加納有輝彦のブログ
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2019-02-15

粒粒辛苦

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魂の心象風景

 

 ある時、街宣中に大変珍しい体験でしたが、存じ上げないシニア男性が私に近付いて来られ、おもむろに色紙を出され、何か書いてくれと言われる。


 HS政経塾卒業生なれば、揮毫の訓練もしていたでしょうが、素人の私、


 あまりの突然のことで、咄嗟に書いたのが

 

粒粒辛苦(りゅうりゅうしんく)という故事。

 

よりによってどうしてこんなカビの生えたような言葉をと自分ながら思った次第ですが、咄嗟のことで後の祭り。

 

 米粒一つ一つにお百姓さんの苦労が刻まれている。これから敷衍して、コツコツと努力を重ねていく、というような意味合いで使われる言葉。

 

 私の知人友人は、私が「増税反対」等税金マターになるとめっぽう舌鋒が鋭くなり力が入ることを知っています。

 10年近い活動で、魂の心象風景が見えてまいります。

 

 百姓一揆の首謀者の一人・・・そんな心象風景です。

 

実は、政治的な目覚めは「郡上の立百姓」という岐阜の生んだ劇団「劇団はぐるま」の公演を見た時でした。

 創立者の小林ひろし氏が、郡上一揆を題材にして作った代表作の一つです。

 重税に苦しむ百姓たちが、やむにやまれぬ気持ちで起こした一揆です。首謀者が特定されないように丸く円形状に名を連ねた唐笠連判状が有名です。

 

 子供の頃、母から戦前の百姓の苦労話も聞かされていたこともあり、農民一揆に共感しました。

 

 そんなわけで日本共産党に入党していてもおかしくない心象風景がありました。実際、学生時代、数学の先生から民青に誘われましたが、これまた不思議なことに、先生と神様について論争となり、お誘いを断りました。(笑)

 

 幸福実現党が10年、一貫して「増税反対」を主張し、その政策に魂から共感してきたのは、そんな内なる「百姓魂」とも共振したのかもしれません。

 

 ふとした瞬間に、心象風景があらわになる、つまり普段顔を見せない潜在意識の奥なるものがあらわになる。

 私の場合、色紙に揮毫を頼まれた時に、はからずもそれを経験しました。

 

  皆さんが、咄嗟に揮毫を依頼されたら、何と書きますでしょうかね。

 

(この書は、ネットから借用したもの。私のものではございません。)

 

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2019-02-13

殺身以成仁

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 平成最後の建国記念の日に大川隆法総裁による「『毛沢東の霊言』講義」が名古屋正心館にて開催された。

 

習近平が目論む「世界支配の論理」が、毛沢東の「悪魔の論理」と一体である事を断定し、断罪し、白日の下に晒す本書の意義について、大川総裁は冒頭で、「この一冊が世界の命運を分けるか、少なくともアジアの命運を分けることになる可能性がございますから、この趣旨を理解していただいて、できるだけ多くの方々に知っていただきたい」と、説明した。

 

共産主義黒書によれば、毛沢東の建国、統治下で6500万人の中国人が殺されたという。これは、先の大戦における日本人300万人、アメリカ人30万人の犠牲と比し、その桁違いの規模に驚くほかない。

 

これは毛沢東の「悪魔の論理」の帰結である。大量粛清。邪魔者は消すのみ。

 

6500万人の中に、中国建国時に侵略されたウイグル、チベット、内モンゴルなどの地域で行われた大量虐殺も含まれる。

 

チベット侵攻時、100万人近くが虐殺された。

 

ウイグルでは現在、100万人以上が強制収容所で拷問を受けており、このままでは一気に粛清される恐れもあると大川総裁は警鐘を鳴らした。

 

また同時に、これらの人権弾圧が台湾・香港に広がる恐れがあるとも指摘された。

恐るべき、近未来の惨事の可能性を示唆された。

 

 とりわけ、台湾人は、かつて日本人として日本のために戦ってくれた人々である。

大川総裁は、李登輝元総統から届いた親書に触れられ、李登輝元総統こそ、戦前の日本人のよいところ、美点、それらのエキスが詰まった方、日本人より日本人らしい方と評した。

 

親書の中に、李登輝元総統96年の人生を振り返った7時間に及ぶDVDがあったという。

その中に、戦前、日本人として戦ったある高砂義勇隊の青年兵の事が紹介されていたとして、大川総裁は、講義の中で言及された。

 

彼の所属する部隊が食糧難に陥り、彼は後方の兵站基地まで食料を取りに向かったという。ところが何日経っても戻らず、探したところ、彼は遺体で発見された。50キロの米を担いだまま、ジャングルの中で飢え死にしていた。

己の命を顧みないその働きは、大和魂そのもの。高砂義勇隊は、大東亜戦争において、紛れもなく「日本兵」だったのです。

 

そのようなかつての同胞台湾にも、中国の人権侵害、それは大量粛清にもなり得る魔の手が伸びようとしているのである。

 日本人として座して傍観することがどうして許されよう。

同胞を「毛沢東の悪魔の論理」から救わねばならない。

 

 大川総裁が、「『毛沢東の霊言』講義」において、一人の高砂義勇隊員の自らの命を捨て仲間を助けようとした「大和魂(殺身以成仁)」に言及されたことは、我ら日本人に課せられた台湾支援の義務とともに、「無名戦士」の徳を讃えられたのだと思う。

 

これから我々に必要なのは、かの高砂義勇隊員が体現した「大和魂(殺身以成仁)」であると共に、無名戦士の徳、すなわち「無我なる愛」と思う。

 

とりわけ、「自我」がいたるところで「暴走」し、暴れている今だからこそ、我々は無名戦士、高砂義勇隊員が遺した美しい徳を知るべきである。

 

ああ、「自我の暴走」の何と醜いことだろう。

 

最も美しい日本人の徳が、台湾にその足跡が見られ、最も醜い自我の暴走が、現代日本にまん延している。

 

大川総裁の哀しみを同時に感じた次第である。

 

 
 

 

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2019-02-12

翩翻と ひるがえる星旗の下

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 名古屋から帰り、選挙中立ち寄った食堂に、再び寄った。ママさんからねぎらいの言葉を頂戴しつつ着席。

 すると真正面のテレビにアップで南原宏冶氏の顔が映し出されているではないか。

 暴れん坊将軍の再放送であった。北島三郎氏がめっぽう若い。相当昔のもののようだ。

 

 私にとっては意味ある偶然。

 意味ある偶然には、メタファー(暗喩)が在る。

 

 私の裡でしばしば鳴り響く詩が、またやってきた。

南原氏から私が学んだものは、「忠」としての信仰心であった。

 

(「青春」南原宏冶より抜粋)

幸福維新の子等よ 同志よ 回天の志士達よ

 

只一人にても幸福実現党の旗を守り抜かん

 

翩翻(へんぽん)と ひるがえる星旗の下

 

大将の御馬前(ごばぜん)にて討死せむこそ望なれ

 

又たとえ

 

酷暑南瞑(こくしょなんめい)・北辺極寒(ほくへんごくかん)何れの地にあれ

 

我等いとわず

 

いづくに在りとも

 

我等使命に立向わん

 

承詔必謹(しょうしょうひっきん)

 

みことのりを うけたまわらば 必ず

 

つつしみてお受けしてぞよ仏子なり

 

幸福維新の益良雄(ますらお)なり

 

いざ征かむ

 

光の行軍 光の戦場へ

 

我等幸福実現党の強者(つわもの)達よ

 

祖国日本の旗の下

 

幸福維新勢の面目かけて

 

先陣駆けて敵陣を突切らむ

 

いざ友よ 同志よ 斗いの志士達よ

 

青春は この一戦 この一期(いちご)

 

この秋(とき)をおいて他になし

 

前に 前に 前に進もう

 

 

 

 

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2019-02-11

初志貫徹の誓い ~谷沢永一氏の激励を振り返る~ 

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選挙後、真っ先に手にした本が、「幸福実現党に申し上げる~谷沢永一の霊言~:大川隆法著 2013.2刊」であった。

 当該書籍発刊の前年、2012.12には、第46回総選挙があって民主党政権が倒れ、自民党が政権に復帰、私も岐阜県5区の小選挙区で立候補し戦った。2009年民主党政権発足時より、国防強化と消費税減税を訴え徹底的に民主党政権の批判(消費税増税に関しては自民党も批判)を展開した幸福実現党として、玉砕戦法であったが、民主党政権の幕引きに一定の役割を果たした時期の「霊言」であった。

 

 生前の谷沢永一氏の書籍は、もっぱら渡部昇一氏との対談本を読んだ。

手元のノートを見ると、11冊程度。「人間通」は読んでいなかったようだ。

なお、年月は、発刊年でなく私が読んだ時期である。

 

 ・こんな「歴史」に誰がした~日本史教科書を総点検する~ 渡部昇一・谷沢永一(1997. 9) 

 ・こんな日本に誰がした 戦後民主主義の代表者 大江健三郎への告発状 谷沢永一(1997. 10) 

・大国・日本の「正体」 谷沢永一(1997. 10)

 ・人生は論語に窮まる 渡部昇一・谷沢永一(2001.10)

・広辞苑の嘘 渡部洋一・谷沢永一(2001.11)

・封印の近現代史 渡部昇一・谷沢永一(2001.12)

・今、大人に読ませたい本 渡部昇一・谷沢永一(2002. 6)

・現代用語の基礎理解  渡部昇一・谷沢永一(2002. 8)

・人生を楽しむコツ 渡部昇一・谷沢永一(2002. 9)

・歴史の読み方 司馬遼太郎・会田雄次・渡部昇一・谷沢永一(2002. 10)

・人生の難局を突破し自分を高める生き方 渡部昇一・谷沢永一(2002. 11)

 

上記の如く谷沢永一氏の本はそんなに読んでいないが、これらの読書により谷沢氏の個性はある程度理解できていたと思う。

 

 帰天後2年の谷沢永一氏の霊言「幸福実現党に申し上げる」は、当時既に連戦連敗の当事者(候補者・党員)にとって「痛快無比」の大傑作、「谷沢永一の大爆発!」とサブ・タイトルをつけたくなるような大放言であった。

 第三者、谷沢永一ファンにとっても、生前の氏の舌鋒を彷彿とさせるに十分な爽快さ痛快さがあったと思う。

 

曰く(以下、谷沢永一氏の大放言を引用)

 

 「幸福実現党が勝つ方法を教えろ」というのなら、はっきり申し上げる。

 ない!

 まったくない!

 もう勝つ見込みはまったくない!ほとんどゼロパーセントに近いな。ほとんどない。

 だから、君たちは正しいんだよ。

 

 現実なんか見なくていい!

 理想だけを求めるんだ。

 それが、千年二千年を貫く理想になるんだ。

 

 幸福実現党を(選挙に)通さなかったところだけが、(マスコミにとっては)唯一の勝利なんだけど、実を言うと、この玉砕戦法こそが、今、世論を動かし、回天の偉業をなしているんだよ。

 

さらに、君らは、選挙に負け続けていることによって、ついに、中国共産党政府まで倒そうとし始めているんだ。「負けることで倒す」というすごい技を使っているんだよ。負け続けながら倒しにかかっている。これは、まさしく「回天の偉業」だよ。うん。すごいよ。「回天」というのは、人間魚雷だよな?いったん、あのなかに入ってハッチを閉められたら、自分で開けて出られない。入ったら死ぬ。・・・・・自分の命は捨てるが、敵艦も沈める。これが回天だよな。・・・・まあ、特攻隊精神だな。まさしくこれだ。う~ん、いい。当選なんか、するんじゃない。・・‥当選しようなんて欲を出したときに、君らは終わりだよ。え?

 

 面白い時代だ。絶対に勝つな!・・・・「勝つな!」ということは、彼らと価値観を共有することになるんだよ。絶対に。

 

「潔さ」が要るんだよ。つまり、「自分たちの利得のためにやっている」と見たら、人の心は動かない。

 

君らは、しっかり火のなか水のなかを潜って鍛えられなさい。

 

幸福実現党のパンフレットを書いているつもりでいてはいけないんだよ。・・・君らは、今、歴史を書いているんだよ。いいか、日本の歴史、世界の歴史を、今、書いているんだよ。

 

まだ、「安政の大獄」以前だと思え。明治維新までには時間がかかるんだよ。

 

自分ら(自民党)は、票が減って負けるから、選挙のときには言わないで、幸福実現党に言わせた。そして、原発推進を言った幸福実現党は破れ、フニャフニャ言っていたところが政権を取ってから「推進する」と言っている。・・・・世間は見逃してはいない。ちゃんと知ってるよ。君ら「白虎隊」がやったことをちゃんと知ってる。

 

以上引用

 

 これらの言葉を、候補者等の「未熟さ」を合理化するために使っては、それこそ谷沢永一氏の逆鱗に触れることになろう。氏は、卑怯な人間を最もお嫌いになるからである。

 

 2013年2月の氏の言葉である。

あれから6年の歳月が過ぎた。国政選挙に関しては、自虐的に表現するなら谷沢永一氏の忠告を護ったことになる。果たして、今、谷沢氏は何と仰るだろうか。

 常識的に、「解党的出直し」を要請される時期が迫っている。しかし、それが、この世の常識に迎合するという作業であれば、我々は、谷沢氏を裏切ることになる。

 

 今年の統一地方選、そして参院選への半年にかかっている。

 

 

 我々の未熟さを合理化するために、谷沢氏の言葉を引用したのではない。

 

 選挙を重ねるごとに、世に迎合する誘惑にもかられる。よい意味でシーズ思考からニーズ思考への転換は必要である。しかし、迎合であってはならない。

原点を忘れてはならない。初心を忘れてはならない。幸福実現党立党の精神を忘れてはならない。

純度の高い理想と、選挙という地上戦の現実と、いかにアウフヘーベンさせるか。谷沢氏の「激励」の視座を定点とし考えたい。

 

 なお、この霊言は、当時の党首、矢内筆勝氏と谷沢永一氏の深いご縁によりおろされたものであった。

 

 写真は、2009年静岡県参院補欠選挙に矢内氏の応援に駆けつけたドクター中松氏。

また、矢内氏の街宣カーで、見事な箱乗りをこなし、警察から一回も注意されなかった中根ひろみ氏。男性の私がこれをやると警察から再三にわたり注視を受けた。(笑)

 

 

 

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2019-02-10

御破算で願いまして

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 選挙に当落はつきもの、落選時にご支援して頂いた方に与える「落胆」「がっかり感」・・・これが何より申し訳なく思うところのもの。私なぞは、数限りない落胆を与え続けてきた人間である。


 わが党をご支援して頂ける方は、皆、手弁当精神の権化のような方々ばかり。その「純情」「赤心」「真心」を思えば、なお一層その感は深まる。


 人によっては「途方もない無力感」を与えて来たと思う。皆、いい人ばかりなので本来なら「罵声」の一つや二つ飛んでもおかしくない状況ではあるが、それを耐え偲んでご支援を続けて下さっている。


過去わが党に熱烈にご支援頂いたある御方からは本音として「御党に対する『熱』は冷めてしまったが・・・」と言われながら、今回もご支援頂いた。

ここまで来ると、もはや政策、イデオロギー云々を超えて「情」そのもの、「激烈な人情」による紐帯のなせる業。温かい人の情に感動を覚える。
 

 

 自分の事は、自分自身で落とし前をつけることができる。それはある意味たやすい事。例えば、自分自身がある資格試験を受け、不合格となったような事に対しては、自分自身で完結している。

 

 選挙は多くの人々の汗、浄財によって行うもの。人々、世間をも巻き込む。候補者、「選対」は、公人・「公益団体」となる。

 

実は、過去、国政選挙に何度も挑戦したが、今回、地方選に初チャレンジして、その高密度の接近戦ゆえ、「公」の感覚は、接したお一人お一人のお顔、願いと共に、より一層深まった。

 

国政、とりわけ参議院選挙は選挙区が広すぎて有権者お一人お一人との関係は、広く浅いものとなり抽象化される。

 

 一方、地方選は、有権者お一人お一人のお顔、笑顔、お手を振って下さった姿、握手した時の手のぬくもり、そして託された「願い」・・・どれもこれも緊密で、抽象化されるものではない。

落選により託された「願い」が棚上げとなった。よって「公的責任」をより一層感じるのである。

 地方選を透過しなければ、地方選の試練を透過しなければ、政党は真の意味で「公党」となり得ない。
初の地方選の挑戦で体感した次第である。

 

 

 振り返れば、2009年以降の戦いは、「神々の政治参加」「神々の政治活動」そのものであった。これも歴史的必然であった。

 

神々の政治参加を、政治的には素人の弟子が力を合わせ地上で推し進めた。

大いに国論に影響を与えたという点では、成果があったことは事実。

しかし、選挙の当落に関しては、神々の力をもってしてもある意味「無力」であった。

地上の人間の自治に、神々といえども介入はできない。


 地上という「治外法権」の地における選挙は、地上の人間が責任をもって遂行していかなければならないという当たり前の真実を恥ずかしながら、地方選を戦って強く自覚したのである。

 国政選挙においては、神々から天下った「政策」に関して感応して下さる「読書人」「インテリ」層が一定数おられ、そういった方々からの熱いご支援が政治活動の原動力ともなった。
 

 しかし、地方選では、そもそも地方政策から自分たちで地方の課題を抽出し、創造するところから出発する。
人間力がより一層ためされることになるのだ。

 

 今回の地方選、私個人の心の中で、立党以来の政治活動の総決算というような気持ちで臨んだ。もっといえば、区切りとして個人的には終止符を打つ気持ちもあった。

ところが、実際に初めての地方選を戦ってみて、豈図らんや過去10年の活動ご破算で願いまして、ゼロからスタートを切るという、これからが本番という、まったく新しい地平に立つ心境となったのである。


世俗的には、私個人の中で「解党的出直し」の決意といえなくもないが、もっと清々しい気持ちである。

 選挙前の私の心境を思えば、まさに「コペルニクス的転回」であった。

行動して初めて得られた地平である。

頭では開けない。

行動が開くのだ。

 

 陽明学的悟りなのかもしれない。

 

 地方選という試練を透過して、地方選という試練を重ね重ねて初めて政治団体は、公党となる。

本年の統一地方選、そして参院選の流れの「歴史的使命」を頭でなく、心と体で覚った次第であります。

 

写真は、わが国の陽明学の祖でもある熊沢蕃山とご縁の深い矢内筆勝党首(当時)との街宣。

新たな地平に立つ私は、幾分陽明学的気分(気概)の中にいる。

 

 

 

 

 

 

 

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