神武天皇御即位紀元 (神武歴・皇紀) 2681年
令和 3年 (西暦2021年) 2月11日
建 国 記 念 の 日
建国をしのび、国を愛する心を養う日です。
(国民の祝日に関する法律 第2条)
神武天皇御即位を紀元とした神武歴(皇紀)、和暦・旧暦、西暦など、
さまざまな暦(こよみ)の発祥・歴史についてはこちら をご覧下さい。 |
【神武天皇、日本建国の歴史】
太古 (縄文時代) の日本 「葦原中國」(あしはらのなかつくに)は、日本列島
が誕生 (アジア大陸から分離) する前からの先住民族と、原始時代(新生代)
に列島が誕生 (大陸から分離) した後に渡来した民族が、海原に囲まれた国
土の中で幾多にも分かれ、各々で生活を営んでいた民族・部族間の争いが
絶えませんでした。
九州の高千穂宮(たかちほのみや)を御所とされていた神日本磐余彦尊(か
むやまといわれひこのみこと、後の神武天皇)は葦原中國の平定をめざされ、
その中央に位置し、葦原中國の平定にふさわしい大和国.(やまとのくに:現、
奈良県)へ彦五瀬命(ひこいつせのみこと)ら皇兄たちとともに向われました。
九州~畿内(瀬戸内海)の海上交通・交易航路の拠点作り、殖産(稲作・機織
り等) の奨励、教義に感化した部族とともに国家の地盤づくりを行いながら反
抗部族との衝突など、幾多の困難を経て大和国へ到達された磐余彦尊は、畝
傍山(うねびやま)の東南へ創建された御所 「橿原宮」 (かしはらのみや:現、
奈良県橿原市、橿原神宮) におかれ、初代天皇 (皇尊:すめらみこと) として
建国の詔 (みことのり:御言宣) を発せられました。 |
【橿原奠都.(かしはらてんと).の詔】
(建国の詔)
橿原建都の令■八紘爲宇の詔.(己未年三月七日) |
「「三月辛酉朔丁卯、下令曰「自我東征、於茲六年矣。(略)・・・
「「上則答乾靈授國之德、下則弘皇孫養正之心。然後、兼六合以開都、
「「掩八紘而爲宇、不亦可乎。(略)
「「辛酉年春正月庚辰朔、天皇即帝位於橿原宮、是歳爲天皇元年。」 |
(記述:日本書紀、巻第三■神日本磐余彦天皇、神武天皇) |
口語訳 (紺字部) |
「「天.(自然・祖先).から授かったこの国に政 (まつりごと) を広く行き
「「渡らせ、一つの家のような国家を築く。」 |
|
<参 照>
※ |
天皇の諡号.(しごう:御名)
飛鳥時代の674年以前は、神日本磐余彦皇尊.(かむやまと、いわれひ
このすめらみこと).等、和風諡号(わふうしごう) で称されていました。
東アジア諸国との外交上の必要性から淡海三船.(文人).が中心になり、
古事記・日本書紀などの記述を元に 「神武天皇」 等の漢風諡号(かん
ぷうしごう)が奉呈され、奈良時代後期(700年代後半)から公式に称さ
れるようになりました。 |
【神武天皇、日本建国の理念】
掩八紘而爲宇(八紘を掩ひて宇と為さむ)
◆ |
八紘(はっこう)を掩(おお)いて = 広く行き渡らせ |
◆ |
宇(いえ)と為(な)さむ = 一つの家のようにする |
政.(まつりごと).を広く行きわたらせ、民族が
一つになった、一つの家のような国家を築く。 |
【歴代天皇、政祭の基本理念】
海原に囲まれた国土の中で幾多にも分かれた民族・部族間の争いが絶え
なかった太古の日本に政 (まつりごと) を広く行き渡らせ、「民族が一つに
なった、一つの家のような国家を築く」 という神武天皇の日本建国の理念
は、自然の恩恵に感謝し、畏れ敬う日本古来の信仰の中で、御歴代天皇が
最高位の祭司として天地の神々を祀り (祭)、国家民族の繁栄と安寧を祈
りながら国を治めてこられた幾世紀にも亘る,政 (まつりごと) の基本理念
になりました。 |
西欧も感銘した【万世一系の皇統】
※ |
万世一系 (ばんせい、いっけい) |
|
永久に一つの系統 (天皇の血統・御皇室) が続くこと。 |
国家として.「御即位日」 【日本建国】.を紀元前660年 2月11日と換算したのは
西暦導入の明治初期ですが、元々は江戸時代の1615年(皇紀2275年)、長崎
へ25年間滞在していたスペインの貿易商人、アビラ・ヒロンが.「紀元前660年」
であることを換算しました。
■■※ |
ベルナルディーノ・デ・アビラ・ヒロン(生没年不詳) |
|
1594年、スペインから来日。平戸に到着し、長崎に居住。
1619年頃まで長崎に滞在し、長崎を中心に東南アジアで活躍した
貿易商人。 |
日本建国を西暦換算したアビラ・ヒロンは、祖国スペインへ.「彼らのもろもろの
文書や極めて古い書物は、最初の日本国王である神武天皇がその治世を始
めたのは2270年以上も昔と明言している」.と報告。
長年の在日経験・見聞をもとに日本社会を記述した著書.「日本王国記」.へ
■「主キリストが誕生する663年前、ローマ創建から89年後、日本は2270年
■「の間、同じ王家の王族が108代も続いてきた」.と記しています。
■(岩波書店、1965年刊..「大航海時代叢書、日本王国記・日欧文化比較」)
16~17世紀、キリスト教徒の大迫害を経た皇帝の交代、教派・聖典により「紀
元の概念・歴史」 が異なっていた欧州、頻繁な王朝交代があった東洋の他国
と比べ、他国に類ない日本の 「万世一系の皇統」 とその歴史に驚き、 【天皇
(王族) と民族が一体となった揺るぎない概念と信念】 に感銘しました。 |
建国理念 「掩八紘而為宇」 科学的立証!
「縄文時代の日本は、争いが少なく平穏だった」
岡山大学大学院教授ら、全国の縄文遺跡で出土した人骨を分析。
わが国の縄文時代(約14000年前~紀元前501年)における暴力による死亡
率は、石器時代(狩猟採集民時代)の大量虐殺を示唆する人骨が発掘された
欧米など他国のデータと比べ、5分の1以下の約1.8%であると算出、英国の
科学雑誌に発表。(2016年 3月30日)
元々(日本列島誕生前)は、同じアジア大陸の旧石器人であった日本の先住
民族と、日本列島誕生(大陸から分離)後に大陸から渡来した民族が、海原に
囲まれた国土の中で幾多の部族に分かれていた太古の日本。
縄文時代、九州の高千穂宮から畿内までの海上交通・交易航路の拠点作り、
稲作などの殖産を奨励、国家の地盤づくりを行いながら到達された大和国の
橿原宮にて「掩八紘而為宇」の詔を発せられた神武天皇の建国理念に基づ
いた仁政と武力によらない教化で部族を統治、その教義に感化・帰化した部
族とともに古代国家を形成した建国史の考古学的・科学的な立証です! |
わが国最古の正史.(国家によって公式に編纂された歴史書)である日本書紀
の記述に基づき、神武天皇御即位の日(辛酉年春正月庚辰朔:旧暦:1月1日)
を日本国家の起源として、御歴代天皇が宮中で皇霊・天地の神々へ国家民衆
(国民)の繁栄・安寧を祈られる祭祀(親祭)にあわせ、全国各地の官社(朝廷・
国家が管理・保護していた神社)などで神武天皇陵・橿原宮を遙拝して建国の
偉業を偲ぶ祭祀 「紀元祭」 が執り行われていました。
1872年(明治 5年)、それまで祭祀が執り行われていた日本書紀に基づく神武
天皇御即位の日(前述)を西暦に換算した紀元前 660年 2月11日が建国の日
.「紀元節」.に定められ、以後毎年2月11日に、天皇陛下・御皇室と国家・国民
が一体となって建国の偉業を偲び奉祝する国家祭祀.「紀元祭」.が執り行われ
ました。
((国家祭祀の廃止については.【建国理念、屈折の歴史】.をお読み下さい。)
現行の祝日法で.「建国をしのび、国を愛する心を養う日」.として制定された
「建国記念の日」 には、建国の地 「橿原神宮」 をはじめ、全国各地の神社で
建国創業の御神徳を景仰する祭典 「紀元祭」 が執り行われ、奉祝団体主催
による奉祝行事が行われます。 |
ご参考・参照元としてリンクさせて頂いていますサイト・団体等とは一切関係
ありません。
いずれの団体、その他の政治・思想・宗教団体にも属していません。 |
海原に囲まれた国土の中で幾多にも分かれた民族・部族間の争いが絶えな
かった太古の日本の平定をめざされ、「自然・祖先から授かったこの国に政
(まつりごと) を広く行き渡らせ、民族が一つになった、一つの家のような国を
築く。」 という遠大な理念で建国された神武天皇の御偉業。
建国の御世から、我が国と世界の平和、諸外国との恒久和平を願われ、諸
外国との友好親善を築かれながら、常に国民と日本で暮らす全ての人々に
御心をお注ぎ下さっている今上陛下に至る御歴代天皇が、自然の恩恵に感
謝し、畏れ敬う日本古来の信仰の中で、【最高位の祭司】 として天地の神々
へ、国家国民の安寧をお祈り頂いている祭祀とともに継承されてきた深厚な
理念。
その 「民族(国民)が一つになった、一つの家のような国」 という遠大、深厚
な理念と建国を偲び祝う心、天皇・御皇室を仰ぐ心を今もなお 「戦前の (戦
争につながる) 危険な思想・主義」 等と称する人々、その影響を受けられた
人々、受けられている人々の ”誤った認識” がお一人の心からでも払拭され,
建国を偲び祝い、純真に国を愛し、純真に天皇・御皇室を仰ぐ方がお一人で
も増えることを願います。 |
日本建国の歴史、理念
(【建国理念、屈折の歴史】~【現代に息づく建国理念】)
新規ウインドウで開きます。
吉備児島【高島遺跡、吉備高嶋宮址】
岡山市南区宮浦 (児島湾内■高島)
1940年 (昭和15年) 文部省指定 【神武天皇聖蹟伝説地】
神武天皇が太古日本の平定をめざされ、九州から大和国へ向われる際
に仮宮 【吉備高嶋宮】 を御創建、滞在された島。
写真をクリックして頂くと、高島遺跡 (祭祀跡・出土品) 概要、高島史跡
(高島神社 = 吉備高島宮址) の概要、御由緒のご紹介記事が新規ウイ
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晴れの国おかやまの観光情報はこちらから!
岡山県マスコット■うらっち(左)・ももっち(右)
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