世の中は、良し悪しで成り立っている。
一方、その良し悪しを超えた世界もある。
このようなことをある方がおっしゃっていた。
良し悪しを判別する、ややもすると対立する世界から、良し悪しを超えた和合の世界に向かうこと
これが、人間に求められるような気がしている。
こんなエピソードをある社長から聞いた。
高校時代の教師が、不良に言う。
「おい、おまえタバコ持ってんだろ?1本くれよ。」
不良は、とまどいながら教師にタバコをあげる。
隣で教師はうまそうにタバコを吸う。
「おまえ、俺たち教師の前では吸うなよ。」
これは、現実に高校時代にあった一コマ。
この不良にとって、これはとても良い思い出であり、心に残る面白い教師だったはず。
おそらくここに出てくる不良とは、この社長のことだろう。くっくっく。
まあ、今では考えられない。
教師は、聖職という言葉がある。
しかし、自分を教師という枠の中に閉じ込める前に、人間を晒したほうが、より良い教育者になれるような気もする。
教師と生徒という分断した関係だけで終わらせてはならないようにも思う。
これは、仕事上の上司と部下の関係にも当てはまるだろう。
上司と部下という垣根が取れたとき、あるいは事業者とお客さんという垣根が取れたとき、きっと素晴らしくも愉しい関係が築けるはず。
そして、良い仕事とはそこから生まれてくるようにも思う。
分断の世界の中だからこそ和合が生きる。