茶道で一杯の茶をいただく。
この中にどれほどの意味があるのだろう?
そんなことをふと考えることがある。
お茶をきちんと飲むことができれば、食事もきちんと済ますことができる。
礼儀正しく、美しくなんてことを意識せずとも、ただただ自然体で食事をする中で自ずから躾なるものが表現されていく。
ところで、自然体とは何だろう?
そのままでいいなんて言葉をよく聞くが、これは誤解を受けやすい。
自分が数十年にわたり心身に沁みこませてきた癖。
こうした癖を一つの形を通じて解きほぐし、本来の自己のあり様を表現する。
甘ったれた、ややもすると歪んだ自分を溶かし、本来の自己に目覚めていく。
これを自然体と自分は捉えている。
そして、これは、何十年もかかる地道なこと。
一生かかってもできないかもしれない。
なぜなら、このままでいいということは、このままではダメが前提になっているため。
自分たちは、心身の歪み、癖を抱えているため、本来は心地よくないことを心地よいと捉える傾向がある。
逆に心地悪いことが、本来的に心地よいものだとなかなか気づけない。
しかし、一度自然体というものに触れると、ある意味、世の中が逆に見えてくる。
本来の自己をついつい表現しているようなお辞儀、あいさつ、ふるまい。
にこやかで柔和な気持ちが、凝り固まった自己をときほぐしてくれる。