大きい方は「3 弥勒如来」さま。


この世に現れたのは

それぞれ理由があってのことです。


生まれるべくして生まれ

起こるべくして起こります。


そこに「自我」を

差し挟むことで、調和が崩れ

あなたの問題が生じるのです。


小さいほうは「7 水の菩薩」


水は

すべての記憶とつながっています。


あなたの人生は

決して平坦ではなかったでしょう。


しかし


苦しみの中から、芽生えた、慈悲の心が

他者の痛みを我が身とする

崇高な意識をあなたにもたらせました。


既にあなたは

観音の力を得て、人を癒し助けています。


2つ合わせると


闇を嫌っても、

壊したり、取り除いたり、

追い払ったりすることはできませんね。


けれども


光を当てた瞬間

闇はずおのずと消えていきます。


そうだったのかと

腑に落ちると言う光です。


あなたは

光を灯すだけで良いのです。


観ているだけです。

観ている私を、観ている私。


私はいつも合わせ鏡の中にいます。


闇から抜ける方法は、たった一つ、ひかりを灯すこと。なるほどなぁと納得します。嫌っても、払っても、もがくほど、怖がるほど、抜けられないけれど、パッと灯りを点けた瞬間に綺麗さっぱり無くなるのです。「不安と恐怖」は「愛と感謝」と同居出来ないとは、こういう事なのですね。闇と同調せず、光と同調するには「自分を大切にする」、これに尽きる気がします。大切にする事は「甘やかす」こととは違います。自分の中の神様に正直に真っ直ぐに、取り繕わず「ありのまま」の自分でいる。そうやって自分が自分を好きになると内側から光っていくようになるのかもしれません。一人一人皆んなそうなって、光が大きくなって、闇が自然と消えていったら素敵ですね。


大きい方は「15 阿弥陀如来」さま。


あなたは小さな1つでありつつ

全体を確かに作っています。


1つの掛けもない

完璧な世界を構成している

自分と言う存在の偉大さを感じてください。


小さいほうは「28 不動明王」さま。


不動心とは

ありのままを正しく感じる心です。


泥の中から真理を見出すために

妄想を断ち切る心です。


道にさまよい、道に外れて

道に誤ったとしても


救いの手は差し伸べられます。

光は闇に届き

あなたは、

見守られていたことを知らされるのです。


2つ合わせると


何ができるか?

何を持っているかが

社会的な価値となっていますが


本当に、大きな価値要素

すなわち、最も重要なのは


being =「在る」です。


何をしたか(行動)、何を持っているか(所有)

よりも、

丸ごとの人間性!


「在る」と言う絶対的な価値!


怒り。それは正当な感情です。

無理に押し殺す必要はありません。


怒りが何に変容するか

それを見届けてください。


理解に変わるまで見届けてください。


怒りのままでは不自由になります。


みんな正しくないから争いが起こるのです。確かにそうかもしれません。それぞれに正義があって、それが違うだけなのかもしれません。自分は間違っていないと「自分の正義」を振りかざして認めてもらえない時は、自分自身が疲弊して怒りが込み上げます。そんな時はわかってもらおうと思わない方が、自分が楽。そんな考え方もあるんだぁと思っていればそれでいい。相手がどうしてもそれを押し付けてくるなら、なんとか距離を置く工夫をする。「怒り」の荒い波動に巻き込まれて、自分自身もイライラしないしないように、自分の波動を上げる方法を幾つか解っていると楽かもしれません。窓を開けて空気を入れ替える、シャワーを頭から浴びる、顔を洗う、好きな香りを嗅いで瞑想する、オルゴールなどの優しい音楽を聴く、自然の中にいく、などなど。そして意外に効果的なのは、肩をぱっぱっと払うこと。ラジオの周波数と同じで、自分の波動が高くなれば、低い波動とは共振しなくなるので、何よりも誰よりも、自分が自分を大切にして「自分の波動をあげること」を一人一人が心掛けられると良いのかもしれませんね。




大きいほうは「14 波紋」」


結果に一喜一憂するよりも

行為そのものを楽しむ生き方の方が

喜びに包まれます。


童心に帰れば

無心さ=実在だと再発見できるでしょう。


幸せでいるとき

時間は消えていきます。


喜びで溢れている時

外の雑音は聞こえてきません。


時間に追われ、外の世界に惑わされるのは

フラフラとさまよっている心です。

「心を亡くす」


小さいほうは「17 花音」


あなたはいつも祝福されています。

幼子のように愛されています。


そのままで、ありのままで。

あなたらしくあれば、それだけで。


2つ合わせると


こどもだった頃の

得意技を思い出してください。


なんであれ

無心になって、全身全霊を傾ければ


工夫が生まれたり、心地よい汗をかいたり

そのうち楽しくなるものです。


くよくよしても始まりません。


やるなら楽しむ。


それが、心の余裕となれば

不思議とうまくいくものですね。


内なる子どもがあなたを導きます。


「私が」「私も」「私だって」「私なら」

そう言わずに1日を過ごしてみるのはどうでしょう。

我を放つのは至難ですが

言葉を絶つのは容易です。


大丈夫。

誰もあなたを忘れはしません。


いつも許され祝福されているのですから。


忙しいという字は「心を亡くす」と書きます。追われている時は確かに心ここに在らずになりますね。そして、トラブルというのは大抵そんな時に起きます。スケジュールをこなすのに「必死」になっているのですから、必ず死ぬのです。こうやって改めて書いてみると、めっちゃ怖いですね😳必死というのは地に足が着いておらず、あたまと心がただ、せわしなくイライラして「やらなければ!」に支配されて魂の声はまるで聞こえていない状態なのかもしれません。そんな時こそ、1分でいいので「静寂」を作ります。眼を閉じて深く深呼吸する、周りの雑念と繋がらないように自分の中を見つめる。たった1分でも、荒々しい波動から遮断されるだけで、ずいぶんと落ち着きます。出来たら「お香」のような「好きな香り」があるとさらに効果的なようです。「お香」は舞い上がった氣を鎮める効果があり、「アロマ」は落ち込んだ気分を高める効果があるようなので、その時々で使い分けて、自分が心地良くなれる香りを見つけておくと「中心」に戻ってきたきやすくなる様に思います。




大きいほうは「24 不動明王」さま。


自分こそが正しいと思っているから

腹立たしいのです。


みんな正しくないから

争いが起こるのではありませんか?


誰の正しいでもない答えを

見出さなければならないのです。


相反する2つのものであっても

まずは認める。


そこから

様々な価値観を良しとする

鷹揚さが生まれます。


小さいほうは「7 水の菩薩」


水はすべての記憶とつながっています。


あなたの人生は

決して平坦ではなかったでしょう。


しかし

苦しみの中から、芽生えた慈悲の心が


他者の痛みを我が身とする

崇高な意識をあなたにもたらせました。


既にあなたは

観音の力を得て

人を癒し、助けています。


2つ合わせると


あらゆるものが、全てと一体である時

正反対と言う概念など、意味をなし得ません。


多様であるから、世界は美しい。

豊かさとは多様であることに他なりません。


互いに許し合い、支え合って

世界は成り立っているのです。


自分で作った自分の殻。


観て見ているだけです。

観て見ている。私を観ている私。


私はいつも合わせ鏡の中にいます。

それは、希望や絶望と無縁でありながら

希望にも絶望にも似ています。


観るとはそういうことです。


言葉で理解しようとする事は、頭を使っています。本当は言葉は要らなくて、魂がキャッチするのだと思います。だから、みんなが自分で作った硬い殻を外していけば、自然とそれができるようになります。自分で自分の1番味方になって、内神さまを大切にしていれば、外側に起きた事柄に、振り回されることも、巻き込まれることもきっとなくなることなのでしょう。でも、それって本当に難しいことですね。どうしたらいいのかなぁと思う。観ているだけ。観ているだけで癒される。観ているだけですーっと疲れが抜けて癒やしが起こり、自然と涙が溢れて浄化されるような、そしてふくふくとした幸福感に満たされるような誰もがそんなふうになれたらいいなと思います。




大きいほうは「6  花吹雪」


社会によって、パターン化された人生を

何の疑いも抱かずに歩いて行く人もいます.


魂の求めに素直になれば

おのずと葛藤が生じます。


その葛藤があって、初めて

真に豊かな人生を歩めるとも言えるでしょう。


小さいほうは「23 普賢菩薩」さま。


今、まさに

紐解かれている聖典には

あなたのすべてのことが記されています。


苦難と迷いに際しても

向かうべき真理の道は

あなたの中に書き尽くされているのです。


そっと目を閉じ、読み取ってください。


2つ合わせると


楽になりたいがための

迎合や同調はもうやめましょう。


でも、人は

1人では生きてはいけません。


見えるもの、見えないものと

支えあってこそ生きていけるのです。


だから

互いが支えになる生き方を創造していく

そのための葛藤でもあります。


あなたの存在は

既に多くの支えになっています。


あなたに「ありがとう」!


思い出してください。約束したことを。

既にそれは宇宙に記されています。


果たせても、果たせなくても

思い出してください。


それがあなたの生きる力となります。


諦めて迎合していくのはもう辞めなさいと。この経験も全て自らが選んできたことだと思い出しなさいと。魂の成長のための通り道だと気づけば、全てが愛おしく、有り難く「何に気づけば良いか?」と意識できるようになり、まるでゲームのクリアのように、一つ一つそのチャレンジが楽しくなります。起きること、全てを楽しみなさいということですね。ゲームであれば、困難は次に進むための楽しみでもあります。そう思うと難しいほどに楽しいのかもしれません。





大きい方は「22 水月観音」さま。


水辺にて

光明を得た人がいたという。


逆らわず共にあり、

流されてあるままに


一瞬のうちにも、永遠を垣間みれば

予兆のない突然の覚醒


苦しみは役目を終えました。


小さいほうは「21 守護」


あなたはいつ何時でも

守られています。


あなたと言う1人の存在の出現のために

宇宙は途方もない年月、

孤独に耐えてきたのかもしれません。


膨大な歴史を刻んだすべてのものが

あなたを支えてくれています。


怖がる事はありません。

生きていく、それだけでいいのです。


2つ合わせると


同じ環境にあって

幸福な人と不幸な人がいます。


この世は、天国だと思う人もいれば

この世を地獄だと思う人もいます。


同じところに生きながら

視点が変わると

これほど違う人生を歩むことになります。


ポジティブやネガティブと言われるものは

視点のズレから起きるものです。


あなたを窮屈に縛っている原因は

自分の思い癖の場合があります。


好き嫌い、良い悪い、と、

まるばつでジャッジしてきた思考パターンが

見えない殻を作り上げました。


喜びに生きなさい。

視点のズレを意識すれば

からは、内側から破ることができます。


過ぎ去りし時は、遥か遥か。

遠く遠くを眺めると、手を合わせたくなります。


ここにたどり着くまでに

起きた奇跡の数々に。


人間の一生で

どれだけの罪を、どれだけの善行を

成し得ようかと思い至って、雲が晴れる一時。


さぁ

心機一転、生きていきましょう。


水辺にて突然の覚醒。まさに、宮古島には、そんな力があるように思います。海や水だけでなく、空も星も綺麗です。視点が変われば、人生が変わる。ラジオの周波数のように、今までよく聞こえていた局が、ノイズになって聞こえなくなり、それまで、聞こえなかった局が、突然、ぴたっと合って聞こえ出す。そうだったのか!という気付き。どうして嫌なことばかり起こるのか?実はそれは自分の周波数だった。心配や不安や執着が内側にあるからそれが聞こえてくる。良い汗をたっぷりかいて、内側を出し切る。スッキリさっぱり、デトックスしたら、良い食べ物を少しだけ、バランスよく食べる。「スッキリ感覚」というのを自分で実感するとそれがズレた時にも気がつけて、軌道修正もしやすくなる。兎にも角にも、自分の内側を自分でよく見ることに他ならない気がします。







大きいほうは「25 薬師瑠璃光如来」さま。


生と死を、

別々のものだと切り離していると

いつまでも恐怖心は拭えません。


生と死を和解させることです。


この世に生まれた時から

生は死に手を引かれているのです。


この「生」を

ひたむきに生きることが死との和解です。


小さいほうは「15 雨あがる」


上がらない雨は無い。

晴れ渡る日の前の出来事。


それがわかれば、雨もまた恵みとなり

雨音は優しい奏に変わります。


何一つ過不足はなく

心はいつも満ち足りています。


2つ合わせると


この世に、悔いを残さなければ

死に引き裂かれる事はありません。


鍵は

今をどう生きるかです。


他人に煩わされることなく

あなたが望むように生きれば良いのです。


死の正体を見極め、諦めなさい。

明(あき)らめる、のです。


道のあることを知っているから迷います。

道のあることを知らないものは

迷うこともありません。


道を求めています。

道があることを知っています。


迷い迷い、歩いていいのです。

道ができます。

雨は上がります。


「死」は特に怖がることではありませんよ。生まれる時に約束して来ていることだから、抗わずに受け入れれば楽になるのだと。必要以上に執着したり、心配するから余計に不安が増大するのだと。自分責めや罪悪感を手離して「今ある自分」をまんまに受け入れてみましょう。新しい道を探すのではなく、作っていくのですよと。そうは言われても、わかっているけど出来ないのが人間で、さも出来ているかのように言われると癪に障るのが人間。でも、そうだなぁと思うしかなく、自分を救えるのは自分しかいないんだなぁとしみじみ思います。直観や第六感は誰にでも備わっているもので、誰も特別ではなく信じていないから蓋をしているだけで、信じようと思った時から蓋が開いていくみたいです。例えていうなら、ビルのたくさんの窓。明かりが点いてる窓とついて無い窓がある。その灯りがパチパチと灯っていくようなものだと習いました。誰もが皆んな本来持っているものをただ開花していけば、心安らかに皆んなが穏やかに調和していく。潜在意識の底では、皆んながひとつに繋がっているので、必要以上に不安や心配をもつとそれが繋がって増大するので、だからと言って目を背けて向き合わずに、やたら前向きなふりをするのではなく、情報を精査して

腰を据えて、肝を据えて「イマココ」の自分を信じる。美しい波動と共振すると不安がスーッと消えていくみたいです😊💖🌎🙏✨


今、これを読んで下さっている皆さまも一緒に安らげて消えていたビルの明かりが1つでも灯りますように🙏💖🌎✨心を込めてお祈りをしました。


もし、何かザワザワする時は

下の動画を観てみて下さい🙏✨

少しでも、心が穏やかになれたら嬉しいです✨










大きいほうは「2 蓮華印」


蓮華の中心を「ハチス」といいます。


宇宙の中心であり、

現象の世界は、そこから八方に広がって

展開していきます。


ハチスは「今」という一点です。


ここに

過去も未来も集約されます。


小さい方は「23 普賢菩薩」さま。


今まさに

紐解かれている聖典には

あなたの全てのことが記されています。


苦難と迷いに際しても

向かうべき真理の道は

あなたの中に書き尽くされているのです。


そっと目を閉じ、読み取ってください。


2つ合わせると


あなたは今「ハチス」に座っています。


過去をここに繋ぎ、未来をここから

見渡す位置にいます。


あなたは「いま」にいます。


過去や未来にいくのは

さまよう心。


今には時がなく

今は失うものを持ちません。


思い出して下さい、約束したことを。

それはすでに

宇宙に記されています。


果たせても果たせなくても

それがあなたの生きる力になります。


「どっちでもいい」執着しない。もう決まっていることだから。どっちになったとしても、それが決めて約束してきたことだから。そこに自分の強い執着があると不安や心配が生まれて、葛藤が生じ苦しみが生まれるのかもしれません。全てを天に委ねるって簡単なことではありませんが、本当の安らぎは「一切の執着を手放す」ことで得られるのかもしれません。考えてもキリがない事は考えない。けれども、そこから逃げるのではなくて「何故、考えてしまうのだろう」ということを見つめ直してみる。自分の判断にコントロールやエゴはないか?他人軸になっていないか?過去への執着や未来への不安で、イマココを忘れていないか?今まで物事を判断していた視点ではない視点から見てみるとハッと目が醒める瞬間が来るのかもしれません。


大きいほうは「竜宮の宝」


この世界は

自分が「思う」ということで描かれています。


振りかかる現象とは

自分の意識や心を投影したものに他なりません。


それが「意のまま」ということです。


小さい方は「17 花音」


あなたはいつも祝福されています。

幼子のように愛されています。


そのままで、ありのままで。

あなたらしくあれば、それだけで。


2つ合わせると


あなたの抱えているものも

あなたの心が作り出したものですから


あなたが自在に変えることができます。


あなたは人生の主です。

同時に、意のままに

世界を描けるアーティストでもあります。


人生を創造しなさい。

そのために、宝は

私たちの手に与えられているのです。


「私が」「私も」「私だって「私なら」

そう言わずに1日を過ごしてみるのはどうでしょう。

「我」を放つのは至難ですが

言葉を断つのは容易です。


大丈夫。誰もあなたを忘れてはいません。

いつも許され、祝福されているのですから。


あなたはそのまんまで愛されていますよ。何も心配しなくても、とても大切な存在です。それが解っていたら、我をはったり、自分をアピールしなくても、皆んな一人一人誰もがそうであることを認められるので、穏やかでいられますね。自分の想念が現実を創るから、いつも心の中で「負けたくない」と思っていると、周りにも知らずにそんなモードを醸し出してしまって、なんだか戦闘体制な空気感が出来上がってしまったりします。皆んな違って皆んな良い。違うから楽しい。そんな風に柔軟になれたら良いなぁと思います。


大きいほうは「5 竜宮の門」


可能性を「成功」や「夢」と

結びつけていませんか?


それは

結果重視の、

いわば競争社会の価値観による考え方です。


結果を求めることなく

今何ができるかと考える。


それもまた「可能性」です。


小さい方は「18 花心」


あなたの中に宿る

子供の心を失わないでください。


その子があなたを天上へと導きます。


魂は、老いることを知らず

知恵もまた老いることを知らず。



邪気のない心でしか

通れない道があります。


2つ合わせると


世の中は、お金を得たり

自尊心を満足させるものばかりが

重要視されています。


「富」とは

本当にそういうもののことを言うのでしょうか。


もっともっと

心に豊かになるものを求めて

今できることに向かって行動してください。


扉は開かれています。

とてつもない富が目の前に。


観察と想像と。

とても簡単な子供の頃のやり方に

知恵の実がいっぱいなっています。


知恵を知恵と、思わぬ楽しさが

無邪気な心が知恵の素敵なあり方です。


思い煩ったら

あなたの中の子供に聞いてみてください。

些細なことが原因のはず。


エゴを外して純粋で無邪気な子供の心に戻れば、それによって目の前の扉は開き、本当の富は目の前だと。富と言うのは、お金を得たり、自尊心を満足させることではないと気づきなさいと。何度でも同じ災難が襲ってくるとか、いつも同じ結果になるとかいう場合は「気づきなさい」の合図のようです。知らないうちに握りしめている執着や、人に対する羨ましさがひっくり返った妬みや嫉み。それらは全て「自信の無さ」から生まれるようです。自分にはそれがない、絶対無理という思い。自信がないというのは、「自分を信じていない」ことに他なりません。どうにも羨ましい思いがあるとするなら、それは自分の中にあるということなので、そのことに素直にさえなれば、それが現実化すると言うことです。間違った負けん気で無理に向き合っていないから、無意識に遠ざけてしまっているようです。それを手放して「認める」という素直さで思い通りの現実を楽しめるようになりたいと思います。