忙しい状況や緊張感を持たざるを得ない仕事の最中。
結構、感情が先走りがちで冷静でいようと思っていても、冷静ではなくなる場面がよくある。
そんなときこそ、日常から離れ、静寂の中に身をおく。
すると、自分の間違い、本来的な人としてのあり様といった点が、次々に思い浮かぶ。
そのまま自分の立場や正しさを貫こうとしていたら、気づけなかった点が多々でてくる。
それは、往々にして非日常の静寂の中で気づかされる。
それは、自分にとっては読書であったり、お茶の稽古であったり、家族や友人との交流であったりもする。
最近、あまり笑っていなかったこと、当たり前を当たり前としてのみ受け取っていたこと、自分の立場、考えだけに囚われていたこと。
心がほぐれていくことによって本来の自己の願望に気づいていく。
願望というと、とても世俗的なことに受け取られがちだが、そうしたエゴイスティックなものではない。
本来は慈悲に密接に結びついている。
静寂の中で落ち着き、わかってくることがある。
人としてどうなのか?
そんな問いかけを静寂の中で受け取っているような気がする。
日常と非日常という螺旋階段を一歩一歩。