欲望が満たされないことから不平不満が起きる。
そして、その不平や不満は、その欲望が満たされれば解消されると「思い込む」。
では、欲が満たされることなく抑え込まれた不平、不満はどのようになるのか?
嫉妬やエゴイズムといった内面にある嫌なものから目を背けるため、そして、自己の怒りを正当化するために巧妙な理屈を考えだす。
そして、それは必ず知識を武器にする特徴がある。
しかし、武器を手にする以上、修羅道へまっしぐらに進む。
これをこの世の地獄と僕は呼びたい。
本来、人は知識によってではなく、仏心という智慧によって生きることが求められる。
しかし、欲望の対象を目の前にすると、その智慧はすっかり忘れられてしまう。
そして、問題は自分の内部ではなく、外部にあると考えてしまう。
以上、これは相続という分野の仕事でいさかいになっている現場で常々思うことだ。
相続ではタダで資産が手に入り、資産が豊富にあれば、実においしい制度だと考えられがちだ。
しかし、その実は、異なる。
不満に始まれば、不満の内に終わる世界。
そして、不平不満が争いを引き起こす。
お金という物質を重視するあまり、今までの人間関係が破綻し、断絶が生じる。
だから、自分は常々考える。
お金、資産は、正業によって得るものであり、相続で得よう、あるいは働かずに得ようなんて虫のいい考えではダメだと。
例外なく人は自分に都合よく物事をとらえがちだ。
それが、相続という現場で如実に表れる。
よそ見をすることなく、正業を全うしていくことで自分を鍛えなければという思いを強く持つ。
正業という道をしっかりと歩んでいきたい。