大鐘 稔彦のブログ
淡路島の診療所からお送りいたします。
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その555

☆「昔取った杵柄」と言うはおこがましいが、この日頃、実に半世紀ぶりに将棋と囲碁を楽しんでいる。卓球仲間に好敵手を見つけ、ほぼ隔週に一度拙宅に来てもらって対戦している。その一人Iさんは、愛用のタブレットでAI相手に将棋を楽しんでいる。レベルは様々で、Iさんはもっぱら三級のAIを相手にし、すでに100局くらいこなし、6分4分で勝っているとのこと、2級にはなかなか勝てないという。Iさんといい勝負の私もその程度だろう。

☆実戦はここしばらく前からだが、将棋はプロの対戦をNHK日曜午前の「将棋トーナメント」という番組で数年来楽しんでいた。かつては大山、升田、中原が三強で凌ぎを削っていたが、ここ20年ほどは断然羽生善治だ。しかし、その羽生も天命を知る齢に及んで翳りが見えてきた。台頭してきたのは豊島、藤井らの若手である。中でも将来羽生二世になると期待されているのが藤井聡太で、まだあどけない中学生と思ったのがみるみる頭角を現し、羽生ら高段者を次々と破り、師匠の杉本隆八段をも凌ぐ勢いだ。

 彼はまだ高校生である。名古屋の名門、名古屋大学付属高校に学んでいるという点でも、名古屋出身の私としては親近感を覚えている。意表をつく手で逆転をやってのける彼の将棋は実に魅力的で目を離せない。NHKトーナメントではそろそろ彼の出番で待ち遠しい。

☆将棋に続いて囲碁トーナメントが放送される。碁は難しいから敬遠していたが、ここ数か月前からこれも見だしている。碁盤は将棋盤と違って広いから次の一手を読みにくいが、予想した通りの手をプロが打ってくれた時はしてやったりの思いである。

 囲碁の方は残念ながら好敵手という相手はいない。「淡路島文学」の同人仲間で、近くの公民館で週に一度卓球を交えてもいるOさんなるほぼ同年配の御仁がいる。碁は初段の腕前というので四目置かせてもらってお相手願ったが、歯が立たなかった。それでも二番のうち一番は肉薄したから、私の囲碁の腕前は五級程度だろう。

☆九〇歳に喃々とする患者さんがいた。Oさんというこの老人は、外来に現れるれるたびに、「えらくてしょうがない。どうぞして楽に死ねる方法はないかと、毎日考えている。自分で首をくくる勇気はないし」とひとしきり愚痴っていく。「こんなことばっかり言うんですよ」と付き添ってくる老老介護の妻は、うんざりへっちゃりの顔。

「でも頭はしっかりしているよね」と返すと、「そうなんです。何のかの言いながら、碁会にだけはバイクでいそいそと出かけるんですよ」と奥さん。Oさんの年なら大抵の老人はボケが始まっている。それを防いでいるのは囲碁で頭を使っているからだ。

 将棋もしかり、ぼけ防止にぜひとお勧めしたい。

 

その554

☆晴れ晴れとした気分で10月9日の朝を迎えた。8日の夜、ノーベル文学賞の発表があり、村上春樹が選に漏れたからだ。まさかのマサカデ彼が受賞するようなことがあったら、ショックでブログどころではなかったからだ。

 前回よりだいぶ間が空いてしまったが、10月8日を過ぎなければ何も手に着かない心境であった。

 3年前、ノーベル賞選考委員会あて、村上春樹などは受賞の対象外においてほしい、なぜなら、彼の作品は文学にあらず、小手先のおとぎ話に過ぎないからで、同意見は心ある幾多の識者が等しく感じていることである云々云々の英文の手紙を送ったことは以前に書いたが、今年も改めて前回の手紙と、私と同意見である文人の批評分を、友人のアメリカ人に英訳してもらって委員会あて送った。と、いうのも、選考委員の顔ぶれが内部の不祥事で変わったことが伝えられていたからである。私の訴えが何ほどの効果があったかはわからない。そんなことをしなくても、文学の何かをわきまえている選考委員委員会の面々は、私が密かに期待したように、村上春樹の作品など歯牙にもかけていないかもしれない。そうならば、ばか騒ぎが好きな日本の自称ハルキストらも少しはおとなしくなるだろうが、とまれ、これで私の寿命は一年延びた思いだ。

☆テニスのフランスオープンが大詰めを迎えた。女子は混戦模様だが、男子は相変わらずビッグ3が準決勝にコマを進めた。昨夜は、村上春樹の受賞がないと分かってから心晴れ晴れと卓球の練習に出かけ、帰ってからは女子の準決勝の試合をWOWOWで見た。女子は混戦と書いたが、唯一シード選手で勝ち残っているのは、ロシア生まれでアメリカ国籍のケニン21歳だ。ポイントを取っても失ってもきびきびした動作でポジションに戻る姿は颯爽として快い。決勝の相手はノーシードで勝ち上がってきたほぼ同い年の選手だ。ケニンは前回の豪州のグランドスラムで優勝を遂げて華々しくデビューした。順当なら彼女の優勝だろう。

 男子はビッグ3がと書いたが、実際は一人抜けている。フェデラーは欠場しているからだ。その隙間を埋め込む形でのし上がってきたのがティームで、前回の豪州のグランドスラムを制して波になり、今回もナダル、ジョコビッチの牙城を崩すことが期待されたが、準決勝でアルゼンチンのシュワルツマンに逆転された。その前の準々決勝でも5時間余のフルセットを戦ったことでいい加減体力を消耗したことが響いたと言われた。その死闘の相手は、ガストンという、ランキング238位、20歳の若者だ。緩急を交えたそのテクニックにティームは翻弄され、散々走らされた。ランキング35位にまで落ちた錦織の新たなライバル登場を思わせた。テニス界もそろそろ世代交代か?

その553

☆某季刊誌に自伝を連載することになった。題して「医学と文学の間―一アウトサイダーの生涯」

生涯などと大上段に振りかぶったが、80年近い私の人生を余すところなく書き綴るとしたら、「孤高のメス」全13巻、原稿用紙にして5千枚近くになるだろうから、気の遠くなる話だ。毎回40枚程度の紙面を提供してくれるようだが、年4回で160枚だから、10年連載しても半分にも及ばない。編集者もその点はわきまえていて、数回連載した後は書き下ろしてもらったらと提言してくれた。納得。精々青年期、25歳くらいまでの話になりそうだ。

☆そもそもなぜ自伝などを書こうと思い立ったのか?と問われれば、いろいろなところで書いたとおり、ジャン・ジャック・ルソーやトルストイ、ゲーテ等の自伝で、多感な青年期の危機【挫折と言ってもよい】を乗り越えてこられたからである。

 彼らの人生は、その名声とは裏腹に、およそ順風満帆ではなかった。ルソーは若い時に止宿したある婦人の家で、盗みを働きながらお手伝いの少女にその罪を擦り付け、彼女はお払い箱になった。「ルソーさん、あなたはもっといい人だと思っていたのに」と、涙ながらに別れの言葉を残して。結婚して次々と生まれた子供を、育てる自信がないといずれも孤児院の前に捨てた。「人間不平等起源論」で世に出てからは、ロベスピエールや様々な論敵とに指弾され、四面楚歌の悲哀を味わった。

 ゲーテは「若きウエルテルの悩み」で文壇に出たが、ウエルテルはまさに彼の分身で、ロッテというすでに婚約者のいる女性に横恋慕、叶わぬ恋に煩悶するあまり、自殺をしようと短刀をわが胸に突き立てるところまで行った。何人もの女性を愛したが、ベートーベンのそれのごとく、いずれも苦悶に満ちていた。80歳に及んだ時、「わが人生で40日と幸せな時はなかった」と述懐した。

 トルストイは幼い時から熱心なクリスチャンだったが、思春期に至ったある日、成人して社会人になっていた兄が帰省し、トルストイがいつも通り食前の感謝の祈りを唱えると、兄は、「お前はいつまでそんなくだらないことをやっているんだ」と嘲笑した。兄はおそらく、ツルゲーネフの「父と子」の主人公バザーロフにかぶれ、無神論者のニヒリストになっていたのだろう。

 トルストイは兄の嘲笑を受けたことで自分のしていることが馬鹿げたことに思われ、この時を期して信仰を捨てた。そして青年期は放蕩三昧の日々を送るに至る。しかし壮年期に至ってその虚しさに思い至り、以後は贖罪の日々を送る。「復活」のネフリュードフは、まさに青年期の彼の分身であり、すでにベストセラー作家で大家となっていたが、懺悔のつもりだろう、彼はこの大作を自費出版した。

 トルストイは又終生己の容貌に悩んだ。私もまた思春期から久しく同じ悩みを抱えていたから、彼の自伝「懺悔録」を読んで大いに慰められたものだ

☆サブタイトルが示すように、私は王道からそれ、アウトサイダーの道を歩んだ。何一つ苦労することなく、順調にエリート街道を歩んできた人間には私の自伝は笑止ものだろう。だが、挫折を味わってきた、いや、今現在味わっている者には、いささかの慰めと、ひょっとしたらコペルニクス的転回を与えられるかま知れない。

 

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