大きいほうは「27 天奏楽」


幸福はしばしば「退屈」な顔をしています。

平凡でとても普通です。

ちょうど昨日が終わって、今日が来て

今日が来たら、明日が来るように…。


そうなのですか?

明日は間違いなく来るのですか?


小さいほうは「30 弥勒菩薩」さま。


善も悪もなく 

全てが1つにつながって

生き生かされていることを伝えるために

降りてこられました。


個に見えても、実は全。 

時空を超え、つながり合って

世界は成り立っているのです。


誰かが何かを思惟するとき

世界もまた呼応するのですから

全肯定こそ賢者の道です。


2つ合わせると


劇的な「幸福」を求めて

幸福を取り逃しています。


それは「幸福」を

思考に当てはめているからです。


頭で考える幸福。定義付けられた幸福。

ドラマティックな幸福。


幸せが何かを知るまで幸せになれない。


それでは、きっと

いつまでたっても

見つけることはできないままです。


考えるよりも感じてください。


大いなるものの大いなる決意で

万物が生まれました。


すべてがあなたにつながっています。

幸福であってほしいと世界が望んでいます。


幸福になると決意をしてください。


今日は2枚とも「幸福」がテーマのようです。一人ひとりが幸福感で満たされていることが潜在意識で繋がって世界が平和になること。幸福と言うのは、絵に描いたようなカタチでなくても、毎日の何気ない日々の中でいつでも得られています。朝露が美しい、お水が美味しい、猫の肉球の柔らかさ、ホントに些細な事にふと心が和む瞬間の積み重ねが幸福感の土台を作るのかもしれません。劇的な幸福もたまにだったら素敵だけど、それはたまにだから刺激的なのであって、日々日々、誰にでも平等な日常的なものに幸福感を見つけられることこそ、本当に心が満たされることのように思います。