こちらでもまずは霜が降りるようになり、玄関先の紅葉が赤くなりました。
( ̄∀ ̄)v- うちは朝晩に亡き父に朝ご飯や晩酌をお供えします。2~3日前に肴を作っていたら、母が紅葉のひと枝を持ってきました。
もう紅葉もこのまま立ち枯れますが、夕食を作りながらふと思い出したのは里中満智子氏の漫画「天上の虹」のワンシーンでした。
カジノ法案についての新聞記事で読んだけど、かつて持統天皇が「さいころ禁止令」を出したらしい。「大昔に帝さえ賭博禁止令を出したのに、それを何たるなーんたる!」って紐解いた野党議員さんがいたようです。
「昔 朝から晩までパチスロやってたから害悪なのはよく知ってる」って議員さんもいた。あらまあ、議員になれるもんなのか。
漫画「天上の虹」は飛鳥時代だったかな、実際に国を治めた第14代目の女帝・持統天皇の伝記のようなもので、女視点からもきめ細やかな大河ドラマでした。
父は蘇我入鹿を滅ぼした中大兄皇子(天智天皇)。その弟(最近は異説あり)の大海人皇子(天武天皇)のお妃になりますが、父の死後に夫の大海人皇子が蜂起。後継者だった甥の大友皇子を自死に追い込み、夫亡き後は自らが帝の座につきます。
( ̄ー ̄)v- 人間関係がとても入り組んでいる。夫の天武帝は叔父にあたるし、同父母から生まれた姉(大田皇女)も天武帝妃。そら女目線の大河ドラマにもなりますわ。
( ̄ー ̄)v- 即位前の名前は野讃良(うののさらら)。神田うのさんの名の由来はこの持統帝だと昔何かで読みました。女傑であったのは確かなようで。
本題は持統帝ではないのですが、漫画でも重要なキャラクターで額田王(ぬかたのおおきみ)という女性が登場していました。歌人としても有名ですが、この人は初めは若き日の天武帝に寵愛されて十市皇女(後の大友皇子妃)を産み、その後天智帝に寵される。血族が相争った壬申の乱を最大な盛り上がりとする大河ドラマを彩る佳人の1人でした。
その額田王が詠んだのが、万葉集一巻の第十六番。春秋競憐歌と呼ばれ、歌会の席で「春山と秋山のどちらが美しいか」ってお題に応えた長歌です。
原文は漢詩ですがこう↓
冬木成 春去来者
不喧有之 鳥毛来鳴奴
不開有之 花毛佐家礼助杵
入而不取 草深 執手母不見
秋山乃 木葉乎見者 青葉乎婆 取而曽思努布 青乎者
置而曽歎久 曽許之恨之
秋山吾者
( ̄ー ̄)v-「冬が去り春になればそれまで来なかった鳥も来て鳴きますが、山が茂り草深いので葉を取って愛でることが叶いません」
( ̄ー ̄)v-「秋山ならば色づいた葉を手に取って愛でられますし、まだ青いままの葉はそのままにして惜しむ。私はそんな秋山を推します」
漫画だと歌会の場に同席する面々が、「春山も褒めてるし秋山もアゲている。どちらを選ぶんだ?」と耳をそばだてる場面が描かれましたが、美しくそして教養人として名高かった額田王は最後にキッパリと「秋山ぞ我は」(わたしは秋)と締めるんですね。
これは後の平塚らいてう等の「毅然としたスタイルの女流歌人」の祖のように描かれた印象的な場面ですが、最近の解釈には「もう女としての盛りを過ぎた自分の心境を詠んだもの」もあるみたい。
( ̄ー ̄)v-「恨」って文字が入っている。概ねは「まだ青いままの葉を惜しむ」という解釈ですが、当時三十代で、天智帝の後宮ではトウが立っていた自身の心境を詠んだのではないか、とか何とか。
私個人はそれも加味しての「秋山ぞ我は」を推したいんすけどね。秋は豊かなり。
( ̄∀ ̄;)v- でも私個人が比べたいのは夏と秋だったりして、あんま写真と繋がってねーや。
実は私は「夏山ぞ我は」です。どちらもきれいですけどね。