大きい方は「15 阿弥陀如来」さま。


あなたは小さな1つでありつつ

全体を確かに作っています。


1つの掛けもない

完璧な世界を構成している

自分と言う存在の偉大さを感じてください。


小さいほうは「28 不動明王」さま。


不動心とは

ありのままを正しく感じる心です。


泥の中から真理を見出すために

妄想を断ち切る心です。


道にさまよい、道に外れて

道に誤ったとしても


救いの手は差し伸べられます。

光は闇に届き

あなたは、

見守られていたことを知らされるのです。


2つ合わせると


何ができるか?

何を持っているかが

社会的な価値となっていますが


本当に、大きな価値要素

すなわち、最も重要なのは


being =「在る」です。


何をしたか(行動)、何を持っているか(所有)

よりも、

丸ごとの人間性!


「在る」と言う絶対的な価値!


怒り。それは正当な感情です。

無理に押し殺す必要はありません。


怒りが何に変容するか

それを見届けてください。


理解に変わるまで見届けてください。


怒りのままでは不自由になります。


みんな正しくないから争いが起こるのです。確かにそうかもしれません。それぞれに正義があって、それが違うだけなのかもしれません。自分は間違っていないと「自分の正義」を振りかざして認めてもらえない時は、自分自身が疲弊して怒りが込み上げます。そんな時はわかってもらおうと思わない方が、自分が楽。そんな考え方もあるんだぁと思っていればそれでいい。相手がどうしてもそれを押し付けてくるなら、なんとか距離を置く工夫をする。「怒り」の荒い波動に巻き込まれて、自分自身もイライラしないしないように、自分の波動を上げる方法を幾つか解っていると楽かもしれません。窓を開けて空気を入れ替える、シャワーを頭から浴びる、顔を洗う、好きな香りを嗅いで瞑想する、オルゴールなどの優しい音楽を聴く、自然の中にいく、などなど。そして意外に効果的なのは、肩をぱっぱっと払うこと。ラジオの周波数と同じで、自分の波動が高くなれば、低い波動とは共振しなくなるので、何よりも誰よりも、自分が自分を大切にして「自分の波動をあげること」を一人一人が心掛けられると良いのかもしれませんね。