その190
私は目下5つのノルマを抱えています。毎日のノルマは「続・孤高のメス」で一日5枚を目標にしてきましたが、何やかやでこのところペースダウンしています。
それと言うのも、他に4つのノルマがあるからです。
一つは、もう一年前から隔月に書いているもので、「学士会報」と言う硬い硬い雑誌に「ドクター大鐘の診療室」なるタイトルで書いています。研修医と指導医の問答形式で、ここ3回ほどは「薬の功罪」なるテーマで書いて来ました。写真や図が数枚入り、本文のほうは400字詰め原稿用紙にして12、3枚です。これが隔月の15日が締め切りです。
これに匹敵するノルマがこの3月から課せられました。医学出版という会社が新しく創刊した「レジデント」なる月刊誌に「プライマリケア医の使命」なるタイトルで、やはり写真や図が入って原稿は12、3枚のものを書くことになりました。この締め切りが毎月20日。
3つ目は、奇数月ことの初旬が締め切りという原稿で、これはかつて私が起会した「日本の名歌愛唱会」の機関紙に寄せるものです。約一千字ですから2枚半で、比較的気楽なものですが、タイトルが「島便り」.。つまりはこのコラムに相似したものですから、同じ事を書かないように気を使う苦労があります。
4番目は、これが一番苦労するノルマかもしれません。20年来末席を汚している東京の短歌結社「短歌人」に毎月15首程度の短歌を投稿しなければならず、この締め切りが12日になっています.。12日に必着なので、実際は8日までに捻り出さないといけないわけです。一日に15首は到底無理で、3日か4日がかりです。今月の締め切りも早迫ってきました。後3、4日で十首は作らないといけません。この土、日が追込みです。いやはや。
その189
私が野茂英雄に惹かれる理由はたぶんに情緒的なものです。マウンドに立った彼の後姿が、起立した生徒のように律儀でどこか初々しいのです。打たれて監督からボールを奪われるときの半分唇をかみ締めた顔、マウンドからベンチに引き上げるときのうなだれた歩き姿、皆が目を逸らす中で一人寂しく帽子を脱ぎ汗を拭い、おもむろにベンチに腰を下ろしてしばらくうつろな視線をグラウンドにやる、その一挙手一投足がなんとも言えず切ないのです。多くの選手は、不甲斐ない投球でノックアウトされてベンチに引き下がってくると、己の至らなさを棚に上げ、まるで他人が悪いと言わんばかりにグラブをダッグアウトの壁に投げつけたり、床のバケツか何かに足蹴を食らわせたりします。
しかし、野茂君は一切そうしたこれ見よがしのパフォーマンスには及びません。味方の貧打故に、あるいは誰かのエラーやリリーフ投手が打たれたために勝利投手の権利を逃しても、彼は決して人を責めないのです。そのストイックな姿勢、内なる感情を押さえ込める自制心の強さが清清しい、反面、なんともいじらしいのです。だから、彼が悲惨な状況に陥ったときの試合は見るにしなびないものがありました。朝、出勤前にそんな試合を見るともう駄目です。そんな日に限って余り歓迎すべからざる愚痴っぽい患者が来たりして、気分は最悪になったものです。
私がさほどに野茂君に惹かれるもうひとつの理由は、彼を見ると決まって不肖の息子を思い出すからです。息子は親の期待を見事に裏切ってくれました。中学の後半から問題児となり、高校はついに中退で終わりました。私が手塩にかけて育てた病院から追われ最も苦しかった平成6年の春から夏に掛けて、親の悩みなどはどこ吹く風邪、悪童らと遊び回り、夜中も彼らとたむろして騒ぎ回り、私の不眠をいや増してくれました。時に取っ組み合いとなり、私は眼鏡を割られて負傷、娘たちが止めに入ってくれなければ翌日からの手術に支障をきたしたでしょう。私が家を出て遠くに離れる決意をした理由の一つがこうした息子との葛藤にあります。
しかし、野茂君を見ると、そんな息子も許そうという気になるのです。どことなく二人は似ているからです。童顔で、ことに笑ったときの顔が。
マスコミから姿を消して2年、野茂君が帰ってきました。39歳、なお大リーガーに固執する彼のひたむきさは、切なく、しかし、心惹くのです。
過日、不肖の息子から思いがけなく電話が入りました。「お父さん、家を出ることにしたよ。調理師の修行に出るよ」と。息子の顔が、そして野茂英雄の顔が思い浮かびました。二人とも頑張れよ!