尾張エクセルの「日々精進ブログ」

尾張エクセルの「日々精進ブログ」

木曽の清流に映え、心触れ合う躍動都市;愛知県一宮市に活動拠点を置く、尾張エクセルです。保守政権を応援しつつ、経済・社会・軍事防衛まで、地域や国内、海外の気になる出来事や話題を、独断と偏見溢れる一味違った目線でブログ提供します。

落語を聴くのにいちばんいい季節は師走の12月である。
12月がいいのは、この時季ならではの噺が掛かるからである。
入院中の小生は、いくつかの師走の噺(はなし)を紹介していく。
四回目の噺は、『芝浜』である。

芝は金杉に住む魚屋の勝五郎。腕はいいし人間も悪くないが、大酒のみで怠け者。
金が入ると 片っ端から質入して呑んでしまって、仕事もろくにしないから、年中
裏店住まいで店賃もずっと滞っているありさま。
今年も師走で、年越しも近いというのに、勝公は、相変わらず仕事を十日も休み、
大酒を食らって寝ているばかり。
女房の方は今まで我慢に我慢を重ねていたが、さすがにいても立ってもいられなく
なり、真夜中に亭主をたたき起こして、「このままじゃ年も越せないから 魚河岸へ
仕入れに行ってくれ」とせっつく。
亭主はぶつくさ言って嫌がるが、盤台もちゃんと糸底に水が張ってあるし、包丁も
よく研いであり、わらじも新しくなっているという用意のよさだから文句も言えず、
しぶしぶ天秤棒を担ぎ、追い出されるように出かける。

 
外に出てみると、まだ夜は明けていない。
「カカアの奴 時間を間違えて早く起こしゃあがったらしい、ええいめえましい」と、
勝五郎はしかたなく、芝の浜に出て時間をつぶすことにする。
海岸でぼんやりと煙草をふかし、暗い沖合いを眺めているうち、だんだん 夜が明け
てきた。
顔を洗おうと、波打ち際に手を入れると、何か触るものがある。拾ってみると ボロ
ボロの財布らしく、指で中をさぐると確かに金。二分金で四十二両。
さあ、こうなると、商売どころではない。
「当分は遊んで暮らせる」と、家にとって返し、あっけにとられる女房の尻を叩いて
酒を買ってこさせ、そのまま酔いつぶれて寝てしまう。
不意に女房が起こすので目を覚ますと「年を越せないから、仕入れに行ってくれ」と
言う。
「金は四十二両もあるじゃねえか」と𠮟ると、「どこにそんな金がある、おまえさん、
夢でも見てたんだよ」と、思いがけない言葉。
聞いてみるとずっと寝ていて、昼ごろ突然起きだし、友達を呼んでドンチャン騒ぎを
した挙げ句、また酔いつぶれて寝てしまったという。
「金を拾ったのは夢、大騒ぎは現実」というから念がいっている。
今度は、さすがに魚勝も自分が情けなくなり、「今日から酒はきっぱりやめて、仕事に
精を出す」と、女房に誓う。
それから三年。すっかり改心して商売に励んだ勝五郎。
得意先もつき、金もたまって、今は小さいながら店も構えている。
大晦日、片付けも全部済まして夫婦水入らずという時、女房が「見てもらいたいものが
ある」と出したのは紛れもない、あの時の四十二両。
実は亭主が寝た後、思い余って大家に相談に行くと、「拾った金など使えば  後ろに手が
回るから、これは奉行所に届け、夢だったの一点張りにしておけ」という忠告。
そうして隠し通してきたが、落とし主不明でとうにお下がりになっていた。
おまえさんが 好きな酒もやめて懸命に働くのを見るにつけ、「辛くて申し訳なくて 陰で
手を合わせていた」と泣く女房。
「とんでもねえ。おめえが夢にしてくれなかったら、今ごろ、おれの首はなかったかも
しれねえ。手を合わせるのはこっちの方だ」
 
女房が、「もうおまえさんも大丈夫だからのんどくれ」と、酒を出す。
勝、そっと口に運んで、「よそう。……また夢になるといけねえ」
 
「芝濱」は三遊亭圓朝の「三題噺」が原作である。「三題噺」とは、寄席で客から三つの
お題を貰って、それらを絡めて、その場で作る即興の落語である。
ある日のテーマが、「酔漢」と「財布」と「芝浜」だった。ここから生まれた「三題噺が
ベースとなって、その後に本作が成立したとされているが、「三題噺」のせいか、かなり
無茶苦茶な筋運びである。

しかし 夫婦の愛情を暖かく描いた屈指の人情噺として 知られるようになった。大晦日に
演じられることが多い。また、「5代目三遊亭圓楽が生前最後に演じた演目」である。
南鳥島(東京都小笠原村)沖に眠るレアアース(希土類)の試掘が来年1月に始まる。
この計画を主導する内閣府の「戦略的イノベーション創造プログラム(SIP)」は、
12月23日、記者会見を開いて作業の詳細を説明した。
レアアース泥を約6千mの海底から引上げる世界初の試みは、圧倒的な生産シェアを
持つ中共への依存脱却に向けた大きな一歩となる可能性があり、成否に注目が集まる。
先端技術品製造に欠かせないレアアースを巡っては、中共が経済的威圧の武器として
利用しており、各国で「脱中共化」が課題となっている。
「SIP」の石井正一プログラムディレクターは冒頭、6月の現地調査時に中共海軍の
空母「遼寧」が、日本の排他的経済水域(EEZ)内である現場海域を航行したことに
触れて、「威嚇行動をとられることに相当の危機感を持っている」と訴えた。

試掘は海洋研究開発機構の探査船「ちきゅう」を使用。期間は2026年1月11日~
2月14日、うち海上での作業期間は約20日間を見込む。
試掘では船から「揚泥管」を海底まで下ろして、水圧で固く締まったレアアースを含む
泥を揚泥管に接続した装置で海水と混ぜて撹拌(かくはん)。軟化させた上で、揚泥管
内に発生させた水流に乗せ、船上まで押し上げる仕組みだ。

2022年に茨城沖の水深約3千mで実施した揚泥試験は成功しており、今回の試掘は、
難しさに「大きな違いはない」と自信を見せる。
2027年2月から、「1日当たり350トンを採掘する大規模掘削システムの実証」に
移行する予定。その段階で、埋蔵量や経済性などを評価する方針だ。
南鳥島沖のレアアース泥は、陸上で採掘されるものとは異なり、ほぼ放射性物質を含んで
いないといい、対策コストを抑えられる可能性がある。
より希少性が高い『重希土類』が多く分布しているとされ、埋蔵量は一部では「世界需要
の数百年分」との見方もある。

「圧倒的な生産シェアを持つ中共への依存脱却」に向けた大きな一歩となる可能性があり、
試掘の成否に注目が集まる。
小生は、おおいに期待する。
落語を聴くのにいちばんいい季節は、師走の12月である。12月がいいのは、
この時季ならではの噺が掛かるからである。
入院中の小生は、いくつかの師走の噺(はなし)を紹介していく。
三回目の噺は、『睨み返し』である。
 
長屋の熊五郎、貧乏暮らしで大晦日になると、弓提灯の掛け取りがこわい。
家にいて責められるのが嫌さに、日がな一日うろついて帰ると、その間、矢面に
立たされたかみさんはカンカン。
「薪屋にも米屋にも、うちの人が帰りましたら夜必ずお届けしますと、言い訳を
して帰したのに、金策もしないでどうするつもりなんだい」と、責めたてる。
 
もめているところへ、その薪屋。本日三度目の「ご出張」。
熊が「払えねえ」と開き直ると、薪屋は怒って、「払うまで帰らない」と、凄む。
熊は、「どうしても帰らねえな~。おっかあ、面(おもて)に心張り棒をかえ。
薪ざっぽうを持ってこい」
さらには、「払うまで半年、そこで待っててもらうが、飯は食わせねえから、遺言
があったら言え、しかたがねえから葬式ぐらいはオレが出してやる」

薪屋はあえなく降参。
おまけに、借金を払った(つもり)の受取まで書かされ、「おい 十円札で払ったから、
釣りを置いてけ」
 
一人やっと撃退したが、「あと何人相手にしなきゃならねえか」と、熊はうんざり。
 
そのとき表で「ええ、借金の言い訳しましょう」という声。
 
変わった商売だが、「これはもっけの幸い」と呼び入れると 言い訳屋は「どんなに
強い相手も追っ払ってごらんに入れます」と自信満々。一時間二円だという。
 
どうにか小銭をかき集めて払うと、言い訳屋
「すみませんが、ご夫婦で押入れに入っていていただきましょう。クスリと一声を
出されても、こっちの仕事がうまくいきませんから、交渉中は黙っていただくよう」
 
しばらくすると、米屋。「えー、熊さんは、親方はお留守で?」見ると、見慣れない
男が煙草を吸いながら、無言で睨みつけるだけ。
何を聞いても返事をしない。米屋は怖がって帰ってしまう。
次は酒屋。同じようにすごすと ご退散。
 
また次は、高利貸の代理人で、那須という男。「何ですか、君は。恐ろしい顔だな~。
ご親戚ですか。おい君、黙っておってはわからん。無礼だね。君…」
何を言っても、ものすごい目でにらむばかり。さすがの海千山千の取立人も、気味が
悪くなって帰った。
 
喜んで熊が礼を言うと、ちょうど十二時を打った。
「時間が来ましたようで、これで失礼を」
「弱ったな。あと二、三人来るんだが、もう三十分ばかり」
「いや、せっかくですが、お断りします」
「どうして?」、「これから、自宅の方を睨みに帰ります」

「睨み返し」は、ユーモアと人間関係の駆け引きを描いた魅力的な落語の一つである。
江戸時代の商売は「掛け」で行われ、年末に支払いを行うのが一般的だった。
この噺は、当時の人々の生活や商習慣を反映しており、落語の中でも特に親しみやすい
テーマである。 
ただただ怖い顔で借金取りを追い返す、伝統の「ビジュアル落語」として有名な話。
聴くだけではない。演者の表情をも楽しみである。
自民党の安全保障調査会は12月12日の幹部会合で、防衛装備品の輸出要件である
「5類型」について論点整理案を提示した。自民党と日本維新の会が、月内にも開く
与党協議へ議論を加速する。
論点整理案は、①5類型見直しの必要性、②防衛装備品の性質に応じた分類、③防衛
装備品の分類を踏まえた手続き、④丁寧かつ分かりやすい説明―の4点を検討項目に
掲げた。「5類型」の撤廃後も一定の歯止めをかけることを念頭に置く。
 
自衛隊の活動、安全保障問題全般を伝える安保・防衛問題の専門紙『朝雲』の12月
18日付けコラム「時の焦点(海外)」より、一部加筆の上で引用して紹介する。
自民党の安全保障調査会が、防衛装備移転3原則の運用指針の見直しに着手した。
現在の運用指針は、防衛装備品の完成品の輸出について、輸出相手国の用途が「救難,
輸送,警戒,監視,掃海」の「5類型」の場合のみ可能と定めている。
自民党は、「5類型が、防衛装備品の輸出を難しくしている」として、撤廃する方向で
議論を進める。
 
政府は2023(令和5)年に、外国企業に特許料を払って、日本企業が製造している
「ライセンス生産品」について、ライセンス元の国への輸出を全面的に解禁した。この
緩和に基づき、防衛省は「地対空誘導弾;ペトリオットミサイル」を米国に輸出した。

 
装備品を他国と共同開発するケースでも、「5類型」は適用されない。ミサイル防衛シス
テムを搭載した護衛艦など、殺傷能力を持つ装備品の輸出も認められる。
今年8月には、オーストラリア政府が 海上自衛隊「もがみ型」改良型護衛艦をベースに
した共同開発を採用した。
フィリピンは日本に対し 中古の護衛艦の輸出を求めている。中古でも共同開発の枠組み
としない限り輸出できない為、日本政府内では 仕様を一部変更して「共同開発」に位置
づける事を検討している。こうした護衛艦の輸出の構想はインドネシアとの間にもある。
装備品の輸出の拡大は、相手国との安保協力を深めることにもつながる。同じ装備品を
使っている国とは、修理や部品の調達などでも協力できるだろう。
ロシアの侵略を受けているウクライナは、戦争開始当時、戦力面で極めて不利とされた。
それでも戦闘を長期間継続できているのは、武器を欧米の支援に頼るだけでなく、ウク
ライナ国内で「攻撃型ドローン」などを製造しているためとされる。

 
島国の日本で、有事の際に武器や弾薬を国内で十分に調達できなければ、継戦能力を維持
できまい。防衛産業の成長を促していくことは喫緊の課題だろう。
日本は長年、武器輸出を事実上禁じてきた。防衛産業の納入先は自衛隊に限られ、生産能
力は弱体化した。
防衛装備品を製造する国内企業には、風評などのリスクへの警戒もあり、新たな装備品の
開発などに積極的に取り組んできたとは言えない。防衛産業を成長分野に位置づけ、生産
基盤の強化を図っていくことが求められている。
「5類型」を撤廃した場合、「日本が世界各地の紛争を助長しかねない」と懸念の声もある。
 

これに対して自民党は、「防衛装備移転3原則を引き続き維持する」としている。「3原則」
は、「紛争当事国への移転禁止」や、「装備移転による平和貢献」、「相手国の適正な装備品の
管理」などを定めている。
国際社会から高い評価を受けている日本の平和国家としての歩みを生かしながら、自衛力の
基盤を強化したい。
落語を聴くのにいちばんいい季節は、師走=12月である。
12月がいいのは、この時季ならではの噺(はなし)が掛かるからである。
入院中の小生は、いくつかの師走の噺(はなし)を紹介していく。

二回目の噺は、『掛け取り』,『掛け取り万歳』である。
「年末物」では、最もメジャーな噺である。実に遊び心豊富な噺である。
借金取りが好きなものを入れてご機嫌で帰ってもらえばいいのであり、創作力が試され
るが、本当に得意なものがあればそれをやればいい。
柳亭市馬、桂文治といった師匠が代表だろう。市馬師匠なら当然歌うし、文治師匠なら
昔の師匠方のモノマネをする。
「大晦日」は、掛け買いの攻防戦である。掛け取りで乗り切れるのか。崖っぷち夫婦の
悲喜こもごも…。  
 
大晦日。掛け買いの借金がたまった夫婦。当然支払えるあてはない。
「ここはひとつ、掛け取りの好きなもので言い訳してケムにまき、追い返してしまおう」
と作戦を練る。
 
まずは「大家」である。
風流にも「蜀山人(しょくさんじん)」を気取って 狂歌に凝っている。なにせ、七か月も
店賃(たなちん)をためているので、なかなか手ごわい相手。
そこで即興の狂歌攻め。
「僧正遍照(=返上)とは思えども金の通い路吹き閉じにけり」
「なにもかもありたけ質に置き炬燵かかろう島の蒲団だになし」
「貧乏の棒は次第に太くなり振り回されぬ年の暮れかな」……
案の定、大家はすっかり乗せられて、
「貸しはやる 借りは取られる その中に 何とて大家 つれなかるらん……
オレも時平(=ヒデエ)ことは言わねえ、梅桜の杉(=過ぎ)王まで松(=待つ)王としよう」と、
芝居の「菅原」尽くしで帰ってしまう。
 
次は「魚屋の金さん」だ。
この男は、喧嘩(けんか)が飯より好き。
「今日こそは、もらえるまで帰らねえ」と、威勢よくねじこんでくるのを、
「おおよく言った。じゃあ オレの運が開けるまで 六十年がとこ待っていねえ。男の口から
取れるまで帰らねえと言った以上、こっちも払う迄ちょっとでも敷居の外はまたがせねえ」
と、無茶苦茶な逆ネジ。
挙げ句の果てに借金を棒引きさせて、みごとに撃退した。
 
こんな調子で義太夫、芝居とあらゆる手で難敵を撃破。
 
最後に、「三河屋のだんな」である。
これは、三河万歳(みかわまんざい)のマニアである。
双方 万歳で渡り合い、亭主が扇子を開き「なかなかそんなことでは勘定なんざできねえ」と
太夫で攻めれば、だんなは「ハァ、でェきなければァ二十年三十年」と、こちらは才蔵。
 
「ハァ、まだまだそんなことで勘定なんざできねえ」
「そーれじゃ、いったいいつ払う」
「ひゃーく万年もォ、過ぎたならァ」
 
昔は、日常の買い物はすべて掛け買いで、決算期を節季(せつき)といい、盆・暮れの二回
であった。
特に大晦日は、商家にとっては 「掛売りの借金が回収」できるか、また、貧乏人にとっては
踏み倒せるかどうかが死活問題で、古く「井原西鶴の世間胸算用」でも、それこそ、笑う処
ではない、壮絶な攻防戦がくりひろげられている。
むろん、江戸でも大坂でも「掛け売り(=信用売り)」するのは、同じ町内の「生活必需品(酒,
米,炭,魚など)」に限る。
落語では結局うまく逃げ切ってしまうのだが、「現実は厳しかったことだろう」と推察する。
 
筋は単純で、掛け取り(集金人)それぞれの好きな芸事を利用して相手をケムに巻き、撃退する
というだけの噺である。
それだけに「義太夫などの音曲、芝居、三河万歳」とあらゆる芸能に熟達しなければならず、
よほどの大真打ちで、多方面の教養を身に着けた者でなければこなせない。
 
「掛取万歳」は、かつては「六代目三遊亭円生」の独壇場であった。
「芝居」も「万歳」も「義太夫」もやり、音曲噺を得意とする噺家の真骨頂を見せつけていた。
六代目円生では、酒屋の番頭を上使に見立て、「近江八景」づくしのセリフで言い訳した後に、
「今年も過ぎて来年 あの石山の秋の月」,「九月下旬か」,「三井寺の鐘を合図に」,「きっと勘定
いたすと申すか」,「まずそれ迄はお掛け取りさま」,「この家のあるじ八五郎」,「来春お目に」,
「かかるであろう…」と、めでたく追い払った。
また、六代目円生の「くすぐり」が秀逸であった。
亭主が魚屋を逆に脅して、借金を棒引きにさせたあげくに、「帰るな、払ったことになるな」と、
幻の領収書を書かせるところが爆笑。
無理やり「毎度ありがとうございます」と言わせた上、「6円70銭。10円渡した(つもり!)
から、お釣りを置いてけ」。まことにどうも、けしからんもんで…。
本日;12月22日は二十四節気の一つ「冬至」である。
日の出は、午前6時57分、日の入りは午後4時44分。昼間の時間が、一年で
最も短い日である。
入院中である小生は感じないが、本日は最後気温が7℃で、最高気温が13℃の
晴天であり、朝晩は寒いものの、昼間は日差しの温もりを感じる日になるという。
「小春日和」という冬至になるのかもしれない。
一日の寒暖差に注意をして体調管理に気を付けるようにしたいものである。
「コロナ」や「インフルエンザ」も流行しているとも看護師から聞いた。

 
冬至 冬なか 冬はじめ」というそうである。
明日からは「日脚が少しずつ伸びていく…」のだが、「冬なか 冬はじめ」の捉え
方は、なかなか面白いと小生は感じる。
それは「光(日の長さ)と気温」という 異なった二つの観点から「冬至」という
ポジションを見据えているからである。
 
ちなみに大雄会病院に入院四日目の小生は、本日も午前中に、三時間近くの点滴
治療をしていただく。その後は、リハビリのお世話になることになる。
入院中は外気の天候や寒暖が全く感じられないので、その点ではありがたい。
 
「冬至」は、暦の上では「冬の半ば」で、「光は春に向かい始める日」なのである。
何となく明るい気分になるではないか。
 
一方で、気温の方は、これから年明けに向けてどんどんと厳しくなっていき、2月
初めの「立春」頃に寒さのピークを迎える。
暦の上で「冬なか」なのだが、気温をみれば「冬はじめ」で、それが「冬至」だ…。
 
「二十四節気」を 更に3つに分けた「七十二侯」は、「冬至」の間に以下のように
移り変わる。
 
①初侯:乃東生(なつかれくさしょうず)12月22日~25日頃
冬至の初候 「乃東生(なつかれくさしょうず)」は七十二候のひとつであり、草木
が枯れはてた中で、シソ科の「ウツボグサ」だけが 芽を出しはじめる季節である由。
ちなみに「ウツボグサ」は漢方薬として「夏枯草(かごそう)」の名前で呼ばれる。
②次侯:「麋角解(さわしかのつのおつる)12月26日~30日頃
「麋(さわしか)」の角が抜け落ちて、生え変わる季節であるという。「麋」とは、
かつて中国に住んでいた体長約2mもある「シフゾウ」のことをいう。
③末侯:雪下出麦(ゆきくだりてむぎのびる)12月31日~1月4日頃
大地を覆っている雪の下で 秋に種をまいた麦が芽をだす季節である。麦は「年越草」
ともよばれる。
地中や冬木立の枝先で、植物は芽吹く力を育むのである。
 
閑話休題。「一陽来復」とは、冬至の別称でもある。
「逆境・不運などの良くない事が続いた後に、漸く幸運が向いてくる」という意味に
もよく使われるという。闘病生活が長く続いている昨今の小生にもあやかりたものだ。
だが、元は易の言葉であって、「陰の気が極まって陽の気がまた巡ってくる」という
ものであるそうである。
午後五時前には日も沈んで、長い長い夜が訪れる。
「明日からは昼の時間が長くなるぞ…♪」と、あと一周間余りで訪れる正月を迎える
子供のように、小生の心も何となくうきうきとしてくるではないか。
歳末の一週間ほどの入院生活で、この一年間のストレスや疲労が軽減できるだうか。
小生が愛読する日経新聞の12月17日付夕刊一面コラム「明日への話題」に
掲載をされた作家の氏の記事には、なかなか興味をひかれたので、
一部加筆の上で紹介する。
インターネットで見つけた情報をそのまま信じるわけではないが、どんな質問
にもすぐに答えてくれるので、これまで誰にもしたことのない質問を時々投げ
かけてしまう。
例えば「寒さ」とは何か。「人は何度以下だと寒いと感じる」のか。
面白いことに、日本語で尋ねると、答えは「20℃」で、ドイツ語で尋ねると、
「15℃」
という答えが出てくる。
20℃が寒いのでは、「ベルリン」は一年中寒いことになってしまう。平均気温
が20℃を超えるのは7月のみで 最高気温なら6月と8月も20℃を超えるが、
15℃くらいの日もあるので、平均はなかなか高くはならず、ましてそれ以外の
月は全て20℃以下の気温を普通と思わなければならない。
そんな寒いところに好き好んで暮らしている自分は、一体なんなのだろう。

 
しかし、わたしは実は「寒さに魅せられている」ところがある。
それは、「ホッキョクグマ」が好きになるよりもずっと前からのことで、おそらく
冬の長い土地から来た「ドストエフスキー」が好きになった頃からだと思う。
わたしが、一年のうちで一番じっくり執筆できるのは一番寒い1月である。
意識が内へ内へと向かい、素晴らしい言葉を見つけた時に、「その言葉の温かさと
光が身に沁(し)みる
」。
「寒いと空気が透き通って見え、夏の濁りの中では見えなかったものが見えてくる」
ような気がする。寒いので腐食が進まず、冬には古いアイデアもすぐには腐らない
のでじっくり取り組むことができる。
地球の温暖化のせいで、北極の氷が溶けて「ホッキョクグマ」も困っている。これ
からは、
寒さそのものを地下資源のように大切に考える時代が来るかもしれない。
小生が愛読する日経新聞12月19日付朝刊のマーケット総合のコラム「大機小機」に
掲載された記事には、なかなか興味をひかれたので、一部加筆の上で紹介する。

今年を振り返ると、日本の将来を方向付ける大きな変化が、着実に進行していることに

気が付く。なによりも日本を取り巻く国際環境が大きく変わった。

米国をめぐる国際問題、外交問題を注視し続けた「ヘンリー・キッシンジャー元米国務

長官」は2014年に著した「World Order」(伏見威蕃訳「国際秩序」)で次のように

述懐している。

『民主主義と自由市場を広めれば、自動的に公正で平和で排他的ではない世界が創れる

という見方は冷戦直後の楽観的な思い込みだったのではないか…』。

 

国際経済システムは かつてないほどグローバル化している。一方で政治構造は変わらず

国民国家が土台になっている。加えて「米国の国力及び国際的指導力」は、冷戦直後に

比べて大きく低下した。

 

それから11年。今年再び登場したトランプ米大統領が、「ロシアのウクライナ侵略」に

歯止めをかけようと奔走しても、いま現在、目立った成果をあげられないでいる。

さらに、世界第2の経済大国となった中華人民共和国(中共)が「軍事的プレゼンス」を

急速に高めている。

米国が盟主として世界に君臨していた冷戦時代と違い、経済グローバル化のもと経済競争

が激化し、各国で所得格差が拡大した。その結果、「ポピュリズム」が政治を動かし始め、

米国を含めて各国が自国中心的な色彩を強めている。

日本も、この「メガトレンドの渦中にいる」ことはいうまでもない。昨年の衆議院選挙や、

本年7月の参議院選挙を通じ、青壮年世代の現役勤労者~いわゆる中間層の投票率が顕著

に上昇し、自公連立政権が崩壊、自民主導の戦後政治体制は終わった。

世界も日本も「多党制・多様性の時代」に入ったのだ。

各国の安全保障は、それぞれが担わざるを得ない。米国との同盟を組む日本も「安全保障

コストである防衛費」を増やさざるを得ない。

 

注目すべきは中間層が声を上げ始めたことによって 長期自民党政権を支えてきた既得権層

が力を失い始めたことだ。これによって経済構造は変わってゆく。

政府による累次の規制改革策がなしえなかった構造改革が動き始める。

そうなれば、「人口減少社会を見据えた社会保障制度改革」など長期構造改革に政府が腰を

据えて取り組む環境が整う。大いに期待をしたい。

落語を聴くのにいちばんいい季節は12月であると思う。12月がいいのは、この
時季ならではの噺が掛かるからである。
大雄会病院に入院中の小生は、いくつかの「師走の噺(はなし)」を紹介していく。
一回目の噺は、『時そば』である。
「底冷え」する夜には、小生が聴きたくなる古典落語の一つに 師走の屋台を舞台に
した「時そば」がある。
勘定を数える途中で 「いま何時(なんどき)だい?」と尋ね、代金を誤魔化す噺だ。
口達者な男が「商(あきな)いはどうか?」と問う。
「よくない…」と答えるそば屋を、男は諭(さと)す。
「世の中、運が良ければ悪くもなる」。
「商いは、飽(あ)きないでやることだ…」。
下手なしゃれではあるが、もっともである。落語もなかなか人生勉強になる。
この噺の聞かせどころとは、「江戸っ子らしい語り口」と「蕎麦の食いっぷり」とが、
噺家の腕である。
そば代は、十六文(もん)であり、「小銭(こぜに)で払うよ」。
「六、七、八…」、「いま何時だい」、「へえ、九ツで」。
「十、十一、十二…」と「一文」を誤魔化す。


それを横で観ていた「とんまな男」が、真似をする。
「五、六、七…」、「いま何時だい」、「へえ、四ツで…」、「五、六、七…」。
得するつもりで損をするのが、この噺のオチで、「江戸時代の時間の数え方」が
ポイントである。
江戸時代の時刻の数え方は、冬と夏とでは、昼と夜との長さに幾分かの違いは
あったようだが、時代劇の中では、およそ現在の「二時間を一刻」としており、
「明け六ツ」から一日が始まり、「朝五ツ、朝四ツ、昼九ツ、昼八ツ、昼七ツ」、
そして「暮れ六ツ、夜五ツ、夜四ツ、暁九ツ、暁八ツ、暁七ツ」、そして 再び
一日の始まりとなる「明け六ツ」とされていた。
所謂、「不定時法と呼ばれる時刻の数え方」である。
「高市政権で景気回復だね、給料も手取りも上がるよ、消費税も上げるよ!」と
いうのは、現実の話だろうか。
「そういえば、消費税はいくつだったんだい?」、
「へえ、当初ては3%で」、「ならば5、8、10…」と。
持ちかけられて、さて我々の懐(ふところ)は、潤うのか痛むのか。
「世の中は、運が良ければ悪くもなる…」という落語の台詞(せりふ)が、歳末
の小生には、なかなか意味深長に聞こえたものである。
「飽きない努力」が やっと実ったのだろうか。高市政権に替わって2か月、「景気
への回復の期待」が語られた一年もであった。
果たして「本物だろうか」、それとも「肩透かしに終わる」のだろうか…。
新しい年には答えが待っている筈だ。いろいろあった令和7年も、あと十日である。
政府・与党は1月18日、「所得税の非課税枠『年収の壁』を178万円に引き上げる」
と決定した。
基礎控除の上乗せ対象は、中間層を含む年収665万円以下とし、納税者の8割ほどに
あたる。物価高対策と位置づける。
防衛力強化の財源確保に向けた所得税の増税時期は、2027年1月と決めた。
高市早苗総理と国民民主党の玉木雄一郎代表が12月18日夕刻に、国会内で会談して、
「年収の壁」の引き上げに正式合意した。
与党が12月19日にまとめた「2026年度の税制改正大綱」に明記。

 

 

一方で、日銀は12月19日に開催の「金融政策決定会合」で、政策金利である無担保

コール翌日物レート誘導目標を0.25%引き上げ、30年ぶりの高さとなる0.75%

に引き上げると決めた。

事前予想通りである。政策金利は1995(平成7)年以来 30年ぶりの高い水準に。

植田和男総裁は、同日の記者会見で「今の金利水準が まだ金融環境を引き締めいない」
との認識を示した。
景気を、熱しも冷ましもしない中立金利については、「推計値の下限には まだ少し距離
がある」と述べ、利上げ路線を続ける意向を示した。

 
小生が愛読する日経新聞;12月19日付け朝刊コラム;【春秋】から、一部加筆の上で
引用して紹介する。

年の瀬が近い。「宵越しの銭は持たねえ」。威勢がいい江戸っ子も、この季節ばかりは、

金策に苦しんだ。

「ツケ」で買った食品や家賃の回収に「掛け取り」がやって来る。狂歌や芝居、相手の
趣味で盛り上げ、ごまかし、お引き取り願う。大晦日(おおみそか)の攻防は古典落語
で楽しめる。

江戸者の生まれ損ない金をため」。川柳にもある。消費性向の高さをもたらしたのは、

気質や慣習の前にまず風土だったと「江戸学の祖」三田村鳶魚は言う。

ひとたび木造密集の長屋から火災が発生するや、「筑波颪(おろし)」の空っ風に煽られ
て、江戸の街は頻々と丸焼けになった。「
どうせ燃えるなら使っちまえ!」という訳だ。
 

時代は下って、日本人は今や ため込み好きに。個々人の懐は 年の瀬の寒空に震えても、

総額で見れば「去最高2286兆円もの金融資産」を持つ。1万円札を積み上げれば

富士山;6000個分にも及ぶらしい。

長らく「半分強を現預金が占めてきた」が、このほど18年ぶりに過半を切った。デフ
レからインフレへ潮目変わりを感じる。

物価が上がれば、現預金の「使い出」は減る。「どうせ減るなら先に使っちまえ!」と、

「江戸DNA」は、蘇(よみがえ)るだろうか。

一足早く景気良くバラマキ始めたのが「お上」である。子どもに2万円、電気・ガスに
7千円……巨額補正予算を決めた。物価の火に油を注げば苦しむのは庶民だ。
インフレ税の「掛け取り」は、勘弁 願いたいもんだ。