中国総領事館建設予定地に行ってきました。
万代小学校跡地は住民の反対運動によって断念したようですが、
むしろ、最初からこの場所を狙って万代小学校跡地は
住民の反対運動を誘因するダミーではなかったと思わせます。
新潟県の行政の中心です。工作しやすいし信濃川からも上陸可能です。
自民党・民主党県連の入るビルも目の前ですから好都合です。
戦略拠点にするなら、このほうが都合が良いです。
(地図上のA地点は自民党県連)
総領事館の誘致 [編集] ウィキペディアより
新潟県は1998年に「中国総領事館新潟誘致促進協議会」(会長:平山征夫新潟県知事(当時))を設置するなど、長年に渡り中国総領事館の誘致活動を行ってきた。新潟県選出の田中眞紀子、田中直紀衆議院議員なども積極的に誘致活動を行ってきた[7]。その結果、2010年6月24日に本州日本海側初の総領事館として開設した。新潟県への設置決定の際、「王毅前駐日中国大使閣下のお取り計らいにより、当時外交部副部長でいらした、戴秉国閣下に前向きにご検討いただけたこと、また、多くの方々から誘致等にご支援いただいた成果の賜物であり、駐日中国大使崔天凱閣下、日本政府代表谷内正太郎様、外務省を始めとする関係者の皆様のご尽力のお陰であると、心より感謝申し上げます。」との声明が県から出ている[14]。新潟市も協議会に参加するなど、誘致に肯定的な立場を取っていた。
中華街構想まである新潟市中央区古町アーケード
とある商店のご主人にお話を聴くことが出来ました。
『いろんな意見があるが、わたしは絶対反対だ。目先のことじゃないんだ。
こないだの中国でのデモ見たって、信用ならん連中だってことが分かる筈だ!
領事館にも反対している。賛成派の政治家もダメだ!』
私が長野から来た事を伝えると
『長野?赤い旗で凄かったじゃないか?!あの聖火の時!』
…このあと、しばし、中共の危なさと尖閣・竹島談議となりました。
総領事館の誘致 [編集] ウィキペディアより
新潟県は1998年に「中国総領事館新潟誘致促進協議会」(会長:平山征夫新潟県知事(当時))を設置するなど、長年に渡り中国総領事館の誘致活動を行ってきた。新潟県選出の田中眞紀子、田中直紀衆議院議員なども積極的に誘致活動を行ってきた[7]。その結果、2010年6月24日に本州日本海側初の総領事館として開設した。新潟県への設置決定の際、「王毅前駐日中国大使閣下のお取り計らいにより、当時外交部副部長でいらした、戴秉国閣下に前向きにご検討いただけたこと、また、多くの方々から誘致等にご支援いただいた成果の賜物であり、駐日中国大使崔天凱閣下、日本政府代表谷内正太郎様、外務省を始めとする関係者の皆様のご尽力のお陰であると、心より感謝申し上げます。」との声明が県から出ている[14]。新潟市も協議会に参加するなど、誘致に肯定的な立場を取っていた。
古町への誘致と中華街構想 [編集]
新潟市の中心市街地である古町は、郊外型商業施設の台頭や不況の影響などにより近年空洞化が進み、大和新潟店などのキーテナントの撤退が相次いでいる。そのため2009年11月に官民協働による「まちなか再生本部」を設置(本部長:篠田昭新潟市長)するなど、商店街の活性化を模索していた。近隣の商店主からは、活性化策の1つとして「古町地区への総領事館誘致を」との声も聞かれた[要出典](結局、古町地区ではなく朱鷺メッセに開設された)。当時、誘致については(当時具体的な計画が無かった「中華街構想」も含め)むしろ好意的な声も聞かれ[15]、地元では特に大きな反対運動は起きていなかった。2010年5月には古町地区の定期イベント「古町どんどん」にて、総領事館開設記念として中華街を模したイベントを開催している。ちなみに中華街構想については2010年7月に中国側から大和新潟店跡地へ設置する提案があり、2010年10月には古町地域の商店主から中華街実現に向けての要望書が新潟市に提出された(ただし、要望書は賛同する商店街内の2軒のみ提出)[要出典]。
ただし、この要望書については、地元の人が「市の秘書課から電話があり明日市長と来てほしいと言われ、中華街構想を作りたいが、自分(市長)の方からは言えないので古町側の方から頼んだということにしてくれ、と言われた」ものだと語り[16]、市が地元からの要望提出を意図的に誘導した可能性がある。
在新潟中国総領事館総領事・王華による発言
http://mainichi.jp/area/niigata/news/20110312ddlk15040039000c.html