映画「タクシー運転手」のイモ | 一松書院のブログ

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 2018年4月に日本で公開された韓国映画「タクシー運転手」(韓国公開は2017年)。1980年5月の光州事件を取材するドイツ人記者と、彼をソウルから光州まで連れて行くことになったタクシー運転手マンソプの話。
 この映画の日本公開に当たって劇場パンフに当時のタクシーの話を書いた。本筋ではないので拙稿では触れてないけど、この映画で気になっている場面がある。
 それは「イモ」の場面。じゃがイモとかさつまイモではない。ソンガンホ扮するタクシー運転手マンソプが、キサ食堂で食事をしていて、光州まで外国人を10万ウォンで乗せるという運転手の話を小耳に挟む。そして、金に困っていたマンソプがその外国人客を横取りしに行くのだが、その直前の場面。ここでキサ食堂シッタンの従業員の女性に「イモ」と呼びかけている。

 最近は、日本のネットなどでも、食堂のおねえさんを呼ぶ時には「イモ!」と呼ぶと書いてあることが多いのだが…。

 タクシーに限らず車の運転を職業とする人を「技士キサ」と呼ぶ。「運転手ウンジョンス」は差別的だとされる。だから、呼びかけは、「キサニム」「キサアジョッシ」。

 で、タクシー運転手相手の食堂が「キサ食堂」。70年代から80年代には、マンション開発の隙間のような空き地を利用してあちらこちらにあった。食事時にはズラッとタクシーが並ぶ。キサニムの食事中に、洗車—といっても行き場のない若者がモップとバケツの水でタクシーの車体を拭いて日銭を嫁せぐものだったが—してくれるサービスがついた。

 しかし、あの時代に、食堂で「イモ!」と呼びかけて注文するというのはなかった。あの映画のシチュエーションだったら、絶対に「アジュンマァ!」と言ってたはずである。その時代設定で、一人前追加するときのセリフで「イモ!」と使っているのが、いろんな意味で面白かった。今の時代に合わせてるのかなぁ。

 同じ頃の時代背景の映画「弁護人」では、舞台は釜山という違いはあるが、「アジュンマァ!」と呼んでいる。「弁護人」は2013年公開である。

 

 何年前だったか。韓国に行って食堂で注文を頼もうと「アジュンマ〜ァ!」って叫んだら、横にいたソウル駐在の教え子の卒業生から、「ダメですよ。アジュンマは。今はイモッ!って言わないと」って注意された。
 何言ってんだ。オレはお前なんかよりずっと前から韓国に関わってて、ポジャンマッチャで呑んだくれてた若かりし頃からずっと「アジュンマ〜ァ!」でやってきたんだ!!といきがってみせたのだが、周りをみると「イモォ!」と呼ぶのが主流になっていた。ただ、私の世代くらいになると、本当のイモ(母の姉妹)は90とか100歳だったりするので、「イモォ!」と呼ぶのはちょっと……。
 

 日本語に訳せば、アジュンマも「おばさん」、イモも「おばさん」なのだが、アジュンマがブロッコリー頭(映画「サニー」からの借用)のミドルエイジの女性一般を総称する言葉である(あった?)のに対し、イモは母方の姉妹の「伯母・叔母さん」を呼ぶ時に使う呼称という違いがある。もっと正確に語源を遡ると、母方の姉妹が未婚の場合に「イモ」、結婚すると「アジュモニ」、これが親族の正しい呼び方とされる。幼児が「アジュモニ」を呼ぶ時には「アジュンマ」という言い方をする。父方の「伯母・叔母さん」はコモというが、コモよりもイモの方が親近感を抱かれやすいという。コモも結婚すると「アジュモニ」と呼ばれる。つまり、「アジュンマ」は、本来は親族の中でその一族の幼児の使う呼び方で、それをアカの他人のそこそこの年齢層の女性に対する呼び掛けに「流用」してきたということである。

 

 2004年に公開された映画「내 머리 속의 지우개(私の頭の中の消しゴム)」でも、ポジャンマチャで「「アジュンマ」って呼んでいる。

 

 検索してみたら、こんな記事が出てきた。

2006年5月23日付の京郷新聞文化面に載った記事だ。

아무에게나 '언니' '이모' 무분별한 가족호칭 남용

誰にでも「オンニ」「イモ」無分別な家族呼称乱用

ただ、この記事では食堂などで「イモ」と呼ぶことは書かれていない。「아이들이 옆집 아줌마, 엄마의 친구들을 이모라고 부르는 것에 문제가 있다는 것이다.(子供達が隣のおばさんとか母親の友達をイモと呼ぶのは問題だということだ)」と子供達が親戚でもない女性に対して「イモ」と呼ぶことについて、これでいいのかと書いてある。

 その一方で、

식당에 가면 종업원들에게 나보다 나이가 많건 적건 간에 '언니'라고 부른다. 종업원이라는 말보다는 언니라는 말이 더 자연스럽고 편하기 때문인데 이 말은 남자들도 즐겨 사용한다. 남자가 부르는 '언니'. 다소 우습지만 우리는 그냥 자연스레 받아들이고 있다.

食堂に行くと自分よりも年上であろうと年下であろうと「オンニ」という。従業員というより「オンニ」と言う方が自然だし何かと便利だからだが、男性もこれを使っている。本来女性が使う「オンニ」という呼びかけを男性が使うのはおかしいのだが、なんとなくそのまま通っている。

確かに、女性客が食堂に限らず女性店員に「オンニ」と呼びかけるのはかなり前からあった。男性が「オンニ」と呼びかけるのは、あるにはあったが相応の年寄りでないと違和感があった。しかし、その後だんだん年齢層が下がっておっさんが「オンニ」と呼ぶのも見かけることが多くなったなぁと思ったのもすでにかなり前。

 

 さらに探していたら、2012年3月5日の「京郷新聞」にこんな記事が出ている。

‘아줌마, 이모, 여기요’로 불리는 사람들

「アジュンマ」「イモ」「ヨギヨ」と呼ばれる人たち

こんなグラフがある。2011年9月22日に韓国女性民友会が発表した「食堂女性労働者の労働人権実態調査」のデータである。


この「京郷新聞」の記事には、食堂の女性従業員が劣悪な労働環境に置かれていることが書かれていると同時に、新しい呼称として2011年11月に女性民友会が「차림사チャリムサ=(食卓を)整える人・配膳士」というのを選定したも報じている。

 

 2012年8月18日に大邱の「毎日新聞」にもこんな探訪記事があった。

 8月9日午後、大邱北区の食堂で、記者が約1時間にわたって30人の客の呼び方を調べた。食堂は40代の女主人と40代の従業員女性。呼称順位1位は「イモ」(12人)、2位は「アジュンマ」(7人)。3位は「ヨギヨ」(5人)。続いて「社長」(3人)、黙って注文を取りに来るのを待つ(2人)、「ヨサニム」(1人)の順だった。

 インタビューで、女子大生は「よく行く行きつけの店では身近な感じのイモ、ほかではアジュンマと呼ぶ」と言っている。40代の自営業男性は、「一人で食べに行くとイモと呼ぶけど、同じ店でも家族と一緒に行くと、少し丁寧に「アジュモニ」と呼ぶ。ほんとの親戚でもないのにイモと呼ぶのは、教育上よろしくない」という。29歳の会社員は、「自分の母親の世代は「ヨサニム」と呼ばれると喜ぶ。食堂でもそう呼ぶとサービスがよくなるのでそうしている。笑ってくれるだけでも気分がいいし」と述べたとある。

 

 ヨサニムのヨサは「女史」。大統領夫人などは「ヨサニム」。29歳の息子がいる母親の世代というと、ちょうど全斗煥大統領夫人の李順子女史の時代だ。

 「ユクサよりもボアンサ、ポアンサよりもヨサ」と言われた。つまり、陸軍士官学校(ユクサ)出身が幅をきかせていたが、中でも全斗煥が司令官をやっていた保安司令部が泣く子も黙るポアンサだったのだが、さらにその上にはイスンジャ女史(ヨサ)がいるという大統領夫人の女史を揶揄するもの。いまどき食堂に行って、「ヨサニム!」というのもちょっと…って気もするのだが。

 

 こうして検索してみると、2011年〜12年くらいには「イモ」が多用されるようになっていたが、まだ「親戚でもないのに」という抵抗感は残っていたようだ。

 ただ、アジュンマ→イモという流れを加速化する事件がこの頃に起こっていた。2012年の「京郷新聞」と「毎日新聞」の記事も、この事件「菜鮮堂チェソンダン事件」に触発されて書かれたのであろう。

 「チェソンダン事件」、それは2012年の2月17日に起きた。チェソンダンは、フランチャイズチェーンを展開しているしゃぶしゃぶ店で、その天安チョナンにあった店で、妊娠6ヶ月の妊婦が店の女性従業員を「アジュンマ」と呼んだことで喧嘩になり、お腹を蹴られたとSNSに書き込んだことで大炎上するという事件が起きた。すぐにチェソンダンのボイコットの動きが広がり、チェソンダン側は平身低頭謝罪した。ところが、録画映像や証言、それに警察の取り調べの結果、喧嘩を仕掛けたのは蹴られたと書き込んだ妊婦の女性側で、胎児のいるお腹を蹴られたわけでもないということになってきた。結局、双方がつかみ合いの喧嘩をしたということで、双方が過失傷害で立件されたが、人々の脳裏には「アジュンマと呼んだことが発端」ということが印象付けられたのではなかろうか。

 こうやって調べてみながら、「ダメですよ、アジュンマは。今はイモッ!って言わないと」って言われたのはどうもこの2012〜3年くらいだったような気がしてきた。

 

 2013年4月から撮影された「弁護人」では、台詞として「アジュンマ」と書けたけど、2016年6月から撮影した「タクシー運転手」では「アジュンマ」じゃまずいから「イモ」と呼ばせることにしたのかなぁ、なんて配慮があったのかと思う。


 言葉って本当に面白いものだと思う。覚えたらおしまいというものじゃない。生き物なんだと思う。生きている人間が使ってて、その人間が暮らしている社会の変化を反映しているものなんだから。

 でも、「イモ!」って叫ぶのは俺には無理だよなぁ。やってはみたいけど。