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化合物としてはアミン類であり[1]、第一次世界大戦で使われたマスタードガスの硫黄原子を窒素に置き換えた分子構造である。
また、細胞毒性に着目して使用された最初の抗がん剤であり、白血病や悪性リンパ腫の治療薬として使われていた。クロロエチル基がDNAをアルキル化することによって核酸の合成を妨げ抗腫瘍効果を現す[2]。
ナイトロジェンマスタード
(Nitrogen mustard、
窒素マスタードとも呼ぶ)
- 硫黄由来の臭気を持つ。
- 水に溶けにくく、油に溶けやすい
- 毒性が強い
以上の3点からマスタードガスは、化学兵器としては取り扱いにくい物であった。
HN-2は常温で液体で、水に溶けないが、塩酸と反応して水溶性の塩(沸点109~111℃)となる。マスタードガスほどではないが毒性は強く、ラットへの静脈注射によるLD50は1.1mg/kg。暴露経路は、皮膚や呼吸器、眼球などからの吸入であるが、遅効性であり、暴露後数時間を経てから皮膚のただれや水疱の発生等の症状が生じる[2][3]。第二次世界大戦中には実戦使用されていないが、ドイツ軍はHN-3を2,000トン製造していたとされる[1]。
1943年12月2日、イタリアの連合国側の重要補給基地であるバーリ港にドイツ軍は爆撃を仕掛け、輸送船・タンカーを始めとする艦船16隻が沈没した。その中のアメリカ海軍リバティー型輸送船「ジョン・E・ハーヴェイ号」には大量のマスタードガスが積まれており、漏れたマスタードガスがタンカーから出た油に混じったため、救助された連合軍兵士たちは大量に被曝。
翌朝、兵士たちは目や皮膚を侵され、重篤な患者は血圧の低下、末梢血管の血流の急激な減少などを経て白血球値が大幅に減少。結果、被害を受けた617人中83名が死亡したが、一日あたりの死者の数を見ると、被害後2日目、3日目に最初のピークを迎え(イペリットによる直接の死者)、8日、9日後に再度ピーク(白血球の大幅な減少による感染症)を迎えた。
アメリカ陸軍はこの事件および化学兵器研究チームの報告から、マスタードガスおよびナイトロジェンマスタードがX線同様に突然変異を引き起こす可能性が高いと考え、当時はX線照射療法しかなかった悪性リンパ腫の治療が試みられた。マウスで成果が確かめられた後、1946年の8月には末期癌患者に対して新たに開発されたHN-3の塩酸塩が使用された。10日間の注射で、腫瘍は二日目から縮小し始めて二週間で消滅。副作用で障害を受けた骨髄も数週間後には回復したが、結局再発死亡した。
マスタードガスは人体を構成する蛋白質やDNAに対して強く作用することが知られており、蛋白質やDNAの窒素と反応し(アルキル化反応)、その構造を変性させたり、DNAのアルキル化により遺伝子を傷つけたりすることで毒性を発揮する。このため、皮膚や粘膜などを冒すほか、細胞分裂の阻害を引き起こし、さらに発ガンに関連する遺伝子を傷つければガンを発症する恐れがあり、発癌性を持つ。また、抗がん剤と同様の作用機序であるため、造血器や腸粘膜にも影響が出やすい。
人体への影響は非常に長く続く。イラン・イラク戦争でマスタード・ガスの被害に遭った民間人は、30年以上経過してもなお後遺症に悩まされている[3]。