大きい方は「30 千手観音」さま。


自分の幸福を壊すのは

過去でも状況でもありません。


恨みや羨望、嫉妬という

自分の心です。


心を解放すると決めましょう。

その決断だけです。


小さいほうは「16 波紋」


目には見えない。あなたの思いも

波紋のように

大きく広がっていきます。


何をかけるかは、あなた次第。

多くの仲間とともに、生きる世界へ

素敵な夢や希望が広がっていきますように。


2つ合わせると


新しいステージがあなたを待っています。


決断と同時に、

あなたには救いの手が何本も

差し出されます。


あなたがそう決めたからです。


もう十分に苦しんだ。

手放せばよい。


誕生とともに

苦しみも役目を終えたのであれば。


ひらめきは

培ってきたものから生まれます。


過去や未来に囚われずに

目の前のいまを意識しながら

過ごしてみましょう。


恨み、羨望、嫉妬。囚われた心を解放して新しい自分を生きましょう。目の前の「今」を意識すれば、ひらめきや直観力を活かした、多くの仲間と生きる世界へシフト出来ると。自分責めを手離す事で、本当に自分を活かして生きる事が出来る。どんなに悔いても過去には戻れないし、どんなに案じても今行動しなければ、未来は変わらない。決断しよう。


大きいほうは「9 賛嘆」


かぼちゃの種を蒔いて

メロンを収穫しようとしても叶いません。


種が原因とすれば、収穫はその結果です。


そもそも、種をまかずに

花を得よう、実を得ようなどとは論外です。


時期もあります。

それぞれに適した時があります。


小さいほうは「20 慈愛」


慈とは

母のように恵み深いこと。


愛とは

見返りを期待しない純粋な思い。


たとえ誰1人振り向かず

報われることがなくても


自らを、そしてすべてのものを生かす力。


2つ合わせると


もし、目的地があるなら

考えるのではなく

歩き出すと言う行為なしには到着できません。


種まきは

スタート地点であると、

同時に目的地でもあります。


向かう先によって路線を決定するのです。


さぁ、

素敵なタネを蒔きましょう。


時に失望が押し寄せます。


何もかもが苦痛になり

何もかもが価値を失い


景色からは、色が抜け落ち

私の献身に世界は応えてくれないと言う嘆き。


あなたが世界ではないのですか?

世界の献身にあなたが応えていない。

そのことに気づいてください。


もしかしたら、蒔く種が違っていたかも。時期ではなかったかも。蒔く量はどうだったろうか?結果が出ないのは、そもそもから間違ってはいなかっただろうか?原点に戻ってもう一度全く正反対から、違う視点を持ってみる。すると、今まで頑なに執着していたから、見えなかったのか!と気付けるのかもしれません。小手指ではなく、根本から、抜本的に改革する。新しい視点で新しい景色を見よう。





大きいほうは「8 花飛天」


他人の人生を羨んでも

自分の人生が豊かになる事はありません。


何者かになろうとすると不自由になります。

そのままの自分を

受け入れると自由になります。


小さいほうは「32  天奏楽 花びら」


あなたと言う菩薩が誕生したことを

天界では喜んでいます。


あなたは、全てを超えていきました。

あらゆるものを糧として

新しく生まれ出たのです。


何者にも

もうあなたは囚われる事はありません。


苦は喜びに変わり、

塵は祝福の花となって降り注がれています。


2つ合わせると


なぜ、

掛け替えのない存在でありながら

何者かになる必要があるのでしょう?


受容の反対は欲望です。


欲望によって動かされているうちは

自由の意味を知ることができません。


そのままが1番美しい。


心から楽しみ

生きてあることを心から喜ぶ。


朗らかに、伸びやかに

命の情熱が向かう方向へと。


それこそを実在と言いましょう。

私と言いましょう。


自分という人生を受け入れる。どんな辛かったことも、今の自分に辿り着く為に必要な事だった。そう思えたら、それは菩薩としての誕生だと。これからは、苦は歓びとなり、塵も花びらになりますよと。全てを「楽しむ」と決めれば、全ては楽しみになる。決めるのも思うのも自分という事でしょうか?他人様を羨み「自分には無い」と言っていれば、それを自分が創っている。「その思考」は、今度は手に入れたら「ある」ことに文句を言い、無いことを羨む。いつまで経っても「枯渇感」にはキリがなく「自分を省みて受け入れる」他にないと気付きなさいという事のようです。無いもの探しではなく、あるものに満足して心豊かにありたいと思います。




大きいほうは「22 水月観音」さま。


水辺にて

光明を得た人がいたと言う


逆らわず共にあり

流されてあるままに


一瞬のうちにも、永遠をかいま見れば

予兆のない突然の覚醒


小さいほうは「2 慈母観音」さま。


慈しみの眼差しで

あなたを見守る慈母観音。


母が子に対するが如く

海より深い愛を持って、あなたの心に耳を傾け

助けたいと願っています。


幼子のように、心を開き

素直に思いを伝えてください。


2つ合わせると


ポジティブやネガティブと言われるものは

視点のズレから起きるものです。


あなたを窮屈に縛っている原因は

自分自身の思い癖の場合があります。


好き嫌い、良い悪いと

ジャッジしてきた思考パターンが

見えない殻を作り上げました。


喜びに生きなさい。


視点のズレを意識すれば

殻は内側から打ち破ることができます。


個々の経験を通して

人の数だけ、異なった視点が

存在することも忘れずに。


苦しみは役目を終えました。


言葉ではない、態度でもない、

あるいは、行動でもない。


心であれば、いかにして?

それを考えることができるのも

感謝のゆえに。


ゆえに、感謝の中に我が姿は現れる。


視点を変えて、ジャッジを辞めれば、今すぐにでも幸せを感じられます。それは一瞬にして起きた「覚醒」の感覚だと。感謝の目で観る視点になれば、慈母観音さまにいつでも優しく見守られていることを実感出来ますよと。幸せは追い求めるものではなく、いつでもそこに「在る」のに気付いていないだけ。青い空、道端の花、風の匂い、どんな時にでも、誰にでも平等に「ただ在る当たり前」に、しみじみと満たされる感覚こそが、幸せの豊かさの真髄なのかもしれません。





大きいほうは「29 アイリメンバーユー」


胸に手を当てます。

どくどくと脈打つ。

それが「生」のリアルです。


鼓動と、ひとつになれば

いっときいっときがあなたの誕生です。


それで全てが解決です。


小さいほうは「33 藤飛天」


藤は不二に通じます。

二度とない人生です。


あなたらしく羽ばたいてください。


2つ合わせると


お金がある、肩書きがある、良い企業にいる

セレブな暮らしぶり、モテる、有能

皆、妄想です。


生きている、生きていく。

それで充分です。


逃れられないなら、生きる糧にして。

魂を磨くためのものと観念するのも一理です。


そう、観念した時

既に苦悩は別のものに変わります。


例えば、慈愛に

例えば、智慧に。


信じる。それだけでいい。自分で選んで生まれてきた人生から逃れることは出来ないのだから。そう観念すると、智慧がわき、慈愛が溢れてくると。観念するというのは、諦めるという意味では無く「我」を離す、執着から離れる、天に委ねるという意味なのだと感じます。「なる様になる」それは必ず魂磨きの糧なのだと。ただ「在る」自分を信じる。そんな風に生きられたらいいなと思います。




大きいほうは「14 波紋」


.結果に一喜一憂するよりも

行為そのものを楽しむ生き方の方が

喜びに包まれます。


童心に帰れば

無心さ=実在だと再発見できるでしょう。


小さいほうは「34 時は今」


始めの昔より、導かれし者

ここに態を成す。


心を開きおのが姿を顕せ。


あるがままに出で

あるがままに望み

あるがままにその命を燃やせ。


いずれ、飛び立つ命になれば。


2つ合わせると


子供だった頃の

得意技を思い出してください。


無心になって、全身全霊を傾ければ

工夫が生まれたり、心地よい汗をかいたり

そのうち楽しくなるものです。


くよくよしても始まりません。

やるなら楽しむ。


それが、心の余裕となれば

不思議とうまくいくものですね。


内なる子どもがあなたを導きます。


ものらみなその時を待ちながら

密かに、確かに

新しい世界を抱いています。


さぁ


その時が巡ってきました。

氷を打ち砕き、闇を破り

新たなる世界が花開きます。


子どものように、夢中で時を忘れて熱中できることを思い出して、やるなら楽しむ。発想を変えて「未知なる才能が開花するかも」と周りと比べず無心になってみると、工夫が生まれて楽しくなるのかもしれません。今までの殻を破るというのは、経験が長いほど大変な事だけれど、実は今こそ、子どものように「あるがまま」でいられる時が巡ってきたという事なのかもしれません。長い長い今までの時は、「今の自分」になるための下準備だったとしたらすごい事ですね。幾つになっても、自分をみくびらず、見離さない。痛いところがあるなら、嫌だと思わずに、身体が教えてくれてるサインなのだから、痛みに真剣に取り組んでみる。「嫌がらずに真向き合う」ことで「真の解決策」が生まれるのかもしれないなあと思います。


大きいほうは「7 吉兆」


自分のことだけを見ていると

きっと景色は退屈なものでしょう。


豊かなのは

「あなたを含んだこの世界」だと気づいて下さい。


今あるあなたは

数え切れない命が結実したものです。


小さいほうは「18 花心」


あなたの中に宿る

子どもの心を失わないでください。


その子が

あなたを天上へと導きます。


魂は、老いることを知らず

知恵もまた老いることを知らず


邪気のない心でしか

通れない道があります。


2つ合わせると


目を閉じて、深く呼吸して

遠い遠い過去から連綿と続く

いのちをイメージしてみてください。


そして


この世界に存在する

あらゆるものとつながっていることを

感じてください。


宇宙は

あなたのために開かれたのです。


観察と想像と。


とても簡単な子どもの頃のやり方に

知恵の実がいっぱいなっています。


知恵を知恵と、思わぬ楽しさが

無邪気な心が


知恵の素敵な在り方です。


思い煩ったら

あなたの中の子どもに聞いてみてください。

ささいなことが原因のはず。


遠く遠く代々からのご先祖様が支えてくれているから、安心して無邪気な子どもの心で過ごしてみましょうと。そんな心でしか通れない道がありますよと。生きていく中で、身に付けてしまった頑なな鎧を外してみれば、世界はとても優しくて美しく澄んでいます。色眼鏡をかけて、わざと信じずに、好意を拒んでいたのは自分自身だと。子供達の純粋無垢な澄んだ目で見ると何もかもが感動ですね。







大きいほうは「28 宝珠観音」さま。


良い人間になろうとすると

うまくいきません。


まず、自分を

価値判断することをやめることです。


そこから答えに行き着くでしょう。


小さいほうは「17 花音」


あなたはいつも祝福されています。

幼子のように愛されています。


そのままで、ありのままで。

あなたらしくあれば、それだけで。


2つ合わせると


自分を価値によって判断しようとすると

染みついた物質的な物差しとなり

結局は自己否定に陥ってしまいます。


あなたがいてくれるだけで嬉しい、楽しい。

互いがそういう生き方を目指す時です。


私が、私も、私だって、私なら。

そう言わずに

1日を過ごしてみるのはどうでしょう。


我を放つのは至難ですが

言葉を断つのは容易です。


大丈夫。

誰もあなたを忘れはしません。


いつも許され

祝福されているのですから。


そんなに自分を誇示しなくても、大丈夫、誰もあなたを忘れてはいません。良い人間でなくては!とか

もっと頑張らないと!とか、自分へのノルマを降ろしてみませんか?そのままでありのままで、この世に生を受けていること自体が既に選ばれていること、もっと自分を認めて信じてみましょう。ケセラセラ、なるようになる。執着から離れると楽になるのかもしれません。


大きいほうは「12 慈愛」


微笑みと涙は清らかなことがよく似ています。

哀しみは、

やがて愛に変わるものだからです。

泣き笑いこそ、慈愛の姿です。


小さいほうは「31 天奏楽 笛」


耳を澄ませば

天奏楽の調べが絶え間なく流れています。


さぁ

踊るように、歌うように、軽やかに

一歩を踏み出す時が来ました。


音のする方へ、高みに高みにと。


2つ合わせると


悲しみを知らないうちは

人は人生に問いかけてばかりいます。


悲しみとは

人生の方があなたに

問いかけるという経験のことです。


そこからあなたはどう生きるのですか?


悲しみの実相に触れて

人は初めて目を覚ますのかもしれません。


望めば欲になります。


何かのためでなく、誰かのためでもなく

本当の自分と対話して、ただ祈る。


そこにだけに見えるもの。

それでしか至れないところへ行くために。


深い哀しみが人を思いやる優しさになり、流した涙は「慈愛」という暖かさを育みます。悲しいという経験を重ねることで、人は熟成されていくのだと。のびやかに軽やかに、一歩踏み出す時が来ていますよ。何も望むことなく「ただ祈る」それでしか至れない世界に進みましょうと。歳を重ねると欲しいものがなくなって、物欲や執着がどんどん薄くなっていきます。着飾ったり、目立ったりすることよりも、自分も周りの人達も、ニコニコとふくふくとご機嫌でいるにはどうしたらよいのか?皆んなが本来の自分らしく、心豊かに過ごせるにはどうしたら良いのか?これからを担う若い人達がイキイキと活躍出来るように、何か役にたてることは無いかしら?

日々そんな風に思います。人生は創意工夫とユーモアだー。笑って笑って智慧と慈愛で過ごしたいと思います。


大きい方は「20 天の琴」


強い風が吹き荒れても決して失われず

かえって広がっていくものがあります。


それは「人の徳」です。


風にのって薫る花のように

天の琴の調べのように


小さい方は「28 不動明王」さま。


不動心とは

ありのままを正しく感じる心です。


泥の中から、真理を見出すために

妄想を断ち切る心です。


道にさまよい

道に外れて

道に誤ったとしても


救いの手は差し伸べられます。


光は闇に届き

あなたは、

見守られていたことを知らされるのです。


2つ合わせると


いつからでしょう。

「徳」が「得」に姿を変えたのは。


損得と有徳が混乱しています。


人間には

生まれつき身に備わった

良心へのまなざしがあります。


これがこれが「徳」ということです。


人生は

それを磨き出していく旅と言えるでしょう。


損得ではなく「有徳」を磨き、ありのままを見る眼を養い、怒りを理解に変えていきましょうと。妄想を断ち切れば光は闇に届きますよと。怒りの渦中にいる時は、苛立ちから更に妄想が膨らみ、感謝や愛とは全く真逆の真っ黒い感情に支配されてしまいます。そうすると、すごく自分が不当に扱われて損しているような気分になり、そのエネルギーが同調するものと引き合い、次々と負の連鎖が起こり、益々怒りが納まらない現実を自分で引き寄せ作り上げてしまいます。先ずは気付くところから。思い込みを外して真実を真っ直ぐに見てみたら、相手の立場に立って考えてみたならば、それは仕方ないかもしれない、怒るような事では無いかもしれない。我慢ではなく、理解になると、心はすーっと解けて安らかになるのかもしれないなぁと思います。