大鐘 稔彦のブログ -2ページ目

その608

☆奇怪な夢を見た。昨夜は午前零時前に寝て目覚めたのは午前6時、珍しくそれまでトイレに起たずやれやれと思ったが、6時間では足らない、それに今日は診療に出なくてもよいので2度寝を決め込んで、再度目覚めたのが8時、その夢はこの2時間の間に見たものだ。

 私がかつて食道がんの手術をした人【女性】の葬式になぜか立ち寄ったのだ。もうずいぶん前に亡くなられた人だ。ところが、お参りしようと棺に近ずくと、なんと死んでいるはずのその人が上体を起こし、E?T のようにやせ細った手を私に差し出したのだ。思わず私も握り返すが、彼女は一言世話になったとかなんとかかすかに微笑んで言葉を放ったから驚いた。私の背後にいた人々にも彼女はそうして手を差し出し、一言二言何か口ずさんで別れの言葉を放っている。

☆目が覚めて何とも不思議な夢を見たものよと、しばらくボーとしていたが、ふと我に返ってこんなことを思った。棺桶に入るのは息を引き取ってからではなく、あと数時間でお終いというときに入り、家族はもとより知人友人に集まってもらったら、別れの言葉を吐いて死ねるのに、と。生前葬の新しい形になるのではないかと夢想した次第である。

 昼時、たまたま朝ドラの「虎に翼」を見ていたら、ヒロインともこの母親がいっとき預かって面倒を見ていた孤児やとも子と最後の言葉を交わすシーンが出て来た。そうだこんな風にしっかり言葉を残して死ねたら悔いはない、と思われたが、現実にはなかなかそうはいかないし、私の今朝方の夢も所詮は現実化しえないものだろう。

 とも子の母親の最後の言葉、「いろいろなことがあったけれどいい人生だった、悔いはないわ」は胸にしみた。果たして私はそんな風に言い残せるだろうか?しばし深く考えさせられた。

 

その607

☆長生きしていると思いもかけないことが起こる。2か月前、関東は茨城県に住む三浦さんという方から電話が入った。私より一つ上の年配の方だが、若々しい声で、一度お目にかかりたいとおっしゃる。5年前から、年に一度のペースで「孤高のメス」「緋色のメス」を読み返し、現在5回目を読み返しているという。両方合わせて全16巻ですが、と言うと、ええすべて読み返しています、一度読み終えて半年ほどたつとまた読み返したくなるのです、ついては、ぜひ一度作者にお会いしたくなり、出版元の幻冬舎に尋ねてそちらにおられることを知りました、ほんの20分ほどでもいいですからお目にかかれないでしょうか、と返され驚嘆した。特についでがあるというわけでもない、そんな遠くからはるばる来てくださるのは何とも恐縮至極でお断りしたかったが、是が非でもと仰る熱意に負けて、お会いすることにした。

☆お会いしてみてその若々しさに吃驚した。なんと、夜行のバスで来たという。眠れましたかと尋ねると、いやなかなか眠れませんでした、でも大丈夫ですとさりげない返事。小柄で頭は真っ白だが、血色のよい顔に疲れは見られない。何と、数年前までフルマラソンに参加、100キロ走にもチャレンジしていたそうな。足を大怪我してここ暫くは走れていませんが、と。仕事もホークリフトなどなどの機器メーカーに勤め定年後も嘱託で続け80歳までこなしていたというから驚きだ。診療所においてある「緋色のメス」完結篇に目を止め、これが出ているとは知りませんでしたと言ってさっそく購入してくださった。さては、しげしげと私を見て、先生は、「孤高のメス」の当麻鉄彦より、「緋色メス」の佐倉周平が分身なのじゃないかと思っていましたが、やはりそうでした、と仰ったのには(鋭いな!)と感心した。

 帰られて間もなく、「早速完結篇を拝読しましました。大変心に残る終わり方でした。ただし、佐倉先生のあまりにも早い死が残念で残念ででなりません。大鐘先生を死刑にしたいくらいですが,続編を書いていただくことで無罪に処しますがいかがでしょうか?」

どこまでも作者名利に尽きるお言葉だった。

☆昨年、関西大学社会学部の学生さんから、地域医療をテーマにドキュメンタリーを作成したい、ついては半年間、密着取材をさせていただきたいがどうでしょうか、と、これも思いがけない申し出を受けた。殊勝なことと快諾した。先日、完成しました、ユーチューブで「離島の命【あるいは医師】」といれクリックしてもらえば見れますのでご覧になってください、と連絡があった。

 15分ほどの短編だが、なかなか良くできていた。私が朝ぎりぎりに出勤するとか、大学を何とか卒業して、とか、舌足らず、弁明を要する勇み足な表現もあったが、まあ許容範囲とみなした。お暇な折ご覧いただけたら幸いです。

その606

☆一か月ぶりのブログになってしまった。書きかけの原稿の執筆に追われていたせいだ。締め切りがあるわけではないからのんびり書けばいいし、実際一日精々2枚程度しか書けないのだが、それでもまだ仕事を持っている身には結構タフな時間を過ごしてきた。

 何を書いているかといえば、若い日に心を揺さぶられた名画とその主演スターたちの思い出だ。無論記憶が薄れている。ストーリーの展開もどうであったか、おぼろげになっている。必然、もう一度見直すことから始めなければならない。最も記憶に残っているのはヒッチコック監督作品、ジェームス・ステュワート、キム・ノバック主演の「めまい」、多くの映画評論家が世界映画史上ベスト5に選んでいる作品で私も異存はないが。サスペンスだけに難解な点がある。今回改めて見直し、いくつか腑に落ちない点を見出した、これは絶対に書いておかねばと思ったものだ。

 映画は文学とともに多感な青春期の悩み、相克から幾度も救い出してくれた。八十路にしてしみじみと思いだし、今また新たな感慨に浸っている。来年には一冊の本にして皆さんにお目にかけたい。

☆麻生副総理が訪米し、こともあろうに目下裁判で法廷に出頭を強いられているトランプと会談した。なぜこんな差し出がましいことをするのか、岸田さんはこれを容認したのか、首をかしげざるを得ない。いや、魂胆は分かっている。トランプが万が一大統領選に勝った時に備えての布石であると。ついこの前岸田さんがバイデンと会談したばかりではないか。日本政府のこの日和見主義にはあきれる。中曽根元総理は「風見鶏」と揶揄されたが、岸田さんも麻生さんもその口で嘆かわしい。秋の大統領選を見据え、結果が出てから行動すればいいではないか。

☆自民党に鉄槌とまではいかないが、天罰が下った。3か所の補選ですべて立憲民主党に議席を奪われた。政治資金集めのパ^ティー問題が根深く響いているのだ。一国の梶取を担う国会議員が金銭問題で指弾を浴びることほど情けないことはない。公務にあずかるものは金銭に淡泊でなければならない。

☆ 人の命を預かる医療者もまた然りだ。だが、残念ながら経営本位の病医院が少なくない。必要とみなされない検査、通院を強いる医者がいる。前立腺がんでホルモン療法を受けている82歳の隣人がいるが、朝の散歩でたまに会うと、その愚痴を聞かされる。病状は落ち着いているから、私なら通院は精々3月に一度で可とするが、N病院の医者は毎月通わせ、そのたびにもう安定している腫瘍マーカーの検査をするというのだ。彼は運転免許を持っていないから70代後半の奥さんが送っていくのだが、毎回3時間待たされ、ようやく呼ばれたと思ったら、変わりのない検査結果を聞くだけで診療は1分で終わり、注射は半年に一度でいいからよしとして、検査や薬はもう阿那賀診療所でもらいたい、と訴えても、いや、私が診ます、と言って承知してくれないという。本当に3時間待ちには参っちゃいますと奥さんも嘆いている。

 この夫妻は私のところへ高血圧で毎月通っているから、ホルモン剤を出し、たまに検査をするのはやぶさかではない。N病院の過剰診療にはそのうちクレームを入れるつもりだ。

☆金の問題は政治や医療機関ばかりではない。

 私はゴルフ番組を週に一度は見るが、残念ながらコマーシャルが頻繁に出てくる民放でなければ見れない。よく出てくるコマーシャルにソニー損保のそれがある。ひところは役所広司がごますりもいいところの宣伝マンになっていた。以来、この俳優に嫌悪を覚え、彼が出てくるとトイレに立つことにしたものだ。

 10年前、隣人のMさんが、義理の娘だが彼女がこのたびソニー生命に入社したのでご挨拶したいと言っている、というので彼の家で娘さんに会ったのだが、挨拶もそこそこに彼女が切り出したのが、会社の新しい商品で、今好評を得ているものがあります、、よろしければ、という話だった。Mさん宅にはよくお邪魔し、彼が自宅で催すミニコンサートににも参加して馳走にも預かっているので断り切れず、その年金保険に入った。信用金庫に預けている金の金利はたかが知れていて畳貯金のようなものだからまあいいか、といった軽い気持ちだった。彼女の説明では、商品は12年据え置きで、満期時には105パーセントを返却するが、それまでにもボーナスが出ることもあるから楽しみにしてください、というものだった。しかし、待てど暮らせどボーナスらしきは一円たりとも出ない、しびれを切らしていい加減解約したい気になっても、送られてくる葉書を見ると、解約すれば50万ほどの損失になる。人気商品などというのは眉唾物だ、とんでもない悪徳商品だと気づいた。テレビに高いコマーシャル料を払うゆとりがあるなら、年に一度でも気の利いたものを贈ってくるべきではないか、とクレームを付けたが、申し訳ありません、の一点張り。不安になって、満期時には本当に105パーセント返ってくるんだろうね、と問いただすと、これがまた煮え切らない返事で、その時の状況によります、100パーセントは確かですが、と来た。それじゃー畳貯金と一緒じゃないか、詐欺も同然だよ、とこちらは声を荒立てる。しかし、相変わらず、申し訳ありませんの一点張りだ。そうこうするうちに10年が経ってしまい、気が付いたら八十路になっている。Mさんの娘は、当初は商品をよく売ったということで社内表彰を受けたそうだが、数年後に早々と退社してしまった。

☆生命保険会社も銀行も、いざとなればやくざに変貌する。

 かつて責を担った病院で、それを思い知った。バブル期に開院したが、ほどなくバブルがはじけ、病院のオーナーAは運資金に困窮した挙句、私に生命保険や銀行の定期預金を担保に金を借りてくれと迫ってきた。院長が手術中にや緊急で実印をお借りしなければならないこともあるから実印を預けておいてほしい、私はエホバ教徒でクリスチャンですか信用してほしい、いうAの言葉を信じたのが浅はかだった。知らぬ間に私は何億もの債務者になっていたのだ。日本生命や銀行から借りた金の金利は病院で支払いますから安心してください。とAは言ったが、その舌の根が乾かないない先にAは支払いを止めてしまった。その翌月から、生命保険と銀行から、やいのやいのの電話が私にかかるようになってきた。私には支払う義務などない、と返すと、あんたが借金の債務者だろう、払わなければ資産を差し押さえるだけだ、と、それこそやくざまがいの口調で怒鳴り散らす。

まさに生き地獄の日々だった。銀行も生保の人間も一皮むけばやくざとなることを思い知った。ソニー生命も分からない。皆さんはくれぐれも甘い言葉に誘われませんように!