大きいほうは「14 波紋」


結果に一喜一憂するよりも

行為そのものを楽しむ生き方の方が

喜びに包まれます。


童心に帰れば

無心さ=実在だと、再発見できるでしょう。


内なる子供があなたを導きます。


小さいほうは「6 大腸和」


深い意識の下では

森羅万象、皆、ひとつなのです。


生きとし、生けるものは

思いを通して結びついています。


日々の思いを内観し

恐れや怒りを解き放ち、


希望や感謝の方へと向かってください。


平安はわが内に。

内在を知る事は至高への道筋です。


2つ合わせると


子供だった頃の得意技を思い出してください。


なんであれ

無心になって、全身全霊を傾ければ


工夫が生まれたり、心地よい汗をかいたり

そのうち楽しくなるものです。


くよくよしても始まりません。


やるなら楽しむ。


それが、心の余裕となれば

不思議とうまくいくものですね。


命溢れているものは

皆清らかです。


疲れたら休めばいい。

重いものは、下ろせばいい。


目を閉じ、耳を塞ぎ、口を結んで


心が静まったら

また、命の流れに身をまかせればそれでいい。


楽しみましょう。無邪気な子供のように。大変な事はゲームだと思って、どうクリアするのか、攻略法を研究すればワクワクします。全身全霊傾ければ、智慧と勇気が湧いて来て、ときには、助けを借りながら、あまり重かったら、一旦止まって、休憩をしつつ、思い詰めない、がんばりすぎない、ゆるゆる、わくわく、心の余裕。真面目すぎて頑張りすぎると「頑なに張って」誰も受け入れず、周りが見えなくなります。それが「必死」という事で「必ず死ぬ」ことになってしまいます。正しさにしがみつき、許せないでいると、そんな自分も許せなくなります。正しさよりも優しさで、「まぁいいか!」のゆるさとゆとりで、慌てず、焦らず、諦めず、笑顔で全てを楽しみましょう。


大きい方は「27 天奏楽」


幸福はしばしば

「退屈」な顔をしています。


平凡でとても普通です。


ちょうど、昨日が終わって今日が来て

今日が来たら明日が来るように。


そうなのですか?

明日は間違いなく来るのですか?


小さい方は「11 花まつり」


気づけばなんと多くの人々が

菩薩となり、あなたに救いの手を

差し伸べている事でしょう。


生きる事を慈しみながら

存分に楽しんで下さい。


2つ合わせると


劇的な幸福を求めて

幸福を取り逃しています。


それは幸福を思考に当てはめているからです。


頭で考える幸福

定義づけられた幸福

ドラマティックな幸福


考えるよりも感じて下さい。


誰かに手を差し伸べると

自分の発展に繋がります。


手を差し伸べたら

手を取り合うことが出来ます。


多くと繋がる事が出来ます。


競い合うのは天の道ではありません。


多くの人達が菩薩様になって応援して下さっていますよと。平凡だと感じる今こそが大切だと、肩肘はってないで、手を取り合えば幸福になりますよと。競い合わない方がずっと安らぎ豊かだということに気が付きましょうということでしょうか?優しさの魔法は、譲り合うことから始まるような気がします。




大きい方は「17 水の菩薩」さま。


この世に執着ほど

心を苦しめるものはありません。


執着を愛と勘違いしようものなら

相手もまた地獄です。


淀みなく、流れるものを

執着と言うエゴでせき止めてはいけません。


小さい方は「23 普賢菩薩」さま。


今まさにひも解かれている聖典には

あなたのすべてのことが記されています。


苦難と迷いに際しても

向かうべき真理の道は

あなたの中に書き尽くされているのです。


そっと目を閉じ、読み取ってください。


2つ合わせると


もの、ひと、若さ、お金

いろいろ執着はありますが


捨てれば楽になるのが執着です。


ならば

物事を整理整頓していきましょう。


ものも、空間も、人間関係も

惰性や見栄で集めてきたものを

思い切って手放すのです。


ため込んできた思い込みも。


今まで

玉と石ころを同じように扱ってきたことにも

気づくでしょう。


おお自由なり!


思い出してください。約束したこと。

既にそれは宇宙に記されています。


果たせても、果たせなくても

それがあなたの生きる力になります。


生まれる前に、自分で約束して選んできた人生を思い出して、目の前の執着から離れましょうということでしょうか?思い通りにならないことに、落ち込んだり、イライラしたりするのではなく、それを超えられる自分だから選んできたということを思い出せば勇気や元気が出ます。大変であるほど大きな器の自分と思えば、心が落ち着きます。誰も特別ではなく、みんながそれに気づかず、思い出せないだけ。ゲームのクリアと同じと思って、困難を楽しめる自分になれば人生も楽しくなりますね。


大きいほうは「5 竜宮の門」


可能性を「成功」や「夢」と

結びつけていませんか?


それは

結果重視の

いわば競争社会の価値観による考え方です。


結果を求めることなく

今何ができるかと考える。

それも可能性です。


小さいほうは「35 新生」


日々.新生の時。

日々、新しいあなたの誕生です。


生きていくことの素晴らしさを

日々味わってください。


2つ合わせると


世の中は

お金を得たり、自尊心を満足させるものばかりが

重要視されています。


「富」とは本当に

そういうもののことを言うのでしょうか?


もっともっと

真に豊かになるものを求めて

今できることに向かって行動してください。


扉は開かれています。

とてつもない富が目の前に。


本気になるとは

どういうことか考えたことがありますか?


命がけで生きるとは

どういうことか考えたことがありますか?


いつでも、何度でも

生き直すことができます。


本気で、命がけで生きるなら

全てが良き方へと動き出します。


本当の富に向かって本気で命がけで生き直しなさいと言うことでしょうか?毎日新しい自分になれます。「今の自分には何が出来るか?」を知って行動すること。本当の富とは、地位名誉お金を得るための競争社会の価値観ではありませんよと。孫が猫アレルギーなのを自分でも解っていながら、夢中でずーっと遊ぶ姿を見ていて「本当に大切なもの」って何かを気付かせて貰う気がします。これだけ好きなら必ず直る。それを実感しています。私も極度のアレルギーでした。花粉症も酷かったし、埃も猫の毛も、なんなら明け方は何もなくても鼻詰まりで呼吸がしにくい、更に乗り物酔いも酷くて、車も乗れなかった。そんな子供時代でした。でも、今は全くありません。この子達が健やかに猫と遊べる日が必ず来る。それが解ります。「本当に大切なもの」とは

大切な人達の笑顔。猫アレルギーな事を解っていて、私達に孫を託す娘達の思いや、それでも来たい孫達の思いやその上で会えることに全力な私達な思い。それを超えて皆んなで笑顔になること。


大きい方は「7 吉兆」


今あるあなたは

数え切れないいのちが結実したものです。


気の遠くなるような年月を

気の遠くなるような数の

ひとつひとつのいのちが、


懸命に生をつないできた結果

あなたがここにいるのです。


小さいほうは「13 花園」


無垢な魂は

美しいものに寄り添い

善なるところへと、飛翔していきます。


あなたが自分を

悪を無し得ない、真性の存在だということに

気付くとき、


今、ここに天国がたち現れるのです。


無上の喜びに

身を委ねなさい。


一切は許されています。

罪科は幻です。


2つ合わせると


目を閉じて、深く呼吸して

遠い遠い過去から連綿と続く

命をイメージしてみてください。


そして

この世界に存在する

あらゆるものとつながっていることを

感じてください。


暖かくなってきませんか?


咲くべき時に、咲く花を

静かに待ってやりましょう。


春には春に、夏には、夏に

北には、北に、南には、南に


それぞれ似合いの花が咲きます。


焦らなくても、全ては決まっていて、時が満ちれば叶っていく。集合意識の下では、全ては1つにつながっていて、善も悪も、あなたも私も無いのだと。嫌なことばかり目につくのなら、自分を嫌だと思っている。楽しいことが目につくなら、自分も楽しんでいる。そう言うことなのかもしれません。自分を責めてばかりいないで、自分が自分を嫌いにならないで、誰より自分が自分を大切にしてあげたいと思います。





大きいほうは「23 ゆりかご」


たくさんのものが来て

たくさんのものが去っていく。


永劫より

あり続けたものだけが残っていく。


案ずるな 

誰ひとり静寂を破ることはできない


案ずるな

誰ひとり寛ぎを遮ることはできない。


小さいほうは「3 宝珠観音」さま。


あなたの前に

美しい宝珠が差し出されました。


意のままに、願いを叶える神秘の宝。


思いは、言葉となり

行動を起こすことで形をうみます。


ためらいは無用。

恐れずに

1歩を踏み出す時です。


2つ合わせると


毎日毎時間

世界は「情報」を垂れ流しています。


自覚してシャットアウトするまで入ってきますね。


脳が疲れて

心身に大きなストレスがかかるようになりました。


本来なら、悩まなくて良いことが

悩みの種になっているようです。


心に平安を取り戻すのは


美しいものに触れることや

自然との交感です。


目を閉じ、深呼吸をしてみてください。

気分転換が大切です。


時が近づきました。

新しい自分に出会う時です。


用意はできていますか?

今何が必要ですか?何が不要ですか?


整えるべき準備はなんですか?


無駄な情報に振り回されることなく、自分自身と対話して、新たな一歩を踏み出しましょう。意のままに願いを叶える美しい宝珠が目の前に差し出されていますよと。テレビで報道されることの全てが、事実で正しいこととは限らないという事をコロナ以降、いろんな方々が感じていると思います。本当に気をつけていないと、真実ではないことに大きく飲み込まれていくこともあります。また、正義は人それぞれに違い、立場によって変わることもあります。その都度振り回されていては疲れてしまいます。最も大切なのは「外の情報」ではなく、どんな方にも1人1人の中に居られる「内神様」からの「唯一無二情報」です。自然と触れ、五感を磨き、自分を大切にして「ぶれない自分情報」に従ってワクワク進みたいと思います。


大きいほうは「28 宝珠観音」さま。


残念なことに

価値基準と言うものが、

子供の頃からついて回りました。


点数です。

何ができるかどれだけうまくできるか?


評価です。

大人になっても続きます。

部長になった、成果を上げた、年収がアップした。


それは「良い人間」とは無縁です。


小さいほうは「10 I remember you」


すべての答えは、あなたの中に存在します。


どんな問いかけにも

答える準備が整っています。


あなたは

完成された1個の命として

世界に向き合っているのです。


未来にも、過去にもとらわれず

安心して今を生きてください。


2つ合わせると


自分を

価値によって判断しようとすると


染み付いた、物質的な物差しとなり

結局は自己否定に陥ってしまいます。


あなたがいてくれるだけで嬉しい、楽しい。

互いがそういう生き方を目指す時です。


本当に失ったのでしょうか。

本当に失われたのでしょうか。


現象はいつか消え去りますが

それは見せかけに過ぎないかもしれません。


いつも語りかけているとすれば

今も胸の中に生き続けてはいませんか?


価値判断せず「生きている」だけで完璧である事を思い出しなさいと。答えは全て自分の中にあるから「認められる」ことに期待する「他人軸」ではなく自分が自分を認める「自分軸」で生きなさいと。つい周りの為、誰かの為を優先しがちになりますが、もっともっと自分の為に時間を作り、自分自身に与えられている「ギフト」を開花させていきましょうという事のようです。「自分にしか出来ないこと」が誰しもが必ずある。なのにそこを見ようとしないで、他人様と比較しては自分には無いと思う捉われや無駄な負けん気から解放される。子供の様な無邪気さを思い出したいと思います。



大きいほうは「27 天奏楽」


幸福はしばしば「退屈」な顔をしています。

平凡でとても普通です。

ちょうど昨日が終わって、今日が来て

今日が来たら、明日が来るように…。


そうなのですか?

明日は間違いなく来るのですか?


小さいほうは「30 弥勒菩薩」さま。


善も悪もなく 

全てが1つにつながって

生き生かされていることを伝えるために

降りてこられました。


個に見えても、実は全。 

時空を超え、つながり合って

世界は成り立っているのです。


誰かが何かを思惟するとき

世界もまた呼応するのですから

全肯定こそ賢者の道です。


2つ合わせると


劇的な「幸福」を求めて

幸福を取り逃しています。


それは「幸福」を

思考に当てはめているからです。


頭で考える幸福。定義付けられた幸福。

ドラマティックな幸福。


幸せが何かを知るまで幸せになれない。


それでは、きっと

いつまでたっても

見つけることはできないままです。


考えるよりも感じてください。


大いなるものの大いなる決意で

万物が生まれました。


すべてがあなたにつながっています。

幸福であってほしいと世界が望んでいます。


幸福になると決意をしてください。


今日は2枚とも「幸福」がテーマのようです。一人ひとりが幸福感で満たされていることが潜在意識で繋がって世界が平和になること。幸福と言うのは、絵に描いたようなカタチでなくても、毎日の何気ない日々の中でいつでも得られています。朝露が美しい、お水が美味しい、猫の肉球の柔らかさ、ホントに些細な事にふと心が和む瞬間の積み重ねが幸福感の土台を作るのかもしれません。劇的な幸福もたまにだったら素敵だけど、それはたまにだから刺激的なのであって、日々日々、誰にでも平等な日常的なものに幸福感を見つけられることこそ、本当に心が満たされることのように思います。


大きいほうは「29 I remember you」


心から自分を信じる方法は

胸に手を当てることです。


心臓の音が

手のひらから伝わってきます。


これこそが

自分が「在る」と、いうことです。


小さいほうは「花まつり」


気づけば

なんと、多くの人々が菩薩となり


あなたに、救いの手を

差し伸べていることでしょう。


あなたは

1度とて、孤独だった事はありません。


生は、常に祝福され

あなたと、あなたの大切な人たちに

溢れんばかりの愛が注がれています。


生きることを慈しみながら

存分に楽しんでください。


2つ合わせると


生きている、生きていく。

それで充分です。


お金がある、肩書きがある、いい企業にいる

セレブな暮らしぶり、モテる、有能


そんな事は皆妄想です。


誰かに手を差し伸べると

自分の発展につながります。


1人勝ちの世界は本意ではありません。

競い争うのは、天の道ではありません。


手を差し伸べたら、手を取り合うことができます。

多くと繋がることができます。


「1人勝ち」の優越感って孤独とセットなんだろうなぁと思います。お金さえあれば何でもできると思っていると、人が信じられなくなります。「お金を払う自分」だから思い通りになるという事は=「お金のない自分は価値がない」と思っていることになります。そうなると、常にお金のことが頭から離れなくなり、見えるものへの執着が生まれます。人を信じられないから、常に不安です。「不安と恐怖」は、「愛と感謝」の対極なのでお金があればあるだけ孤独感がつのるということになります。愛は分け合うほどに増えるもの。使えば減るお金とは反対です。お金は川の流れのようなもの。独り占めすれば、沼のように濁ってズブズブと足を取られ息も出来なくなりますが、サラサラと流してるいけば、大海に繋がり大きく戻って来ます。多くと手を取り合い、多くと繋がってたくさんの菩薩さまが見える生き方を選びたいなぁと思います。


大きい方は「11 ブルーポピー」


自分が何者かわからなくなっています。


社会から期待される「自分像」を優先し

自分を見失いかけています。


役割や役職や常識、他人の物差しは

まがい物のあなたです。


さぁ、「らしく」ない、

あなたの物語を描きなさい。


あなたが主人公ですよ。


小さいほうは「花心」


あなたの中に宿る

子供の心を失わないでください。


魂はことを知らず

知恵もまた老いることを知らず。


邪気のない心でしか通れない道があります。


2つ合わせると、


寸分の狂いもない

1点の曇りもない


誰もがそんな世界を受け取るのである。


全身全霊で、永遠の今を生きる時

いのちは完璧な姿で顕れる。


観察と想像と。

とても簡単な子供の頃のやり方に

知恵のみがいっぱいになっています。


知恵を知恵と思わぬ楽しさが

無邪気な心が、知恵の素敵なあり方です。


思い煩ったら

あなたの中の子供に聞いてみてください。


些細なことが原因のはず。


小さな子供の頃に、自分の素直な欲求が通らない経験をしていると「受けれられることが良いこと」と言う思考が出来上がってしまい、自分の本当の欲求が自分でもわからなくなってしまいます。周りの空気を読み「いい人と思われる」自分を無意識に演じてしまい、常に外側と内側が違うアンバランスに苦しむ自分が出来上がってしまいます。なので、人といるととても疲れるのに、1人でいると、自分がどう思われているのか不安と言う、どちらにしても心が安らぐことがない状態になってしまいます。本当の安らぎとは、心が暖かく満たされ、1人でいてもたくさんの人といても変わらないでいられること。そんなふうになるためには、まず、自分が小さかった頃の満たされなかった自分自身と向き合って受け入れてあげること。自分が自分を大切に扱ってあげることなのかもしれません。周りの評価よりも、自分が自分をどう評価しているのか?そこを見つめ直して、自分が自分を信頼できるようになることが何より大切なのかもしれません。