以前、
カシワイのエッセイまんが
『植物園の歩き方』を
取り上げた際に
紀伊國屋書店・新宿店の
5階で購入したと書きました。
5階は、建築関係書のほか
工学/コンピュータ書/芸術書を
扱っているフロアですが
芸術書の中には当然
音楽関連の本も含まれます。
となれば
ついでに見ていきたくなるのも
自然な流れというものでして
音楽書の棚に移動してみると
平台に積んであったのが
今回ご紹介の本です。

(2013/濱田あや監訳・訳
岡田宏子訳、春秋社、2026.2.20)
平台で見た際、オビに
「グスタフ・レオンハルトの高弟にして
現代の古楽界のパイオニア」
とあるのが目に飛び込んできました。
スキップ・センぺの名前は
何となく記憶にありましたが
「レオンハルトの高弟」
と言われるほどの人とは思わず
CDもあまり持ってません。
その場で目次を
ぱらぱら見てみると
第3章には
レオンハルトのエッセイが
まるまる1本
収められているだけでなく
高弟による師匠の思い出話や
その演奏について語られているようで
これは買わないわけにはいかないな
と思った次第。
ちなみに
訳者あとがきによれば
レオンハルトに関するエッセイの内
3編は原書にはないものだそうで
そうであればなおさらです。
邦訳の副題は
「スキップ・センぺ、音楽を語る」
原題は
Memorandum XXI :
Essays & Interviews
on Music & Performance で
(「:」以下が副題)
センぺが立ち上げらレーベル
Paradizo から上梓されたようです。
同じく
Memorandum XXI
というタイトルで
センぺと、彼が音楽監督を務める
カプリッチョ・ストラヴァガンテの
活動を振り返った
5枚組CDセットも出ています。
そのライナー・ノートに
当たるのかどうか
それとは別に本がまとめられた
ということなのかどうかは
CDセットの方を
持っていないこともあり
よく分かりません。
本書巻末の
ディスコグラフィーを見ると
CDの方には
400ページの書籍が
セットだと分かりますので
あるいはその書籍を
邦訳したものかもしれません。
邦訳書の巻末には
5枚組CDの収録曲リストが
載っているだけでなく
各エッセイやインタビューの後に
その内容と関連した
同CDセットに収録されている
音源が追記されています。
音源情報の方は
原書にあるのではなく
監訳者の濱田あやが
付け加えたもののようですね。
ちなみに
濱田あやはチェンバリストで
センぺの弟子のようですから
レオンハルトの孫弟子
ということになりましょうか。
自分には珍しく
今月の21日に買って
1週間も経たないうちに
(要は昨日)
読み終わりました。
CDのライナーに掲載された
ライナー・ノートや
インタビューの再録が
ほとんどだと思われるので
各編が短くて
さくさく読み進められます。
内容をおおまかにまとめれば
学問的・学術的アプローチよりも
資料や史料に基づいて
演奏家としての解釈を重視すべき
というのが主旨だと思われます。
どんなに作曲家の意図やスタイル、または楽譜に忠実に演奏しても、演奏者が作品に対する独自の解釈に自信がなければ何の意味もない(p.110)
ですから
古楽器原理主義というわけでもなく
ランドフスカやドルメッチなども
評価したりしているのが
印象に残りました。
レオンハルトに関するエッセイを
興味深く読んだのは
もちろんです。
例えば以下の箇所など
とても興味深い。
一九七〇年代後半、レオンハルトのチェンバロの生徒がフォルクレの作品を何曲か演奏しました。かなり上手に演奏しましたが、弾き終わった後、レオンハルトは彼女に「弦楽器を弾いたことはありますか?」と尋ねました。彼女が「いいえ」と答えるとレオンハルトは「残念なことだ」と返しました。(pp.129-130)
これは
フォルクレのチェンバロ曲が
自身のヴィオール曲集からの
編曲であることを
踏まえた発言だと思われますけど
それだけではないような気も
しています。
バッハ自身が
ヴァイオリンの名手でもあり
自分の無伴奏弦楽曲を
チェンバロ用に
編曲してもいますけど
レオンハルトもまた
ヴィオラ・ダ・ガンバを弾き
バッハが編曲していない
無伴奏弦楽曲を編曲しています。
弦楽器の奏法が
チェンバロ奏法と
まったく無関係ではなく
バロック時代の演奏精神に
通底しているものがあるから
弦楽器を弾くことも大切だ
と考えていたのではないか
と想像してみたりするわけです。
また、レオンハルトが
「イングランドの
六声のコンソート音楽」が大好きで
レオンハルト・コンソートでは
バス・ガンバを弾くこともあった
と書いている箇所(p.107)や
以下の箇所なども興味深く。
パーセルや彼と同時代のイギリスの作曲家たち、そしてその言語を熟知したいという熱い願望は、一九五〇年代に(カウンターテナー歌手の)アルフレッド・デラーとの出会いを導いた。(p.112)
ちょうど自分が今
パーセルやその周辺の音楽家に
ハマっているのと
偶然にも
軌を一にしている気がして
嬉しくてならなかったり。
そしてセンぺの以下の発言。
若い世代の多くのチェンバロ奏者は、彼の演奏をライブで聴いたことがなく、彼の録音もまったく聴いたことがないか、せいぜい一、二枚しか聴いていないようです。(p.133)
これは2020年の
インタビューでの発言ですが
レオンハルト・ファンとして
衝撃的でした。
たまに
レオンハルトの演奏は
学問的に正統的すぎて
堅苦しいし面白みに欠ける
という評言を目にしたりします。
レオンハルトの録音から
古楽沼にハマった自分も
そうかなあ、そうかもなあ
と思ったりしたこともありますが
センぺの今回の本を読んで
改めて聴き直さなければ
という気持ちを新たにさせられました。
その他に
印象的だったのは
イギリスのマスク(宮廷画面劇)が
「通常、たった一度だけ上演される
一回性のイベント」だった(p.11)
という記述。
これは知らなかった。
フランス音楽の
「特別な感覚」を理解するために
クラシックの歌手だけでなく
エディット・ピアフの歌を
「真剣に聴く」必要がある
と書いている箇所(p.82)も
印象的でした。
その理由は
178ページで
ビートルズを引き合いに出して
書かれています。
本書を読んで
スキップ・センぺと
カプリッチョ・ストラヴァガンテの
録音を聴きたくなりました。
先にも書いた通り
センぺと
カプリッチョ・ストラヴァガンテの
ディスコグラフィーが
巻末に載ってますけど
持ってるかどうか
記憶があやふやなものが多い。
これから買い揃えようとしたら
出費が嵩むばかりなので(泣)
まずは手持ちの中から
掘り出していこうと
思っています。
さて、何枚持っていますやら。
最後に気づいた限りで
誤植をいくつか
指摘しておきますと――。
冒頭の「日本版に寄せて」
という序文の1ページ目の
本文5行目「見い出さなければ」は
「見出さなければ」の誤植。
小論文の添削でも
「見い出す」
と書く生徒が割といて
よくある間違いとはいえ
ちょっと残念。
229ページ3行目の
「違いにあようだ」は
「違いにあったようだ」
でしょう。
288ページの
写真のキャプションに
「ピエール・マンタイ」
とあるのは噴飯物です。
ただしくはもちろん
「ピエール・アンタイ」
写真のキャプションなので
思わず見逃したのかも
しれませんけど
かなり恥ずかしいかもなあ。( ̄▽ ̄)