古墳時代 |
553年 | 第29代、欽明天皇(きんめいてんのう)が暦法を求め、百済(下記) に暦博士の来朝(来日)を要請。 |
554年 | 欽明天皇の要請により百済の暦博士、固徳王保孫が来日。 |
飛鳥時代 |
602年 | 百済の僧、観勒(かんろく)が暦書・天文書・地理学・遁行方術(古 代中国の占術)などを伝授するために来日。 |
690年 | 第41代、持統天皇の御代より、中国王朝が制定し、百済で施行さ れていた暦法「中国暦」を導入。 |
記述: | 日本書紀 (平安時代編纂の政務事例書「政事要略」では604年導入。) |
江戸時代 |
■1685年 | 日本独自の暦法(陰暦)へ改暦され、1872年(明治 5年)の「太陽 暦への改暦」(前述)まで使用されました。 |
現在も桃の節句・端午の節句・七夕・十五夜(お月見)などの伝統行事、占い などで使われています。 |