大鐘 稔彦のブログ -3ページ目

その629

☆当地に起きた不祥事の後始末を負わされたのは結局ここを永住の地と定めた人たちだ。自主的に事の処理に当たらんとボランティアで世話役を買って出てくれている方たちは日夜大奮闘で

ある。多くの皆さんは高齢で、中には病魔と闘っている人もいる。頭の下がる思いだ。

 私の次女の連れ合いが千葉で弁護士をしており、彼にも相談したが、この種の問題は長期戦になる、破産管財人や行政と波風を立てず協力を求めることが大事、と助言してくれた。

 幸い住人の多くは良識ある人たちだ。自分たちの力で何とかこの難局を乗り切ろうとしている。

☆そうこうするうちに今年もはやあと3か月になった。万博の終わりも近づいているが、私はとうとう行かずじまいだ。花火が打ち挙げられた日、パソナの遊覧船に乗って会場近くまで行き、船上から花火の乱舞を見た限りだ。会場の明かりを遠く眺めながら。それはそれで夏のささやかな思い出になったのだが。

 「夏はマリーンスポーツに限る」と嘯いて、うだるような暑さの中での卓球はさぼり、もっぱら近くの浜へ毎夕出てひと泳ぎをするのが日課だったが、それも9月の下旬で打ち切った。慶野松原という景勝地近くに住んでいる友人は、長年の薬剤師業から解放されて毎日が日曜日の生活を謳歌し、万博にも再々行き、海へは午前中から出かけている。80歳で元気そのもの、一時は腰痛が激しく、椎間板ヘルニアと言われ島外での手術も覚悟したはずだが、いつの間にか自主トレで直してしまった。目鼻立ちが見定めがたいほど真っ黒に日焼けした顔で真夏の最中も卓球を続けていたというから恐れ入る。

 近近久々に上京の予定でいる。高校3年の同期会に出ようと思っている。皆八十路を超えて2,3年、健康寿命を保っている者30名程が出席予定だという。関東在住者が主だ。前回地元名古屋で開催されたときは90名程が集まったようだが。因みに高校3年時の生徒数は約600名だった。

その628

☆「青天の霹靂」のとは落雷のことだが、我が家の犬は雷が鬼門である。これまでに雷で二度庭の塀を乗り越えて逐電し、丸一昼夜帰ってこなかったことがある。先日も、昼間帰宅して呼んだが姿を見せないので、逐電したと知った。塀は横板を補足して高くしたからまさか乗り越えまいと思ったが、【火事場の馬鹿力で】乗り越えたのだろう。

前夜の雷鳴が気になっていたのだが・・・・・。

 例のごとく、警察署、役場の環境課、さては犬猫愛護団体に通知する。我が家の犬をかわいがってくれていたお隣の若奥さんは、車を駆ってそこらじゅうを半日近くかけて探し回ってくれた。

 今回は丸二日帰ってこなかったから半ば諦めかけたが、翌々日の早朝、「ピンポーン」と鳴って、眠気眼のままドアを開けると、なんとわが愛犬をリードにつけて隣の奥さんが立っていた。彼女とは拙宅を挟んでお隣のご主人が、出勤時、自宅の屋根にいる彼女【犬のこと】を見つけ、たまたま飼い犬と散歩中だった若奥さんにリードを持ってきてくれるように言って無事保護してくれたという。感謝感激の一コマであった。

☆しかし、新たな青天の霹靂が起こった。拙宅ほか約250軒の管理会社が、突然破産宣告をしてしまったのだ。軽井沢での事業や、当地でもおよそ買い手の付きそうにないシェア―ハウスを建てたりで採算ベースが落ち込んだようだ。4月には安くない管理費を払ったばかりだが、これも宙に浮いてしまい、9月中に再度同額を集める顛末になっている。しかし肝心の住民名簿も差し押さえられており、永住者は5,60名で、他は大阪や京都その他に本宅があってこちらへ来るのは月に一二度だから本宅の住所を調べようがなく、公平に全員から管理費を徴収するのは容易ではない。急きょ管理組合を設立、代表者数名が日夜ことにあったってくれているが、前途多難である。

 私は市に掛け合って援助を頼むことくらいしかできない。もどかしい限りだ・

 

その627

☆「薬の話―その効能と副作用」を書き上げて久しくたつ。出版社からは一か月待って欲しいとの返事だったが、その一か月もそろそろ経とうとしている。この間手持無沙汰で時間を持て余している。「淡路島文学」の次の締め切りが今年の末と聞いて、さて何を書こうと思案していたが、ふと思いついたのが、某季刊誌に連載している「私を魅了した銀幕のスターたち」の続編だった。某季刊誌には「洋画編」と銘打って、昔見た洋画のヒーロー、ヒロインしか書いていない。「淡路島文学」には「邦画篇」を書こうと思い立ったのだ。

☆きっかけがある。小学校から高校までを共にし、今年になって手紙をやり取りするようになったM君が、季刊誌を送った返事に、自分の思い出の作品に邦画だが「忍ぶ川」がある、主演の栗原小巻の美しさが忘れられない、とあったことだ。小栗監督の「泥の河」は見たが「忍ぶ川」は見ていない。M君の心をそこまで捕らえた作品ならぜひ見てみたいと思い、さっそくDVD を取り寄せた。共演は私も好きな加藤剛、監督は熊井啓と知った。昭和47年度日本映画ベストワン、とあった。

 いい映画だった。純愛を続けた二人の初夜、栗原小巻がきれいな乳房を見せる。M君の胸もさぞやこのシーンにときめいたに相違ない。。

☆洋画ほどではないが、邦画も京都の祇園会館あたりでちょくちょく見た。もっとも印象に残っているのは、野村芳太郎監督、加藤剛主演の「砂の器」だ。感動のあまり、野村監督に手紙を書いた覚えがある。何と、監督から丁重な礼状が届いたのには驚き感動した。同監督のその後の「鬼畜」も秀作だった。映画界に入りたいと思っていた私は、彼に弟子入りしたいとさえ念じたほどだ。

 因みに「砂の器」で涙を誘われたのは、その哀愁を帯びた音楽だ。こちらは、かの薄命の作家芥川龍之介の才能溢れる三人の息子の一人で作曲家の也寸志の手になるものだ。映画が原作を凌ぐことは滅多にないが、この作品ばかりは原作に勝ったと言えるだろう。原作者は今もなお作品のいくつかがドラマ化される松本清張だ。原作は大変な長編だが、私は映画を見た後これを読破した。しかし、一か所だが、推理小説家にしては安易なご都合主義的で作品の妙味を汚す件があり、つまずいた。映画では感じなかったものだ。

とまれ、「邦画篇」を書くことに思い至り、手持無沙汰が解消されそうだ、「夜の河」の山本富士子、「帰郷」の小暮美千代が、当面脳裏に浮かんでいる。後者は胡人だが、前者は91歳で存命のようだ。DVDを改めて取り寄せなければならない。