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K-1谷川が必死に火消し活動

なんか谷川の必死の弁明で、ぬるぬる秋山問題が鎮火してしまいそうだ。

■日刊スポーツ

なんか意地でも 「ぬるぬる問題」 だけに終始するつもりらしい。


いやー、これは困ったね。

谷川がこの調子である以上は、恐らくグローブとその中身に関しては何も進展がないと思う。

どっかの週刊誌が命がけで追求してくれればもうちょっと何か出てくると思うんだけど、そんなリスキーな仕事を引き受けてくれる出版社などないわけで。

強いて言えば、可能性があるのはコアマガジンくらいかww


裏事情を何も知らないワタクシのような一市民からすれば、興行会社なんてヤクザだカルト教団だの影があるようでとっても怖いですものね!


実は知り合いのマスコミ関係者にも何度か話は振ったんだけど、どいつもこいつも 「それは怖いもん!」 とか 「シャレにならないっすよ!」 とか言われてお終い。

そうだよなあ。


怖いよなあ。


特に格闘技業界なんて、某有名団体の代表が殺されたりしてるもんなあ。

あ、自殺でしたっけ?

アハハハハハ失敬失敬。

という訳で、誰か一線越えてみせようとする勇者はおらんか!?

桜庭vs秋山戦に関して、みのもんたが暴言を。

先日の記事でも書いた 『桜庭vs秋山戦』 に関する続報。

今日(1月12日)の朝に放送された、みのもんたが総合司会を務めるTBS系列のニュース番組 『朝ズバ!』 で、みのもんたが問題発言をぶちかました。


みのもんたは、ルール違反を犯した事が明らかになった秋山に対して



「秋山君は潔く謝ったね!みんな応援してるんだから、今後も頑張って欲しいね!」


「秋山君、こんな汚名は晴らさなきゃならないぞ!」


といった、好意的な庇う発言をしたのに対し、一方的な被害者である桜庭選手に対しては


「桜庭選手の言うことも当然だ。」

と、前置きとして桜庭選手の発言を認めるような言葉を発しつつも


「だけど当然のことでもこれ以上言わない方がいい。」

「これ以上 (自論を) 押し通そうとすると反動が来るぞ。」


などという、「お前はどこのヤクザだ?」 と言いたくなるような恫喝めいた言葉で締めくくった。


今回のみのもんたの発言の裏には、この格闘技大会を放送したのが同じTBSであるといった事情も隠されていると思われるが、それにしてもこの発言内容は酷すぎる。

今回の試合は、秋山がルールを無視した卑劣な手段で桜庭選手を騙まし討ちにしたも同然なのだ。


先日のFEG(K-1の主催者)の発表では、秋山が身体にルールで禁止されているワセリンなどの油分を含んだクリーム(乳液?)を塗っていたことを認め、秋山を失格処分とした。

だが、問題は身体のヌルヌルだけではない。


最も注目すべきは秋山の使っていたグローブなのだ。


FEGは 「グローブは試合後に回収して調べたが異常はなかった。」 と言っているが、この点が明らかにおかしいのである。


『秋山グローブ問題』 を簡単にまとめてみよう。

・グローブに付いているはずの企業ロゴが取れていた
・グローブの下に何か異物を仕込んでいるように見える


大まかに分けるとこの2点が最大の焦点となる。

詳しくは 『秋山問題』 のまとめサイトを各自参照していただきたい。



で、これに関してFEG側はこのような公式見解を発表している。

まずはそれをざ~~っと読んでいただこう。


(以下、FEGのオフィシャルサイト より引用)



検証結果 ~グローブ疑惑について~

(1) Dynamite!!第4試合後の休憩後にバンテージ・チェックした秋山選手とセコンド(門馬、山田両氏)が競技役員室にグローブを取りに来たので、審判 団のグローブ係・田沢競技役員より主催者が用意した「EDWIN」のロゴ入りのグローブを渡す。秋山選手は2Lか3Lか迷っていたが、実際にはめてみて3Lを選んだ。バンテージは主催者が支給した範囲のものであれば、ルール上いくら巻いてもOKだが、秋山選手はこの日多く巻いていたので、2Lでは入らなかった。→特に問題なし。


(2) 控室の映像でグローブを支給された秋山選手が須藤選手の試合あたりで控室に戻ってきているところが確認されている。その後、秋山選手ははめてていたグローブをはずして、秋山選手が用意したベッドの横に置いている。 この時、ロゴは両手とも確認。バンテージにも、審判団がチェックしたサインがあることを確認。→特に問題なし。


(3) Dynamite!!第8試合後の休憩後に秋山選手がウォーミングアップ・ スペースに登場。この時の映像を見ると最初チェックしたサイン入りのバンテージをはめた秋山選手がウォーミングアップをし、その後支給されたグローブをつけてミット打ち→寝技のスパーリングを行っている。映像ではミット打ち、スパーリング中に秋山選手の右手の「EDWIN」のロゴがどんどんはがれていくところを確認。スパーリング途中では、完全に右手のロゴがはずれてしまっている。→秋山選手が故意にグローブを変えた形跡はなく、問題なし。


(4) ウォーミングアップ終了後、そのまま汗をかいた秋山選手に対し、審判団のグローブ係、岸名審判員が入念にグローブチェックをし、問題がないということで、赤いテープをそれぞれの手首に巻き、検印を押していることを映像で確認。→この時、審判員は右手のロゴがないことを見逃しており、審判員のミスが発覚。本来、ここで予備のグローブに交換していれば、今回のような混乱は起こらなかった。


(5) 試合。秋山選手が入場し、リング上で芹沢サブレフェリーがボディチェック。この時もグローブチェックをしているが、右手に「EDWIN」のロゴが入っていないことをサブレフェリーも見逃している。→審判員サブレフェリー)のミスが再び発覚。


(6) 試合後、オイル問題もありリングから控室に退場する秋山選手に礒野ルールディレクターら数名が密着して同行する。控室途中の通路でボディチェックをする際、秋山選手より「腕が痛いのでグローブをはずしていいか」と言う要請が入る。そこで審判団の立会いの元で秋山選手のセコンドがハサミでグローブのテーピングとバンテージをカット。グローブ、バンテージともに異物が入れられていた形跡がないことを確認。その後、グローブはそのまま主催者が回収したが、公式の3Lのものだったことを確認した。→問題なし。


(7) グローブ製作会社への確認

<印刷過程>
①スポンサーからのロゴ納品→白ざぶとんに赤の「EDWIN」のロゴ2色。
②製品に圧着させる専用のシートにロゴを印刷。
③シートを規定の大きさにカット。
④シートに熱を加えて、グローブに圧着させて完成。

<はがれる可能性について>
昨年『FieLDS K-1 PREMIUM 2005 Dynamite!!』で問題がなかったので、同様の方法で行った。万が一はがれるとしたら、グローブが本革なので、革の乾燥の問題、または選手の汗があまりにも多い場合ははがれる可能性がある。→実際に、当日回収した全グローブのロゴ状態を検証。他のファイターでは曙選手のグローブのスポンサーロゴが若干はがれかかっていたのが確認できた。よって、実際に今回のスポンサーロゴがはがれる可能性があることが証明されてしまった。

<審判団の見解>
 以上の結果、グローブについては秋山選手の故意の不正はどこにも見当たらず、それは映像からも十分検証できた。また、過去の例から言うと、選手によっては硬いグローブを嫌がり、支給されてからグローブを装着するまで踏んだり揉んだりして柔らかくする人がいて、今後グローブにスポンサーロゴをどのような方法で入れるか課題が残った。製作会社は早急に検討することを約束。また、今回このような事態が起こった原因を作ったグローブ係の審判員とサブレフェリーにペナルティ処分を与えることを決定。さらに三重四重のチェック機能を作ることを今後、審判団で検討することになった。


FEGオフィシャルサイト内 『桜庭vs秋山戦の裁定に関する結果報告』 より)




かなり長くなってしまったが、ポイントを絞って考察していこう。


・企業ロゴ問題
FEG側は 「何らかの拍子にロゴが剥がれてしまうことが証明された」 と言ってはいるが、肝心の 「ロゴが剥がれそうになっている映像」 などは一切公表せず(これはTBS側の思惑か?)、FEG側が 「そう言っているだけ」 に過ぎない。

もしもキッパリと証明したいのであれば、TBSから録画した映像を借りて、動画ではなくとも、せめて静止画保存でもして公開すべきではなかろうか?



・グローブの下に何か異物を仕込んでいるように見える問題について


(これからアップする写真について前置き)

下の画像はTBSなどで放送された映像をキャプチャーした物だろうと推測されるため、様々な権利関係のお話が発生してしまうことを予め言っておく。

だが、この一件は下手をすると 『傷害事件』 に発展する可能性もある案件なので、『公共性のある問題を考察するため』 に以下の写真をアップさせていただく。(激しく言い訳がましいが)





まずは試合で秋山が着けていたグローブのアップ。

「妙なふくらみ」 や、「掌にある謎の物体」 と、「そこから指の付け根に向かって伸びている何か」 などが確認できる。



試合後に 「骨折していた」 という内容の会見をした際の秋山の手(というか指)のアップ。



この写真を見る限りでは、『グローブの中に何かを仕込み、それを握り込みながら戦っていたのではないか?』 という疑惑が浮上して当然である。

特に秋山の指の付け根辺りについたアザのような痕が気にかかる。

だが、これを証拠に 「秋山はメリケンサックを握ってたんちゃうか?」 などと言うことはできない。

なぜなら、長~~~いバンテージをガッチガチにグルグル巻きにして、それに水を染み込ませるなどして重量を増し、その上からグローブを着けた可能性も捨てきれないからだ。

現に、FEGは公式見解で 「バンテージの長さなどに関しては規定がない」 とハッキリと断言している。

よって、バンテージの長さがどれだけ長くなろうともルール違反にはならないのだ。

FEGの結果報告が全て事実だったとしても、これは明らかにFEG側のルールの不整備が招いた悲劇である。

そして実際に秋山が 「鉄製の何か」 などではなく、ルールで認められているバンテージをガチガチにした物を装着していた可能性もかなり高い。

なぜなら、これもFEGの公式見解に不穏な点があるからだ。


秋山選手は2Lか3Lか迷っていたが、実際にはめてみて3Lを選んだ。バンテージは主催者が支給した範囲のものであれば、ルール上いくら巻いてもOKだが、秋山選手はこの日多く巻いていたので、2Lでは入らなかった。→特に問題なし。



さて、秋山の手のサイズはどれほどだろうか?

『プロ格闘家として常識的な量のバンテージ』 を巻いたとして、ジャストサイズのオープンフィンガーグローブはLなのか、2Lなのか、それとも今回使用した3Lなのか。

FEGはさりげなく 「秋山選手はこの日多く巻いていた」 と明らかにしているのだが、これは一体どういうことなのか?

FEGの説明を真に受けても、いかに不備が多いか分かるだろう。


これはFEGが、ルールで禁止されてないからプロ格闘家なら相手を殺すことになりかねないと分かるほど大量のバンテージを巻き、それをガッチガチに固めてグローブを着け、それで桜庭選手を殴打しても問題ない と言っているのも同じだ。

確証の持てない噂ではさらにえげつない話も聞こえてくるのだが、飛ばし記事になるのも嫌なのでそれは書かない。

ただ、今のFEGの管理能力では、プロの格闘家を集めて定期的に興行を行う資格などないのではないか?と問題提起させていただく。

で、素人ではバンテージというのがどれほどの凶器になる得る物なのか分からないだろうから、どこかでコレを検証してみようと思うんだが…。


どうせなら 『秋山君』 を擁護するために無責任な発言をした、みのもんたとTBSがやってくれないかな?

まあ検証結果を誤魔化されてお終いかもしれんけど。




■以下壮絶な蛇足


という訳で、探偵ファイルの山木君。

ガルの金使える立場なんだからお前やれ。

格闘家気取りで試合に出たり、タイでムエタイの試合して悦に浸ってるヒマがあったらお前がこの検証をしてみろ。

もし検証してくれないなら、おはら汁サイドに山木の同僚の大住やえりすの話を全部書きますけどいいですか~?

と、ついこの間までの騒動を知らない人には絶対に誤解されてしまう蛇足文を付け加えてみた。

桜庭vs秋山が無効試合に!…ってちょっと待て。

昨年末に京セラドーム大阪で行われた 『Dynamite!!』 という総合格闘技の大会で、元柔道家の秋山成勲選手と、プロレスラーの桜庭和志選手の試合が行われ、秋山選手の 「1R KO勝ち」 という結果になった。

だがこの試合は、秋山選手が身体にルールで禁止されているワセリンのような物を塗っていた可能性や、グローブがルールで定められた公式の物ではなかった可能性が指摘され、桜庭選手も公式の場で憤りを露わにし、かなり不透明な(というか明らかにおかしい)試合であるとして、試合放送直後から大きな話題となっていた。

で、主催者であるFEG(K-1の主催者でもある)は、1月11日(今日)記者会見を開き、真相究明に努めた結果、秋山選手の非を認めて失格処分とし、試合自体をノーコンテストに、そして秋山選手のファイトマネーを全額没収、さらには審判団にも処分や厳重注意をするという結論を出した。(参考リンク )



んが、ちょっとこれはおかしいなあ。

秋山がルール違反をして、失格になったわけでしょ?


だったら桜庭の勝ちじゃないか。

それとも試合自体が成立していないから、勝敗の決めようが無いということか?

そんな訳のわからない歯に物が挟まったような結論を出すくらいなら、秋山を反則負けにして、桜庭を反則勝ちにすればいいんじゃないの?秋山の不正は明らかになったんだから、そうなって当然だと思うんだが。

なんで不正をした秋山と、正々堂々と戦った桜庭が同列に扱われるんだろうか?(ギャラ没収とかはさておき、勝敗の結果においてもハッキリと上下というか、格差をつけるべきだろ?)


だってなあ、試合後の秋山が何を言ってたか知ってる??

桜庭が 「秋山の身体が滑りすぎる!何か塗ってるんじゃないか?」 と指摘したのに対して


「ボクは多汗症で1日に水を6リットルも飲むんです。そのせいじゃないですか?」


なんてしら~~っと言ってのけたんだぞ?

その秋山が今回の結論を受けて



「何の弁明の余地もありません。桜庭選手、申し訳ありませんでした。どんな処分も受けるつもりでいました」


とかなんとかぬかしやがったんだよ!


おまけに自分で弁明の余地もありませんと言っておきながら


「ボクは乾燥肌なんでスキンクリームを塗っていました。ワセリンやオイルがルール違反でも、クリームはOKだと思っていました。」


だの言い出す始末…。



お前、多汗症だから身体が滑るって言い張ってたやろが!!


多汗症から乾燥肌にクラスチェンジか!!


次はなんだ?ニキビ予防とでも言う気か!?



しかも身体が滑るだけじゃない。

もう一つおまけがある。(というかコッチが本丸)

秋山には 「グローブの下に何かを仕込んでいたのではないか?」 という疑惑もあるのだ。

2ちゃんねるなどで秋山に疑惑を感じた有志が色々と調べているのだが、その中でこんな写真が出てきた。




一番右の写真を見てもらえれば一目瞭然なんだが、秋山のグローブは桜庭のそれと比べて、明らかにデカイのである。

デカイというか、『異物を握りこんでて膨らんでいるようにしか見えない』 のである。

で、当然のごとく 「このグローブの下の物体はなんぞや?」 という疑問が浮かぶのだが、調べによるとこれは練習用の鉛 (手首とか足首に巻くやつの掌版) ではないかという指摘もある。

※このグローブ疑惑だけではなく、秋山の何が問題なのかについては、まとめサイト があるのでそこをご参照ください。


で、このグローブ問題に関して、主催者側は 「回収して調べたけどオフィシャルの物だった。何の問題もない。」 と言っているけれども、これが大間違いなのよ。

だってさ、中に何か握りこんでたんだとすれば、試合が終わった後でグローブだけ回収して調べても意味ないだろ?




それにしてもなんだかなあ。


ぶっちゃけ確信犯だろコイツ。


オレはな、無駄な民族差別はしたくないけどな…





これだからチョンは信用できねえんだよ!!



あんまね、人の出自をアレコレ言いたくはないけどね、秋山には柔道家時代から 「襟に何か塗って掴まれ辛くしてた」 とか、様々な黒い疑惑があったんだよ。


『バレなきゃ何をやってもいい』
っていう半島思考が染み付いてるんじゃないのか?



同じ在日でも前田日明は大好きだけど、この秋山は好かんわ。

なんかやる事が姑息で鼻につくわ。

放送局も亀田と同じTBSだし、もう何だか全てがムカツクわ~。


■オマケ

桜庭vs秋山戦を裁いたレフェリーのブログが前代未聞の大炎上

汁説 織田信長 『第6回 傾奇者織田信長と尾張の統一』

さて、今までは織田信長という革命児が生まれた 『土壌』 を説明するために、なるべく時系列に沿った形で進めてきた。


が、今回からはその形式を捨てて、問題点をもっとピンポイントでえぐるような書き方に変えようと思う。


その理由は 「信長の人生を順序だてて語ってるといつまで経っても終わらないから」 である。


いやー、歴史物を書く難しさを思い知りますわ。




で、前回は信長が急死した信秀の跡を継いで、尾張統一に向けて動き出すところまでだった。


まずはこの信長のスタート地点がいかなるものだったかを再度説明しよう。



第一に、尾張守護の斯波氏はすでに傀儡と化しており、名目上の存在に過ぎなかった。


だが尾張守護代の織田信友は健在で、厳密に言えばこの時点での信長は織田信友の家来に過ぎない。


さらに信秀時代には大人しくしていた尾張国内の連中も、代替わりした信長に対しては 「隙あらば」 と目を光らせている状況だった。


兵力的にも決して他を圧倒していたわけではなく、父親に尾張半国の主の座を譲ってもらったものの、内に外に敵を抱えているという危うい立場だったのである。


だが信長はこのような決して有利とは言えない状況から、家督を継いでからわずか8年で尾張の統一と、その直後の 『桶狭間の奇跡』 へと突き進んで行く。


とりあえず、ここまでの信長に関する年表を簡単にまとめてみよう。


・1534年5月11日(12日説もあり)
織田信秀の三男として誕生


・1538年
信秀が信長(当時吉法師)を那古野城主に任命。


・1546年
古渡城で元服の儀を行い織田信長を名乗る。

・1549年
美濃の斉藤道三の娘(帰蝶・濃姫)と結婚。


・1551年
信秀が没し信長が家督を継ぐ。また弟の信行が末森城主となり、柴田勝家や佐久間信盛らがこれに付き従った。


・1553年(1549年説もあり)
信長と道三が正徳寺で会見。(ちなみにこの正徳寺とは、なんと一向宗の寺である)



さて、幼少期の信長はその奇行の多さから 「大うつけ」 と呼ばれていたと言われているが、その理由は大まかに言うと以下のようなもの。


1.婆娑(佐)羅(バサラ)とか傾奇者(かぶきもの)と表現されるような振る舞いが目立った。

2.警護も付けず街中を徘徊したり山中に入り込んだりと無謀な行動が多かった。

3.ガラの悪い人間との付き合いが多かった。



だがこれらは当時の 「お利口さんから見た場合の価値観からしてみれば」 というだけの話で、信長からしれみれば 『褒め言葉』 だったかもしれない。


まず1についてだが、婆娑羅とはそもそも 「古い権威や常識を否定する」 「独特の美意識を持つ」 「自分の信じた道を突き進む」 という 『生き方を表現する言葉』で、実は信長の時代の200年以上前(1300年代の南北朝時代)に流行したものだ。


その 『婆娑羅な生き方』 を貫くにはどうしても金やバックボーンが必要になるため、実質上大名クラスや良家の人間でなければ、満足なバサラ道を歩むことが出来なかった。


よって後に 『バサラ大名』 なる単語まで生まれることになる。(バサラ大名として古くて有名なのは佐々木導誉とかで、信長時代だと松永久秀とか、後期の信長自身じゃないかと)


破天荒なだけでも趣味人なだけでも婆娑羅とは呼べないから、今の言葉で表すなら 『金持ち限定の命がけの反体制パンク兼デカダンス』 とでも言うべきか?(イメージ的には 『大金持ちで芸術にも精通した雲のジュウザ』 とか…)


婆娑羅と比べると比較的新しい言葉で、ちょっと貧乏臭く感じるのが 『傾奇者』 なんだが、これにしても 「常識を鵜呑みにしたくない」 「自分の思った通りの生き様を貫きたい」 という強烈な意志あってのもので、精神的には婆娑羅とそれほど変わらない。


今の言葉で言うと 『趣味の時間を大事にするリアルパンク』 か…?(うわ段々自信なくなってきた)


なんかいつの間にか 【婆娑羅と傾奇者】 というタイトルの文章のようになってきてしまったが、分かりやすく言うと金持ちじゃなきゃできないのが婆娑羅で、貧乏人でもできるのが傾奇者だ。きっとそうだ。とりあえず話が進まなくなるからそう思っておこう。



で、信長も若い頃はこういった 『奇抜な格好をして世の常識を鼻で笑うような子供だった』 と。


それを根拠に信長を 「奇人だ!変人だ!」 という人がいるのだが、それはちょっと思慮が足りないと思う。


なぜなら、これは信長が 『父親の背中を見ながら様々な事を学んで育った』 という一番の証拠だからだ。


なんたって信長の父信秀こそ、尾張の国の序列とか権威を (金にものを言わせて) ぶち壊してのし上がった張本人なんだから、そんな父親のやり方を素直に学べば、当然のごとく古い権威や常識に縛られない子供になるだろう。


で、このことは2や3にも繋がってくる。


最近は 「街中を悪ガキ連中と徘徊していた」 とか 「ぷらっと山や川や海に出かけたりしていた」 という逸話に対して、信長を擁護する意見が増えてきているんだが、こうした 『幼少期信長擁護論』 を口にする人は、皆だいたい 「信長はそうやって尾張の国を隅々まで調べ、同時に自前の家臣団を作り上げていたんだ」 という意見を唱える。


オレもその見方でほぼ間違いないと思うんだが、その理由は青年期の信長の 『尾張国内での活動内容やスピード』 を考えればおのずと分かるように思う。



・信長は幼少期から、将来自分が納めることになる国の衣食住や宗教といった生活の実情、街道や細い山道、流通形態などを調べて熟知していた。


・代々の世襲ではなく、自力で探し出した 『信用のおける自分だけの家臣』 を集めていた。


と考えねば、その後の 『尾張統一』 も 『桶狭間』 も、さらに言えば 『兵農分離』 も 『楽市楽座』 もなかっただろう。


さらに言えば、信秀が信長を跡継ぎに決め、重臣たちに何を言われようと変えなかったのは、信長が傾(かぶ)くのに理由があると分かっていたからだろう。


オレは織田信秀は自分で尾張を統一してから信長にバトンタッチするつもりだったと思っているんだが、恐らく信長の方でもそう思っていたに違いない。


跡継ぎなんだから信秀の存命中に 「オレが尾張を統一すっからそっから先はお前がやれよ?今のうちに勉強しとけ?」 くらいのことを言われていた可能性もある。


だからこそ信長は信秀の早すぎる死を誰よりも悲しみ、また絶望感を味わったのではないかとも思う。(この辺は灰を投げつけた逸話が本当だったらの話になるけど)



だが信長は、自身の最大の理解者でありタニマチでもあった父親の、『予想外に早い死』 という最悪のアクシデントを乗り越えることができた。


この凡人ならば即座に命を落としてもおかしくない危機的状況を救った要因こそ、信長の 『自分の思った通りにしか生きない傾奇者らしさ』 なのである。


もしも信秀の跡をついだのが 『当時の価値基準での優等生』 だった織田信行あたりだったとすれば、言いかえるなら信長の傾奇者ならではの 『常識を常識と思わない決断力』 がなければ、守護や守護代といった古い序列を壊せず、さらには織田の宗家に対しても気を遣い続けねばならなかったように思う。

信秀の残した遺産が大きかったとはいえ、それだけでは決して尾張統一などできなかったのだ。

家中の決め事などは、父親や祖父の代からの世襲の重臣たちの顔色を伺いながらでないと決められず、かといって自分の意見を押し通そうとすれば、いつ家臣に暗殺されるか分からない。


そんな状況ではいたずらに時間が流れるばかりで、決して信長の思うような 『革命的な仕事』 はできなかっただろう。


となれば、国内の内紛に追われて今川義元の侵略に成す術もなく散っていたに違いない。(その前に織田家を見限った斉藤道三に侵食されてたかもしれない)

だからこそ信長は、幼少期から誰が敵で誰が味方なのかを冷静に見定め、自分に忠実な自分だけの家臣を集め、来るべき時に備えていたのだと思う。


若い頃の信長が傾奇者だったという事実には、このような切実な事情があるのだ。

結果論のようになってしまうが、信長が自分の思った通りにしか動かず、自分の頭で納得できることしか認めず、一度決断を下したら他の何を差し置いても最短時間で目的を達成することに全力を尽くす性格だったからこそ (これらを略して傾奇者だったからこそ)、父親の成し遂げられなかった尾張統一を20代で果たし、桶狭間の奇跡を起こし、後に様々な 『エポックメイキング』 をもたらしたのである。



さてそんな信長には婆娑羅的・傾奇者的な性格の他に、「情の薄い人間」 「冷酷」 というイメージがあるように思う。


だがこれも実は事実に反している。


例えば、斉藤道三が息子の義龍に敗れて死んだ時に、柴田勝家や林秀貞らが織田信行を擁立して、美濃との協力体制を失った信長に反旗を翻したのだが、信長は信行一派を敗走させた後に許している。


ただし、翌年に信行が再度信長の命を狙ったため、この時はさすがに暗殺という形で信行の命を奪っている。(柴田勝家らはこの二度目の謀反の際は信長派に鞍替えしていた)


実は信長が肉親に対して冷たい仕打ち (といっても信行の場合は自業自得) をしたのはこの件くらいなのである。


尾張の統一事業においても、織田姓の敵対勢力に対してなるべく穏便な手段を用いており、信長が命を奪った織田姓の人間は、著名な人物では織田信友 (尾張守護代) と先に述べた弟の信行くらいではないだろうか?


信友の殺害に関しては、信友が尾張守護の斯波義統を殺したため、その仇を討つという大義名分の下に事に及んだわけで、決して非難されるようないわれはない。(ちなみにこれによって清洲織田家が滅び、信長が尾張織田家の事実上のトップの地位を確保した)



さらに自分の妹や娘を嫁に出すにしても、滅多に (人質目的の) 政略結婚などせず、主に自分の家臣との縁を深めるような縁談しか結んでいない。


例外がお市の嫁いだ浅井家と、五徳(お徳)の嫁いだ徳川家なのだが、それもその当時は浅井家と争うことになるなど 『信長本人が思っていなかった』 だろうし、徳川家との問題にしたって五徳と信康が離縁し 『信康の死』 という結末を迎えるなど考えてもいなかったろう。


信康と五徳の関係について、一般に 「五徳が信長に家康の正妻と信康の謀反を伝えた」 のがきっかけだと言われている。


だがこれを受けて信長が徳川家に送ったとされる詰問状は、後世の捏造(もしくは修正されたもの)だという説が浮上してきているし、なんといっても五徳自身が信康の助命のために信長に直訴しに行こうとしているのだ。


よって、この信康自刃事件は明らかに何かがおかしいと分かる。


だがこれについて語っているとまた長くなるので涙を飲んで割愛する。



話を戻すが、実は青年期の信長は 『誰よりも一族や仲間を大事にしていた』 のであり、家臣に対しても苛烈な裁きを与えることは滅多になかった。


これは有名な逸話だが、羽柴秀吉の妻のねね(おね)が、秀吉の浮気癖について信長に密告(?)した際に、信長は 「あんな禿鼠にアナタのような女性はもったいない!アイツにもそのくらい理解できてるだろう。」 といった内容の返事をしている。

この話からどのような信長像が浮かんでくるだろうか?

信長が世間一般に言われてるような情に薄い怖い人物だったなら、秀吉の妻はこのような 「すんごくどうでもいいプライベートな話」 を持ちかけたりしただろうか?

信長が実は人情味溢れる面倒見のいい性格だったからこそ、秀吉の妻は亭主の浮気について 「気軽に」 相談しに行ったのではないか?


そんなお人好しな信長がおかしくなり始めるのは、実は 『浅井長政の裏切り』 (これについても色々と言いたいことがあるんだが、今は裏切りとしておく) の後のことである。


それまでの信長は 『なるべく血を流さない方針』 に則って領国を運営していたのだ。



という訳で、長くなってきたので今回はこの辺で。



次回は 『信長の宗教観』 か、もしくは 『信長の人間性』 について語ってみようと思う。(まだ未定)

蒙古タンメン中本(ラーメン)

気付けば1ヶ月ぶりの板橋グルメマップですが、激辛ラーメンで有名な 『蒙古タンメン中本』 を出し忘れていた事に気付いたオレ。


この店はTVや雑誌などへの露出が多いので、もしかしたら名前を聞いた事があるという人も多いかもしれない。


で、池袋・新宿・目黒とチェーン展開している中本ですが、今回ご紹介するのは当然のごとく上板橋の中本本店。


思えばオレが探偵ファイルで企画した 『激辛フードバトル』 の第一回戦を中本の池袋店で行ったんですが、その際にインターネット上の企画でしかないのに、参加者全員にタダで冷やし味噌(中本で一番辛いつけ麺)をふるまって頂いた訳で。


ありがとう中本。


ありがとう冷やし味噌。





と、ささやかな感謝の気持ちを胸に秘め、やって来ました中本本店。

この日は平日で、しかもランチタイムを外した事もあり、行列は出来ておらずすんなり入店。(ピーク時は1時間近く並ぶ事もアリ)




『蒙古タンメン』
これは中本の看板メニューで、辛味と旨味のバランスの取れた優れもの。

ようは野菜たっぷりタンメンの上に辛いマーボー豆腐を乗せた感じなんだが、野菜から優しい甘味が出ているので、激辛メニューは無理だという人でも充分食べられる辛さだと思う。


問題点は、早く食べないと麺がノビて不味くなってしまうんだが、どう考えても早食いできない熱さだということ。


猫舌の人は大人しくつけ麺系のメニューを食べた方が無難かもしれん。



『冷やし味噌』
これが中本で一番辛いとされている激辛メニュー。

だが、ただ辛いだけではなく、辛さの中にもコクがあって、口内や唇の痛みに耐えながらハァハァ言いつつ夢中でがっついてしまうという不思議な逸品。


食べた翌日はアヌルから唐辛子さんがコニャニャチワしてしまうため、おトイレタイムが大変厳しいことになるのだが、それでも何日かするとま~た食べたくなってしまうという 『ジャンキー量産フード』 なのである。

注意すべきは、つけ汁に麺をひたしてすする際に、思い切り 「ずずずず!」 とすすると、ノドに唐辛子が張り付いて死に掛けるという点である。こうなるともう、咳は止まらないわ涙は止まらないわと地獄の苦しみを味わい、水なんかいくら飲んだところで事態の解決にならなくなるので本気で注意。


※そういやこの日はたまたまなのか、辛さがイマイチだった。思わず卓上の唐辛子をガンガン振りかけて食べたんだが、これはオレの味覚がぶっ壊れてしまったのか、それとも本店が辛さを抑えるようになってしまったのか…。(味覚というより、もはや痛覚の問題かもしれん)



■総評

あくまで個人的な意見なんだが、この店は麺がそれほど美味しくない。というか、何の特徴もないどうでもいい麺である。


なので、オレとしては一度冷水で〆てシャッキリさせてある 『つけ麺系メニュー』 をオススメする。

『北極』 という 『冷やし味噌』 と同じくらい辛いラーメンメニューもあるのだが、それはもう湯気を吸い込むだけでノドが痛くなるというトンデモメニューで、辛い上に熱くて食えず、気付くと麺がノビノビになっているという、色々な意味で地獄メニュー。(隠れ猫舌のオレにとって鬼門と呼べる)


そんな訳で、オレは中本は 『冷やし味噌』 で一確だと思うなー。


腹ペコの時は 『冷やし味噌』 と 『半ライス』 を頼んで、つけ汁の中に入っている味の染み込んだ肉片を全部ライスの上にぶちまけてがっつく。それがオレ様の流儀。


点数を付けるなら、蒙古タンメン(ラーメン系メニュー)が85点で、冷やし味噌(つけ麺系メニュー)が95点て感じかしら。

思えばまだ中本がチェーン展開を始める前、オレ様は 『冷やし味噌』 が食いたくて食いたくて、しょっちゅう上板橋の本店までチャリンコで通っていた訳で。

下板橋(自宅近辺)→大山→中板橋→常盤台→上板橋と、東武東上線レートで換算するなら実に4駅分も疾走していた訳で。


池袋店ができて以降は、そっちの方が近いから本店へ行くことは稀になっちゃったんだが、それでも本店には思い入れがあるからか、行くたびに特別な感情が湧くんだよなあ…。


という訳で、上板橋本店以外にも池袋・新宿・目黒・吉祥寺に支店があるので、板橋が誇る激辛ラーメンを味わってみたい方はお近くの蒙古タンメン中本までぜひ。(個人的な感想だけど、味が安定しているのは上板橋の本店と池袋店だと思う)



■蒙古タンメン中本

住所:東京都板橋区桜川3-5-1 キャッスル桜川1F

TEL:03-5398-1233
定休日:年中無休

営業時間:平日=11時~2時 土&祝=10時~2時 日=10時~0時


アクセス:東武東上線上板橋駅下車。改札を出て 『五本けやき』 と書かれている方へ(確か改札を背にして右側だった気が)。駅を出たら左手の商店街を直進して川越街道へ抜ける。川越街道を渡った先の 「五本けやき」 という交差点近くにレッドロブスターがあるので、その交差点を右に曲がってひたすら直進(交差点付近に大きなけやきの木が生えてるので分かると思う)。しばらく歩くと真っ赤なお店が見えてきます。



■参考リンク
蒙古タンメン中本の道 (中本のお客さんが作ったファンサイト。各支店の情報などはコチラでどうぞ。)
※冷やし味噌とか北極は本当に辛いので、激辛メニューに慣れてない人は、とりあえず蒙古タンメンとか、冷やし蒙古タンメンあたりから始めるといいかも。



■追記

中本の冷やし味噌で満足できなくなった激辛ジャンキーのあなたは、都営三田線千石駅から徒歩3分の大沢食堂 で極辛カレーを食べるといいよ。(個人的に大辛カレー炒飯がたまらなく好き)


ただし中本みたいな正統派料理としての辛さではなく、明らかにデスソース系の辛さなので注意。


※大沢食堂の店主は日本で初めてキックルールでムエタイに勝った、日本初のキックボクシング王者なので、とりあえず入店したら畏敬の念を送ること。(空手バカ一代にも出てくるほどの人だったりする)