中正紀念堂駅から、南海路を西へ10分ほど歩くと、台北市立植物園の敷地内に芸術教育館という建物がある。
 

 
これ、日本時代の建功神社という建物の遺構だそうで。
 
↓当時の外観
 
 
このパネルは、芸術教育館の入り口を入って左手にある展示スペースで見られます。
 
井手薫による建築で、和洋中の混合様式、と書いてありますね。
 
 
1926年、台湾神宮の宮司をしていた山口透の提案があり、1928年に鎮座。
 
新旧・内部のようす↓
 
 
日本統治開始以来、台湾で殉職・台湾に貢献してきた人物(台湾人含む)を祀っていました。
 
 
こちらが現在の内部。
 
カラフルなドーム型天井の中心に、青天白日が燦々と。
 
終戦後、日本時代の遺構は国民党軍によってほとんど破壊されてしまいました。が、なぜこの神社は壊されず再利用されることになったのか。それは、建築家・井手薫の柔軟な発想に秘密があったようです。
 
井手薫は、建築が現地の風土や文化と調和することを大切にしていました。そのため、和洋中の混合様式で鉄筋コンクリート製、という当時としては珍しい神社建築になったんですね。
 
まあ、外観はずいぶん変わってしまいましたが、おかげで全体は残っているし、それだけでもかなり貴重な歴史遺産です。
 
●新刊『なるべく働きたくない人のためのお金の話』発売中です