大鐘 稔彦のブログ -2ページ目

その632

☆(前回の続き)

 飲まず食わずながら相変わらず嘔気嘔吐に 悩まされ、検査がないまま長い長い日が続いた 

 入院は二度目だ。一昨年の9月半ば、これまた青天の霹靂でここにご厄介になった。脳梗塞であった。幸い早い治療で改善、二泊三日で退院でき、一週間後には診療に戻れた。今度はそうはいかなさそうだ。長期戦、下手すれば復帰できないかもしれない、それこそ年貢の納め時かもと暗澹たる気持ちに閉ざされた。

 N先生は年末ぎりぎり切りまで毎日顔を見せてくださったが、朗報はただ一つ、放射線科の医師の診断では、「リンパ管種」ではないか、というものだった。医者になって60年、外科医として30年の私だが、聞いたことのない病名だ。N先生も私より10年若いくらいの超ベテランだが、やはり経験したことがないという。ネットで調べてみると、若い世代の病気で様々な症状を呈するが、悪性疾患ではなく良性で必ずしも手術は必要ないということだった。

 わずかな光が差した。嘔気嘔吐は本当に忌々しいが、唯一の救いは、腹痛が全くないことだ。それに、料理番組を見ると無性に食べたくなる、つまり食欲は十分あることだ。さらに言えば、癌の腫瘍マーカーはすべて正常で、例えば当初疑った、「リンパ腫」ならばIL2やLDHが高値をしめしてよいはずだ。実際私の患者さんで70代の女性は他何も異常はなかったが、LDHの高値で悪性腫瘍を疑い、やがてわきの下の大きな腫瘤が出現、「リンパ腫」と判明した。

 今一つ疑われるのはGIST(消化管間腫瘍)だが、これは実質性の硬い腫瘤で、私の腹の一物は多数の嚢胞からできており、GISTとは様相が違う。何にせよ、この腫瘍が食道下端から胃上部を圧排して嘔吐をもたらしているようだ。いずれにしても、強引に胃壁からはがすある、つまりは手術になるだろうと思われた。

☆もし手術となるなら執刀してもらいたい医者がいた。徳島大学の教授島田光生先生だ。先代の田代教授の時代から良く存じ上げており、ごく親しい隣人の転移性肝臓がん23個を摘出し、長年生かしていてくださる国手だ。島田先生に藁にも縋る思いで電話を掛ける。いつもの通り明るい声がかかったが、あいにく先生は春に退官され、市内の病院で地域医療に従事する身になっていると知り愕然とする。「だが心配いりませえ、僕の弟子たちに優秀な外科医がいますから頼んでおきますよ」と島田先生。そのあとすぐに斎藤と名乗る医師から電話が入り、「今入院しておられる病院の主治医の先生と連絡を取って手配させてもらいます」と明朗なコメント。すこし気が楽になった。

☆人生最悪の長い長い5日間が過ぎ、ようやく検査に回された。まずは胃カメラだ。地元のT先生にはわたしがしていると同じ経鼻内視鏡をしてもらって楽だったが、センターではその何倍も太いカメラを入れるという。さらには状況如何で、先端にエコーの付いたカメラをいれさせてもらいます、と。相当痛いと思うので麻酔で眠っていただいてしますね、とN先生。腰が引け、できることならやめて欲しいと思ったが、それが最後の検査になります、後者はその道のエキスパートで日本でも指折りの近畿大学の先生がたまたまたこられるのでぜ受けてください、先のカメラで全然食道から胃に入っていかないならやめることになると思いますが云々。こうなったらもう俎板の鯉だと観念した。

☆案ずるより産むがやすし、検査は二回とも知らぬ間に終わった。カメラは通過、エコーでの撮影もできたという。

 その結果は、やはり 腫瘍部分を占めているのは嚢胞で、多分内容は水か血液であろう、診断としてはやはり「リンパ管腫であろう」と

 不思議なことに、その直後から嘔吐発作が失せ、重湯を食べられるようになったのだ。カメラがブジールング(拡張)の役目を果たしてくれたのだろうか。いずれにしてもオペにはなるだろうと思い、予定通り大学病院に転院したのが一月7日だったか。移ってからも嘔吐はなく、三分がゆをいただけ点滴からも解放された。

 そして9日、島田先生の後継者とみなされる森根先生から、「この手の病気に造詣の深い小児外科のドクターの診断もリンパ管腫で、モノはおおきいのでぜんぶとろうとおもったら胃と脾臓それに膵臓の一部もとることになりかねないが、 悪性ないざ知らず、良性のようなのでこのままなにもせずようすをみたら、とのけつろんにいたりました、とのご託宣。その日の午後、連れ合いに迎えに来てもらった。

 三日たったが、依然として嘔吐はなく、全粥、パン食べれている。

ご心配いただいた諸兄姉に、 厚く厚く御礼申し上げます。

 

その631

☆希望に満ちた新年をとの思いは虚しくついえ去った。師走21日、その日は日曜日で朝から市の卓球大会が催されるので、8時半に家を出て試合会場に向かった。

異変が起きたのは昼食時だった。弁当のヒレカツを一口入れてかみ下した時、胸骨の真裏あたりに締め付けられるような痛みを憶えた。家での朝食時には何ともなかったのに。首をかしげながらさらにもう一口二口口にして飲み込んだが、まったく同様の痛みを覚え食事を中止した。

 食道が狭くなっている、と感じた。咄嗟に閃いたのは食道癌だ。自分でこれを調べる手立てはない。隣町のT先生に電話を入れた。すぐにいらしてくださいとの返事。車で20分。連れ合いの運転でT医院に向かいながら、(いよいよ年貢の納め時か?)との思いが脳裏に去来した。  

 その約2か月前、東京で開かれた高校の同期会に出席したが、再会を楽しみにしていた二人がドタキャンで欠席だという。どうしたのかと電話を入れると、家人が涙声で、夫に肺がんが見つかりまして、と一人が、もうひと方は、胸に急に水が溜まって呼吸困難で急遽入院になりまして、と、思いもかけない返事に一興。ついこの前まで手紙やメールで元気にやり取りしていたからだ。そんなふたりの青天の霹靂に自分も見舞われようとは、夢にも思わないことだった。

☆しかし、食道も胃も無事だった。但し、食道から胃にカメラを挿入するとき、何かの抵抗を感じました、多分外からの圧排ではないかと思います、とT先生。

 幸いにも淡路医療センターから例年のごとく研修医が来てくれており、彼に代診を頼み、点滴もしてもらってその日は帰った。

 地獄の苦しみを味わったのは翌々日だった。夕食も途中で胸の痛みを覚えて早々に投げ出し、夜10時に床に就いたが、その前から始まっていた嘔吐発作に数分おきに悩まされ、眠るどころではなかった。吐物に胃液らしきは混じっていない。食道の粘液と思われる無色の液体と唾液だ。5,6時間の間に100回は吐いただろう。まんじりともせぬ一夜が明け、這う這うの体で何とか診療所に赴くと、研修医のI君に淡路医療センターの消化器部長N先生に診察の予約を取ってくれるよう頼んだ。長年の知り合いで当院の患者さんも時折お世話になっている。快く午後3時の予約を取ってくれた。

 一通り話を聞いてくれた後、念のためCTをと言われた。1時間後結果を聞きに診察室に赴くとN先生の顔が曇っている。嫌な予感がした。画像に異変が見られた。胃と肝臓の間に径8センチの腫瘤が映し出されていた。帰るつもりが急きょ入院をと言われた。何も口にできないでしょうし、そのままでは弱る一方です、IVH(高カロリー輸液)をしましょう、と。頷くしかなかった。画像の異物が何であるかは分からないという。うちも明日からはお休みで、何も検査はできないので、ただ栄養を補って休んでいてもらうだけで申し訳ないのですが。(この稿続く)

 

 

その630

☆11月に入った。今年も余すところ2か月。

  2週間前の東京は千代田区の如水館で開かれた高校3年の同期会には、36名が出席、大概は関東地方からの参会者で、私が最も遠方からの出席者だった。ドタキャンで急に来れなくなった友人が2名いた。もっとも会いたかった人物だけに無念の思いだ。欠席の理由は二人とも期せずして肺がんによる急性憎悪だと知り愕然とした。。皮肉にもその一人M君から、帰島した翌日葉書が届いており、咳と微熱でやや体調がよろしくないが、貴君との再会を楽しみにしているから何とか出るつもりでいる、と書かれてあった。葉書を手にした時、彼は入院の身で酸素をあてがわれていたのだ。

 出席者は健康寿命を謳歌していたが、幹事からは、この手の同期会は今回をもって終わりにしたい、準備も大変で、気力、体力が追い付かなっている、ご了承願いたいとの締めの言葉があった。

してみれば多くの友人たちと一堂に会するのはこれが最後であろう。

☆私の高校は美術科一教室を含めて11クラスあり、一教室約50名、私は303のクラスで、出席者6名、2番目に多かった。女性は全校で一割ほどいたが、残念ながら303からの参会者は皆無であった。もっとも今会っても60余年前の顔は思い出せないだろう

 

美術科からの出席者はいなかったが、会いたいと思っていた人物がひとりいた。鎌倉に住んでいる平松礼二でなぜか2年上で84歳だが、元気で絵筆をふるっている。ハスで有名なモネを崇敬し、彼の絵を日本風にアレンジした作風を確立、テレビでも何度か紹介された。大型客船「飛鳥3」にも彼の絵が展示されているらしいから、ぜひ一度遊覧を兼ねて乗ってみたいと思っている、と彼には言ってある。

☆孫【次女の娘】に2年ぶりかに会ったが、その成長ぶりには驚くばかりだ。こちらに来たときはイングランドの丘で迷子になって大泣していたが、5歳の今は見違えるばかりだ。そろばんを習っていて、暗算が得意だという。一ケタの問題からいきなり3桁の数字の足し算を問題に出し、「きよみさん、こたえて。競争しよ」とやり出したのにはたじろいだ。足し算のみか二ケタ数字の掛け算の問題まで出して困惑させる。そもそもいい年のわたしのつれあいを「さん」づけで呼ぶことに二重の驚きだ。これまでⅠ、2度しか会っておらず、会話などおよそままならなかったのに。女の子の成長はかくも早いものか。とまれ若い息吹を与えてもらった。