと白川町の方が笑い話として話してくれたことがあるが、同郷人というものは、そういうものでしょう。
さて、
大川隆法総裁の霊言が発刊されてより、北村サヨ教祖がいまどのような霊界に還っておられるのか母は気になっていた。
すると初期の霊言集の中で、北村サヨ氏が天国(菩薩界)に還っておられるという記述があり母は喜んでいた。
そして時は過ぎ、母が他界した約10年後、2017年、「女優・蒼井優の守護霊メッセージ」(大川隆法著)が出版された。
その中で、蒼井優さんの魂の兄弟のお一人が、なんと北村サヨその人であると明かされ、驚くと共に、私にはなるほどと納得した点もあった。
戦後、神々のラッシュアワーと言われたほど、雨後の筍の如く宗教が出現したわけだが、神々(諸菩薩等)が、また転生して一国民として生きていることは、転生輪廻の思想からして何ら不思議なことではない。
丹下健三氏から北村サヨ氏に話が及んだ。
天照皇大神宮教の本部の建築は、丹下健三の片腕といわれた大谷幸夫氏の設計だが、この建物は、正真正銘の近代建築の名作でもある。
うじ虫、うじ虫説法と、近代建築のミスマッチが面白い。
とりとめのない内容になったが、近代建築の巨匠から、うじ虫説法の教祖、そして昭和の妖怪・・・地上は本当にちゃんこ鍋のような修行場なんだと改めて思う次第である。
母が若い頃、養生に行っていた田布施に、一度訪れてみたいと思っています。
写真は、本部建築
大宅壮一氏と対談する北村サヨ教主