36 銀河の扉
一意志一
非凡を願うような凡庸を捨てて
在ることを全うするだけの意志を持て
あなたに出会えてよかった
あなたのように 私も生きたい
宇宙にあなたが
映し出されています。
いちにち、いちにちが人生です。
心を尽くして当たりなさい。
肉体はいつかなくなる宿命ですが
魂は、生命エネルギーのように残り
愛もまた
形を変えてあり続けます。
生涯をもって
その生の意味を残していくのが
真実のあり方です。
富や快楽や抜け目のない人生を求めて
何者かになろうとする心は
絶えず乾いています。
ごく普通の日常の中にある
宝物に氣付かないからです。
平凡に思える1日の行為の全てが
人生のあり方に結ばれているのです。
何事も心を尽くして当たりなさい。
今すべきことに向き合いなさい。
世界はあなたの正面に
具体的にあるのですから。
ごく普通の日常にある宝物に氣付いて、平凡な日常に感謝して1日1日に心を尽くす。今日はクリスマスイブ。出来そうでいて、出来ない当たり前のことを今一度見直して感謝して過ごします。
11月28日のメッセージはこちら↓↓
何ごとにも心を尽くして、いますべきことに全霊で向き合います。。そのうちにとびらが開いて、次のことに向き合い超えると、又次の扉が開きます。人生とは、そんなふうに続くのかもしれません。まるで天から与えられたかの様な目の前のことにどんなふうに向き合い、どんなふうに超えるのか。生涯ををもって、生の意味を真実として残せる様に、今出来る目の前のことに真摯に誠実に。
11月23日のメッセージ↓↓
何者かになろうとする心は絶えず乾いている。絶えず乾いているって、なんて辛いのでしょうか。入れても入れても穴が空いたバケツのようにいっぱいにならない、砂漠のように乾いてしまう、例えば、喉がずーっと渇いているとしたら??考えただけで耐えられません。なぜそうなるのかといえば「日常の宝物」に氣付いていないから。今日はとても爽やかな良いお天気です。誰にでも平等な空の青さに心から幸せを感じられるとしたら、その瞬間に心はヒタヒタと潤います。今日は「新嘗祭」という新米を神様に献上する大切な日だったそうです。11月23日は「いいふみ」の日。我が家の14回目の誕生日でもあります。ふくふくとした心で笑顔満開で今日も楽しく過ごします。
昨日のメッセージはこちら↓↓
日々日々を心して生きる。本当にその通りだとしみじみ思います。コロナが蔓延するまで、私は社会の仕組みにとても無知でした。一般的に常識といわれる事をやり、それでいいと思っていました。でも、疑問を持つようになって調べるほど❓❓だらけになり、その矛盾にどうしようもなく、一時期はすごく苦しみました。だからと言って自分1人に何が出来る訳でもない。大きな仕組みや流れの中にいて、どうすることも出来なければ、まるで大海に放り出されたかのように、ただただその矛盾に苦しみ不安になります。過去も人も変えることは出来ません。変えられるのは自分のみ。でも、自分自身を見つめ直し、自分に問うて問うて問うて、本心に向き合っていったら、真実という凛として光るものに到達しました。そうなったら、周りにも、起きている出来事も、全て氣にならなくなりました。自分の意識が変われば、過去の全てのことも「必要な経験」だったと思えるようになります。人と自分は皆んな違うんだと思えば、起きることにもジャッジがなくなり、心は穏やかでいられます。ひたすらに、「今出来ること」に取り組む楽しさに感謝が湧いてきます。環境は自分で選んでいる訳だし、青い空も移りゆく季節も誰にも平等だし、何事も自分次第、自分で選び自分の心に嘘をつかず、自分で決めてゆく。今の自分が心から幸せと思います。
前回10月20日のメッセージはこちら↓↓
非凡を願うのは凡庸だからだと。大切なのは「在る」ことを全うすること。1日の行為全てが人生の在り方だと。まさにその通りだとしみじみ思います。小さくても目立たなくてもきらりと光る本物でいたい。小手指のやり方よりも、隠してもその光が障子から漏れ出てしまうようなさり気なさでいたい。爪先だって大きく見せても、ハリボテであれば、いつも不安です。目立とうとしなくても、自分が自分を1番認めて大切にして自分の中の神様を信じて、コツコツとやるべきことを積み上げていく。そんな風でありたいと思います。















