第4代インド首相 モラルジ・デサイ氏との邂逅
第4代インド首相 モラルジ・デサイ氏との邂逅
それは脈略のない文脈で、突然の出来事であった。
桜チャンネルの討論に出演していた古森義久氏(産経新聞ワシントン駐在客員特派員・麗澤大学特別教授)の発言であった。「安倍政治とは何だったのか[桜R5/7/11]」
「大昔、カーター大統領についてインド訪問行ったことあるけども、その時は、アメリカとインドはものすごく仲悪かった。その時、しょんべん飲むっていう首相がいたんだよね。インド側に、それが健康にいいんだというね。それをアメリカ側が、流したりしてたよね。」
健康のために、しょんべん飲むっていうインドの首相がいた?
カーター大統領の時代?
そこで私が瞬時に思ったことがある。
それは、幸福実現党の大先輩の宮松宏至さんのことだ。
宮松さんこそ、日本に、尿療法を紹介した方であることは存じ上げていた。
当時、テレビとかで結構話題になっていたことは記憶している。
しかし、正直、私には、想像を絶することで、なんとも生理的に抵抗があったので、宮松さんのフォト・ジャーナリストとしての御著書、「写真万葉禄・筑豊5、6:葦書房」「インディアン居留地で見たこと~カナダ・グラシイ・ナロウズでの6年:草思社」の3冊は精読して、ブログでも紹介させて頂いた、のだが、宮松さんの尿療法に関する御著書は読めずにいた。
宮松さんの尿療法に関する御著書がロングセラーとして読み継がれていた事は存じ上げていたのであるが、私にとっては、アンタッチャブルの分野であった。(笑)
しかし、古森氏の健康のために、しょんべんを飲んでいたインドの首相がいたという発言で、俄然興味が湧いた。
きっと、宮松さんならご存知のはずだ。
そこで、アンタッチャブルの「尿を訪ねて三千里」(宮松宏至著)をさっそくネットで入手し意を決して読んだ。(笑)
すると、我ながら図星も図星、本書に、古森氏が言及したインドの元首相のことが詳しく書いてあったのである。
元首相の名は、モラルジ・デサイ氏(Morarji Ranchhodji Desai)。
1977年 - 1979年の間、インド第4代首相を務めた。
第38代アメリカ大統領、ジミー・カーター政権(1977年 – 1981年)の時代である。古森氏の証言を裏付けている。
しかも、1986年6月24日、インドの地で、宮松さんは、デサイ氏御本人(当時90歳)と実際に会っておられ、その時の対談内容を本書で詳しく紹介されていたのである。宮松さんは、デサイ氏を尿療法と出会うきっかけを与えてくれた命の恩人として長年ご尊敬しておられたという。
対談は、尿療法にとどまらず、デサイ氏は、自らの信仰についても多くを語っておられる。
90歳のデサイ氏のお顔には一筋のシワもなく、皮膚の色つやは輝き、健康そのもの、とても90歳には見えなかったと言う。身体からは、高貴なオーラが光り輝いていたという。宮松さんは、デサイ氏に聖者の風格を見た。(デサイ氏は、その後99歳の天寿を全うされた。1995年没)
私が印象に残ったのは、デサイ氏は、マハトマ・ガンジーと共に、独立運動を推進する自由闘争運動の間に、7年以上も投獄され、獄中生活を経験されたこと。孤独な獄中生活の間、自己を見つめることができ、自分の使命を知ることができたということで、獄中生活をも人生の宝とされておられたこと。
そして、90歳当時、毎日、一時間、神と対話する瞑想を実践しておられたこと。自我を滅却し、他者のために生きることをモットーとしておられたこと・・。
聖者の風格を対談を読んでいるだけで私も感じた。
現在の第18代インド首相、モディ首相も、デサイ元首相を大変尊敬している。
デサイ氏の誕生日には、『彼は国家建設に大きく貢献したことで非常に尊敬されている。彼はインドをより繁栄させるために多くの努力をした。』とツイートしている。
神との対話をする首相・・・・
聖者の風格を持つ首相・・・
日本の宰相のことは語るまい。
古森氏の何気ない発言から、私にとってアンタッチャブルの尿療法の世界を垣間見ることができ、そしてデサイ元インド首相のことも知ることが出来、宮松さんにも大いに感謝する次第である。
なお、尿療法そのものについては、宮松さん、そしてデサイ氏も共に仰っておられたが、自ら求めるものであって、他人に強要するものでは決してないという信念に従って、私はあえて書かないことにします。
ただ、私が、宮松さんに沖縄で初めてお会いした時の驚き、なんて若々しいお元気な方、その驚きは、現在もまったく変わっていないのですが、その秘密を知ることができたということ、これだけは申し上げておきたい。
尿療法に興味のある方は、ぜひ、数冊、宮松さんの著作がネットで入手可能ですので、直接お読み頂ければ幸いです。
コロナパンデミックの狂気の時代であるからこそ、神が人間に与えた完全無比の自然治癒力について考えるのも無駄ではないと思います。