パリ・オリンピックが始まっている。連日の熱戦がTV番組やネットなどで報道さ れており、船上パレードの雨の開会式に加えて、柔道や男子体操,水泳,スケボー, フェンシングなどには注目をしている。 特に、熱戦が続く柔道や、大逆転で金メダルを獲得した男子体操競技には、大きな 感動をもって見守っている。 ![]() 日本選手が活躍しているのを、闘病生活を続けている小生は夜中まで拝見しており、 金メダルを獲得して国旗「日の丸」が掲揚され、国歌「君が代」が流れると、小生 は ナショナリストになる。 ![]() 1898(明治31)年にアテネから始まった近代オリンピックでは当初、スポーツ だけでなく芸術競技もあった。日本が初参加した1912(明治45)年のストック ホルム大会では、文学部門で「スポーツに寄せる詩」を書いた詩人;「ホーロット& エッシェンバッハ」が金メダルに輝いた。 |
この時の出品作品はフランス語で「オド・オ・スポール(Ode au Sport、日本語で 『スポーツ賛歌』)」とされている。 「おおスポーツよ、神々の喜びよ、生命の本質よ」…詩はこう始まる。「おまえは、 人びとの幸福なつながりを後押しするとともに、人びとを団結させ、一つの力に献身 させる」。これは「オリンピックの掲げた理想そのもの」である。それもそのはずで、 その詩人は近代オリンピックの創始者;「ピエール・ド・クーベルタン男爵」のペン・ ネームだったという。 |
さらには、クーベルタン男爵の考案・提唱によって「近代五種競技」が1912年の ストックホルム・オリンピックから競技種目に採用された。これは、1人の選手が、 1日の間に「フェンシング,水泳,馬術,レーザーラン(射撃+ラン)」というそれ ぞれに全く異質な5種類の競技に挑戦する、万能性を競う複合競技である。 ![]() |
クーベルタン男爵が「IOC」会長を退く花道として、故郷のパリで大会が開かれた のは1924(大正14)年。以来100年ぶりに点された聖火である。「愛の讃歌」 が流れる中、舞い上がった気球の炎を眺めながら、男爵が記した詩句を改めて思う。 |
クーベルタン男爵の名言を紹介する。![]() |
「オリンピックは、勝つことではなく参加することにこそ意義がある」 |
「オリンピックを復興し、世界中の若者たちに幸福と友好に満ちた出会いの場を提供 しなければならないのです。みなさん、漕手たちを、走者たちを、そして剣士たち を海の向こうに送り出しましょう。彼らは平和の使者になるのです」 |
「自己を知る、自己を律する、自己に打ち克つ、これこそがアスリートの義務であり、 最も大切なことである」 |
「”休戦”という考えもオリンピズムの本質的要素です。だからこそ、その周期は厳格 に守られなければなりません。オリンピックは人間の春を祝い、世代の継承にたた える4年に1度の祭典なのです」 |
![]() |
国連総会での「オリンピック休戦」決議をよそに、ウクライナや、パレスチナ自治区 ガザでは戦火が続いている。開会式直前にはフランスで「TGV(高速鉄道網)」が、 大がかりな破壊行為で大混乱した。肥大化する商業主義、次々に発覚する汚職や、ス キャンダル…。「平和の祭典」は矛盾に満ち満ちている。 |
クーベルタン男爵自身、平和と友好を謳いつつ、女性選手参加を終生拒み続けるなど、 矛盾を抱えた人だったらしい。 理想を現実にするのはむずかしい。今ほど オリンピックの持つ意味を考えさせられる ときはないだろう。 |
「二十四節気の大暑」を迎えて、このところ「毎日が最高気温が35℃以上の猛暑日」。 闘病生活中の小生は、冷房の効いた部屋でこの夏をやり過ごしている。 ただならぬ暑さの中で、我が一宮市では真夏の祭典~七夕まつりが終わって、パリ・オリ ンピックも始まっており、7時間の時差を越えて、日本人選手の一喜一憂の結果も、毎日 伝えられており、寝不足気味の頭が重い。 |
![]() そんなときに、月刊Hanada2024年9月野分号が届いた。 |
9月号は、「総力大特集 誰が日本を変えるのか!」である。 |
![]() |
【総力大特集 誰が日本を変えるのか!】 |
【「ポスト岸田」私はこの人を推す】 |
馬場伸幸/乾正人/岩田清文/小川榮太郎/鈴木宗男/生田よしかつ |
浜田聡/猫組長/亀井静香/有馬晴海/三浦小太郎/矢野将史/衛藤晟一 |
島田洋一/高須克弥/谷本真由美 |
◎石橋文登 【自民党総裁選深層レポート1】安倍晋三の遺志を継ぐのは誰か? |
◎阿比留瑠比 石破茂は「いつも逃げる政治家」 |
◎池田良子 岸田総理と赤いネットワーク |
◎徳本進之介 安倍総理の志を次の世代に |
◎官僚覆面座談会 岸田総理には理念や信条がない |
◎小笠原理恵 報道されない自衛隊員の声、防衛省大量処分に異論あり |
◎浅川芳裕 小池百合子都知事、学歴詐称疑惑の決定的証拠 |
◎藤原かずえ 時代錯誤の蓮舫と「立憲共産党」 |
◎西牟田靖 国会議員が見た尖閣諸島のリアル |
◎山上信吾×石平 日本の弱腰外交 三つの原因 |
【トランプ銃撃と米大統領選の核心】 |
堤堯×久保紘之 【蒟蒻問答】トランプ銃撃で勝負は決まった |
【新しい保守主義と日本】 |
長谷川幸洋 “極右”政党が欧米で躍進する理由 |
大東亜戦争(太平洋戦争)が終焉に近づいた1945(昭和20)年7月に 一宮市は、 2回にわたる空襲を受けた。米国が 「終戦近くに 本土の各都市を無差別空襲した」と いう事実を決して忘れてはならない。 ![]() 先日から「第69回七夕祭り」が盛大に開催されており、本日は最終日である。だが、 一宮市が79年前のこの日に空襲されたことは、誰も言わないし、報道もしない…。 今回のブログは「一宮空襲」である。 1944(昭和19)年12月から、米軍によって 日本本土の大都市に対して激しい 空襲が行われるようになり、12月に一宮市でも戒警報が22回、空襲警報が11回 も発令されている。 ![]() |
一回目の空襲は7月13日午後8時頃。折からの雨をつき突如侵入したB29約20機 の編隊が、大量に焼夷弾を市内に投下した。空襲警報も発令されていない突然のことで、 一宮市民は防空訓練を考えるゆとりもなく郊外へと逃げた。だが、焼夷弾は 市街地では なく、瀬部・赤見・佐千原・今伊勢地区に投下されて、付近一帯は火に包まれた由。 |
この空襲により二十数名の死者が出た。その大部分が、市街地の人々で焼夷弾の落下を 見て遮二無二走り出して、途中の路上で、あるいは藪の中へ逃げ込んで直撃弾を受けて 死亡した。他に瀬部・赤見の国民学校(小学校)の校舎の一部が焼失した。 |
二回目の空襲は、7月28日の夜だった。テニアン島のマリアナ基地;ハゴイ飛行場を 飛び立った戦略爆撃機B29;約260機が 、午後10時頃から一宮市上空に侵入し、 油脂焼夷弾の波状攻撃を集中。 B29の反復旋回攻撃に曝された一宮市街地は、午後10時半迄に 殆どが炎に包まれた。 さらに、攻撃は翌日;午前2時頃まで続き、爆撃による火災は 3日3晩続いたという。 |
この二回の空襲により、被災戸数は全市(旧市部)の83%の10468戸、被災者は 全人口の71%;41027人にのぼった由。その内訳、死者は727人で、負傷者は 4187人。中でも一宮市北東部の大乗町,神明津町付近の住民に犠牲者が多かった由。 罹災面積は4.07k㎡にも及んで、市街地面積 約4.96k㎡の80%が灰燼に帰した。 |
![]() |
主な被災建物は、一宮市民の心の支えであった真清田神社をはじめ、警察署,税務署, 商工会議所,尾張一宮駅,一宮中学校(現;一宮高校)や一宮高等女学校(商業高校) 及び一宮商業学校(南部中学校)の各中学校、第一・第二・第五国民学校(現;宮西・ 貴船・向山小学校)、他に川崎航空機工場(現在のバロー、ケーヨーD2等)、特殊 軽合金工場、日本毛織(ニッケ)今伊勢工場など。 |
![]() |
「満州」に出征中であった小生の父親の実家は、「西本町(今の大宮)」にあったが 敢え無く灰燼に帰した。 |
また、小生の母の実家は「新柳通(今の本町3丁目)」にあり、旧電報電話局の北側 にあったために、「強制疎開」と称して、事前に取り壊されていた。 小生の母は、一宮高女(高等女学校)の女学生であったが、勤労動員で川崎航空機工 場や、名古屋の日本碍子で工場勤務をしていた。 一宮市の空襲から数えて僅か18日後の8月15日に、日本はポツダム宣言の受諾に より終戦を迎えた…。 |
「国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界遺産委員会」は7月27日、「佐渡島(さど) の金山」の、世界文化遺産への登録を決めた。日本の文化遺産としては21件目であって、 自然遺産も合わせた世界遺産は26件となった。 ![]() |
ユネスコの諮問機関は去る6月、日本に対し登録内容の一部修正などを求める「情報照会」 を勧告していた。 |
政府や地元自治体は 明治以降の史跡が多い地区の除外といった要請を受け入れて、今回の 審査に臨み、世界遺産委員会ではこうした対応が評価された。 |
世界遺産委員会は、「世界の他の地域で採鉱などの機械化が進んだ時代に 高度な手工業を 継続したアジアにおける他に類を見ない事例」と評価した。 |
佐渡金山を巡っては委員国でもある韓国が「朝鮮半島出身者の強制労働があった」として、 登録に反対していた経緯がある。 |
歴史的経緯から、当初は韓国側が猛反発する一方で、安倍晋三元総理は 登録を強硬に主張 していた。政権基盤が弱い岸田文雄首相にとっては、最大限に神経を使う「安倍案件」の 一つだった。最終的には韓国も登録に賛成するなど「軟着陸」できた背景に何があったか。 |
日本側が、佐渡市内の博物館で 朝鮮半島出身者を含む鉱山の労働者に関する新たな展示を 始めることなどを決め、韓国側と合意に至って、7月27日の世界遺産委員会では、韓国 を含む全会一致で登録が決議された。 |
![]() |
文化庁の資料によると、鉱山の開発は古代から世界各地で手工業によって行われ、大航海 時代を迎えた15〜16世紀は、欧州を中心に機械化が進んだ。鉱石の運搬や排水などに 機械を導入。化学薬品の使用も広がった。 ![]() |
一方で、佐渡金山は江戸幕府の下で本格的に開発が始まって、鎖国政策が敷かれるなかで 諸外国との交流を制限された結果、手工業の金生産システムが 19世紀半ばまで続いた。 江戸幕府は国内各地から技術者を集めて、生産技術の向上をはかった。 |
17世紀前半には世界の2割の金を日本が生産して、国内の半分を佐渡島で産出するなど、 国際的にも認知度が高かった由。純度は99.54%までに到達した。 |
小生が愛読する産経新聞の朝刊コラム【産経抄】から一部加筆のうえで引用して紹介する。 |
![]() |
日本が国連教育科学文化機関(ユネスコ)の世界文化遺産に推薦した新潟県の「佐渡島の 金山」の登録が、ようやく実現したようである。「朝鮮半島出身者の強制労働があった」 と 主張してきた韓国との間でほぼ合意できた為で それ自体は慶事だが、どこかすっきり しない。 |
2015年の「長崎県の端島炭坑(通称・軍艦島)の世界文化遺産登録時」のことである。 韓国は日韓外相会談での合意を無視して世界遺産委員会の声明案に、日本が否定する強制 労働の文言を ひそかに2か所盛り込ませようとした。日本側の猛抗議で、韓国は声明案を 合意通りに修正したものの、危なかった。 |
今回、韓国の外交当局者は合意の見通しとなった理由を韓国内で次のように説明している。 いわく、日本の植民地時代に「朝鮮半島出身者が強制労働させられた現場」であり、韓国 は「全体の歴史」が忠実に反映されなければならない…との立場を示した。日本がこれを 約束し、実質的な措置を取った…。 |
一方、日本政府は令和3年4月、朝鮮半島出身者が強制労働させられたかどうかに関する 答弁書を閣議で決定している。「募集、官斡旋(あっせん)および徴用による労務はいず れも条約上の強制労働には該当しない」。これが政府の公式見解である。 |
韓国は強制労働させられたという思い込みに固執し、日本は強制労働ではないと断りつつ も相手の立場を忖度する。かくて見る角度で色彩が変わる玉虫色の決着が繰り返される。 佐渡島の金山でも同様に、曖昧な着地点を探ったのか。 |
慰安婦問題が ああもこじれたのはなぜか。「どうか強制性を認めてくれ」という韓国の 強い要請を受け入れ、証拠もないのに河野洋平官房長官談話を作ったためである。この 貴重な教訓を生かしたい。 |