大鐘 稔彦のブログ
淡路島の診療所からお送りいたします。
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その640

☆映画監督の成島出さんの訃報を全国紙で見て驚いた。享年65とある。男性の平均年齢80余歳の今日あまりに早い逝去だ。

 成島さんは2010年、私の「孤高のメス」を映画化してくださった方だ。私は友人知人に声をかけ、撮影のある場面にエキストラとして出演してもらった。院長役の柄本明さんが町議会で演説をふるう場面でだ。そのさなかに血を吐いて倒れこむシーンだが、成島さんは何度もNGを出した。私もクレーをつけた。出血は食道静脈瘤の破裂によるものだが、血の量が少なすぎる、それこそ「朱に染まる」というぐらい大量ですよ、と。成島さんは血に見立てた赤い塗料だか何だかをすぐに足してやり直してくれた。気の毒に柄本さんは5回も6回もセリフを繰り替えさせられた。昔小学校の学芸会で「白雪姫の」が演目で、私は王子役を期待したが、なぜかライバルと目していたN君にとられ、振り当てられたのが白雪姫をいじめる魔法使いの役だった。面白くなかったうえに指導の女教師に何度も何度も同じセリフを言わされた。プロの役者でも監督は容赦なくNGを出すものと知った。そういえばある俳優はそのしごきに耐えられず、監督に食って掛かったと聞いたことがある。ある女優に至っては演技ができず泣き出してしまった、とも。

 しかし、成島さんは優しかった。決して声を荒立てず、ユウモアも交えて、柄本さんはもとより。、素人の我々も穏やかに指導してくださった。

 成島さんとは映画がクランクインしてからも何度かやり取りがあった。数年後に肺がんを患っていること、しかし、一度は快癒し、遅まきの結婚もされたことを知った。それだけに今回の訃報には驚きを超えて無念の思いを禁じ得ない。

☆成島さんと対照的に長寿を保ち、95歳の今なおメガホンをとっている監督がいる。寅さんシリーズで有名な山田洋次監督である。この人の最新作「東京タクシー」を友人夫妻に誘われて見に行った。映画館ではない、徳島

は藍住市のとある施設で客席は300位かと思われた・広すぎる、精々参加者は50人程度だろうと思いきや、次々と人が入ってきて、ざっと200人はいるものと思われた。良い映画だった。誘ってくれた友人夫妻に感謝した。そう言えば、一か月も前、この作品がまだ映画館で上映中、卓球仲間のTさんが推奨していたことを思い出した。倍賞千恵子、木村拓哉主演のこの映画、機械があればぜひご覧いただきたい・二人とも老けたが、いい味を出していた。

 

 

 

その639

☆暑い暑いと愚痴っている間に8月も下旬に入ってしまい、ブログを随分さぼっていることに気が付いた。熊本地震や千葉の風水害等、天変地異の変動はなまなかなものではないが、一年前に体調を崩し同期会をドタキャンした旧友たちはその後元気でいてくれて喜ばしい限りだ。他人事ならず私自身も、切腹を覚悟するほどの窮地に立たされながら、半年余、何事もなく元気でおれることを感謝せずにはおられない。

 早朝、この8月で11歳になるボーダーコリーを散歩に連れていく。生後3か月でなぜか売れ残っていた女の子を近くのブリーダーさんから15万円で勝った。兄弟姉妹5匹は早々と売れていたのだが。好きな女優さんに因んで「ジェニファー(略称ジェニー)」と名付けたが、この子の鬼門は雷と花火の音だ。庭で飼っていた時はその音におびえて何度か蓄電してしまい、犬好きなご近所の人がマイペットさながら夜遅くまで探し回ってくれたりした。散歩の途次であうとマイペットのように撫でさすってくれたものだ。ジェニーもまた体を摺り寄せて愛撫に身を任せたものだが。そんな奇特なお一人のMさんが、僅か5年で引っ越されてしまった。「会うは別れの始め」とは言え寂しい限りだ。ドッグランの庭の付いた立派な家が目の前に残された。次はどんな人が移ってくるだろう。犬好きな人であって欲しいが。

☆ほかにも何人かがここ数年でこの地を去っていったが、私は26年前にこの地域の診療所に着任した時、ここで残りの人生を全うする覚悟だった。今もその思いは変わらない。気がかりは、最後を看取った近隣の友人の火葬に立ち会って見た、ここから車で20分ほどの辺鄙な山の奥まったところにある火葬場の貧弱さで、死んでしまえば何ということはないのだが、それにしても、立ち会ってくれる人たちが腰も十分に落ち着けない、時が冬であればそれこそ寒風の中骨が焼けるまで数時間も待ち続けなければならないのはお気の毒だ。掘っ立て小屋のような待合所にはエアコンなどはもとよりないから、今夏のような酷暑の日がその日だったら、熱中症になって倒れる人も出るだろう。

今の守本市長が着任してたまたま雑談の機会を得た時、真っ先に要望したのは、もう少しましな火葬場を作ってほしいということだった。数年後にこの希望は叶えてもらえた。渦潮ラインの傍に作られた新しい火葬場を私は何度も見学に訪れ、安らぎを覚えている。

患者さんや友人知人にも、ぜひ見てくるようにと勧めている。

☆女優の岸恵子さんが亡くなった。93歳だという。十分に生きたと言えるだろう。佐田啓二と共演した「君の名は」もいいが、わたしの一押しは名文家でもあった池辺良との「雪国」である。「国境の長いトンネルを過ぎると雪国であった」の川端康成の書き出しは、三島由紀夫をうならせた。「私にはとてもこのような作品は書けません、脱帽です」と。川端に心酔した三島は、自らも欲しかったであろうノーベル文学賞を川端に与えてほしいとノーベル委員会に推薦状を書き送ったと伝えられる。

 

 

その638

☆私の老いのすさびの一つは囲碁と将棋だ。前者は土曜の午後、車で20分ほどの湊地区の公民館へ出かけて打つ。同好の士が6,7人集まる。

皆さん相当な腕前でアマチュア5段6弾、差しでは太刀打ちできない。辛うじて勝負になるのは、この碁会所に誘ってくれたTさんと、紅一点のNさんだ。彼女は何と御年90歳。男性陣は「殺し屋のアイちゃん」などと言って彼女をからかう。名前は「愛子」さんだからだ。

わたしとどっこいどっこいのTさんは彼女に一度も勝ったことがないとぼやく。私も今のところ1勝5敗だ。90歳にしてこの頭の冴え!まさに<魔女>である。

「魔女」は週2回夜2時間ばかり通っている卓球所にもいる。ミニスカートをはき、強烈なナスマッシュを放つ。卓球歴50年を誇る腕自慢の男もたじたじである。私も彼女とラリーを交わすと左右に振られて早々にへとへとになるから、ダブルス以外は極力避けている。

☆忘れてならないのは、診療所に通ってくる患者さんの中にいる<魔女>だ。90代も半ばに達しておられるが、頭脳もしっかりして会話にもよどみがなく、1年前、大腿骨頚部骨折を起こしたため手術と術後リハビリに2か月ほど入院を余儀なくされたが、目下は普通に日常生活を送っておられる。

こうした魔女たちの存在は、半年前、九死に一生を得た私にとっても、憧憬、感服の至りだ。おこぼれを頂戴したい思いである。

☆ふっと亡き父のことを思い出す。父は74歳で他界した母を失ってから郷里の名古屋の家で一人住まいを貫いたが、84歳で亡くなる4年前に埼玉にいる私のところへ身を寄せた。もともと細身であったが、ろくな食生活をしていなかったからだろう、50キロ以下にやせ細っていた。2年後には認知症を発症し,前妻や私を困らせた。

経った今食事をしたばかりなのにまた食事を要求し、嫁の手を煩わせた。さては知らぬ間に家を抜け出して徘徊、遠くの道端でぐったりしているところを警察に保護され、手術中の私に連絡が入ったものだ。前妻はよく面倒を見てくれたが、あのまま父が90歳まで生き永らえていたらたまったものではなかっただろう。

私が学生時代、帰省するたび、父とはよく碁を打った。お互いにへぼ碁であったが、なかなかなじめなかった父との唯一のスキンシップのひとときであった。今にして懐かしい。父が来たとき、私は病院が忙しく碁どころではなかったし、父も碁のことは忘れていたようだが、昔取った杵柄でつかの間でも碁盤を挟んでいたら、父はあるいは呆けなかったかもしれない。碁会所で楽しげに碁盤を挟んでいる80代の男性諸氏をみるたび、そんな思いを深くするのである。

 

 

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