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ひとりぼっちを祝福すること――「清水ミチコの一人フェス」がすばらしかった

MISIA、Mr.Children、いきものがかり、椎名林檎、松田聖子、松任谷由実、中島みゆき、山下達郎、森山良子、美輪明宏、矢野顕子、忌野清志郎――。

昨晩から続いた暴風と豪雨がパタッと止み、2月には似つかわしくないさんさんと晴れた陽気のなか、これだけの豪華メンツが勢揃いする音楽フェスが東京・三軒茶屋で行われた。「清水ミチコの一人フェス2016」だ。



冒頭に挙げた面々は、モノマネ芸人である彼女のレパートリーである。コンサートタイトルのとおり、彼女はこれだけの人の声を巧みに演じ分け、たったひとりで2時間半の“フェスティバル”を作りあげる。

ただ、その声色づくりの上手さだけで、数年連続で日本武道館をソールドアウトさせるほどの人気を誇れるわけがない。声を似せるだけでなく、その人物を切り取る独特すぎる視点の妙に、人々は魅了されるのだ。

その視点の面白さを言葉にするなら、「毒」という言葉がわかりやすいだろう。黒木瞳、森山良子、ナオト・インティライミ……各界のスターたちをいじるやり方は、なにもそこまでと思ってしまうほど、ときにシビアでまったく容赦がない。しかしその潔い振り切り方に、涙がでるほど笑わされてしまう。

これを「彼女のモノマネの根底には、確かな愛情があるから」と、簡単にまとめてしまうことには若干の抵抗がある。もちろんそれも間違いではないのだろうが、それだけではない。



清水ミチコのモノマネを通して俺は、人間という生き物そのものを笑い飛ばしている気持ちになる。どんな善人でも、誰しもが心の底に隠し持っている“ちょっといじわるな感情”を掬いあげるのが、彼女はほんとうにうまい。それはつまり、人間がそもそも持っている“いじのわるさ”を、肯定しているということでもある。

基本的にいじがわるくて、他人のことを笑ったり、羨んだり嫉妬したりする、性格の悪い、どうしようもない生き物、それが人間だ。普段は奥の奥に押し込めているいじわるな気持ちを、清水ミチコはひとりで背負い、憑依し、表現することで、わたしたちを開放してくれるのだ。



この日、彼女の身体を通してわたしたちに届けられたさまざまな声たち。そこに優劣などはなく、長年のレパートリーであるあっこちゃんもユーミンも、新ネタとして加えられたゲスの極み乙女。・川谷絵音も、彼女のフィルターを通すことで、等価な存在になる。

年末の武道館公演では矢野顕子との共演によって実現した、矢野(本人)×忌野清志郎(清水)による『ひとつだけ』。この日のアンコールでは、スクリーンに映し出される矢野の演奏に合わせ、舞台上の清水が清志郎のモノマネで歌うというかたちで披露された。

<悲しい気分の時も わたしのこと すぐに呼び出してほしいの ねぇおねがい>

いま清志郎を「呼び出す」事ができるのは、清水ミチコしかいない。それは“ニセモノ”にしかできないとんでもなくミラクルなことで、それは“ホンモノ”である矢野顕子でも絶対に不可能なことなのだ。元々の歌詞のメッセージの意味合いを変えてしまうほどの圧倒的な説得力をたたえたパフォーマンスに、思わず涙がこぼれた。

矢野顕子の映像をバックに、たったひとりで清志郎を呼び出し、歌い叫ぶ清水ミチコの姿は、孤独で、しかしどこまでも自由だった。その姿は、本物の矢野と共演したときよりも、彼女の“業”のようなものを浮かび上がらせていた。今年30週年を迎えるという清水ミチコ。彼女はこんなことを、30年ものあいだ、たったひとりで続けてきたのだ。



自分は誰かの代わりになることはできないし、自分は自分としてしか生きることはできない。自分は生まれてから死ぬまで、いつだって、たったひとりだ。

「清水ミチコの一人フェス」というコンサートタイトルは、モノマネによってひとりでフェスティバルを名乗ってしまうおもしろさと同時に、<ひとりであることを祝福しよう>という意味もあるのだと、数々のモノマネでドヒャドヒャ笑い転げながらそう思った。

清水ミチコのモノマネに触れることによって、わたしたちは“ひとりぼっちである自分”を、毒たっぷりの笑いとともに祝福することができるのだ。

夢見ることや 焦がれることと いつでも向き合っていけるように

SMAP / freebird

愛される方が強い。

プラカードその4

プラカードその3

プラカードその2

プラカード

アイラブユー。SMAPが止まるまでは。――2015年のSMAPが踏み出した一歩

2015年も、もう終わりですね。“はじまったものは必ず終わる”というのがこの世の常のようで、今年もあと数日で終わりを迎え、新しい年がやってきます。

思い返せば2015年のSMAPは、アルバム『Mr.S』を引っさげた全国ツアーのファイナル公演で幕を開けました。そう、今年のSMAPはある意味“終わらせること”からその歩みをはじめたのです。



2015年、『のど自慢』の衝撃

今年のSMAPの活動のなかでまずビビッドに思い出されるのが、生放送で出演した『のど自慢』での5人の姿です。

さまざまなバックグラウンドをもつ出場者たちをフラットかつ穏やかな熱をもって包み込む「隣の兄ちゃん」感と、熱心なファンではない市井の人々が集う町のホールを一瞬で祝祭空間に変えてしまう「百戦錬磨のエンタテイナー」としての顔。

そんな一見相反する存在感をいとも自然に発揮する5人の姿は、『のど自慢』というこの国の(もはや失われたようにも思える)牧歌さを象徴するような番組だからこそ、SMAPというタレントの特異性をいっそう際立たせていました。

いま思うと、『Mr.S』ツアーのエンディングの演出は、ひとつの暗示だったのかもしれません。ステージの奥に消えていくのではなく、自らステージを降りわたしたちの生きる“この世界”に帰っていくというあの演出は、SMAPの本質が改めて提示された瞬間でした。

つまりは「つくりもの・フィクションの存在」としてではなく、「呼吸し・地を踏み・汗をかき涙する、誰とも同じ存在」でありつづけること。それをやめなかったからこそ、SMAPはストレンジかつ圧倒的な存在感を獲得したのでしょう。(アイドルがアイドルとして無邪気に神格化されていた時代の終焉とともに生まれた彼らには、そうするしか道がなかったのかもれないですが)



2015年、すごすぎた2枚のシングル

『のど自慢』というフィルターを通して、アイドルとしての魅力を改めて示す一方、『Joy!!』以降充実の季節が続く音楽面でも、今年SMAPは非常に重要な局面を迎えました。

今年SMAPがリリースしたシングルは2枚。両A面シングルの表題曲を並べてみると、改めてその豊作っぷりに驚かされます。

カリソメの貨幣をばら撒きながら「逆襲」というワンワードでSMAPのオルタナティブ性を改めて現出させた『華麗なる逆襲』。善悪/悲喜のボーダーを超えた地点で、なお前進しようとする生命そのものを肯定した『ユーモアしちゃうよ』(詳しくはこちら→「SMAP『華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ』は最強の“両A面シングル”だ」「<雨上がり、アスファルトの匂い>――『ユーモアしちゃうよ』を500回聴いて考えた」)。ほとんど『Shake』以来と言ってもいいほど“パーティー・オーガナイザーとしてのSMAP”の復権を実現した『Otherside』。たった2枚のシングルの中でこれだけの振れ幅を見せながらも、どれをとってもSMAPとしか言いようのない必然性をもった楽曲ばかりでした。

中でも、自分がもっとも衝撃的だったのが、以前ブログにも書いた『ユーモアしちゃうよ』、そして今回取り上げる『愛が止まるまでは』です。



『愛が止まるまでは』がSMAPにもたらしたもの

『愛が止まるまでは』という曲をどう解釈するか――人によってその受け止め方は大きな幅を持つでしょう。聴き手の想像をより喚起させる川谷絵音の歌詞は、これまでSMAPに楽曲提供した『アマノジャク』『好きよ』でも、さまざまな解釈を産んできました。むしろそのように、インスタントにひと言では言い表せない感情や感覚を呼び起こさせるストレンジさこそが、川谷絵音という作家の得難さでもあります。

この楽曲も、一聴するとラブソング然としていながら、「僕」「君」などの聴き手が置き換えやすい言葉ではなく「誰か」「僕ら」「みんな」というより広い視点での主語を散りばめるなど、一面的な解釈をやんわりと拒否するような仕掛けが目を引きます。

楽曲・パフォーマンスにおいても、SMAPとしてはかなりイレギュラーなものになっています。まずこれはSMAPの歌唱力という問題以前に、誰が歌うにしても楽曲の難易度がかなり高い。性急なビートと複雑極まりない譜割りは川谷楽曲の特徴ですが、そのクセのあるスタイルは、メンバーにとってこれまで築き上げてきた歌唱スタイルでは対応しきれないものだったのではないでしょうか。音源では、ここにきてかなり新鮮な5人のボーカルを聴くことができます(特に『Otherside』とは対称的に抑制された木村の歌声は、シングルではなかなか聴けない良テイクかと)。

またパフォーマンスでは、大人の色気を感じさせるスタンドマイクを用いた振り付けが採用されていますが、スタンドマイクの効果のひとつとして“パフォーマーの動きを縛る”というものがあります。先日の『ミュージックステーション』でのフルパフォーマンスで、その“縛りの効果”が顕著に表れていました。

縦横無尽に会場を駆けまわったあとに、メインステージで歌われた『愛が止まるまでは』。『Shake』でみせた躍動感あふれるステージから一転、特にサビの振りではマイクスタンドありきの動きがとても多く(2番のサビではスタンドを抱えながら跪いてしまう!)、メンバー各々のパフォーマンスの自由度は一気に制限されることになります。しかしマイクスタンドに縛られた状態でのパフォーマンスは、だからこそ逆説的にメンバーの生々しさ・肉体性をより浮き彫りにしていました。

歌唱面でもパフォーマンス面でも多くの“制約”や“縛り”をもった楽曲だからこそ、そこから嫌でもはみ出してしまう5人の個性が浮かび上がる。そんな楽曲とSMAPのせめぎ合いも、『愛が止まるまでは』の大きな魅力のひとつです。

そう、長々と説明しましたが、これらはこの曲の魅力の一端に過ぎません。というか、ここまでは前置き。ここからが本題です。



『愛が止まるまでは』とは「終わりについての歌」である

先述したとおり、人によってさまざまな解釈ができるであろうこの曲。自分は端的に言うと、「終わり」についての曲だと思っています。もっと言えば、「“SMAP自身の終わり”について歌った曲」でしょう、これは。

過去にもSMAPには、終わりをテーマにした楽曲はいくつかあります(特にシングル『Fly』のカップリング『End of time』は、世紀末の終末感を甘美に表現した激名曲。ボーカルもオケも最高なので未聴の人は即聴くべし)。が、自身の終わりについて歌ったことはこれまでほぼないでしょう。それは当然といえば当然で、アイドルは自分の終わりを歌うなんてこと、基本的にはしちゃいけない存在でしょう。

「これからも僕たち(私たち)といっしょに時を重ねていきましょう」――こういう台詞を笑顔で言い続けることも、アイドルのめちゃめちゃ大事な仕事のひとつなわけで、間違っても「僕たちはいずれ消えてなくなる存在です」なんて、口が裂けても言ってはいけないわけです。

しかし『愛が止まるまでは』はかなり深く「自身の終わり」について踏み込んでいる曲に聴こえます。

俺には、ど頭の香取パートは、住み慣れた街を後にし、死に場所を求めて彷徨う野良猫の心情描写に思えて仕方ありません。続く中居パートなどは、すでにSMAPが終わった世界から、メンバー自身が過去を懐かしんでいる光景のようにすら聴こえます。

さて、ここで俺自身も自問したい問題があります。俺が言い出しておきながらなんですが、“そもそもSMAPにとっての「終わり」とは、いったいどういうことなのでしょうか”。



「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね」

SMAPはそもそも、安易に“永遠”などと口にするグループではありませんでした。自身について歌ったと言われることも多い名曲『STAY』や『Still U』でも、「たったの50年」とわざわざ期限らしきものを口にしたり、「皆に別れるかも知れないと言われた」とエクスキューズを入れたりしています。

それは先述したとおり、SMAPがあくまでフィクショナルな存在としてのアイドルではなく、ある種「人間宣言」を掲げたアイドルとして生きる道を選んだことと無縁ではないと思います。

「SMAPにとっての終わり」を考えるとき、例えば近年のSMAPが、ゆるやかに、しかし確実に「老い」と向き合うステージにシフトチェンジしていることをトピックとして挙げることもできるでしょう。アイドルとはいえ、私たちと同じように年を取っていく。そんな事実をどう表現していくか。5人がそういうトライアルをすでにはじめていることは、例えば『27時間テレビ』をはじめとする近年のSMAPの姿を見ていれば明らかなことでしょう。


ではSMAPにとっての終わりとは、単に時間の問題なのでしょうか。アイドルにとっての終わりは、時間や年齢といった物理的な問題だけなのでしょうか。


先日放送された中居正広がMCの特番『Xmasスペシャル中居正広が結婚を考える夜。』内での中居と桃井かおりの対談は、非常に多くの発見と示唆に富んだものでした。中でも桃井のこの発言は特にすごかったです。


「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね。普通はダメになっちゃうじゃない、どうにかしなきゃってことでさ」


続けて桃井は、「いつかシラフにならなきゃいけないと思ってた。このまやかしの魔界みたいなことをいつか辞めなきゃいけなくないかな、ってずっと思ってたわけよ」と語っています。もちろん、桃井と中居の、そして桃井とSMAPの立場は違います。しかしこの発言は、アイドルにせよ女優にせよ、エンタテインメントに従事する者の「終わり」を考えるときに、かなり生々しい発言です。

これまでSMAPがダメになりかけた=終わりを迎えそうになったことが一度もなかったか?という問いに対しては、27時間テレビでのメンバー発言を引用するまでもなく、私たちのなかにもいくつかのタイミングが思い浮かぶでしょう。SMAPが終わってしまうタイミングは、これまでにきっといくつもあった。

しかし色々なことがあってなお、SMAPはダメにならなかった。確かに2015年年末の時点で、SMAPはここに存在しています。

SMAPはまだ、ここにいる。SMAPはまだ「終わっていない」。だからこそ、『愛が止まるまでは』という曲が生まれました。



「SMAPが止まる」そのときまでは

『愛が止まるまでは』のなかで、SMAPは何度も何度も何度も何度もこう繰り返します。


アイラブユー。アイラブユー。愛が止まるまでは。アイラブユー。アイラブユー。


彼らも、私たちも、いつかこの存在が終わることは知っています。2015年があと数日で終わるように、僕らの存在もいつかは終わる。そのことに納得できてもできなくても、この世界はどうも、そういうふうにできているらしいです。

しかし、なにかの偶然でこの世界に生きている私たちは、まだ終わってはいないようです。そして同じように偶然にこの世界に生きている5人(=6人)の男たちの物語も、まだ終わっていません。

というか、「SMAPの終わり」とはいったいどういうことなのか、私たちはもちろん、本人ですらそれがどういうことなのか、まだ知らないのではないでしょうか。

いずれ「SMAPが止まる」そのときまで、彼らはこんな言葉で気取り続けるのでしょう。


アイラブユー。アイラブユー。


「終わり」を見据えたからこそ、歌える「アイラブユー」がある。2015年、SMAPは終わりを歌うことで、新たなはじまりを迎えました。それがこんなにも刺激的で鋭い表現であったことが、本当に嬉しい。

この曲をどう受け取るか。それはそのまま「SMAPの終わりとどう向き合うか」という受け手である私たちの姿勢を問われているようにも思えます。

“終わりと向き合うことをもエンターテインしていく”――そんなありえないディメンションにジャニーズのアイドルが踏み出したという事実は、けっこうすごいことだと思います。

……まあこの解釈は俺の超個人的な妄想なので一般化しようとは1ミリも思ってませんが、少なくとも俺はそれくらいのことだと思っています。ほんとに面白いことになってきたなあ。



ただ、正直なことを言うと、SMAPにはこのあとすぐに終わられたりしちゃ困るんです。困るんだよこっちは。これからもっともっといいものを届けてほしいんだよこっちは。頼むぜ。来年も、その先も、俺はあなたたちにすげー期待してんだ。こっちもその分、真剣に、真摯に、暑苦しいほど向き合う覚悟でいるので。

そして改めて繰り返しますが、『愛が止まるまでは』を含む今年のSMAPの音楽面は、ほんとにほんとにすごかった。これは来年出るであろう(出るよね?)アルバムに期待せざるをえないでしょ。つかここ数年の楽曲の打率高すぎ!



というわけで、結論。2016年、とりあえずアルバムあるよね? で、ライブあるよね? ね? 待ってるからねー! 待ってんぞおい!!!(←結局それ

V6の20周年ライブがめちゃめちゃよかった・2015年10月29日@代々木



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オーヤマ「V6のみなさん」

サトシ「20周年」

ふたり「おめでとうございます!!」

オーヤマ「本日ツアー最終日が無事終わったということで、20周年ツアー『ラブセン presents V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE1995~FOREVER-』、いやーほんとにいいライブだったねえ」

サトシ「そう、自分でも未だに信じられないけど俺らも行ったんだよな、このツアー……!!」

オーヤマ「ついに生V6を観てしまった……」

サトシ「行ったのは代々木第一体育館の初日・10月29日公演。念願の初V6ライブのタイミングがこんな記念ツアーということで、いいのかな俺らごときの超初心者が行って……という思いもあったけど、ライブを観たいという気持ちに逆らえなかったね」

オーヤマ「去年『Oh! My! Goodness!』をはじめて聴いたときは、まさかライブにまで足を運ぶことになるとは思いもしなかったけど、今回本当に行ってよかったと思う。それくらいいいライブだった」

サトシ「しかしアルバム聴いて(過去記事『V6の『Oh! My! Goodness!』ってアルバムがめちゃめちゃいい』)、DVD見て(過去記事『V6『Oh! My! Goodness!』のライブDVDがすごい面白かったよ』)、ベスト盤買ってライブに行くって、我ながらすごい王道のハマり方してるよね……w」

オーヤマ「はははははw いやでもとにかくほんとすごかった……まだ観たばっかりでぜんぜん整理も消化もできてないけど、熱だったり匂いだったり肌ざわりだったり、あの空間を覚えているいまだからこその感想を残しておきたいので、ざっくばらんに話してみよう」

サトシ「そうだね。どうせ細部の記憶はすでにほぼ消えてるしw 印象を頼りにした話になるので、正確性が皆無なのはご了承ください」


****************


サトシ「まず今回のライブって20周年アニバーサリー公演という前提が掲げられていたわけだけど、まさしくそれにふさわしい内容だったね」

オーヤマ「うん。ライブに行くのを諦めてたときに書いたこれ→(過去記事『今年V6ツアーに行けない俺が選んだ「2015年ライブで聴きたい曲」極私的ベスト14+@』)で挙げた曲は、結果的に全部やったのかな」

サトシ「しかし、ベスト盤を中心にした内容になるとは思ってたけど、前半にはシングルに過去のアルバム曲/トニセン・カミセン曲を織り交ぜつつ、中盤からなんと6部構成・39曲メドレーを叩きつけるという構成は予想していなかったなあ」

オーヤマ「まずシルエットから丸腰で登場しての、アカペラ?ぽい『Wait for you』かましつついきなり『MUSIC FOR THE PEOPLE』に雪崩れ込み!! そしてききききたあああああすすすすす『Supernova』!!!」

サトシ「かっけええええええ!!!!!!!!111」

オーヤマ「な!!!!11 ちょーーーーかっけえのな!!!!!11111」

サトシ「いきなり取り乱しましたが、ダンスバキバキやんけ!!!! 特に間奏の演出サイコー。スクリーンの映像が消えて、真っ暗の中レーザーの光だけでステージ上のメンバーを示しながら、♪ガラガラハビナグッターイのリフレインでじわじわアガっていくとこは昇天モノ! 全然説明できてないけど!」

オーヤマ「あとベスト盤で大好きになった『グッデイ!!』では、Aメロ出だしでイノッチが岡田に持ち上げられてるのに爆笑しつつ間奏もガッツリ聴けたし、『HONEY BEAT』では恥ずかしながら「♪笑って~」の振りまでやってしまった……。あと前半に関しては、実は知らない曲も多かったんだけど、初めて聴く曲がどれもよくて驚いたなあ」

サトシ「特に『Will』~『SP"Break The Wall"』の流れ、どっちの曲も知らなかったけど素晴らしかった! 『SP"Break The Wall"』では踊りすぎて首がもげそうになったわ……どのCDに入ってるのかと調べたら配信限定曲みたいだね。そういう曲を入れてくるのも彼ららしい」

オーヤマ「今回観たのが2階席の後列で、センターステージのちょうど真横の位置だったんだけど、6人が背中を向けて踊る場面が何回かあって、それがすごくよかったなあ。正面向いたときの迫力もすごいんだけど、背中であれだけ魅せることができるって、すごい表現力だなと思った。惜しいのは、ライブ中ほとんど踊り狂ってて(俺が)、6人のダンスの記憶がほとんどないんだよね……何やってんだ俺は……」

サトシ「それな……で、だいぶ端折りますがそんな前半を経て、後半のメドレーへ突入と。1曲目『Orange』のイントロで『ひゃああああ……!』と声を上げたアラサー男が俺です。これを生で聴ける日がくることを10年前の俺に伝えてやりたいわ……」

オーヤマ「過去のブログにも書いてきたけど、俺らは特に“V6の音楽”に魅せられてきたわけで、今回ライブに行った理由も“V6の音楽を爆音で浴びたいから”というのが最大の目的だったわけじゃん。で、今回のライブでその思いは十分すぎるほど達成されたよね。曲数でいったら50曲くらいやったんじゃないか?」

サトシ「こないだ観に行ったPOLYSICSのクアトロ2日で100曲企画に匹敵するボリュームw」

オーヤマ「でもメドレーって実は諸刃の剣でさ。音楽、特にポップスって1曲のなかの音の一音一音、コード進行のひとつひとつ、それらがめちゃめちゃ緻密に組み立てられて成立してるものじゃん。だから、その曲の魅力を十分に感じようとしたら、やっぱ1曲フルで聴くのがいちばんいいと思うんだよ」

サトシ「確かに。それで言うと今回のメドレー内のミニマムサイズだと、ワンフレーズしか歌わない曲とかもあった気がする。そういう意味ではメドレーってうまくやらないと、楽曲の魅力を損なってしまう可能性もあるってことか」

オーヤマ「うん、だからある意味すごい暴力的なフォーマットだと思う。で、今回のV6の39曲メドレーだけど、ここまで話してきてなんだけど、それぞれの曲の魅力とかそういう話がなんかもうどうでもよくなったよね!」

サトシ「なんだそれ! 俺は『keeP oN.』も『愛なんだ』も『WAになっておどろう』も、フルで聴きたかった気持ちも正直あるよ」

オーヤマ「ごめん、どうでもいいは言いすぎたw というか俺もメドレー序盤はフルでも聴きたいなーもったいないなーとか思ってたけど、見進めるうちに俺の意識がだんだん変わっていったよ。要はこれって、曲をフルでやる意義を捨ててまで伝えたいことがあったってことじゃん」

サトシ「まあね。フルでやったほうが楽曲の世界観を丁寧に伝えられるなんてこと、彼らは当然わかってるはずだし」

オーヤマ「でもそこを捨てた結果、得たもののでかさはすごかったと思う」

サトシ「うん。彼らのシングルが名曲揃いであることは痛いほどわかってたけど、それをあれだけ矢継ぎ早に繰り出されると、もういちいち反応するだけで精一杯というか、イントロ鳴るだけであひゃあ!とかうわあ!とか声上げるしかなくなるw ある意味めちゃめちゃゼイタクな楽曲の使い方だよね。長野→イノッチに乗っ取られたあとの坂本さんの照れセクスィーという『Sexy.Honey.Bunny!』の扱いには笑ったけどw」

オーヤマ「メドレーのアレンジもマッシュアップ的なあしらいも随所にあって、かなりクオリティ高かったなー。めちゃめちゃ有り体な言い方になっちゃうけど、メドレーが進むにつれて、代々木というV6の20年を巡るタイムマシーンに乗り込んでるような不思議な感覚になった。彼らの軌跡をリアルに体験してない俺ですらこうなんだから、ファンの人たちにはたまらなかったんじゃないかなあ。ライブだからこそ成し得た表現だと思う。このメドレー作るのすげー大変だったと思うよ……」

サトシ「あと印象に残ってるのは、バラード曲の説得力。俺のなかで“アイドルの真価は全員のユニゾンの響きに表れる”という説があるんだけど、V6のバラードで聴けるユニゾンはすごかった。特に『涙のアトが消える頃』『over』『君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか』といったバラードでのユニゾンの説得力は、生で聴いたからこその発見だった。『君が思い出す僕は~』のアカペラ、なんなんだあれ……うますぎるだろ……」

オーヤマ「数少ないほぼフルで披露された『UTAO-UTAO』で、花道の外周をぐるり一周、6人でゆーーっくり歩きながら歌いきった演出もグッときた。あれを正面からやり切ってちゃんと成立させている姿に、20年で積み重ねてきたものの重みと、20年目だからこその力の抜けた軽やかさを同時に感じたよ。そこからの『ありがとうのうた』の流れもよかった。ライブ自体はすごくシンプルな内容だったよね。変なひねりもなく、6人の存在感と、楽曲のメッセージがストレートに届く構成というか」

サトシ「うん。アニバーサリーの年にこういうライブを届けてくれるというところにも、V6の実直さや誠実さを感じたなあ」


****************


サトシ「じゃあ次に初めて生で観た各メンバーについて振り返ろうか。いきなりだけど、ひとつ謝んなきゃいけないことがあるよね」

オーヤマ「あ……そうですね。すみませんでした、岡田さん!」

サトシ「前にOMGのDVD観たときは『パフォーマーとしてよくわからん』的なことを言ってしまっていましたが、俺たちはパフォーマー・岡田准一のことをなにもわかっていなかったのかもw つかDVDの印象と全然違かったんだけど! ガシガシ踊ってるし、バリバリ生歌うたってるし、手ぶんぶん振ってるし!」

オーヤマ「ボーカルほんと素晴らしかったね! 歌声がすごく生々しいというか逞しくて、あの生命力というかアグレッシブさは生で観たからこそわかったことだったなあ。なによりすごい陽性のエネルギーを放出してるのに驚いた。ああいうタイプの人だと思わなかったからさ。MCもぶっ壊れてて最高だしw」

サトシ「このツアーにかけるモチベーションの高さをいちばん感じたのが彼だったかもしれない。でも力んでるわけじゃ全然なくてすげー自然体なんだよね。なんというか、テレビでもスクリーンでも観られない岡田准一を観れた気がしてすげー驚いたし、なんか嬉しかった。だってすげー楽しそうなんだもん、ライブしてる彼w それでいて年上の男性にこんなことを言うのもあれなんだけど、かわいいとこもあるんだよね……。つか手ぶんぶん振りすぎだろ……あれは好きになっちゃうよ……」

オーヤマ「でもそれを言うなら、6人が6人とも生で観ると好きになっちゃったよ俺。まず坂本・長野、ハンパじゃない! めちゃめちゃスタイルいいし、あの年であんだけ歌って踊って笑顔でいつづけるって、冷静になるとちょっと尋常じゃないよ」

サトシ「OMGのDVDを観たときに感じた『侍が必要なときだけ刀抜く感』は、生のパフォーマンスを観ても感じたなあ。このふたりも歌声に感じ入った。坂本さん、音源との違いがマジでわからんレベルのうまさ……これがプロか……とバカみたいな感想しか出てきません。すごい。長野さんのボーカルも素晴らしかったなあ。特にバラードでの繊細な声をライブで聴いて改めて、V6には彼の歌声が絶対必要なんだって気づかされた」

オーヤマ「うん。坂本のどこまでも伸びる頼もしい声と、長野の心地よいゆらぎをたたえた声が、どちらも必要不可欠なものとして自然に共存しているのが、V6のよさだなと改めて感じたな。あとふたりの佇まいって、見てるだけで「ああ、この人たちがいれば大丈夫だ」という安心感がめちゃめちゃあるんだよね。前も言ったけど、こういうふたりが上にいるチームは強いよ。生で観てそれをより痛感した。あと2階のトロッコで見たふたりの笑顔の眩しさに驚いた。わかってたことだけど、めちゃめちゃアイドルなのな……」

サトシ「次はイノッチですよ。DVDのときにも話したけど、この人の歌もほんとよかったねえ」

オーヤマ「ちょっと話逸れるけど、今回ライブを観て思ったんだけど、V6のライブって“しまってない”なあ、と思ったの」

サトシ「ん? どういう意味?」

オーヤマ「これふたつの意味があって、ひとつは“閉まってない”。つまり閉じてなかったんだよね。普通20周年の記念ライブって言ったらもっとコアなファンに向けた内容にしてもいいと思うけど、俺らみたいな一見さんもスッと入っていけるように、扉開けっ放し、自由に楽しんでー、って感じのライブで、そこがすごい気持ちよかった」

サトシ「確かにそうだった。これって、6人の力だけじゃなくて、ファンの人たちの空気感もでかかった気がする。待ちに待った記念ライブでお客さんの期待もマックスだったと思うし、実際盛り上がりもすごかったんだけど、なんか会場の雰囲気を思い出すとまず出てくる言葉が“優しかった”なんだよね。
とにかく最初から最後まですっげー優しい雰囲気のライブだったの。これ、実は今回のライブでいちばん驚いたことだったよ。1曲1曲を慈しむようなあの雰囲気も、メンバー/ファンの双方が20年かけて築きあげてきたものなんだろうなあと思ってグッときたよ」

オーヤマ「もうひとつは“締まってない”。正確に言うと“弛緩してる”というか。全編通してパフォーマンスのクオリティは文句なく高くて、それは6人のシビアなプロフェッショナリズムの賜物だと思うんだけど、どんな場面でも無駄な緊張を強いないんだよ、彼らのステージって。
V6という存在自体が凝り固まるのではなく、常にゆるーく弛緩していることで、先述したどこからでもアクセスできるような風通しのよさとか、誰を拒むこともない懐の広さ・深さをたたえているように感じたんだよね。で、話をイノッチに戻すけど、そういうV6の“しまらなさ”の象徴がイノッチなんだなあと思ったの、ライブでの彼を観て」

サトシ「具体的にはどういうところで?」

オーヤマ「あのさ、イノッチって曲の最初とかで『はいはいいきますよ~』とか『よしゃまだまだいけますか~ほい、ほい』とか、なんかブツブツ煽りを入れるじゃん。あれ、もっとちゃんとコールアンドレスポンス然としたものにもできると思うんだけど、イノッチってあえてああやってるんじゃないかな、きっと。あのイノッチ特有のゆるさというか、隙をあえてつくることで人の心にスッと入っていく得がたいグルーヴが、V6ライブの風通しのよさにすげー大きく影響してると思った」

サトシ「うん。MC含め、彼の存在がライブの大きな推進力になってたね」

オーヤマ「そして繰り返すけど彼の生歌はやっぱりすごかった。本編ラスト『~此処から~』のソロ、なんだあれ……ちょっとゾクッとするほど沁みたよ」

サトシ「で最後、森田・三宅に関しては、“剛健”と言われるほどコンビとして知られているけど、俺自身はこれまで特にそういうふうに彼らを観たことはなかったのね。でもライブでのふたりを思い返すと、ふたりの印象がすごく似てることに驚いた。俺のなかでライブ中のふたりって、ダイヤモンドとかクリスタルみたいな感じだった」

オーヤマ「キラキラ輝いてるってこと?」

サトシ「それもあるけど、それだけじゃなくてさ。ダイヤモンドって一面が光っているとき、その裏側の一面には真っ黒な闇が反射していて、そのコントラストが美しかったりするじゃん。ふたりもそんな感じがした。
ファンへの感謝に満ちた陽性の光を常に放ちながら、その隙間からゾクッとするような存在感を表出させる瞬間がいくつもあって、6人のなかで森田と三宅は常に、光と影を行き来しながらチカチカ点滅・発光しているように見えた。それがめちゃめちゃ魅力的だったんだよね。そのふたつの発光体はV6のライブに欠かすことのできない、得がたい刺激なんだと思ったの。すっごい感覚的で申し訳ないんだけど、あらゆる意味で観ててドキドキした、このふたりは」

オーヤマ「パフォーマンスのコントラストとかメリハリの表現力がずば抜けてるってとこは確かに共通してる気がする。このふたりがいることで、逆にほかの4人の個性も際立つんだよね」

サトシ「細部を見るとふたりとも全然違うタイプの表現者だと思うんだけど、だからこそライブの場で通じる部分が見えてきたのは新鮮な発見だったなあ。あと今回2階席だったけど、トロッコで近くに来たとき6人みんなすごかったけど、特に三宅さんはなんかヤバかった。なにがって言われると言語化できないけど、なんかヤバかった……」

オーヤマ「うん、それはわかる。ヤバかったね。なんだろうね、あの感じ。なんか直視できないというか……」

サトシ「長野さんのアルカイックスマイルと三宅さんのあの感じはヤバかったな……」


****************


オーヤマ「……だめだ! 細部を思い出すとまだまだ語りたいことは山ほどあるし、このライブのよさを全然言えてない感しかないんだけど、これ以上やっててもただのダベリになっちゃうので(すでにそうだけど)、このへんで強制お開きにしようと思います。思い出したことが出てきたらまた話せばいいし」

サトシ「異議なし。あ、最後にバカみたいな感想言っていい? 最後に『ミュージック・ライフ』やってくれてすげー嬉しかった!」

オーヤマ「あれは泣けた……! よく考えたらあの曲シングルのカップリングでしょ? それをアニバーサリーツアーのアンコールの最後にやってくれるって、なんか……どこまでも実直で真面目で真摯な人たちなんだね、V6って」

サトシ「本当にね。これだけのライブをみせつけた最後に『音楽はこころとこころを震わす魔法さ』って歌われたら、そりゃ泣くって……。そんな素敵な人たちの歴史の一端に関われたことを嬉しく思うよ」

オーヤマ「うん。何度も繰り返しになっちゃうけど、今回のライブを思い出していちばんリアルに心に残ってるのって、メンバーの表情でもなく、パフォーマンスの細部でもなく、最初から最後まで代々木の会場中に満ちていたあのどこまでも優しい空気感なんだよ。6人もそうだし、フロアのお客さんも、すべて。それに尽きる。本当に」

サトシ「俺たちいままでそれなりにいろんなライブに行ってきたつもりだけど、あんな雰囲気のライブを観たのはほんとに初めてだった。V6の音楽に魅せられてライブに足を運んだ俺だけど、音楽以上のもっとすごいものを受け取った気分。マジでいいライブだった。20周年のお祝いはいったん区切りかもだけど、これからもV6の音楽には期待しかしてないし、また聴き応えのあるアルバムを作って、それを引っさげてツアーもがんがんやってほしいね」

オーヤマ「だね。また生で観られる日まで、入場のときにもらったVみくじ、記念にとっとくぜ! イノッチの小吉!」




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すごいたくさん映画を観た

『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』

ジャズ・トランペッター、チェット・ベイカーを描いた作品。
ヤク中でどうしようもないところからの再起をかけた、実話に基づいてる感じのストーリー。
映画なり現実のニュースなりでドラッグについての話を聞くと、そんなに“いい”ってそういう感覚なんだろう、と気になってしまう(やらないけど)。
作中で主人公は、ドラッグやるとすごい演奏ができるんだ!的なことを言ってたけど、そうなのかなあ。
話はなるほどーという感じだった。




『地雷と少年兵』

終戦後、ドイツ軍がデンマーク海岸部に埋めた数百万の地雷撤去に駆り出されたのは、ドイツ軍の少年兵だった。

5年ものあいだ占領を行っていたドイツに対する憎しみを抱えるデンマーク軍の軍曹は、監督を任された14人の少年兵たちに対し、極めて冷酷に接するが、しだいに彼らへの同情心が芽生え、いつしか心を通わせるようになる。
これだけ書くとヒューマンドラマ的なやつを想像する人もいるかもだけど、ストーリー的に大きな抑揚や盛り上がりなどは特になく、自分の体感では、全体の半分以上が地雷除去シーンだったくらいに思える。

「少年兵が地雷除去に従事させられる」
というめちゃめちゃミニマムなシチュエーションに限定することで、
「いつ爆発するかわからない」
という異様な緊張感が作品全体を支配していて、わずかな作業ミスによりいとも簡単に爆発する地雷と、あっけなく失われる少年の命――その一部始終は正直自分には心理的負担が大きすぎて、スクリーンを正視できない部分が多かった……。

ただ、それはつまり、戦争とは安易な美談や消化しやすいストーリーとして描けるようなものではなく、ただ過酷で残酷な現実として存在するのだ、というメッセージに思えた。抑揚のある物語なんてない。戦争とはそういうものなのだ。

ビビリの俺は正直、何度もスクリーンの前から逃げ出したくなった。観るの辛すぎた。でもそれだけ感じさせられる映画だったということでもある。




『さようなら』

原発事故が起き、難民として海外に避難させられている近未来の日本が舞台。
そこでは、アンドロイドが人の生活に普通に存在していて、主人公の病弱な外国人女性も、一体のアンドロイドと一緒に住んでいる。

現在的なテーマのなかにアンドロイドという(現状は)非現実的な要素が同居していて、演出も理屈や説明ではなく、かなり感覚に訴えるタイプのもので、観ていてすごい不思議な感覚。

でも問いかけられているものはすごくシンプルで、「いまここにいることとは/いつかここからいなくなることとは」というこの世に生まれた限り逃れることができない根源的なテーマが、全編に貫かれていた。
この作品に『さようなら』と名付ける勇気はすごいと思う。

最初から最後まで、ずっとザワザワという風の音がしていて、それがすごくよかった。
こういう映画はふだんまず見ないタイプのものだけど、けっこうな疲労状態にも関わらず寝落ちせずガッツリ観られたので、いい映画なんだと思う。
記憶に残るシーンがいくつもあった。




『ぼくの桃色の夢』

中国のある少年が青年になっていく成長物語。(←全然説明できてません)

リビドー全開な中学男子の妄想、80年代の中学生ってあんな感じだったのか!という衝撃、ベタな音楽の使い方、オフビート感ありつつもどこかいなたいギャグセンスなど、妙なテンションで突っ走る前半から、大人になった真性こじらせすぎモラトリアム青年の虚実がないまぜになっていく後半を経て、予想外のラストにゾワッとさせられる。
気づかないあいだに見知らぬところに連れて行かれてるような、不思議な作品だった。

初恋、失恋、受験、就職、親の死など、順調に人生のみそぎを済ませているように見えて、全然わりきれてないし納得できていない文化系男子の生きづらさ、どんづまり感が痛い。
ラスト近く、初恋の相手との××の最中に漏らす主人公のひと言は、俺には重かった。
あと高校時代のキスシーンがキモくて最高。泣ける。




『スナップ』

タイ?の青春映画。
とは言え、青春そのものではなく、青春を通り過ぎた=失った人たちの話で、そういう意味では『ぼくの桃色の夢』にも通じる部分があるかも(描いてるものは全然違うけど)
他の国でもそういうのはやりたいテーマなのかね。