オーダーメイドホイアン
ホイアンにはいたるところに服や靴の仕立て屋があり、
オーダーメイドで自分サイズの一品を作ってくれるという。
しかも安いらしい。
ユリが靴が欲しいというのでひとつ作ってみることにした。
何軒か値段を聞き回った後、一番安い店に入った。
サンダルとブーツを作ってもらうことにした。
サンダルはユリがあらかじめ紙に書いたデザインで、
ブーツは店に置いてあったカタログ(ファッション雑誌の切り抜き)の中から選んだ。
店にはサンプルがたくさん置いてあるので、そこから選ぶことも出来る。
生地やスタイルを決めると、足のサイズを測り、紙に型をとっていく。
値段はサンダル7ドル、ブーツ50ドルだった。
ブーツが高いので、まけてもらおうと、
ベトナム語で「マックァーシンボッディ」(高い、まけてください)と言うが通じない。
ベトナム語の本を見せるとようやく理解してもらえ、途端に笑いが生じた。
計算機のたたきあいで値段交渉の挙句、
パンプスとバレエシューズの2足それぞれ10ドルを追加注文することで、
ブーツを38ドルにまけてもらった。
店のおばちゃんは日本語が少し分かるようで、気さくな人だった。
つたない英語で注文したので、こちらの意図が通じているかどうか不安だが、
仕上がりは何と明日。早い!今から楽しみだ。(yo)
カビ臭い宿
朝、ミーソンに向かう前に、私達は宿をチェックアウトした。
私達の泊まっていたホテルは、ホップイェンホテルという、
ユースホステル協会に加盟しているホテルで、
料金もホイアン到着早々、探しまわった宿の中では、
8ドルと安かったのでここに決めたのだが、
泊まってみると、なかなかよろしくない宿だった。
従業員の対応は問題ないのだが、部屋がカビ臭いのである。
最初はそれ程気にならなかったのだが、
ユリは入った時から気にしており、それでも最初は我慢していたが、
眠る頃になると、さすがに限界に達したようで、
マスクにアロマオイルを塗って寝ていた。
それに加えて、この宿は朝、すごく騒がしい。
私達は四階に泊まっていたのだが、従業員家族が住んでいるのか、なんなのか、
早朝からドタドタバタバタと天井がやかましいのである。
そして、よく停電する。
特に朝は電力使用過多なのか一時間に三回位、落ちていた。
そのため、一泊でオサラバすることにしたのである。
ミーソンから帰り、次に選んだ宿はマイチャウホテル。
実はこの宿はホイアン到着早々に、バスが前で降ろしてくれた宿なのだが、
バスが連れていく宿にはろくなものがないと思い込んでいたので、敬遠していたのである。
しかし実際、部屋を見せてもらうとそこそこ清潔で、値段も8ドルと安い。
当然カビ臭くも、騒がしくもなかった。
バスもあまり疑ってみるものではないなあ。(yo)
お昼はホップイェンの近くの食堂へ。鳥ご飯20000ドン。おいしい
カオラウよりやや太い?同じような太麺のミーガー。ピーナッツが効いている。20000ドン。
朝から何も食べていなかったお腹を満たしてくれた
世界遺産ミーソン
ホイアンの町から車で1時間45分ほど離れたところに、
世界遺産のミーソン聖域がある。
朝8時、前日に予約したツアーのバスがホテルまで迎えに来た。
またもやアンフートラベルだった。ホテルでのツアー料金は一人4ドル。
夜行バス降車時に渡されたチラシに書いてあったツアー料金は一人3ドル。
アンフートラベルで直接予約した方が安かった。失敗。
因みにシンカフェも3ドルだった。
ミーソンに向かう途中、河を渡る。
ガイドが言うにはこの河には二本の橋が架かっており、
今渡っている大きい橋は、二年前にオーストラリアの援助を受けて完成したらしい。
横には古い橋があった。
続いてガイドはこの河は昨年10月、洪水に見舞われ、
ホイアンの町は大きな被害を受けたと説明をはじめた。
家の一階まで水に浸かり、2、3日、二階で暮らさなければならなかったらしい。
つい先日起こった中国の地震やミャンマーのサイクロンのことが頭をよぎる。
ミーソンには10時ごろ着いた。
といっても遺跡はまだ先で、この先は歩かなければならない。
入場料60000ドン(約3.7ドル)を別途払い、(ツアー代金に含めればいいのに)
山道をひたすら歩く。炎天下の中、サンダルでの歩行はなかなか堪える。
せめて背中の荷物がなければなぁ。宿に置いてこなかったことを後悔。
約15分程、坂道を登り、やっと着いたぁー。と思ったら、
そこは中継地点のようなところだった。
これから向かうミーソンの歴史についてガイドが説明をはじめたが、
英語の聞き取り能力に難がある私達には、細かいところまでは分からなかった。
説明が終わり再び山道を歩き出す。約10分後、道が開け、
ついにチャンパ王国の遺跡ミーソンが姿を現した。
この遺跡はヒンドゥー教の寺院で、
破壊と創造の神であるシヴァ神を祀っていたらしく、
いたるところにシヴァ神の象徴であるリンガ(男のアレ)が置かれていた。
さまさまな彫刻が施された建物を眺めていると、悠久の歴史ロマンを感じるが、
それよりも私はこの遺跡がベトナム戦争時に破壊され、
今も爆弾のために空いた大きな穴が、地面に残っていることに衝撃をうけた。
ミーソンに向かう途中、橋を渡る時ガイドは、
「ベトナム戦争時、アメリカ軍の基地があったダナンが近いため、
この辺りは大層な激戦が繰り広げられた。」と言っていた。
ほんの三十数年前まで、ベトナムは戦場だったのである。
世界遺産をめぐるツアーは戦争の爪跡をめぐるツアーでもあった。(yo)
日本橋と牛車
ホイアンの古い町並みは世界遺産に登録されている。
観光のメインはチャンフー通り。
だが、そのメインロードも、今は道路のいたるところで、
工事が行われており通りにくい。
そんな歩きにくい道を抜け、ホイアン観光の花と言ってもいい、
日本橋に行ってみた。
日本橋とはもちろん、東京の首都高下の橋のことでも、
大阪の電気街のことでもない。
ホイアンには昔、日本人が住んでおり、
その日本人街があった場所にかかる来遠橋という橋を
別名日本橋と呼んでいるそうな。
なかなか風情のある橋で、味わい深いのだが、
川の水はドブ臭く、橋は思ったより小さかった。
ふと橋の手前、道の片隅に平安時代の貴族が乗るような牛車を発見。
こんなところに日本を感じた。(yo)
ホイアンの名物はカオラウ。汁の少ないうどんのようなもの。
昼間、小洒落たカフェで食べる。イマイチな20000ドン。因みにこのカフェではペプシを注文すると、
コカコーラが出てきた。まぁ。コーラには変わりないけど
夜、気を取り直して市場の前の屋台でカオラウ。うまい!の15000ドン。
パクチーが良く合う。やっぱり食は屋台。を再確認
うるさいバス、ホイアン着
前日の7時発のバスが夜通し走り続け、ホイアンに到着したのは午前6時すぎ。
前回、サイゴンからニャチャンの時は大幅に遅れたので、
あまり時間は信用していなかったのだが、以外にもほぼ時間通りの到着となった。
はじめは普通の座席を予約していたのだが、今回は夜行ということで、
ニャチャンのオフィスで一人5ドル追加し、寝台席に変更してもらっていた。
日本の夜行バスは一人がけのリクライニングシートだが、
私達のバスの寝台は、座席の代わりにセミダブルのベッドがそのまま置いてあるという、
まさしく本当の寝台だった。
バスは前方に普通席、後方の三列が寝台という構成で、
私達は最後尾の5人用の寝台に陣取る事にした。
だが後になってこの席を選んだ事を後悔することになる。
私達が乗ったときはまだ人が少なく、最後尾が快適そうに見えたのだが、
次第に人が増えてくるにつれ、空席だった私達の隣もついに人で埋まった。
それだけならまだしも、その乗り込んできた欧米人がおしゃべりを始めたのである。
それもとても大きな声で。
はじめはまだ8時だから仕方ないと思っていたが、10時、11時になっても、
一向におしゃべりが終わる気配がない。
車内が真っ暗になっても、何をそんなにしゃべる事があるんだという位、しゃべりっぱなしだ。
うるさくて眠れず、おまけに強風の冷房のせいで鼻水も出てきた。
12時頃にようやく静かになったと思ったら、今度はバスがトイレ休憩のため止まった。
休憩中、車窓から外を眺めると立派な寝台バスが隣に止まっていた。
そのバスは二人用のベッドが上下二段に分かれており、カーテンをしめれば個室のようになる、
新しくて綺麗なバスだった。どうやらシンカフェのバスのようであった。
シンカフェとはベトナム各地にオフィスがある最大手のツアー会社である。
私達の乗ったバスはアンフートラベルのもので、
シンカフェに比べるとややローカル色の強いバスだった。
うるさい欧米人に苦しんでいた私と隙間風に苦しんでいたユリは、「やっぱりシンカフェやなぁ。」と、
しばらくそのブルーの綺麗なバスを羨望の目で眺めていた。
休憩も終わり、再び走りだすとさすがにもうおしゃべりは無くなり、静かに眠ることができたが、
せめて前の二人用ベッドにしておけば、まだ被害が少なかったように思う。(yo)






