台北二二八記念館に行ってきました。
 
 

台湾で二二八といえば、1947年2月28日に起きた、国民党の圧制に対する反対運動のきっかけになった事件。

 
ここで、私の認識・オブ・二二八事件~現代までをおさらいメモ。
 
敗戦により日本が撤退してから、大陸からやってきた国民党が台湾で実権を握りました。
 
このとき警察や政治家のほとんどを占めたのが外省人(大陸からやってきた国民党の人たち)。
結果、汚職が横行、酒やタバコの販売権は独占され、治安や失業率は悪化し、内省人(もとから台湾に住んでいた人たち)は参政権もほとんど認められず、生活は悪くなる一方でした。
 
しかたなく路上で闇タバコを売っていた台湾人女性に、国民党の警察が暴行を加えお金と商品を巻き上げ、これに不満を爆発させた民衆が台湾放送局を占拠し、反対運動を全国に呼びかけます。
 
これに対し、当時の台湾で国民党トップであった陳儀は、大陸から軍を呼び込んで街中を機銃掃射、そして血で血を洗う内戦状態に、、、
 
やがて戒厳令が布かれ、言論や表現の自由は規制され、知識人を中心に投獄・処刑。
 
戒厳令が廃止されたのは1987年。ちょうど30年前。つい最近です。
 
そしてちょうど20年前の1997年、二二八記念館が設立。
 
長い間、語ることも許されなかった歴史をやっと語れるようになった、記念すべき場所なのです!
 
と、まあここまでがざっくりした流れ、という感じでしょうか。
 
写真撮影OKだったので、興味のあるものを撮っておきました。
 
 
二二八事件の当時、全国に速やかな情報の伝達を可能にしたのがラジオでした。
 
この台湾のラジオ普及状況表には年代が載ってませんが、内地人(日本人)と本島人(台湾人)と区別されてるので、1945年以前のことでしょう。
 
これを見ると、当時の日本人の分布がよくわかります。
単純に、より多く聴かれている=より多く住んでいる、とすると、日本人が一番多く住んでいたのが北~東北部。いまの台北、宜蘭や基隆があるところです。
二番目が南西部。いまの台南や嘉義のあたり。
三番目に中西部。台中らへんです。
 
 
日本が軍国主義に傾き始めた1936年、台湾でも皇民化運動がおこり、台湾人に対する日本名への変更、家庭での日本語使用が奨励されます。
 
ちなみにこの時代を生きた台湾人のおじいさんに当時のお話を聞かせてもらったことがあります。そのとき、
「強制されたんですか?」
と聞いたら、
「いや、選べましたよ。私は日本名には変えませんでした」
とのお答えで、意外でした。
 
「家庭で日本語を話す家には、国語を使っていることを表す札が配られたんですよ」
ともお話しされていて、
 
 
その表札が展示してありました。
 
それから、当時販売されていたタバコのパッケージ。レトロかわいいです。
 
 
二二八事件というと、国民党軍に対する反対運動ばかりが取り沙汰されますが、台湾人の自治への願いは日本時代から芽生えていて、日本政府との戦いもあったようです。
 
日本時代を美化する向きもありますが、二二八事件以降があまりにもひどかったもんで、印象が底上げされてるだけなんだな。
 
そして、国民党側の被害者のこともきちんと取り上げている。
 
この記念館のすばらしいところは、かつての敵とも共存していこうという姿勢。
 
台湾の人たちは歴史を冷静で客観的に認識して未来につなげていこうとしているんだなー、と感心しました。
 
 
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