映画『二十歳に戻りたい。』アラカルト
映画『二十歳に戻りたい。』アラカルト
紫央さんは、「小さなメルヘン」をお読みになって、「これは、総裁先生そのもの・・・」(記憶による再現)と所感を述べられ、限りなく遠い眼差しを、対談相手として1m先にお座りになっておられた総裁先生に注がれた。
また、オスカー・ワイルド「幸福の王子」のインスピレーションの源が、総裁先生であったことを示唆された。
これを敷衍すれば、いきなり卑近な例となり恐縮ですが、例えば「寅さんシリーズ」の50作にわたるマドンナへの恋の断念も、その光源の遥かなる行く手にもまた「エル・カンターレのお心」が泉のように存在しているのではないか。
これは私の個人的確信なのですが、古(いにしえ)より連綿と生み出されてきた至高の芸術の、すべての光源は、エル・カンターレのお心に行き着くのではないか。その距離感は、様々であろうが、そのように夢想妄想する私です。
『二十歳に戻りたい。』は、幾万幾千年にわたり人類の至高の芸術の光源であられた「その御方」の原作作品。
「小さなメルヘン」「幸福の王子」等の系譜の中にあり、総裁先生が「文学的余韻」を込められた限りなく美しい映画と思いました。
スクリーンに映し出される映像の「色合い」が人生の秋、この世の秋を投影して美しい。アナログ的感性がやさしい。
昨日、初めて観た映画の感想は、公式ホームページに掲載されている試写会でご覧になった方の感想を、一部引用させて頂きたい。
https://hs-movies.jp/hatachi-kaeritai/comments/
~正直自分は今までの人生を振り返ったことはあまりないが、本作品を見て考え方を改めた。自分もあの時に戻りたいと思ってよいのだということ。そしてそれは、自分自身の欲ではなく人の為に思うのであれば、許されるのではないかとも思った。~マスコミ関係40代
★自分自身の欲ではなく人の為に思うのであれば、許されるのではないか・・・反省の要諦を語っておられると思います。
~そしてクライマックス、僕は涙が止まらなくなった。
なぜだろう。
そう、これは誰かの物語だけれど、きっと僕自身の物語でもあったんだ。~フリーライター・40代男性
★「小さなメルヘン」「幸福の王子」、そして寅さん(笑)が表象する「美しい断念」と「無償の愛」がシンボリックに表現されるラストは、時代を超えてその余韻は残っていくだろうと思います。津嘉山正種氏が、「遺作となってもいい。」とそのシナリオに感動された理由が分かったような気がいたしました。
~主人公の青年期を演じた田中宏明の実直さ、
老年期を演じた津嘉山正種の俳優としての年輪、
寺沢を思い続ける女性に扮した三浦理香子の純粋さ。
そのすべてが美しい響きとして混ざり合い、壮大な物語を奏でている。~映画業界・40代女性
★全く同感です。
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(番外所感)
蜷川幸男演出の「NINAGAWAマクベス」に出演、ロンドン公演では主役を務めるなど舞台俳優としても名声を高めた津嘉山正種氏の演技に魅了された方は多かろうと思います。
感想の中で、「男はつらいよ」に言及しましたが、津嘉山正種氏は、「男はつらいよ」にも多数出演され、名わき役を演じられたそうです。
私は寅さんファンでしたが、そこまでは知りませんでした。
「いよいよおじさんの雑記帳」というブログに詳しく書いてありましたので、ご参考までに。
https://ameblo.jp/tiggogawa79/entry-12466225513.html
津嘉山正種の「男はつらいよ」の出演作品は
昭和55年「男はつらいよ 寅次郎ハイビスカスの花」 - 知念医師役
※リリー(浅丘ルリ子)が入院した沖縄の病院の担当医役。
昭和57年「男はつらいよ 寅次郎あじさいの恋」 - 陶芸家・加納作次郎の弟子蒲原役
※マドンナ役のいしだあゆみとつき合っていたが、金持ちの女性との結婚することにする・・という役でした。
昭和59年「男はつらいよ 寅次郎真実一路」 - 証券会社の部長役
平成3年「男はつらいよ 寅次郎の告白」-夏木マリの再婚相手役
映画『二十歳に還りたい。』 第1週目[9/29(金)~10/5(木)]の上映時間
【映画『二十歳に還りたい。』】
〈岐阜県映画館の第1週目[9/29(金)~10/5(木)]の上映スケジュール【確定版】〉
〔大垣コロナシネマワールド〕
9/29(金)
①10:20〜12:30
②13:00〜15:10
③15:35〜17:45
④18:05〜20:15
9/30(土)
①10:30〜12:40
②13:05〜15:15
③15:40〜17:50
④18:15〜20:25
10/1(日)
①10:20〜12:30
②12:55〜15:05
③15:30〜17:40
④18:05〜20:15
10/2(月)〜10/5(木)
①10:20〜12:30
②13:00〜15:10
③15:35〜17:45
④18:05〜20:15
〔シネックス〕(岐阜市)
9/29(金)〜10/6(金)
① 9:50〜11:52
②12:05〜14:07
③14:20〜16:22
④16:35〜18:37
〔シネックスマーゴ〕(関市)
9/29(金)
①10:35〜12:40
②13:10〜15:15
9/30(土)〜10/1(日)
① 9:55〜12:00
②12:20〜14:25
10/2(月)〜10/5(木)
①10:35〜12:40
②13:10〜15:15
〔イオンシネマ各務原〕(各務原市)
9/29(金)
①11:30〜13:40
②14:05〜16:15
③16:40〜18:50
④19:15〜21:25
9/30(土)
① 8:50〜11:00
②12:25〜14:35
③16:10〜18:20
④18:40〜20:50
10/1(日)
① 8:50〜11:00
②13:50〜16:00
③16:55〜19:05
④19:25〜21:35
10/2(月)〜10/5(木)
①11:30〜13:40
②14:05〜16:15
③16:40〜18:50
④19:15〜21:25
参考
【小牧コロナ】
◆9/29(金)(80席)
①10:10〜12:20
②12:50〜15:00
③15:30〜17:40
④18:10〜20:20
◆9/30(土)10/1(日)(80席)
①10:30〜12:40
②13:10〜15:20
③15:45〜17:55
④18:20〜20:30
◆10/2(月)~5(木)(80席)
①10:20〜12:30
②13:00〜15:10
③15:40〜17:50
④18:20〜20:30
【ミッドランドシネマ名古屋空港】
★9/29(金)(157席)
①9:05〜11:10
②11:35〜13:40
③14:05〜16:10
④18:45〜20:50
★9/30(土)(157席)
①9:00〜11:05
②11:30〜13:35
③14:00〜16:05
④19:05〜21:10
★10/1(日)(157席)
①9:05〜11:10
②11:35〜13:40
③14:05〜16:10
④19:05〜21:10
★10/2(月)〜5(木)(157席)
①9:05〜11:10
②11:35〜13:40
③14:00〜16:05
④18:40〜20:45
一寸の虫にも五分の魂
読めば泪する思い
Hよ、
一寸の虫以下になった君に形而上の認識をもう要求しない、もういいよ。
せめて
人間としてお父様のこのお姿を
五分の魂で思って欲しい
時間の有効活用
たっぷりとした時間があれば
どれほど、勉強がはかどるだろうと、
誰しも夢想する。
ゆったりとした書斎や勉強部屋があって、
誰にも邪魔されず、自分一人だと、
さぞ立派な知的生活ができるだろうと
空想する人も多いだろう。
だが、幸福の女神は、
短い時間を大切にした人と、
狭い空間で苦闘した人にしか、
そんな未来は与えないのだ。
高校生時代の私は、
揺れるローカル線のディーゼルカーの中で、
英文解釈の参考書を八回、
五百ページの英文法の参考書を五回、
英作文の参考書を三回繰り返し、
さらに世界史のサブ・ノートの暗記や、
英単語、英熟語の暗記に励んだ。
駿台の基本英文七百選も、
バスの中で十回繰り返して暗記した。
新入社員時代は、
朝の五時四十五分からトイレで本を読み、
常磐線柏駅から松戸駅までの間に、日経新聞を読み、
松戸駅から、赤坂駅まで、
立ったまま赤線を引いて古典を読んだ。
コマギレの時間の有効活用が、私の頭脳を鍛えたのだ。
時間の有効活用
―大川隆法総裁 心の指針59―
https://happy-science.jp/feature/kokoro/17362/
醜い、ノーモアメガソーラー 福島市が宣言
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ノーモアメガソーラー、福島市が宣言 景観悪化に歯止め
https://www.nikkei.com/article/DGXZQOCC26CDV0W3A920C2000000/
日本経済新聞 2023年9月28日
福島市がこのほど「山地への大規模太陽光発電施設の設置をこれ以上望まない」と宣言した。用地造成に伴う森林伐採で景観は悪化し、豪雨による土砂流出で災害が起きかねないとの理由から、「ノーモアメガソーラー」の呼び掛けに至った。
対象は山地に限る。法的な強制力はない。
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福沢桃介が関わった美しい水力発電所が点在する木曽川水系に住む私は、特に、山肌を醜く削り歪(いびつ)にならぶソーラーパネルを見ると、生理的に拒絶反応する。
なんて醜い。
この醜さはどこから来ているのだろうか。
思い出すのは、大川隆法総裁による「菅直人首相(当時)」の守護霊霊言である。
菅直人首相の時、東日本大震災が起こった。原発への不信感から、あれよあれよと太陽光パネル発電を促進する法律{「固定価格買い取り制度(FIT)」法}が成立。
今や、単位面積あたり、世界一太陽光パネルが並ぶ日本国となった。
さて、霊言では、菅直人氏の心象風景が語られた。
それは、戦後焼け野原の風景であった。
一国のリーダーの心象風景を軽んずるなかれ。
焼け野原日本が、部分的に実現したのである。(偶然か、必然か)
醜いメガソーラーにより削られた日本の山肌の悲鳴は、またその延長線上にあるのかもしれぬ。
さて、現宰相、岸田首相の心象風景はいかに?
就任当初、よく聞かれた事は、岸田さんは、一体、何をやりたいのか分からないというものだった。
なるほど、振り返ると、風まかせ。
現在は、財務省に憑依され、「財務省傀儡政権」となっている事は確実。
死んでも、減税はしない。給付をしてめぐんであげよう。
そう、国民から合法的に収奪したお金をばらまいてあげようというわけである。
一国のリーダーに、仏神の思い、天の思いが臨んでいるか否か、国民の幸不幸を左右する。
少なくとも、2009年以来、仏神の思いは、「減税」であった。
保守思想家の妻とリベラルの妻
保守思想家の妻とリベラルの妻
聖書をドイツ語に訳したマルティン・ルター。
彼が妻カタリナを深く愛した事は有名である。
またカタリナは強い人であった。彼女に支えられルターは戦った。
「彼女との温かい家庭があれば、他に何もいらない」記憶による再現で正確な引用ではないが、ルターの言葉を、大川隆法総裁が講演で語ったことを記憶している。
聖書を片手に、ペンを片手に戦う男の妻の存在について、文芸評論家の浜崎洋介氏が非常に面白い事を言っていた。
浜崎氏はいう。妻に先立たれた男、
彼が保守思想家であると、それこそ、男やもめに蛆(うじ)がわき・・・ではないが、その後が危うい。脆い(もろい)という。保守思想家は伝統を重んじる故、健全な家庭を営んでいることが多い。
一方、彼がリベラルであった場合、もともと家庭が乱れているパターンもあり(笑)、保守思想家のように脆くはないという。※これは例外も万とあると思うが、浜崎氏の方便であろう。
浜崎氏は、師事した故西部邁の事を語った。西部氏は、幸福の科学とオウム真理教のテレ朝「朝まで生テレビ」にコメンテーターとして故景山民夫さん等と共に出演しておられた。懐かしい。
保守思想家を自認する西部氏も、妻に先立たれ、妻の支えを無くし、すっかり気落ちし感傷的になってしまったという。西部氏は、「妻と僕―寓話と化す我らの死」を著した。
流行の世論、世間の風潮に背を向けるしかない“孤高のアウトサイダー、一匹狼”である西部氏にとって、妻の死をこう書いている。
「マスメディアという場所で、異端の果てにいる者と認定されているのに長口舌(ちょうこうぜつ)をふるってもよいという許可を与えられていた。ただし興味を示す者はいなかった」なので、「戻っていく先は連れ合いのところしかなかった。」
「妻の死は重い。妻は僕にとって故郷、祖国である。妻が唯一の読者で観客。」
「妻の死は故郷の喪失、祖国の滅亡。言語能力の基盤が陥没すること。」
「僕の言論は、世間の御利益にたいして、何一つ貢献できぬ類に属します。しかし、妻という実体があってくれることを、唯一の安心材料にして、安心立命の根拠」
「妻に先立たれたら、筆を手にすることは二度とあるまいと思います。」
「更に他者に役立つ自分でなければ“死んでしまった生”であって、そんなものを見せたくない」
この通り、平成30年1月21日多摩川に入水(じゅすい)してしまった。七十八歳。
また、浜崎氏は、評論家の江藤淳が妻の死を苦にして自死したことにも言及した。
保守思想家の男が脆く、リべラルは、それこそ家庭もリべラルなので、それほど脆くない・・・という指摘は、興味深かった。
信仰を持つ男と女、夫婦における配偶者の死にまつわる心象風景は、どうなのだろうか。
スウェーデンボルグの霊言の中に、天界の結婚ということで、中には男性霊と女性霊が一体化して、常に共に生活しているという例もあると書いてあるそうだ。
「結婚愛」について結婚というものを
「黄金の時代」、「銀の時代」、「銅の時代」というふうに分かれて、その究極的な黄金の時代という結婚の時期を生きている者、その者はどういうものかっていうと、ふたりが一体であると、まったく私たちの霊的に見ると、男性霊と女性霊が重なっている、そう見えるということらしい。
「彼は彼女であり、彼女は彼である」彼らが究極的に自分の魂のパートナーと巡り会って、そして霊的に合体している姿であると。
(※よしきのブログhttps://ameblo.jp/yoshikin222/ 参照)
大川隆法総裁先生は、霊界における結婚愛のことは、そんなに詳しくは語っておられないというか、どちらかと言えば、霊界においては、色情地獄でミミズのように絡まっている男女の描写はあるが、天界においては、個性霊としてそれぞれ「個」として存在している様相が描かれている。
「あんたのために50年もご飯作ってあげたのに、もうすっかり忘れている。」というようなあの世での妻の嘆きをジョークを交えて語っておられ、つまり、この世の記憶は、ちょうど我々が小学校の遠足の記憶が薄らいでいるように、あの世では、地上での毎日の生活のことは、徐々に遠い記憶となっていき薄らいでいき、新しい魂の生活が本番となると教えて頂いた。
もちろん、天国に還った魂は、そうであるが、地獄に堕ちた魂は、ますます地上時代の執着が増大し、件(くだん)の汚泥でミミズが絡み合うような男女の姿となるのである。ほとほと飽きるまで、その行為が延々と繰り返される。
少し、横道にそれたが、西部邁氏、江藤淳氏、共々、もし確固たる信仰をお持ちであったなら、いわゆるいかほど高尚な文章で糊塗されたとしても、世俗的な表現を許して頂ければ、蛆(うじ)はわかなかったのかもしれない。