THOUSAND WINDS -160ページ目

なるほど

私のよそのブログ、見ましたね。
こちらじゃあまりに雑然としてて、
いくら目をこらして見ても、
さっぱり何のことだか分からないかも知れない。
こちらじゃ今のスタイルを踏襲しているから。
他のとこのブログじゃ、確かにまとまったカテゴリに分けているから、
ここよりは幾分見つけやすかったかも知れない。
よそでも結構つまらん事書いて来たもんだね。
でも確かに思うと、いくつか私の書いたものには指向性がなくもない。
それはやはりそのブログでわざわざカテゴリを分けてまでして、
誰かのやり残したものを私なりに再解釈して、
余計訳の分からないものにしては、
世に問うて来たように思う。
たぶんこう言う事じゃないのか。
言葉と言うものが、人よりも先にあって、
たまたま別の人の口より発せられていたのが、
訳あってもうその出口が閉鎖されてしまったから、
また別の人の口へと委ねられたみたいな。
人が言葉を紡いでいるんじゃなくて、
言葉こそ先に存在してて、
我々に見つけてもらえるまで
密かに眠ってるみたいな。
だからその人から出る予定だった言葉が、
別の人から語られる事になったとしても、
別におかしな事ではない。
きっとそいつがどこかの出来損ないの
宗教が言わんとしている、
「復活」じゃなかったろうか。
言葉は生きている、それは今なお力がある、言葉を軽視してはならない、
とある人から受け継いだ、これも言葉の一。

よくわかりませんけど

本屋で哲学の本を探して、いつぞやはやったソフィーの世界でもいいや、そうした本を覗くと分かるのは、
普通哲学を学ぶと言う事は、西洋哲学史を覚える事を意味するがごとく、
誰がどんな事を言ったか、現在どんな命題が扱われて来たか、
ある哲学者のやり残した思索はどんな過程を経たものか、誰の思想の系譜かなどなど。
たとえばつい最近お亡くなりになったような哲学者を例にすれば、
その人はどんな思想を扱って来たのか、誰の影響を受けているのか、どのジャンルに分類されるのか、
書き残されたものをしらみつぶしに分析して、他の哲学者同様に理解しようとする。

それって何か意味あるのか。
何か特定の思想だけをその人が持ち続けたとでも言うのか。
その人が世に与えた影響みたいなのを、把握したいのか。
私は思う。
その人が残した思想、そんなもんがあったのかどうか
知ったこっちゃない。
ただてめえの頭でめいめい考えよ、
それだけがその人に教わったこと。
どんな哲学者がどんなたわけた事吐いていたかなんて、
どうだっていいんだ。
自分で問いを見つけて来て、
自分で考えてみること、
先人がこれまで幾度となく、
挑戦してはもろくも砕け散って、
永年答えの出る事がなかったようなテーゼでも構わないし、
こんなしょうもない命題、誰も考え付かないし、誰もまともに取り上げないと思うような
あなただけの哲学があったって、いいんだ。
まずは考えること、そして自分なりの仮説を述べてみること、
それこそが哲学じゃないのか。

それからのルーキア

本屋で見かけた誰の書いた本か知らない詩集、
その中に書かれていた詩のうちで、
やたら印象に残ったのがルーキア詩集。
何となく評論文調で始まる。
十字架教団とか拝牛教とかが出て来る。
大昔の石碑が見つかりそこにルーキアの詩がほりこまれていた。
ところがその石碑が発見されるよりも百年早く、
あるイギリスの詩人がそれとそっくりな詩を書いていた。
この前書いた時には、順番が逆だった。
つまり先に石碑が見つかり、そして後から詩人が出て来た。
今回のように考えるともはや詩人には盗作出来る余地はない。
よもや石碑の作者が真似をする事も出来ない。
それは一体何だろうか。
つまりそれは共時性、シンクロニシティ。
どちらかがどちらかかの原因になったわけじゃない。
それらは同時に起こる。
時間が隔たっていながら、
過去の出来事と深く結び付いている。
そうとしか考えられない。
つまり同じ源泉から時代を隔てて、同じく人類の遺産を共用している。
ルーキア、のちのルシフェルとなる名前、この稀有な詩でもって、
時を越えて私に働きかけてくるのは一体
何なんだろうか。

あたたかい

「手を握ってて、しばらくそこにいて」


わたしはここの病院で「使われている」介護用ロボット。
かなり人間ぽく作られていると思っている。少し自慢。
でもわたしって全然駄目、よく失敗する。
おじいさんをお風呂に入れようとして転倒させるわ、
寝たきりの人起こしてあげる時力み過ぎて首の筋違えさせたり、
おむつのしかえにもたついてたら、呆けてたおじいさん
外でおもらししちゃったしで、
全くいいとこがない。
わたしの他にももっと有能なロボットが導入されていて、
彼らはわたしなんかよりはるかにロボっぽいけど、
絶対失敗なんかしない。
こないだ休憩時間に、介護士になる為の資格の本読んでいたら、君は資格なんかいらない、だってロボットなんだからと言われた。
それってわたしは人間じゃないって言われてるような気がした。
今わたしの受け持ってる所はホスピス、担当の人がいなくて
急きょ重病のおばあさんの個室に来てる。
そしたら突然、ギューって手を握って来られて、さかんに
「怖い、怖いよお」を連呼なさってる。
それでわたしは「何もこわいことなんかないですよ。
わたしがここにいてあげますから」と答えた。
するとおばあちゃんは言った。
「おねえちゃん、暖かい手してるね」
しばらく手を握られて、知らぬ間にスリープモードに移行してしまい、
気がついて自発的にレジュームかけたら、
おばあさんの手、何だか冷たくなってた。



「あなたここに来てから、初めて人の役にたったね」
担当だった医師の先生からほめられた。あましうれしくない。
あれからひまを見つけては介護士の資格の本を読んでる。
例え資格が取れなくても、
人間じゃなくても、
私は人のお役に立ちたい。
今願うのはただそれだけ。
ご冥福、お祈り申し上げます。

ケータイの今後について

今のケータイをスマートフォンに買い換えるのはリスクが大きくて、
ブログの管理画面が使えなくなると大いに困る。
だからと言うわけではないが、手堅く使うにはせいぜいまたAUのケータイにするしかない。
でも最新のカタログでどうも私のお目かねにかなうものがない。
どれも一緒みたいに思えてしまう。
いっその事電話会社を変えた方がいいかも知れない。
キャリアを変えるとしたら、私は前からソフトバンクを考えている。
でもどうしてもまだスマートフォンに未練がある。
まず期待出来ないものの、スマートフォンにするにしても私は、
タッチパネル式は嫌い。
だからiPhoneなんかがとても欲しいのだが、私の使い道にはかなうまい。
電車の中で片手で扱えるのが、スマートフォンであろうと
違いはない。
横にはみ出すみたいなキーボードは使いにくそう。
理想はBlack Berryなんだが法人向だけになってしまったはず。
私はキーボード派、別にテンキーでも押しやすければいい。