習慣は、人を変える。 習慣は、最終的に人格にまで昇華される。
だから、良い習慣をつけることは重要。
しかし、自分はこうも思う。
習慣をつけても変わらない核になるものが自分の内側にある。
人格の向上のためだけに習慣があるのではない。
むしろ昔から変わらない自身の核を改めて発見、確認するために習慣をうまく活用することが大事ではないか?と。
かつて怠慢だった自分。 職務にもそれほど熱量をこめることもなく、テキトーにその日を暮らしていた日々。
ところが、徐々に内側から湧く声が大きくなっていく。
そのままでいいのだろうか?
徐々に。本当に徐々にではあるが、日常を整え、仕事に向かう姿勢について良い習慣を身につけていきはじめた。
当然、最初はうまくいかない。
が、失敗しながらも、修正しながらも習慣を少しずつ身につけていった。
結果、どうなったのか? 生き方への納得感が生じはじめた。
そして、自分自身では欠点としてしか見えていなかった怠慢さ、テキトーさの見え方が変わってきたのだ。
むかしから、自分は無理をしないし、無駄で意味のない行動を嫌っていた。
だから、徹夜で何日も仕事をしたり、あるいは外的ノルマに懸命になって働ける人々を凄いと思っていた。
それに対して自分は怠慢なのだと。
が、それは一方的な見方でしかない。
無理をすれば、後で必ず歪がくる。
外的なものよりも内的な、内側から湧いてくる意味を非常に大事にする。
怠慢の裏側にあったものが、これだったと気づかされた。
改めて思う。 理想なり何なり、外側にある価値あるものを追いかけてみてもいいし、良い習慣で人格の向上を目指すのもいい。
しかし、大事なのはその過程で感られる違和感。
これは、本来の自己から離れようとしなければ、自分の場合、感じられることはなかった。
その違和感の正体とは、自分を自分たらしめている核の部分。
昔から変わらず、ずっとありつづける自己。
他人とは異なる固有の道を歩みたがっている自己。
外側にある答えらしきものを追求しなければ、自分の本心、内なる声には気づけなかったのかもしれない。