店では笹の葉にお客様の子供たちが短冊に願いを書いて七夕を待ちわびたのに、今日は雨。

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彦星と織姫は恋人同士と思っていたら、実は夫婦だと教えてくれた人がいた。
二人が待ち焦がれた7月7日に雨が降って天の川の水かさが増すと、
織姫は向こう岸に渡ることができなくなる。
川下に上弦の月がかかっていても、つれない月の舟人は織姫を渡してはくれない。
二人は天の川の東と西の岸辺にたたずみ、
お互いに切ない思いを交しながら川面を眺めて涙を流すらしい。

7月7日に雨が降れば...そんな二人を見かね何処からともなくかささぎの群が飛んできて、
天の川で翼と翼を広げて橋となり、織姫を彦星のもとへ渡す手助けをしてくれるそうだよ。

子供たちはそれを知っているのかな?

七夕は本来は旧暦の節供行事。
今年の旧暦七夕は、8月6日。
短冊を子供たちに渡すときは、その時二人が逢えればいいね!って教えてあげてください。

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精肉部門のマネージャーたちと日進にある手打ちとんかつ専門店「しゃるまん」に行ってきた。
やまと豚専門とんかつしゃるまん


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こちらは、やまと豚の専門のとんかつ屋さん。

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やまと豚といえば、取引先に産地視察を申し込んでもなかなか承諾してもらえない、防疫体制のしっかりした農場で生産される良質の肉質の豚肉だ。
その豚肉料理を勉強しようというのが、今夜の目的だった。
みんなより20分ほど送れて店に入った。
マネージャーたちはとんかつを食べていたが、俺はとんテキを注文した。

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この肉厚のとんテキ見て!
一口ほおばって、一回、二回と噛むと。
柔らかい!
隣にいるバイヤーに一口食べて確認してもらったが、やっぱり柔らかいと言う。
柔らかくて、味もよくて、文句なしの星三つ!

目の前の席に座ったマネージャーはスペアリブを注文していた。

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この肉厚も見てほしい!

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このスペアリブ、焼き色をつけた後スチームコンベクションで柔らかく調理されていて、骨から肉がきれいにはがれる。
一口もらったけど、これは女性に絶対受けるはず!
口の周りを汚すことなく、綺麗に食べれるからね!

街にとんかつ屋は多いけれど、素性正しい豚肉を使って、美味しく食べさせてくれる店。
「しゃるまん」お勧めです。

先日、クラシックのコンサートに出かけた。
タイトルは「マドンナの舞踏会」、タイトルにふさわしい美女のデュオコンサートだ。
off time

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川井さんのバイオリンは、凛とした音を奏でる。
彼女を好きになったのは、確か3年ほど前にニューヨークのカーネギーホールデビューをした頃だったか。
テレビで報道された中で、邦楽の「浜辺の歌」の演奏を聴いたから。
確か文部省唱歌だと思うけど、バイオリンの音がとても新鮮に感じた。

ピアニストの仲道さんは、同い年。
桐朋学園の学生時代から、結構有名だったらしい。
育ちのよさは、MCの時の語り口調でわかる。
そりゃそうだよね、いくら娘がピアノが好きと言っても桐朋に入れるって事は、親もそれなりの生活をしてなきゃ考えつかない。
仲道さん、身体は小さいのに音の粒を大切にする弾き方するんだよ。

このコンサートの曲目の中で、一番印象に残ったのは、「太陽がいっぱい」だった。
これは、事前にリクエストされた曲らしいけど。
今の若い人には「太陽がいっぱい」とかアラン・ドロンとか知っている人のほうが少ないんだろうけど。
目を閉じて二人が奏でる音を聴いていると、浜辺で陽を浴びる主人公のシーンが蘇ってきた。

しばらくは車の中で、二人のCDを聴きまくることになりそうだ。


先日のことだが、人形町の今半で昼飯を食べた。
「セミナーも終わったし、何か東京で昼飯食べて帰ろうよ」
と俺が言うと、岩田さんが「肉がいいですねえ」と。

肉だったらとすぐに思いついたのは、アメリカンサイズのステーキか美味しい和牛か。
先日、「腹は満たされても満足しない食事だったな」と指摘された言葉を思い出して、すぐに人形町の今半に行こうと決めた。

http://www.imahan.com/guide/shop/ningyocho_shop.html

ギリギリランチタイムに間に合った。
これでお値打ちに本物を味わえる。

$off time-今半本店

靴を脱いでお座敷に上がる。
普段から靴の手入れをしている人は、こういうところで恥をかかない。
何せ、下足番が一人一人の靴を見るわけだから。
手入れのされていない靴を脱ぐということは、それだけで客の品定めが終わってしまうということ。

二階のお座敷に通されると、佐藤さんがそわそわ。
岩田さんに、「落ち着いて座ってろよ」とたしなめられる場面も。

お昼のすき焼きを三人前注文した。
料理が出される前に、仲居さんに写真を撮りたい旨お願いした。
「綺麗に撮ってください」
料理を撮りたいのだけど、さすが洒落もわかる江戸っ子姉さんだ。

off time-肩ロースと肩のコンビネーション

お肉は、さすが今半厳選の黒毛和牛雌牛。
筋肉の繊維一本一本が去勢された雄牛より細いので、歯切れがいい。
つまり、食べ比べれば柔らかい。
脂肪の融点が去勢よりも低い=早く溶けるので、口溶けがいい。
つまり、口の中でふわっと肉の旨味が溶けていく。
この画像はピントもぼけたが、実際は既に室温で脂が緩んでいる状態。
注文が入ってから厨房でスライスしているはずなので、テーブルに出てくるまでの時間はほんの数分。
だからね、雌牛を取り扱う人は手が早くないといけないんだよね。
不器用な人は、商品を台無しにしてしまう。

off time-野菜盛

この野菜盛、モデリングしたいよね。
笑。

off time-牛鍋というか関東式

off time-野菜も味がしみていく

関東式の割り下を煮たてて肉を焼くすき焼き。
佐藤さんは、「うちで食べてたすき焼きは?」
俺、「それは、肉と野菜のごった煮だよ」
野菜にも肉の旨味が移っていく。

$off time-いただきます

これがすき焼きは野菜が美味いと言われる所以だ。
たっぷりと肉の旨味を吸い込んだ野菜もとき卵につけて口にほおばる。
美味い!

食を扱うものの一人として、時にはこういう店での食事は自分の味覚も鍛えるし、店での立ち振る舞いをも覚えさせてくれる。
俺も散々先輩諸氏から教わったんだけどね。
この奥深さを理解してカネを出す客の心理を理解できなければ、ブランドは造れないと思っている。
高いだけがブランドじゃないよ。
上司と部下の関係を離れて、人生の先輩として少しは教えることできたかな?
今夜、松風店の帰りの信号待ち。
二台後ろに選挙カーがついた。
「高齢者に優しい街づくりをします。子供たちの明るい未来のために働きます。〇〇〇〇全身全霊で市政に取組みます」などとウグイス嬢が叫んでいたけれど。

聞いてて大きなため息しか出ない。
今回の市議選って、争点は一つだろ?
誰だって高齢者に優しく、子供たちの明るい未来のために政治をやるんだろ。
そんなありきたりな奇麗事より、争点について自分はどう思うかを有権者に訴えなきゃ!

地方議員ってのは、こんなレベルで税金から報酬を貰っていいのか?
ウェーバーの「職業としての政治家」くらい読んだレポートを有権者に公開してほしいものだ。
有権者の民意以上の政治家が生まれないと言ったウェーバー。
こんな候補者が当選してしまったら、名古屋市民のレベルが低いって事だ。

昨日、ある店の部門責任者とファミレスで昼飯を食べた。
直前に電話をして、「昼飯一緒にどうだ?」と誘ったのだった。
これまで店長とかバイヤーとの昼飯はあったが、店の部門責任者とはなかなか機会を持てなかった。

ランチを食べながら、コーヒーを飲みながら話すのは、その話の中身によってはとても大切だと思っている。

彼と話ができた事で、俺はまた一つ前に進める。帰りの車の中で、これからはこういったコミュニケーションが大切だなと考えた。
煙草を止めれば、週に一人位は店舗の部門責任者と昼飯が一緒にできるか。


iPhoneからの投稿
先日杉浦さんの鞄の話をしたが、今日ようやく入院していた俺の鞄が無事に40日間の修理を終えて戻ってきた。
1987年の大学卒業の時に、貯めていたバイト代をはたいて買ったCOACHのブリーフケース。
シリアルNo.D4C-5266。
既に24年目に突入している。
飽きたから捨てようなんて考えは、これっぽっちもない。
社会人になってずっと一緒にONの時もOFFの時も、晴れた日も雨の日も、強い紫外線を浴びて皮が日焼けも起こしている。
通勤でも出張でもずっと一緒だった。

学生の頃読んだ本に、このCOACHのブリーフケースを紹介したのは、既に亡くなられて久しい板坂元。
買って新品の時から、すでに皮の風合いが使い込まれている感じがなんともいえないみたいな表現で紹介していたはず。
著者は、男がセカンドバッグ(和製英語で英米ではポーチと呼ばれる)を持つべきではない。
ブリーフケースに本一冊を入れて、美味しいコーヒーを飲みに出かけよう。
確かそんな表現だったようなことを覚えている。

モノは使えばくたびれてくる。
これまでも、小さな修理は二年に一度くらいは出していたけど、さすがに今回は大掛かりな修理となった。
ショップに修理以来を出した時の話では、昔のモデルを直すには一旦アメリカの工場へ送るとの事。
そこで修理代の見積もりを後日連絡すると言われたのだった。
日本・アメリカの輸送費を考えると、修理代はただみたいなもの。


off time-取替えられた皮

ショルダーストラップは完全に切れてた。
四隅なマチの部分は縫い目がほどけそうだった。
補強をしてもらって、これからもずっと付き合い続ける。

画像は、補強ステッチをはずして返ってきたもの。
こうなると、もうただのゴミなんだけど。
このくらい修理したって証なんだろうね。


off time-修理完成

とりあえず、汚れをクリーナーで取って、モイスチャークリームを皮全体にのばした。
今日船町でみた杉浦さんの鞄に負けない、俺の自慢のブリーフケースです。
家で飲む味とバーで飲む味が違うのは、氷や水の相性の違いだけではなく、どれだけ綺麗にグラスを磨いているかと言うことだと教えてくれた人がいた。
それは、福井にある煉瓦館の先代マスターだった。

http://www.rengakan.jp/drink/shot/index.html

北陸随一の数を誇ると言われたスコッチウィスキーが魅力だった。
今では珍しくない銘柄も、当時からその店にはあった。
20年前も現在も価格はそう変わっていないような気がする。
若い頃は間違いなく背伸びして飲んでいたんだね。


先日、ご縁が有って二度目のサントリー山崎蒸留所を訪ねた。

http://www.suntory.co.jp/factory/yamazaki/

ウィスキーの味は、樽の中で眠る(熟成)で一樽一樽違ってくる。
原酒0.1%の配合にこだわる職人技というか、ウィスキー好きの俺には神技とも呼べるブレンダーの嗅覚と味覚によって造られる。
もちろん喉の渇きを潤してくれる冷えたビールも美味いが、ウィスキーの色んな飲み方はその時々の身体にしみ込んでいく。

今夜最後に飲んだ酒は。。。。
サントリーさん、ごめんなさい。




off time-竹鶴
今日は鮮魚の会議があった。
俺は出席しなかったけど。

会議が終わって出てくる部下の一人に声をかけた。
「コーヒーでも飲もうか?」
その部下は、月曜の早朝俺に電話をかけてきた。
「部長、僕を降格にしてください!」
切り出されたその言葉に俺は、
「どうしたの?」
彼は「実は自分が情けなくて、昨日の決算思うような数字が出せなくて」と言った。
すかさず、俺は
「それはダメだ!お前が今のポジションにふさわしいかどうかは別として、そのポジションにふさわしいと思える人物になろうとするかどうかが大事じゃないのか?一回くらい決算が悪いくらいで、降格させてくれなんて責任を放棄しているようなもんだ。二度と俺にそんなことで電話してしてくるな!」
みたいなことを言った。
彼は「ありがとうございます。頑張ります。」
と言って電話を切った。
その電話から初めて顔をあわせて、気になっていた俺がお茶に誘ったわけだ。

部下とはいっても、一対一で向かい合って話す時は兄貴と弟のようなもの。
彼はきっとやってくれる。俺はそう信じてる。
そして、部下と話すたびに勇気付けられる自分がいることも事実。

一日がいいことばかりじゃない。
一日が悪いことばかりでもない。
でも、一日の最後に彼のことを思い出すと、今日は彼と話せていい一日だったかな。


日本がバブル経済に向かおうとしている頃、俺は大学を卒業した。
周りは、司法試験で浪人する人、官公庁に入る人、証券会社は仲間の全員が内定をもらっていたように記憶している。
俺はそんな中で、卒業後ある専門学校に行くことになっていた。
それは、茨城県土浦市にある竹岸食肉専門学校。
http://www.takegishi.ac.jp/index.html

大学を卒業したからってすぐに後継者になれるわけでもなく、
まして人の上に立つと言っても部下はみんな父について来た職人が多い世界。
父が苦労した時間をせがれに苦労させまいといった親心だったのだろう。
当時はそんなことは微塵も思わなかったが。

既に牛肉の流通も枝肉流通からボックスビーフに変わっていたので、その学校でいまさら枝肉の捌きを覚えたところで何なんだろうと冷めた自分もいた。

一応の入学試験があった。
高校受験程度の試験だったかな。
専門学校ということで馬鹿にしていた自分をガツンと叩きのめしたのが坂本自由治(じゆうじ)先生だった。
名前はリベラルだけど実はファシスト。
それは、全寮制のその学校に入学する前日。
身体検査、制服の貸与などがあったオリエンテーションで、入学許可式が行われた。
つまり、試験や検査が合格した学生が最後に学校長に入学を許可してもらう最終面談。

その学校は、開校当時から職人の業界であった食肉業界を標準化しようということでプリマハムや伊藤忠商事によって設立された、業界のエリート養成学校のような存在だった。
卒業生にはダイエーの取締役とかヨーカ堂の元社長もいたわけだから、企業も幹部候補生しか派遣してこなかった。
授業料、食費、寮費、その他もろもろで半年間に100万円かかるわけで、それ以外に給与を支払うわけだからエリート養成学校と言われたのも無理はない。

何せ、理事に瀬島龍三がいたくらいで。ともかく、厳しいと言うことしか事前には聞いていなかった。
名前を呼ばれ、学校長の前に進み椅子に座る。
開口一番、「貴様、ここをどんな所だと聞いて来た?」と鋭い眼光と低い声で質問された。
俺は、「軍隊のような学校と聞いてきました」
坂本先生は、「ここは。(一呼吸置いて)軍隊よりも厳しい!」と言われた。
よく分からない表情で俺は先生を見てたんだと思う。
「ついこの間、週刊誌の取材で戸塚ヨットスクール(今の人たちは分からないだろうけど)よりも厳しいスパルタ教育の学校ということで取り上げられてもいる!そこに貴様は、その髪の毛で入学しようとするのか!」と、いきなり怒鳴られた。
そして、テーブルを叩き、
「ここは強く打てば強く響く人間になるための訓練をするところだ!」と、言われたことを昨日のように覚えている。
俺が机を叩くのも、こんなことがあっての無意識の行動なんだ。
それまで、何故他の人が丸坊主なのかも気にも留めなかったのだが。
えっ、みんな社会人でしょ?なんで、丸坊主なの?
俺の期には、大手GMSや地方スーパーの店長候補や店長達や、高校卒業したばかりの肉屋のせがれ達がいた。
髪の毛の長いのは専門店のせがれ達。
企業からの派遣はみんな丸坊主だったのだ。
「夕方までに髪を刈れ!」と学校長に言われて、
すぐさま俺は、「私はここに学びにきたわけで、丸坊主にするということに何の意義があるのか分かりません。よって、私は丸坊主にはしません!」と言い切ったのだった。
それでも、入学許可は下りたのだからなんてことはないんだよなんて甘く見ていたのはそこまで。

制服の貸与が始まると、俺の制服サイズが間違いなく小さい。
「ちょっと、サイズが小さいんですけど?」と申し出ると、
「卒業する頃にはそれでちょうど良くなる」なんて返される。

寮生活といっても、一室6名の共同生活。
布団のたたみ方、押入れへのしまい方まで厳しく躾けられた。
起床は6時だけど、それもフルボリュームで寮歌が流れて起きる。
洗顔、部屋の掃除を終えて6時半には校庭集合。
点呼、国旗掲揚、ラジオ体操、ランニング、発声練習を経て、持ち回りで3分間スピーチ。
7時から朝食だけど、腹は減っても走って疲れて食欲が失せてしまっていた。
食後は、寮の前で集合、点呼して校舎まで行進。
本当に士官学校のような感じだった。
午前中に捌きの実習をしていると、ヘルメットの上からヤスリ棒で何度も叩かれる。
ヘルメットかぶってても、ゴン・ゴン・ゴーンと響いて痛いんだよ。
食事も合わなかったな。
最初の頃の教材はマトンだったからか、出てくる肉は全てマトン。
肉といえば牛肉で育った俺は、マトンを食べるたびに蕁麻疹が出て。
体に合わなかった。
午後は授業で、ホームページにあるような科目を勉強したわけだけど。
歩留計算の授業を坂本学校長が担当されていた。
電卓の使用禁止で、受験勉強以来の頭と気を張った授業だったなあ。
午後五時には行進して校舎を後にし、やっと自由時間。
6時から夕食。
その後、団体で入浴(一説には刑務所の入浴方式とも言われた)、自由時間および自習時間。
そして、午後八時半に再び点呼のため集合、連絡事項を聞き解散。
午後九時消灯。まだ寝れねえよ、ってそんな寮生活。

技術実習の講師に目をつけられ、散々やられた。
他の学生が1本捌く間に予備の教材もやれと言われ俺はいつも人の倍。
いつもヘルメットの上から、「遅い!」とか叩かれてたよ。
今に見てろよと、必死だった。
同じ時間で人の倍捌いているからナイフを研ぐ時間もない。
どんどん切れなくなり、力ばかりが入ってしまう。
ナイフが切れないと、仕上がりも悪くなる。
だから、みんなが自由時間に遊んでいる時にナイフを研ぐしかなかった。
研ぎ方も我流で覚えて行った。
今じゃ皆に偉そうに砥石の扱いはなんて言ってるけど、そんな経験があったからこそ自分の身についたわけだよね。

坂本学校長だけは、卒業する寸前まで恐かった。
礼儀とか礼節にも厳しかった。
いつも「準備段階で80%が出来ると、それは成功したようなものだ!」と言われていた。
あまりの厳しさに、夜就寝して静まった頃にすすり泣く学生もいた。
俺の期には3名の脱走者も出たくらいの厳しさだった。
それも、企業からの派遣された社会人だからね。
あの厳しさにどのくらい耐えられるのだろうか?と思うときがある。
設立したプリマハムでさえ、派遣した社員が辞めるから派遣を中止したと言ってたな。

坂本先生の優しさに触れるようになったのは、卒業する一週間前くらいからだったかな。
急にやさしく言葉を掛けてくれるようになった。
卒業後、3年くらい講師で残らないかと誘ってもいただいた。
ありがたかったな。
卒業式の前日の謝恩会では、「惜別の唄」を肩を組みながら歌って先生も学生も涙が止まらなかった。
厳しくつらい毎日だったけど、連帯感は強くなってみんなと別れる方がもっとつらかった。

ダイエーの碑文谷店(当時のダイエー旗艦店)に研修に行ってた俺を気にして時々電話もくれた。
アメリカ研修では、ワインの飲み方も教えてくれた。
一緒に回ったゴルフでは、力強いショットも見せ付けてくれた。
厳しかったけど、先生の優しさに触れるたび、自分もこういう男になりたいなって思うようになっていった。
確か山本五十六を尊敬されていたはず。
好きな歌は「月・月・火・水・木・金・金」だった。

先生、俺は今夜も風呂の中で「月・月・火・水・木・金・金」を歌いましたよ。