大鐘 稔彦のブログ -4ページ目

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☆暑い。異常な暑さだ。夜もエアコンで27度に設定して眠るも寝不足がちで夜明け前に目覚めてしまう。今朝も、昨夜は11時に就寝したが目覚めたのは午前3時。完全に寝不足だ。ここで睡眠薬を使うかどうか悩む。今朝は服用せずにトイレの後布団に入ったが、僅か2時間で覚醒、眠れないので起きてしまった、夜は白々と明けている。

洗顔、ヤクルトでのどを潤し、やおら犬の散歩に出かける。5時半、こんな早い時間に二人(一組は夫婦だから正確には3人)の人に出会った。高齢の女性が連れているのはチワワで、なんと18歳だという、よちよち歩きで時々地面にへたばってしまう。5,6年先には私もわがペットもそうなってしまうのだろうか?

 帰ったらもう汗だくで、顔と上半身を洗い、着替えるが、それでもなかなか汗は引かない。

☆こんな状況だから卓球とゴルフはお休み、「夏はマリンスポーツ」とうそぶいて、毎夕近くの浜に出かけひと泳ぎするのが日課になっている。足が立たないところでも海は怖くない。これは、夏が大好き、バシー海峡で米軍の潜水艦に乗船中砲弾を食らい、一躍看板から海に身を投げ、洋上に漂うこと5,6時間、同僚が半ば力尽きて、母親の名を呼びながら海中に沈んでいったのに控え、間一髪救助船に救われた父の血を引いているからかもしれない。

 それにしても、こんな暑さは早く過ぎ去ってほしい。診療所に通う患者さんも大変だ。中には癌を抱え、入退院を繰り返している人もいる。拙著「死の淵で闘う人々」中癌治療を拒み続けた花さんも、いよいよ力尽きようとしている。歩くのもやっとなのに、先日、もう会えないと思いますと言って診療所に顔を見せてくれた。いささかも暗い影はない。潔い生きざまに感服するばかりだ。

 かと思うと、ほぼ同年の83歳、3年前には前立せんがん、一年前には、巨大な肝臓がんで余命半年と思われた隣人のYさんが、朝早く散歩の途次で会ってしっかり歩いているのを見て驚かされている。この人は四国の大学病院に紹介したが、抗がん剤で参ってしまい、治療効果も認められないので、点滴静注中による抗がん剤治療はやめて、私がかつて切除不能の肝臓がんに試みて効果のあったTAE(動脈塞栓術)をお考えいただけないかと主治医に相談、いや、自分たちもそう考えていたところですと快諾してくれ、これを施行したところ、肝臓がんは見事に縮小、腹水もたまり、パンパンであった腹が見事に引っ込んだ。癌は残っているが、Yさんは自宅で普通の生活を送っており、上気したように、早朝の散歩もしている。何とも喜ばしい。因みに前立せんがんはそのままだ。腫瘍マーカーPSAは3年前発見時は48だったが、今は53程度で大して増えていない。自覚症状も特にない、これも喜ばしい限り、こちらも励まされる。

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☆梅雨期に入った。昨日僅かに晴れ間を見たが、それもつかの間、今日は朝から雨だ。恒例の犬の散歩はおさぼりだが、朝7時半、レターパックをポストに投かんの途次、お隣の若夫婦が雨がっぱ姿で二匹のワンちゃんを散歩させているのに出会った。おもわず、「大変ですね」と声をかける。「えー本当に」と、和製オードリー・ヘップバーンまがいの美しい顔をしかめて見せるが、微笑みを交えたその顔もなかなかチャーミングだ。

☆ポストに投函したのは、脱稿して間もない「薬の話―その効能と副作用」だ。医療関係の本はもうこれが最後になるかもしれない。30年間外科の仕事に携わり、「切れば治る」との手術至上主義で、薬のことは専ら内科医に任せていたから、メスを置き一介の田舎医になったこの四半世紀は、薬の名前とその作用を覚え、かつはその副作用に気を配る日々だった。患者が何らかの副作用を訴えた場合はその都度ノートにとどめた。その数400件余に及んだので、一まとめしておこうと思い立った。しかし、こういう副作用がでたということは書けても、なぜそれがおきるのかは、かなり専門的な領域に入りむつかしい。お隣の調剤薬局の薬剤師さんが、某大学の薬理の教授まで務めた専門医だったことが幸いした。難解な薬理の話を幾度か尋ね教えを受けた。一般の患者さんがそこまで知る必要はないだろうと思いつつも、中には突っ込んで知りたいと思う人があるやもしれぬから、むつかしい話だが、極力書くように努めた。

☆あとは引き受けてくれる出版社待ちだが、ともかく書き終えてほっこりしてしまい、目下は無気力状態、次は何を書こうかとあがいている。さしずめ思い当たるのが、先ごろ上梓した自伝の後半で、待っているよと言ってくださる方もいるが、書き上げたとしても、生前には発表できないだろう。石原慎太郎ではないが、差しさわりのある人が息災である以上、世の中に出すのは自分の死後にしてくれと近しい人に言っておかなければならない。左様な原稿を自宅で書く気はなかなか起きない。受験生並みに図書館の隅っこ、人目につかぬところでこっそり書くのがいいかもしれない。その方が没頭できそうだ。暇を持て余すのもつらいから、昼食がてら、図書館に赴いて数時間を過ごそうかなと思っている。

☆「サライ」という曲をご存じだろうか?30年以上前に話題になり、紅白でも歌われた曲よと連れ合いに教えられたが、はて、音楽には無関心でなかった私が知らないとは、はてそのころ自分はなにをしていたのだろうかと考えた時、はたと思い逝った。ちょうど50歳のころで、生涯で最大の苦境に陥っていた時で、音楽どころではなかったのだ、と。

なぜその曲に思い至ったのかというと、先ごろ開かれた「故山口崇さんをしのぶ会」で、長年の友人のお一人が、最後に長い思い出を語り、崇さんは「サライ」を愛称していたから、最後の思い出にこれを皆さんで合唱していただきたい、と言われて、プリントした歌詞を出席者30人余りに配られたのだ。残念ながら私は、さるご婦人がご一緒に歌いましょ、と身を寄せてくださったが、ほとんどまともに歌えなっか。しかし、歌詞が気に入り、改めて連れ合いにユーチューブで聞かせてもらったところ、曲も断然気に言って、何度もリクエストした。作曲加山雄三、作詞谷村新司。二人が交互歌っているバージョンもある、歌詞をかみしめながらみなさんもぜひお聴きいただき、かつ歌っていただきたい。 

その64

☆前回は天才バイオリニストの妃鞠さんのことを書いたが、今回ご紹介したいのは、同じバイオリニストながら妃鞠さんとはかけ離れた年齢のケンジさんのことだ。いや、ケンジさんと高校の同期生森小百合さんのことだ。二人はその昔、音楽の趣味を通じて親しくなったらしい。彼女はピアノを弾いていた。音楽教室で二人は作曲に夢中になっていた。完成して喜び合った瞬間、目の前で閃光が走り、二人のからだは吹き飛ばされた。広島に原爆が落とされた瞬間である。けんじさんが気が付いたのは病院のベッド、となりに小百合さんの姿はなく、以後70年、彼女の消息は消え、自分は辛うじて助かったが、彼女はもう死んでしまったと思いこんでいた。ところへ、7年前、原爆で生き残った人々の団体から小百合さんは生存している、との知らせが入った。

 けんじさんは独身を通したが、小百合さんは結婚していた。しかし、奇跡の再会を遂げた時は彼女も独りだった。音楽への情熱と郷愁が二人を結びつけ、練習を再開、97歳になってその成果を発表した。

☆二人とも見事な白髪だったが、背筋はしゃんと伸び、美しいハーモニーを奏でた。高校生が作曲したとは思えない、何とも甘美で哀愁の困った調べだった。繰り返し聞いて飽きなかった。満員の観衆も涙し、演奏の最中幾度も拍手を送った。その様子に私も涙を誘われた。視聴者は一千万人を超え、「いいね」を押した人は20万人に上っている。うべなるかなである。

生きていればいつかいいことがある、人生はだから見捨てたモのじゃない、と思わせてくれる番組だった。

☆これを教えてくれ、連れ合いのスマホに動画を送ってくれたのは、小著「死の淵で闘う人たち」第4章に書いた「岳さん」だ。彼もまた、朝6時半、友人からその動画が送られてきて知り、即、私他友人7,8人に送ったという。持つべきものは感性を共にできる友である。

 因みに岳さんは、進行性胃癌で余命半年か、精々一年と宣告されながら、この5月で丸三年を経過して無事である。40キロまで落ちた重は51キロまで回復、卓球、ゴルフ、テニスもこなしている。

 副題≪奇跡の延命者≫の一人だ。