不思善悪 | 仕事道を極める

仕事道を極める

多くの人が、多くの時間を費やすのが仕事。単なる作業ではなく、極めたい道として仕事をとらえていきたい。

禅語は、自分自身に何かを突きつけてくる。

 

自分が置かれている立場、今の状態。

 

その中で、その言葉をどう受け取るのか?

 

自分たちは、答えをつい見出そうとする。

 

その言葉の持つ意味は?といった一般論を導き出そうとする。

 

しかし、大切なことは、そこにはない。

 

その言葉が、自分自身にどう刺さっているのか?

 

解釈ではなく、何を感じ取れるのか?

 

不思善悪。

 

善し悪しを考えるな、と解釈できそうだ。

 

しかし、この世の中は善し悪しで成り立つ世界とするならば、それが出てくるのは自然なこと。

 

区別し、考えようとしないほど逆に善悪に囚われるようにも感じる。

 

それをそのままに流しておけばよい、ということになるのだろうか?

 

善し悪しでとどまらず、こだわらず、感情にとらわれず。

 

言葉にすれば、固着化してしまいそうだ。

 

自由自在という言葉が思い浮かぶ。

 

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