加納有輝彦 -630ページ目
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海軍主計大尉小泉信吉 (文春文庫)


もう五年も前になる・・・当時書いたものですが、、、皆さんにお勧めしたい本です。
ハイブロー武蔵氏のHP、2004.10.27の日記に、この本が、100万部を越えるベストセラーであったこと、涙無くして読めない等紹介があった。
 さっそく読んでみた。
 小泉信三氏のたった1人の男子のご子息、、。信吉氏。大正7年生まれ、昭和17 年南太平洋にて戦死。享年25歳。私の父が大正8年生まれであったので、時代背景を実感的にとらえながら読むことができた。
 信吉は、家族を愛した。家族愛を素直に表現した。よく笑った。海軍に子供の頃からあこがれ、そのあこがれが現実になり、軍艦勤務となり海戦も経験し、そして海の上で死に場所を得た。
 父である信三氏の文章が、抑制されている分、わが子への愛が行間から滲み出ており、しばしば静かな涙が幾重にも流れた。
 わが子の25年の短い生涯を、慈しむ心、愛おしむ心。そして、またまったく同じ環境で、同じ長さの人生を再び送れと言われたら、信吉は、必ず「イエス」と答えるだろうと言う、、唯一無二なる確かな生涯への手応え。そうだ、人は、皆、これ以上ない組み合わせで、かけがえのない唯一無二なる人生を、家族を中心に生きているんだ・・・。
 それにしても、信吉はやさしい、素直な人柄、良い性格のひと。そんな愛すべき青年が、数十年前の茶色い戦争の中で、死んでいった、、。本当に、そんな時代を通り越して、今があるんだな、、と静かな確かな感慨を抱きました。
 信吉さんのやさしさ、人柄のよさが、先の戦争を体感させてくれた。

「幾時代かがありまして 茶色い戦争ありました」中也の詩が、心の中で響きます。$Z

明治人の姿

 櫻井よしこさんがかねてより推薦しておられる「武士の娘」(杉本鉞子著)の内容を辿りながら、明治人の生き様を通して彼らの哲学(矜恃)が見事にあぶりだされている。私も以前「武士の娘」を一読したが、とうてい自力では理解の及ばなかった深い理解がこの著作を読むことにより得られた。
 御維新、士族階級の崩壊という多難な時代を生き抜いた著者の家族たち。著者の父は長岡藩の家老という要職にあった。いわゆる賊軍である。激動の戊辰戦争、御維新前後の家族物語は、随所に涙腺の緩くなるエピソードがちりばめられていた。
 彼らは、彼らが生きた時代の制約の中で、自らに与えられた「場所」で、時代から与えられた必ずしも自由ではない「人生」を全うしていった。そう、この書から得られた私にとっての「キラーワード(キーワード)」は、「人生を全うする」ということであった。
 あらゆる制約の中で、ある意味、不自由の中で、皆、それぞれの「矜恃(プライド)」を支えとし人生を全うしていった。これが明治人の姿である。
 彼らの生き様は、潔く、誇り高い。美化されたところがないとはいえないかもしれない。しかし、私たちの先人の歴史の高潔さを抽出し、虹を見ることは、素晴らしいことであると思う。私は、私の両親が大正生まれであり(両親とも鬼籍)、両親の生活の匂いを通じて、記憶を通じてこの著作で語られている日本人の縦の伝統の流れを体感している。やはり、そういう実態があった。
 著者のやさしい文体を通して、日本人の歴史の美しい虹を感動を持って見ることができることを感謝したい。読んでいる最中、しばしば情緒的風景が、その空気の薫りを伴って浮かび上がり込み上げるものがあった。
 人生を全うするということ。現代のように少なくとも理念としては、あらゆる可能性が開かれた、あらゆる欲望の充足が可能である時代にあって、人生を全うするためには、論理を立てて生きる。それはほとんどの可能性を捨て、乾坤一擲、一念、志を立て生きることであると思う。
 このような時代にあって、逆説的にあらゆる欲望を断念し、捨て去ることが、人生を全うするために必要なことであると思った次第である。(※参考:「生命の法」第一章生きてゆく心がけ 大川隆法著)


$Z

邂逅

久しぶりに南原宏治さんと邂逅・・・

この前、幸福実現党の大会のため上京、
新幹線の中で、発売されて間もない新潮新書
「血の政治~青嵐会という物語~」河内孝著を
何気に読んでいた。

 もちろん、何気といいながら読むには理由があって、
この夏(もうずいぶん前のことですね)に選挙協力する
にあたり、自民党の古屋圭司氏の目の前で、血判状を押して
こちらの気持ち(誠)を示した・・・という経緯があって、
この時は、それ以外に自分の気持ちを表現する手段が全くなかった。

 ほんと、血判以外に表現方法がなかった。

 そんな夏の一こまを反芻しながら図書館で目に入った本が
これであった。
 青嵐会結成にあたり、同志(中川一郎や石原慎太郎等)が血判状を押したのは
有名な話だったので彼らの血判の意味を知りたかった、、、
でこの本を手にしたわけである。

 すると、読み進むうちになつかしい名前が目に飛び込んできた。

以下に本文から引用します
(第二章 青嵐会と三島由紀夫)

~映画「戦争と人間」シリーズで左翼小説家役を演ずるなど、

個性的な演技で知られた南原宏治も勝手連の応援団の一人だった。

武道館での大会の後、3月10日(1973年)に名古屋で開かれた

青嵐会集会で、演壇から

「青嵐会は三島に続け!」と絶叫してマスコミの格好のえじきとなった~

 引用終わり

まさか、南原宏治さんの名前が出てくるなどとは、夢にも思わず
(といいながら、三島由紀夫、黛俊郎の名前が出たあたりで
なんとなく胸騒ぎがしてた、、、南原さんと黛俊郎は友達関係でしたから)

 それも、幸福実現党の大会に向かう途中での出来事。

しかも、「青嵐会は三島に続け!」と絶叫と書いてある。

まるで声のトーンとか、映像が浮かぶではないか!!
三島自決が1970年11月。2年と四ヶ月余り、、、
まだ生々しい記憶が南原さんを支配していたと思う。

 そして、
そのページが、77ページ・・・

 うっ

 これは意味ある偶然?だ。

 南原さんの絶叫が、40年もの時空を超えて
やってきた。

 世間の人は、幸福実現党が正しいか、そうでないか?
そういう視点よりも、本気なのか?どうなのか?という視点で
見ているとリバティーのM氏から伺った。

 南原さんの激誠の精神を今一度、思い出したい。
私の裡でいまだ鳴り響いて止まない

    「白鳳の旗のもとに、主の御馬前(ごばぜん)に殉じようとそれ
    でいいじゃないか!永遠のいのちをもらってるんだ、俺たちは 」

$Z
$Z

小沢幹事長とナチス

 最近、民主党小沢幹事長の独裁的政治手法をナチス・ドイツと比して論評する記事をしばしば目にする。
それが単なるセンセーショナルな見出しとばかり言っていられないことになってきた。
まさかここまでやるとは?そういえば、ヒトラーはドイツ参謀本部を敵対視し、彼らを活用することなく、結局戦争に負けた。
民主党が脱官僚をうたい文句に副大臣や政務官が、官僚の局長や課長クラスの仕事をしている。
さて、どうなることやら?

 あの仕分け作業を、フランス革命のギロチンになぞらえて不快感を顕わにする論調もあった。無駄遣いをやめる等、一定の評価をしつつも、なんともいえない嫌な感じを持つ人も多い。
 そのなんともいえない嫌な感じという感覚は、得てして本質的なものを嗅ぎ取っている場合があるのである。
 やはり、それは独裁の匂い、ひいては自由喪失の匂いなのだと思う。
 このなんとなく嫌な感じを言語化していかなければならないと思う。$Z

自由のために戦います! 幸福実現党再始動!

幸福実現党 加納有輝彦(岐阜県瑞浪市在住)です。よろしくお願いします。
はからずも政権交代で社会主義化、独裁化していくように見える現在の日本の姿に
非常に危惧しています。
 社会主義とは、結局、貧しさの平等であり、自由喪失への道です。
地獄への道は善意で敷きつめられている・・・
地獄への道は、ポピュリズム・バラマキで敷きつめられている・・・
 
 自由を護るために戦います。
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