大鐘 稔彦のブログ
淡路島の診療所からお送りいたします。
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その554

☆晴れ晴れとした気分で10月9日の朝を迎えた。8日の夜、ノーベル文学賞の発表があり、村上春樹が選に漏れたからだ。まさかのマサカデ彼が受賞するようなことがあったら、ショックでブログどころではなかったからだ。

 前回よりだいぶ間が空いてしまったが、10月8日を過ぎなければ何も手に着かない心境であった。

 3年前、ノーベル賞選考委員会あて、村上春樹などは受賞の対象外においてほしい、なぜなら、彼の作品は文学にあらず、小手先のおとぎ話に過ぎないからで、同意見は心ある幾多の識者が等しく感じていることである云々云々の英文の手紙を送ったことは以前に書いたが、今年も改めて前回の手紙と、私と同意見である文人の批評分を、友人のアメリカ人に英訳してもらって委員会あて送った。と、いうのも、選考委員の顔ぶれが内部の不祥事で変わったことが伝えられていたからである。私の訴えが何ほどの効果があったかはわからない。そんなことをしなくても、文学の何かをわきまえている選考委員委員会の面々は、私が密かに期待したように、村上春樹の作品など歯牙にもかけていないかもしれない。そうならば、ばか騒ぎが好きな日本の自称ハルキストらも少しはおとなしくなるだろうが、とまれ、これで私の寿命は一年延びた思いだ。

☆テニスのフランスオープンが大詰めを迎えた。女子は混戦模様だが、男子は相変わらずビッグ3が準決勝にコマを進めた。昨夜は、村上春樹の受賞がないと分かってから心晴れ晴れと卓球の練習に出かけ、帰ってからは女子の準決勝の試合をWOWOWで見た。女子は混戦と書いたが、唯一シード選手で勝ち残っているのは、ロシア生まれでアメリカ国籍のケニン21歳だ。ポイントを取っても失ってもきびきびした動作でポジションに戻る姿は颯爽として快い。決勝の相手はノーシードで勝ち上がってきたほぼ同い年の選手だ。ケニンは前回の豪州のグランドスラムで優勝を遂げて華々しくデビューした。順当なら彼女の優勝だろう。

 男子はビッグ3がと書いたが、実際は一人抜けている。フェデラーは欠場しているからだ。その隙間を埋め込む形でのし上がってきたのがティームで、前回の豪州のグランドスラムを制して波になり、今回もナダル、ジョコビッチの牙城を崩すことが期待されたが、準決勝でアルゼンチンのシュワルツマンに逆転された。その前の準々決勝でも5時間余のフルセットを戦ったことでいい加減体力を消耗したことが響いたと言われた。その死闘の相手は、ガストンという、ランキング238位、20歳の若者だ。緩急を交えたそのテクニックにティームは翻弄され、散々走らされた。ランキング35位にまで落ちた錦織の新たなライバル登場を思わせた。テニス界もそろそろ世代交代か?

その553

☆某季刊誌に自伝を連載することになった。題して「医学と文学の間―一アウトサイダーの生涯」

生涯などと大上段に振りかぶったが、80年近い私の人生を余すところなく書き綴るとしたら、「孤高のメス」全13巻、原稿用紙にして5千枚近くになるだろうから、気の遠くなる話だ。毎回40枚程度の紙面を提供してくれるようだが、年4回で160枚だから、10年連載しても半分にも及ばない。編集者もその点はわきまえていて、数回連載した後は書き下ろしてもらったらと提言してくれた。納得。精々青年期、25歳くらいまでの話になりそうだ。

☆そもそもなぜ自伝などを書こうと思い立ったのか?と問われれば、いろいろなところで書いたとおり、ジャン・ジャック・ルソーやトルストイ、ゲーテ等の自伝で、多感な青年期の危機【挫折と言ってもよい】を乗り越えてこられたからである。

 彼らの人生は、その名声とは裏腹に、およそ順風満帆ではなかった。ルソーは若い時に止宿したある婦人の家で、盗みを働きながらお手伝いの少女にその罪を擦り付け、彼女はお払い箱になった。「ルソーさん、あなたはもっといい人だと思っていたのに」と、涙ながらに別れの言葉を残して。結婚して次々と生まれた子供を、育てる自信がないといずれも孤児院の前に捨てた。「人間不平等起源論」で世に出てからは、ロベスピエールや様々な論敵とに指弾され、四面楚歌の悲哀を味わった。

 ゲーテは「若きウエルテルの悩み」で文壇に出たが、ウエルテルはまさに彼の分身で、ロッテというすでに婚約者のいる女性に横恋慕、叶わぬ恋に煩悶するあまり、自殺をしようと短刀をわが胸に突き立てるところまで行った。何人もの女性を愛したが、ベートーベンのそれのごとく、いずれも苦悶に満ちていた。80歳に及んだ時、「わが人生で40日と幸せな時はなかった」と述懐した。

 トルストイは幼い時から熱心なクリスチャンだったが、思春期に至ったある日、成人して社会人になっていた兄が帰省し、トルストイがいつも通り食前の感謝の祈りを唱えると、兄は、「お前はいつまでそんなくだらないことをやっているんだ」と嘲笑した。兄はおそらく、ツルゲーネフの「父と子」の主人公バザーロフにかぶれ、無神論者のニヒリストになっていたのだろう。

 トルストイは兄の嘲笑を受けたことで自分のしていることが馬鹿げたことに思われ、この時を期して信仰を捨てた。そして青年期は放蕩三昧の日々を送るに至る。しかし壮年期に至ってその虚しさに思い至り、以後は贖罪の日々を送る。「復活」のネフリュードフは、まさに青年期の彼の分身であり、すでにベストセラー作家で大家となっていたが、懺悔のつもりだろう、彼はこの大作を自費出版した。

 トルストイは又終生己の容貌に悩んだ。私もまた思春期から久しく同じ悩みを抱えていたから、彼の自伝「懺悔録」を読んで大いに慰められたものだ

☆サブタイトルが示すように、私は王道からそれ、アウトサイダーの道を歩んだ。何一つ苦労することなく、順調にエリート街道を歩んできた人間には私の自伝は笑止ものだろう。だが、挫折を味わってきた、いや、今現在味わっている者には、いささかの慰めと、ひょっとしたらコペルニクス的転回を与えられるかま知れない。

 

その552

☆「朝顔に釣瓶取られてもらい水」

 江戸時代中期の俳人で、松尾芭蕉10傑の一人、女芭蕉とうたわれた加賀野千代女のこの句を、このところ毎日のように思い出す。朝起きて階下に降りていくと、台所の窓いっぱいに紫の朝顔がいくじゅうも顔をのぞかせ、一時の安らぎを与えてくれるからだ。

 井戸に水を汲みに行こうと釣瓶に手をかけかけた千代女はそこに絡みついている朝顔に気づいたのだろう。釣瓶を井戸に卸すには朝顔をはがさなければならないが、それでは朝顔を傷めてしまうと思って、彼女は隣の家にかくかくと話して水をもらいに行ったのだろう。千代女のやさしさがくみ取れる名句である。

☆猛暑が続いている。尋常の厚さではない。このさなか、早朝ならまだましかと、一週間ほど前、5時に起きて連れ合いとともに洲本のゴルフ場に出かけた。二度目である。しかし7時半を過ぎるころから暑さが身に応えた。真夏のゴルフはもうこれでしばらくお休みね、と連れ合い。

 ところが、我々とほとんど同じころ、早朝ならぬ、日が十分に上がってからゴルフに出かけた御仁がいる。地元阿那賀の出身の俳優山口崇さんだ。

我々はハーフだが、山口さんはフルコースだ。しかもなんと3日連続で出かけたというからびっくり仰天。さらに驚くべきは、山口さんは私より7,8歳年長で80代半ばになっておられるのだ。この強行軍はお盆前のことだが、なんとお盆過ぎの18,19とまた二日連続でフルコースをこなして来たというから開いた口が塞がらなかった。しかも山口さんはひと月前、内視鏡下ではあったが、胃の早期がんの切除を受けたばかりだ。

「これで術後の経過は順調ということがわかり安堵しました」と山口さん。いやはや恐れ入りました。

☆当地にきて22年目を迎えているが、もうメスは執っていないんですかと、かつての私を知る人たちから尋ねられることがある。「いや、執っていなくはないですよ。外来でできる簡単な手術はしていますよ」と私。簡単な手術とは粉瘤とかヒョーソとかや手足の挫傷とかだが、ちょっと厄介なところでは、目の下にできた皮膚がんや、エイに指の皮膚を食いちぎられたといったものだ。

 後者は股のつけ根から指先に見合った皮膚片を採取して植皮する手間を要したが、もうこんなことは二度とないかもしれないと思ったものだ。ところが今週の初め、二度目の植皮を行った患者さんがいた。それも前の指先の比ではない、澱部にできた8×6センチほどの大きさの皮膚がんに対するもので、反対側のお尻から相応の皮膚片を取ってこなければならない。患者さんは5,6年前脳梗塞を起こした80代半ばの男性だ。血をサラサラにする薬を飲み続けているから、一週間前からこの服用をやめてもらってことに及んだ。

 手術自体は単純でどうということはないのだが、モノが大きいだけに流石に時間がかかった。これまでの手術では最長の1時間40分。もとより局所麻酔だから、これが切れかかるぎりぎりの時間だ。患者さんはベッドに横になり、私は風呂椅子のような低い椅子に掛けての作業だ。手術中は間断なく手を動かしているからさほど感じなかったが、終わって腰を上げようとして驚いた。すっと立ち上がれず、思わずよろめいたのだ。同時に腰の痛さを覚えた。8掛けで60代前半のつもりだが、久々に年【喜寿】を感じさせられた。

 

 

 

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