ただ、目の前のことをやる。
これ、案外と難しいのではないか?と思う。
只管打坐という言葉がある。
ただ、坐りなさいという。
では、坐る。すると、余計な事を考えだす。
なぜ、自分は坐っているのか?あの仕事の案件はどうなるだろう?足がしびれてきて痛いななどなど。
でも、それは余計なことでもなんでもない。
自ずと生じる観念なのだから、掴まずに放っておけばいい。
それをどうこうしようと思うと、ただ坐る状態ではなくなる。
お茶室に稽古に行く。
なぜ、稽古に行くのか?それは上達するためと反射的に思うだろう。
しかし、それは本当だろうか?
ただ、稽古に行き、お茶を点て、お茶を飲む。
上達も評価も関係なく、ただそれをするだけ。
余計なことを考えずに点てる、飲むを繰り返す。
坐るにしても、お茶を点てるにしても同じ。
日常でも仕事でも同じ。
どんなに喧騒の場にいようが、やることは同じ。
逆にどんなに静寂な場にいようが、やることは同じ。
禅とは、ただ飯を食い、食器を洗うことで、特別なことをやることではない。
ただ在る。ただそれを為す。
整えようとしないことで整いに自ずとつながる。
