その623
☆ローマ法王が88歳で逝去した。前日までバチカン宮殿のバルコニーに出て部下の代読ではあるがメッセージを伝えていた。まさに大往生である。
米寿での逝去といえば、この地に来て以来親しく交友させていただいた邦楽家でその昔美男俳優として鳴らした山口崇さんもそうだ。
頭の良い人で、話術にたけ、達意な文章も書かれた。読書家でもあった。拙著をお送りすると、短期間に読破して感想を聞かせてくださった。ゴルフが趣味で、年に何回か、ゴルフバッグとともに帰省し、こちらの仲間とラウンドするのを楽しみにしておられた。私も2度ほどご一緒させてもらったことがある。真夏の炎天下も厭わず3日連続でラウンドしたとおっしゃり、その体力に感服、脱帽したものだ。
半年ほど前の帰省時、電話を下さったが、いつにないしわがれ声で驚いた。のどぼとけの横の反回神経麻痺だそうで、原因は肺がん、ステージ4と言われました、余命はと尋ねたら4,5カ月と言われたので、これが最後になると思い、お別れに来ました、と淡々として仰り二重の驚きだった。末期がんから奇跡的な延命、さては生還した患者さん数名の闘病を綴った近刊の拙著を携えてお宅に駆けつけ、諦めないでほしい、とりあえず、拙著の冒頭に書いた、胆管がんの末期と宣告されながら8年も生き永らえた高校の同期生の手術を手掛けてくれたドクターを紹介するから訪ねて行ってほしいと伝えた。帰京して数日後、山口さんの長男太郎氏から、ご紹介頂いた島津先生の計らいで慶応病院に入院できました、手術はできないから抗がん剤を始めるとのことです、との連絡を受けた。奇跡を祈っていたのだが、残念無念である
☆暗い話題が続く中で、最近明るい話題を得た。日本の音楽会に新星が生まれた。私が知らなかっただけで、もう5年ほど前にこの天才児の誕生は知る人ぞ知っていたようだ。
その少女の名は吉本妃鞠(ひまり)。バイオリニストだ。母親も祖母もバイオリニスト、父親は作曲家かというから、これはもうサラブレッドの血統だ。それにしても8歳でデビュー、今日13歳までに41のコンクールですべて優勝してきたというから驚く。現在はアメリカに住み、ジュリアード音楽院と並ぶ名門のカーチス音学院に学んでいるという。先ごろは世界でも屈指のベルリンフィルハーモニー楽団とバイオリンのソリストとして共演したそうな。バイオリニストとしてレジェンドと言われている故ハイフェッツを凌ぐとさえ言われているというからから驚く。
この天才少女のことを私が知ったのは連れ合いからだ。毎晩いろいろなコンサートにおける彼女の演奏をユーチューブで聴いている、あなたも一度聴いてみる、と言われ、半信半疑の思いでテレビに移された彼女の演奏を聞いたが、その何とも言えぬ甘美で情緒に満ちた音色、信じられない巧みな指使いに魅せられ、2時間余りは夢見心地で過ぎた。
生の演奏も聴きたいと思ったが、チケットは早々と完売で手に入らないという。いやはや、末恐ろしいタレントが現れたものだ。・
その622
☆昨秋に上梓なった半自伝「医学と文学の間」を何人かの旧友に送った。「半自伝」というのは半ばフィクション、半ばノンフィクションという意味ではない。自伝と言ってもこれまでの生涯全てをつくしものではなく、幼少期から青年期までのもので未完成だからである。
旧友の多くは高校までは一緒だったが、その後大学では別れて久しく会うことがなかった。50歳の時、中学卒業後35周年と言うことで、郷里名古屋の駅前のホテルで同窓会が催され、小著を送った何人かと再会し、ひとしきり懐かしさを覚えたものだが、その後手紙を交わすようになったのはほんの2,3人である。
☆今回小著を送ったのは、主に高校の同期生で、彼らの住所を知ったのは、高校の分厚い同窓会名簿によった。なしのつぶての人もあったが、大部分のクラスメートはしっかり返事を寄越してくれ、彼らのこれまでの歩みを克明に綴ってくれ、今でもつながっている人士がいる。晩年の何よりのすさびである。
高校のあった名古屋にとどまっている友人は少なく、各地に散らばっている。卒業の年の世話役をやってくれている名古屋大学出身のTさんが音頭取りをして、今年当初名古屋で同期会が開かれ、90名ほどが出席したとか。その席で卒業生600名のその後の消息が発表され、亡くなった者125名、行方不明者70余名とのことだった。行方不明者が全員亡くなっていたとしても三分の二は生存していることになる。長寿の時代だと思わせられた。
Tさんはこの秋、主に関東方面の同期生のためにまた集いを計画しているとか。いつも小著の紹介を同期生たちにしてくれている恩返しの意味もあって、何とか出席したいと思っている。
☆数日前、95歳になる近所のYさんを自宅で看取った。「しんどいですわ」と言いながら、5歳ほど下の奥さんともども外来に通ってきてくれていたが、一か月前には、もう歩けんと言ってます、、何かあったら往診を頼みます、と娘さんから連絡が入った。亡くなる二日前に、ベッドからずり落ちたまま動きません、何やらひとしきり昔のことをうわごとのようにぶつぶつ言っています、と連絡を受け往診した。意識はないが、血圧はまだしっかり保たれている。手首で脈が触れなくなったら臨終に近いので連絡くださいと言って帰った。その翌日Yさんは静かに息を引き取った。格別の病気はない、老衰としか書きようのない死であった。あやかりたいものだ。
その621
☆畏友で薬剤師の田浦さんから、いとこの息子が「小学校」というドキュメンタリー映画に教師役(と言っても本人自身教師である)で出ている、徳島の駅前の商店街にある映画館で上映中だからぜひ見に行ってやってほしいと言われ、日頃何かと世話になっている田浦さんのことだ、映画も久しぶりに見る機会を得たと思い、連れ合いとともに出かけた。アメリカのアカデミー賞のドキュメント部門にノミネートされたということだからそれなりの映画なのだろうと期待した向きもあった。
昨年末にクランクインしたというからほぼ3か月近く上映されていることになる。その映画館は50席ほどのミニシアターが二つあり、「小学校」の上映はせいぜいあと2、3日で終わり、一日一回の上映になっていた。観客は10人ほどだった。
映画の舞台は東京世田谷のある小学校。そこで1年をかけて撮影、プロの俳優は皆無だという.当初は筋書きがあるようで無いようで戸惑ったが、次第に子供たちの無邪気な所作に笑わされたり泣かされたり、田浦さんのいとこの息子ほか、熱血教師と子供たちとの触れ合いも胸に迫るものがあった
それにしても、この地域では子供の姿を見ることはめっきり少なくなったが、さすがに東京はおびただしい生徒数だ。卒業式で広い講堂いっぱいに満ち溢れる彼らをもて、少子化がと薬言われているが、日本の未来はまだまだ明るいものがあると思わせられた。
最寄りの映画館で見る機会があればぜひ足を運んでほしい。見損なった方もいずれビデオ化されるだろうから、購入してみていただけたらと思わせられる必見の映画であった。
☆当地に来て25年、一日60人を数える日も何日かあったが、人口減でここ数年は多くて40人の外来患者が一日か二日ある程度になっている。其れでも年に10人前後の癌患者が発見されている。そのペースは着任以来変わらないから、癌患者がいかに増えてきたかということだろう。今日まで200余名の癌患者を見出してきたが、中でも格別印象深い人たちの闘病記を今回上梓した。癌になったご本人はもとより、身近に癌で悩んでおられる方がいたら、ぜひお読みいただきたい。まずは癌にかからないことが何よりだが…
