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プラカードその3

プラカードその2

プラカード

アイラブユー。SMAPが止まるまでは。――2015年のSMAPが踏み出した一歩

2015年も、もう終わりですね。“はじまったものは必ず終わる”というのがこの世の常のようで、今年もあと数日で終わりを迎え、新しい年がやってきます。

思い返せば2015年のSMAPは、アルバム『Mr.S』を引っさげた全国ツアーのファイナル公演で幕を開けました。そう、今年のSMAPはある意味“終わらせること”からその歩みをはじめたのです。



2015年、『のど自慢』の衝撃

今年のSMAPの活動のなかでまずビビッドに思い出されるのが、生放送で出演した『のど自慢』での5人の姿です。

さまざまなバックグラウンドをもつ出場者たちをフラットかつ穏やかな熱をもって包み込む「隣の兄ちゃん」感と、熱心なファンではない市井の人々が集う町のホールを一瞬で祝祭空間に変えてしまう「百戦錬磨のエンタテイナー」としての顔。

そんな一見相反する存在感をいとも自然に発揮する5人の姿は、『のど自慢』というこの国の(もはや失われたようにも思える)牧歌さを象徴するような番組だからこそ、SMAPというタレントの特異性をいっそう際立たせていました。

いま思うと、『Mr.S』ツアーのエンディングの演出は、ひとつの暗示だったのかもしれません。ステージの奥に消えていくのではなく、自らステージを降りわたしたちの生きる“この世界”に帰っていくというあの演出は、SMAPの本質が改めて提示された瞬間でした。

つまりは「つくりもの・フィクションの存在」としてではなく、「呼吸し・地を踏み・汗をかき涙する、誰とも同じ存在」でありつづけること。それをやめなかったからこそ、SMAPはストレンジかつ圧倒的な存在感を獲得したのでしょう。(アイドルがアイドルとして無邪気に神格化されていた時代の終焉とともに生まれた彼らには、そうするしか道がなかったのかもれないですが)



2015年、すごすぎた2枚のシングル

『のど自慢』というフィルターを通して、アイドルとしての魅力を改めて示す一方、『Joy!!』以降充実の季節が続く音楽面でも、今年SMAPは非常に重要な局面を迎えました。

今年SMAPがリリースしたシングルは2枚。両A面シングルの表題曲を並べてみると、改めてその豊作っぷりに驚かされます。

カリソメの貨幣をばら撒きながら「逆襲」というワンワードでSMAPのオルタナティブ性を改めて現出させた『華麗なる逆襲』。善悪/悲喜のボーダーを超えた地点で、なお前進しようとする生命そのものを肯定した『ユーモアしちゃうよ』(詳しくはこちら→「SMAP『華麗なる逆襲/ユーモアしちゃうよ』は最強の“両A面シングル”だ」「<雨上がり、アスファルトの匂い>――『ユーモアしちゃうよ』を500回聴いて考えた」)。ほとんど『Shake』以来と言ってもいいほど“パーティー・オーガナイザーとしてのSMAP”の復権を実現した『Otherside』。たった2枚のシングルの中でこれだけの振れ幅を見せながらも、どれをとってもSMAPとしか言いようのない必然性をもった楽曲ばかりでした。

中でも、自分がもっとも衝撃的だったのが、以前ブログにも書いた『ユーモアしちゃうよ』、そして今回取り上げる『愛が止まるまでは』です。



『愛が止まるまでは』がSMAPにもたらしたもの

『愛が止まるまでは』という曲をどう解釈するか――人によってその受け止め方は大きな幅を持つでしょう。聴き手の想像をより喚起させる川谷絵音の歌詞は、これまでSMAPに楽曲提供した『アマノジャク』『好きよ』でも、さまざまな解釈を産んできました。むしろそのように、インスタントにひと言では言い表せない感情や感覚を呼び起こさせるストレンジさこそが、川谷絵音という作家の得難さでもあります。

この楽曲も、一聴するとラブソング然としていながら、「僕」「君」などの聴き手が置き換えやすい言葉ではなく「誰か」「僕ら」「みんな」というより広い視点での主語を散りばめるなど、一面的な解釈をやんわりと拒否するような仕掛けが目を引きます。

楽曲・パフォーマンスにおいても、SMAPとしてはかなりイレギュラーなものになっています。まずこれはSMAPの歌唱力という問題以前に、誰が歌うにしても楽曲の難易度がかなり高い。性急なビートと複雑極まりない譜割りは川谷楽曲の特徴ですが、そのクセのあるスタイルは、メンバーにとってこれまで築き上げてきた歌唱スタイルでは対応しきれないものだったのではないでしょうか。音源では、ここにきてかなり新鮮な5人のボーカルを聴くことができます(特に『Otherside』とは対称的に抑制された木村の歌声は、シングルではなかなか聴けない良テイクかと)。

またパフォーマンスでは、大人の色気を感じさせるスタンドマイクを用いた振り付けが採用されていますが、スタンドマイクの効果のひとつとして“パフォーマーの動きを縛る”というものがあります。先日の『ミュージックステーション』でのフルパフォーマンスで、その“縛りの効果”が顕著に表れていました。

縦横無尽に会場を駆けまわったあとに、メインステージで歌われた『愛が止まるまでは』。『Shake』でみせた躍動感あふれるステージから一転、特にサビの振りではマイクスタンドありきの動きがとても多く(2番のサビではスタンドを抱えながら跪いてしまう!)、メンバー各々のパフォーマンスの自由度は一気に制限されることになります。しかしマイクスタンドに縛られた状態でのパフォーマンスは、だからこそ逆説的にメンバーの生々しさ・肉体性をより浮き彫りにしていました。

歌唱面でもパフォーマンス面でも多くの“制約”や“縛り”をもった楽曲だからこそ、そこから嫌でもはみ出してしまう5人の個性が浮かび上がる。そんな楽曲とSMAPのせめぎ合いも、『愛が止まるまでは』の大きな魅力のひとつです。

そう、長々と説明しましたが、これらはこの曲の魅力の一端に過ぎません。というか、ここまでは前置き。ここからが本題です。



『愛が止まるまでは』とは「終わりについての歌」である

先述したとおり、人によってさまざまな解釈ができるであろうこの曲。自分は端的に言うと、「終わり」についての曲だと思っています。もっと言えば、「“SMAP自身の終わり”について歌った曲」でしょう、これは。

過去にもSMAPには、終わりをテーマにした楽曲はいくつかあります(特にシングル『Fly』のカップリング『End of time』は、世紀末の終末感を甘美に表現した激名曲。ボーカルもオケも最高なので未聴の人は即聴くべし)。が、自身の終わりについて歌ったことはこれまでほぼないでしょう。それは当然といえば当然で、アイドルは自分の終わりを歌うなんてこと、基本的にはしちゃいけない存在でしょう。

「これからも僕たち(私たち)といっしょに時を重ねていきましょう」――こういう台詞を笑顔で言い続けることも、アイドルのめちゃめちゃ大事な仕事のひとつなわけで、間違っても「僕たちはいずれ消えてなくなる存在です」なんて、口が裂けても言ってはいけないわけです。

しかし『愛が止まるまでは』はかなり深く「自身の終わり」について踏み込んでいる曲に聴こえます。

俺には、ど頭の香取パートは、住み慣れた街を後にし、死に場所を求めて彷徨う野良猫の心情描写に思えて仕方ありません。続く中居パートなどは、すでにSMAPが終わった世界から、メンバー自身が過去を懐かしんでいる光景のようにすら聴こえます。

さて、ここで俺自身も自問したい問題があります。俺が言い出しておきながらなんですが、“そもそもSMAPにとっての「終わり」とは、いったいどういうことなのでしょうか”。



「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね」

SMAPはそもそも、安易に“永遠”などと口にするグループではありませんでした。自身について歌ったと言われることも多い名曲『STAY』や『Still U』でも、「たったの50年」とわざわざ期限らしきものを口にしたり、「皆に別れるかも知れないと言われた」とエクスキューズを入れたりしています。

それは先述したとおり、SMAPがあくまでフィクショナルな存在としてのアイドルではなく、ある種「人間宣言」を掲げたアイドルとして生きる道を選んだことと無縁ではないと思います。

「SMAPにとっての終わり」を考えるとき、例えば近年のSMAPが、ゆるやかに、しかし確実に「老い」と向き合うステージにシフトチェンジしていることをトピックとして挙げることもできるでしょう。アイドルとはいえ、私たちと同じように年を取っていく。そんな事実をどう表現していくか。5人がそういうトライアルをすでにはじめていることは、例えば『27時間テレビ』をはじめとする近年のSMAPの姿を見ていれば明らかなことでしょう。


ではSMAPにとっての終わりとは、単に時間の問題なのでしょうか。アイドルにとっての終わりは、時間や年齢といった物理的な問題だけなのでしょうか。


先日放送された中居正広がMCの特番『Xmasスペシャル中居正広が結婚を考える夜。』内での中居と桃井かおりの対談は、非常に多くの発見と示唆に富んだものでした。中でも桃井のこの発言は特にすごかったです。


「SMAPはダメにならなかったもんね、辛いよね。普通はダメになっちゃうじゃない、どうにかしなきゃってことでさ」


続けて桃井は、「いつかシラフにならなきゃいけないと思ってた。このまやかしの魔界みたいなことをいつか辞めなきゃいけなくないかな、ってずっと思ってたわけよ」と語っています。もちろん、桃井と中居の、そして桃井とSMAPの立場は違います。しかしこの発言は、アイドルにせよ女優にせよ、エンタテインメントに従事する者の「終わり」を考えるときに、かなり生々しい発言です。

これまでSMAPがダメになりかけた=終わりを迎えそうになったことが一度もなかったか?という問いに対しては、27時間テレビでのメンバー発言を引用するまでもなく、私たちのなかにもいくつかのタイミングが思い浮かぶでしょう。SMAPが終わってしまうタイミングは、これまでにきっといくつもあった。

しかし色々なことがあってなお、SMAPはダメにならなかった。確かに2015年年末の時点で、SMAPはここに存在しています。

SMAPはまだ、ここにいる。SMAPはまだ「終わっていない」。だからこそ、『愛が止まるまでは』という曲が生まれました。



「SMAPが止まる」そのときまでは

『愛が止まるまでは』のなかで、SMAPは何度も何度も何度も何度もこう繰り返します。


アイラブユー。アイラブユー。愛が止まるまでは。アイラブユー。アイラブユー。


彼らも、私たちも、いつかこの存在が終わることは知っています。2015年があと数日で終わるように、僕らの存在もいつかは終わる。そのことに納得できてもできなくても、この世界はどうも、そういうふうにできているらしいです。

しかし、なにかの偶然でこの世界に生きている私たちは、まだ終わってはいないようです。そして同じように偶然にこの世界に生きている5人(=6人)の男たちの物語も、まだ終わっていません。

というか、「SMAPの終わり」とはいったいどういうことなのか、私たちはもちろん、本人ですらそれがどういうことなのか、まだ知らないのではないでしょうか。

いずれ「SMAPが止まる」そのときまで、彼らはこんな言葉で気取り続けるのでしょう。


アイラブユー。アイラブユー。


「終わり」を見据えたからこそ、歌える「アイラブユー」がある。2015年、SMAPは終わりを歌うことで、新たなはじまりを迎えました。それがこんなにも刺激的で鋭い表現であったことが、本当に嬉しい。

この曲をどう受け取るか。それはそのまま「SMAPの終わりとどう向き合うか」という受け手である私たちの姿勢を問われているようにも思えます。

“終わりと向き合うことをもエンターテインしていく”――そんなありえないディメンションにジャニーズのアイドルが踏み出したという事実は、けっこうすごいことだと思います。

……まあこの解釈は俺の超個人的な妄想なので一般化しようとは1ミリも思ってませんが、少なくとも俺はそれくらいのことだと思っています。ほんとに面白いことになってきたなあ。



ただ、正直なことを言うと、SMAPにはこのあとすぐに終わられたりしちゃ困るんです。困るんだよこっちは。これからもっともっといいものを届けてほしいんだよこっちは。頼むぜ。来年も、その先も、俺はあなたたちにすげー期待してんだ。こっちもその分、真剣に、真摯に、暑苦しいほど向き合う覚悟でいるので。

そして改めて繰り返しますが、『愛が止まるまでは』を含む今年のSMAPの音楽面は、ほんとにほんとにすごかった。これは来年出るであろう(出るよね?)アルバムに期待せざるをえないでしょ。つかここ数年の楽曲の打率高すぎ!



というわけで、結論。2016年、とりあえずアルバムあるよね? で、ライブあるよね? ね? 待ってるからねー! 待ってんぞおい!!!(←結局それ

V6の20周年ライブがめちゃめちゃよかった・2015年10月29日@代々木



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オーヤマ「V6のみなさん」

サトシ「20周年」

ふたり「おめでとうございます!!」

オーヤマ「本日ツアー最終日が無事終わったということで、20周年ツアー『ラブセン presents V6 LIVE TOUR 2015 -SINCE1995~FOREVER-』、いやーほんとにいいライブだったねえ」

サトシ「そう、自分でも未だに信じられないけど俺らも行ったんだよな、このツアー……!!」

オーヤマ「ついに生V6を観てしまった……」

サトシ「行ったのは代々木第一体育館の初日・10月29日公演。念願の初V6ライブのタイミングがこんな記念ツアーということで、いいのかな俺らごときの超初心者が行って……という思いもあったけど、ライブを観たいという気持ちに逆らえなかったね」

オーヤマ「去年『Oh! My! Goodness!』をはじめて聴いたときは、まさかライブにまで足を運ぶことになるとは思いもしなかったけど、今回本当に行ってよかったと思う。それくらいいいライブだった」

サトシ「しかしアルバム聴いて(過去記事『V6の『Oh! My! Goodness!』ってアルバムがめちゃめちゃいい』)、DVD見て(過去記事『V6『Oh! My! Goodness!』のライブDVDがすごい面白かったよ』)、ベスト盤買ってライブに行くって、我ながらすごい王道のハマり方してるよね……w」

オーヤマ「はははははw いやでもとにかくほんとすごかった……まだ観たばっかりでぜんぜん整理も消化もできてないけど、熱だったり匂いだったり肌ざわりだったり、あの空間を覚えているいまだからこその感想を残しておきたいので、ざっくばらんに話してみよう」

サトシ「そうだね。どうせ細部の記憶はすでにほぼ消えてるしw 印象を頼りにした話になるので、正確性が皆無なのはご了承ください」


****************


サトシ「まず今回のライブって20周年アニバーサリー公演という前提が掲げられていたわけだけど、まさしくそれにふさわしい内容だったね」

オーヤマ「うん。ライブに行くのを諦めてたときに書いたこれ→(過去記事『今年V6ツアーに行けない俺が選んだ「2015年ライブで聴きたい曲」極私的ベスト14+@』)で挙げた曲は、結果的に全部やったのかな」

サトシ「しかし、ベスト盤を中心にした内容になるとは思ってたけど、前半にはシングルに過去のアルバム曲/トニセン・カミセン曲を織り交ぜつつ、中盤からなんと6部構成・39曲メドレーを叩きつけるという構成は予想していなかったなあ」

オーヤマ「まずシルエットから丸腰で登場しての、アカペラ?ぽい『Wait for you』かましつついきなり『MUSIC FOR THE PEOPLE』に雪崩れ込み!! そしてききききたあああああすすすすす『Supernova』!!!」

サトシ「かっけええええええ!!!!!!!!111」

オーヤマ「な!!!!11 ちょーーーーかっけえのな!!!!!11111」

サトシ「いきなり取り乱しましたが、ダンスバキバキやんけ!!!! 特に間奏の演出サイコー。スクリーンの映像が消えて、真っ暗の中レーザーの光だけでステージ上のメンバーを示しながら、♪ガラガラハビナグッターイのリフレインでじわじわアガっていくとこは昇天モノ! 全然説明できてないけど!」

オーヤマ「あとベスト盤で大好きになった『グッデイ!!』では、Aメロ出だしでイノッチが岡田に持ち上げられてるのに爆笑しつつ間奏もガッツリ聴けたし、『HONEY BEAT』では恥ずかしながら「♪笑って~」の振りまでやってしまった……。あと前半に関しては、実は知らない曲も多かったんだけど、初めて聴く曲がどれもよくて驚いたなあ」

サトシ「特に『Will』~『SP"Break The Wall"』の流れ、どっちの曲も知らなかったけど素晴らしかった! 『SP"Break The Wall"』では踊りすぎて首がもげそうになったわ……どのCDに入ってるのかと調べたら配信限定曲みたいだね。そういう曲を入れてくるのも彼ららしい」

オーヤマ「今回観たのが2階席の後列で、センターステージのちょうど真横の位置だったんだけど、6人が背中を向けて踊る場面が何回かあって、それがすごくよかったなあ。正面向いたときの迫力もすごいんだけど、背中であれだけ魅せることができるって、すごい表現力だなと思った。惜しいのは、ライブ中ほとんど踊り狂ってて(俺が)、6人のダンスの記憶がほとんどないんだよね……何やってんだ俺は……」

サトシ「それな……で、だいぶ端折りますがそんな前半を経て、後半のメドレーへ突入と。1曲目『Orange』のイントロで『ひゃああああ……!』と声を上げたアラサー男が俺です。これを生で聴ける日がくることを10年前の俺に伝えてやりたいわ……」

オーヤマ「過去のブログにも書いてきたけど、俺らは特に“V6の音楽”に魅せられてきたわけで、今回ライブに行った理由も“V6の音楽を爆音で浴びたいから”というのが最大の目的だったわけじゃん。で、今回のライブでその思いは十分すぎるほど達成されたよね。曲数でいったら50曲くらいやったんじゃないか?」

サトシ「こないだ観に行ったPOLYSICSのクアトロ2日で100曲企画に匹敵するボリュームw」

オーヤマ「でもメドレーって実は諸刃の剣でさ。音楽、特にポップスって1曲のなかの音の一音一音、コード進行のひとつひとつ、それらがめちゃめちゃ緻密に組み立てられて成立してるものじゃん。だから、その曲の魅力を十分に感じようとしたら、やっぱ1曲フルで聴くのがいちばんいいと思うんだよ」

サトシ「確かに。それで言うと今回のメドレー内のミニマムサイズだと、ワンフレーズしか歌わない曲とかもあった気がする。そういう意味ではメドレーってうまくやらないと、楽曲の魅力を損なってしまう可能性もあるってことか」

オーヤマ「うん、だからある意味すごい暴力的なフォーマットだと思う。で、今回のV6の39曲メドレーだけど、ここまで話してきてなんだけど、それぞれの曲の魅力とかそういう話がなんかもうどうでもよくなったよね!」

サトシ「なんだそれ! 俺は『keeP oN.』も『愛なんだ』も『WAになっておどろう』も、フルで聴きたかった気持ちも正直あるよ」

オーヤマ「ごめん、どうでもいいは言いすぎたw というか俺もメドレー序盤はフルでも聴きたいなーもったいないなーとか思ってたけど、見進めるうちに俺の意識がだんだん変わっていったよ。要はこれって、曲をフルでやる意義を捨ててまで伝えたいことがあったってことじゃん」

サトシ「まあね。フルでやったほうが楽曲の世界観を丁寧に伝えられるなんてこと、彼らは当然わかってるはずだし」

オーヤマ「でもそこを捨てた結果、得たもののでかさはすごかったと思う」

サトシ「うん。彼らのシングルが名曲揃いであることは痛いほどわかってたけど、それをあれだけ矢継ぎ早に繰り出されると、もういちいち反応するだけで精一杯というか、イントロ鳴るだけであひゃあ!とかうわあ!とか声上げるしかなくなるw ある意味めちゃめちゃゼイタクな楽曲の使い方だよね。長野→イノッチに乗っ取られたあとの坂本さんの照れセクスィーという『Sexy.Honey.Bunny!』の扱いには笑ったけどw」

オーヤマ「メドレーのアレンジもマッシュアップ的なあしらいも随所にあって、かなりクオリティ高かったなー。めちゃめちゃ有り体な言い方になっちゃうけど、メドレーが進むにつれて、代々木というV6の20年を巡るタイムマシーンに乗り込んでるような不思議な感覚になった。彼らの軌跡をリアルに体験してない俺ですらこうなんだから、ファンの人たちにはたまらなかったんじゃないかなあ。ライブだからこそ成し得た表現だと思う。このメドレー作るのすげー大変だったと思うよ……」

サトシ「あと印象に残ってるのは、バラード曲の説得力。俺のなかで“アイドルの真価は全員のユニゾンの響きに表れる”という説があるんだけど、V6のバラードで聴けるユニゾンはすごかった。特に『涙のアトが消える頃』『over』『君が思い出す僕は 君を愛しているだろうか』といったバラードでのユニゾンの説得力は、生で聴いたからこその発見だった。『君が思い出す僕は~』のアカペラ、なんなんだあれ……うますぎるだろ……」

オーヤマ「数少ないほぼフルで披露された『UTAO-UTAO』で、花道の外周をぐるり一周、6人でゆーーっくり歩きながら歌いきった演出もグッときた。あれを正面からやり切ってちゃんと成立させている姿に、20年で積み重ねてきたものの重みと、20年目だからこその力の抜けた軽やかさを同時に感じたよ。そこからの『ありがとうのうた』の流れもよかった。ライブ自体はすごくシンプルな内容だったよね。変なひねりもなく、6人の存在感と、楽曲のメッセージがストレートに届く構成というか」

サトシ「うん。アニバーサリーの年にこういうライブを届けてくれるというところにも、V6の実直さや誠実さを感じたなあ」


****************


サトシ「じゃあ次に初めて生で観た各メンバーについて振り返ろうか。いきなりだけど、ひとつ謝んなきゃいけないことがあるよね」

オーヤマ「あ……そうですね。すみませんでした、岡田さん!」

サトシ「前にOMGのDVD観たときは『パフォーマーとしてよくわからん』的なことを言ってしまっていましたが、俺たちはパフォーマー・岡田准一のことをなにもわかっていなかったのかもw つかDVDの印象と全然違かったんだけど! ガシガシ踊ってるし、バリバリ生歌うたってるし、手ぶんぶん振ってるし!」

オーヤマ「ボーカルほんと素晴らしかったね! 歌声がすごく生々しいというか逞しくて、あの生命力というかアグレッシブさは生で観たからこそわかったことだったなあ。なによりすごい陽性のエネルギーを放出してるのに驚いた。ああいうタイプの人だと思わなかったからさ。MCもぶっ壊れてて最高だしw」

サトシ「このツアーにかけるモチベーションの高さをいちばん感じたのが彼だったかもしれない。でも力んでるわけじゃ全然なくてすげー自然体なんだよね。なんというか、テレビでもスクリーンでも観られない岡田准一を観れた気がしてすげー驚いたし、なんか嬉しかった。だってすげー楽しそうなんだもん、ライブしてる彼w それでいて年上の男性にこんなことを言うのもあれなんだけど、かわいいとこもあるんだよね……。つか手ぶんぶん振りすぎだろ……あれは好きになっちゃうよ……」

オーヤマ「でもそれを言うなら、6人が6人とも生で観ると好きになっちゃったよ俺。まず坂本・長野、ハンパじゃない! めちゃめちゃスタイルいいし、あの年であんだけ歌って踊って笑顔でいつづけるって、冷静になるとちょっと尋常じゃないよ」

サトシ「OMGのDVDを観たときに感じた『侍が必要なときだけ刀抜く感』は、生のパフォーマンスを観ても感じたなあ。このふたりも歌声に感じ入った。坂本さん、音源との違いがマジでわからんレベルのうまさ……これがプロか……とバカみたいな感想しか出てきません。すごい。長野さんのボーカルも素晴らしかったなあ。特にバラードでの繊細な声をライブで聴いて改めて、V6には彼の歌声が絶対必要なんだって気づかされた」

オーヤマ「うん。坂本のどこまでも伸びる頼もしい声と、長野の心地よいゆらぎをたたえた声が、どちらも必要不可欠なものとして自然に共存しているのが、V6のよさだなと改めて感じたな。あとふたりの佇まいって、見てるだけで「ああ、この人たちがいれば大丈夫だ」という安心感がめちゃめちゃあるんだよね。前も言ったけど、こういうふたりが上にいるチームは強いよ。生で観てそれをより痛感した。あと2階のトロッコで見たふたりの笑顔の眩しさに驚いた。わかってたことだけど、めちゃめちゃアイドルなのな……」

サトシ「次はイノッチですよ。DVDのときにも話したけど、この人の歌もほんとよかったねえ」

オーヤマ「ちょっと話逸れるけど、今回ライブを観て思ったんだけど、V6のライブって“しまってない”なあ、と思ったの」

サトシ「ん? どういう意味?」

オーヤマ「これふたつの意味があって、ひとつは“閉まってない”。つまり閉じてなかったんだよね。普通20周年の記念ライブって言ったらもっとコアなファンに向けた内容にしてもいいと思うけど、俺らみたいな一見さんもスッと入っていけるように、扉開けっ放し、自由に楽しんでー、って感じのライブで、そこがすごい気持ちよかった」

サトシ「確かにそうだった。これって、6人の力だけじゃなくて、ファンの人たちの空気感もでかかった気がする。待ちに待った記念ライブでお客さんの期待もマックスだったと思うし、実際盛り上がりもすごかったんだけど、なんか会場の雰囲気を思い出すとまず出てくる言葉が“優しかった”なんだよね。
とにかく最初から最後まですっげー優しい雰囲気のライブだったの。これ、実は今回のライブでいちばん驚いたことだったよ。1曲1曲を慈しむようなあの雰囲気も、メンバー/ファンの双方が20年かけて築きあげてきたものなんだろうなあと思ってグッときたよ」

オーヤマ「もうひとつは“締まってない”。正確に言うと“弛緩してる”というか。全編通してパフォーマンスのクオリティは文句なく高くて、それは6人のシビアなプロフェッショナリズムの賜物だと思うんだけど、どんな場面でも無駄な緊張を強いないんだよ、彼らのステージって。
V6という存在自体が凝り固まるのではなく、常にゆるーく弛緩していることで、先述したどこからでもアクセスできるような風通しのよさとか、誰を拒むこともない懐の広さ・深さをたたえているように感じたんだよね。で、話をイノッチに戻すけど、そういうV6の“しまらなさ”の象徴がイノッチなんだなあと思ったの、ライブでの彼を観て」

サトシ「具体的にはどういうところで?」

オーヤマ「あのさ、イノッチって曲の最初とかで『はいはいいきますよ~』とか『よしゃまだまだいけますか~ほい、ほい』とか、なんかブツブツ煽りを入れるじゃん。あれ、もっとちゃんとコールアンドレスポンス然としたものにもできると思うんだけど、イノッチってあえてああやってるんじゃないかな、きっと。あのイノッチ特有のゆるさというか、隙をあえてつくることで人の心にスッと入っていく得がたいグルーヴが、V6ライブの風通しのよさにすげー大きく影響してると思った」

サトシ「うん。MC含め、彼の存在がライブの大きな推進力になってたね」

オーヤマ「そして繰り返すけど彼の生歌はやっぱりすごかった。本編ラスト『~此処から~』のソロ、なんだあれ……ちょっとゾクッとするほど沁みたよ」

サトシ「で最後、森田・三宅に関しては、“剛健”と言われるほどコンビとして知られているけど、俺自身はこれまで特にそういうふうに彼らを観たことはなかったのね。でもライブでのふたりを思い返すと、ふたりの印象がすごく似てることに驚いた。俺のなかでライブ中のふたりって、ダイヤモンドとかクリスタルみたいな感じだった」

オーヤマ「キラキラ輝いてるってこと?」

サトシ「それもあるけど、それだけじゃなくてさ。ダイヤモンドって一面が光っているとき、その裏側の一面には真っ黒な闇が反射していて、そのコントラストが美しかったりするじゃん。ふたりもそんな感じがした。
ファンへの感謝に満ちた陽性の光を常に放ちながら、その隙間からゾクッとするような存在感を表出させる瞬間がいくつもあって、6人のなかで森田と三宅は常に、光と影を行き来しながらチカチカ点滅・発光しているように見えた。それがめちゃめちゃ魅力的だったんだよね。そのふたつの発光体はV6のライブに欠かすことのできない、得がたい刺激なんだと思ったの。すっごい感覚的で申し訳ないんだけど、あらゆる意味で観ててドキドキした、このふたりは」

オーヤマ「パフォーマンスのコントラストとかメリハリの表現力がずば抜けてるってとこは確かに共通してる気がする。このふたりがいることで、逆にほかの4人の個性も際立つんだよね」

サトシ「細部を見るとふたりとも全然違うタイプの表現者だと思うんだけど、だからこそライブの場で通じる部分が見えてきたのは新鮮な発見だったなあ。あと今回2階席だったけど、トロッコで近くに来たとき6人みんなすごかったけど、特に三宅さんはなんかヤバかった。なにがって言われると言語化できないけど、なんかヤバかった……」

オーヤマ「うん、それはわかる。ヤバかったね。なんだろうね、あの感じ。なんか直視できないというか……」

サトシ「長野さんのアルカイックスマイルと三宅さんのあの感じはヤバかったな……」


****************


オーヤマ「……だめだ! 細部を思い出すとまだまだ語りたいことは山ほどあるし、このライブのよさを全然言えてない感しかないんだけど、これ以上やっててもただのダベリになっちゃうので(すでにそうだけど)、このへんで強制お開きにしようと思います。思い出したことが出てきたらまた話せばいいし」

サトシ「異議なし。あ、最後にバカみたいな感想言っていい? 最後に『ミュージック・ライフ』やってくれてすげー嬉しかった!」

オーヤマ「あれは泣けた……! よく考えたらあの曲シングルのカップリングでしょ? それをアニバーサリーツアーのアンコールの最後にやってくれるって、なんか……どこまでも実直で真面目で真摯な人たちなんだね、V6って」

サトシ「本当にね。これだけのライブをみせつけた最後に『音楽はこころとこころを震わす魔法さ』って歌われたら、そりゃ泣くって……。そんな素敵な人たちの歴史の一端に関われたことを嬉しく思うよ」

オーヤマ「うん。何度も繰り返しになっちゃうけど、今回のライブを思い出していちばんリアルに心に残ってるのって、メンバーの表情でもなく、パフォーマンスの細部でもなく、最初から最後まで代々木の会場中に満ちていたあのどこまでも優しい空気感なんだよ。6人もそうだし、フロアのお客さんも、すべて。それに尽きる。本当に」

サトシ「俺たちいままでそれなりにいろんなライブに行ってきたつもりだけど、あんな雰囲気のライブを観たのはほんとに初めてだった。V6の音楽に魅せられてライブに足を運んだ俺だけど、音楽以上のもっとすごいものを受け取った気分。マジでいいライブだった。20周年のお祝いはいったん区切りかもだけど、これからもV6の音楽には期待しかしてないし、また聴き応えのあるアルバムを作って、それを引っさげてツアーもがんがんやってほしいね」

オーヤマ「だね。また生で観られる日まで、入場のときにもらったVみくじ、記念にとっとくぜ! イノッチの小吉!」




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すごいたくさん映画を観た

『ボーン・トゥ・ビー・ブルー』

ジャズ・トランペッター、チェット・ベイカーを描いた作品。
ヤク中でどうしようもないところからの再起をかけた、実話に基づいてる感じのストーリー。
映画なり現実のニュースなりでドラッグについての話を聞くと、そんなに“いい”ってそういう感覚なんだろう、と気になってしまう(やらないけど)。
作中で主人公は、ドラッグやるとすごい演奏ができるんだ!的なことを言ってたけど、そうなのかなあ。
話はなるほどーという感じだった。




『地雷と少年兵』

終戦後、ドイツ軍がデンマーク海岸部に埋めた数百万の地雷撤去に駆り出されたのは、ドイツ軍の少年兵だった。

5年ものあいだ占領を行っていたドイツに対する憎しみを抱えるデンマーク軍の軍曹は、監督を任された14人の少年兵たちに対し、極めて冷酷に接するが、しだいに彼らへの同情心が芽生え、いつしか心を通わせるようになる。
これだけ書くとヒューマンドラマ的なやつを想像する人もいるかもだけど、ストーリー的に大きな抑揚や盛り上がりなどは特になく、自分の体感では、全体の半分以上が地雷除去シーンだったくらいに思える。

「少年兵が地雷除去に従事させられる」
というめちゃめちゃミニマムなシチュエーションに限定することで、
「いつ爆発するかわからない」
という異様な緊張感が作品全体を支配していて、わずかな作業ミスによりいとも簡単に爆発する地雷と、あっけなく失われる少年の命――その一部始終は正直自分には心理的負担が大きすぎて、スクリーンを正視できない部分が多かった……。

ただ、それはつまり、戦争とは安易な美談や消化しやすいストーリーとして描けるようなものではなく、ただ過酷で残酷な現実として存在するのだ、というメッセージに思えた。抑揚のある物語なんてない。戦争とはそういうものなのだ。

ビビリの俺は正直、何度もスクリーンの前から逃げ出したくなった。観るの辛すぎた。でもそれだけ感じさせられる映画だったということでもある。




『さようなら』

原発事故が起き、難民として海外に避難させられている近未来の日本が舞台。
そこでは、アンドロイドが人の生活に普通に存在していて、主人公の病弱な外国人女性も、一体のアンドロイドと一緒に住んでいる。

現在的なテーマのなかにアンドロイドという(現状は)非現実的な要素が同居していて、演出も理屈や説明ではなく、かなり感覚に訴えるタイプのもので、観ていてすごい不思議な感覚。

でも問いかけられているものはすごくシンプルで、「いまここにいることとは/いつかここからいなくなることとは」というこの世に生まれた限り逃れることができない根源的なテーマが、全編に貫かれていた。
この作品に『さようなら』と名付ける勇気はすごいと思う。

最初から最後まで、ずっとザワザワという風の音がしていて、それがすごくよかった。
こういう映画はふだんまず見ないタイプのものだけど、けっこうな疲労状態にも関わらず寝落ちせずガッツリ観られたので、いい映画なんだと思う。
記憶に残るシーンがいくつもあった。




『ぼくの桃色の夢』

中国のある少年が青年になっていく成長物語。(←全然説明できてません)

リビドー全開な中学男子の妄想、80年代の中学生ってあんな感じだったのか!という衝撃、ベタな音楽の使い方、オフビート感ありつつもどこかいなたいギャグセンスなど、妙なテンションで突っ走る前半から、大人になった真性こじらせすぎモラトリアム青年の虚実がないまぜになっていく後半を経て、予想外のラストにゾワッとさせられる。
気づかないあいだに見知らぬところに連れて行かれてるような、不思議な作品だった。

初恋、失恋、受験、就職、親の死など、順調に人生のみそぎを済ませているように見えて、全然わりきれてないし納得できていない文化系男子の生きづらさ、どんづまり感が痛い。
ラスト近く、初恋の相手との××の最中に漏らす主人公のひと言は、俺には重かった。
あと高校時代のキスシーンがキモくて最高。泣ける。




『スナップ』

タイ?の青春映画。
とは言え、青春そのものではなく、青春を通り過ぎた=失った人たちの話で、そういう意味では『ぼくの桃色の夢』にも通じる部分があるかも(描いてるものは全然違うけど)
他の国でもそういうのはやりたいテーマなのかね。

フィクションにしかできない“現実への抗いかた”――星野智幸『呪文』に震えた

毎日新聞に載っていた鴻巣友季子さんの書評を読んで、がぜん気になっていた星野智幸さん『呪文』を読んだ。

<◇乗り越えられぬ前近代的けじめの呪縛>
http://mainichi.jp/shimen/news/20150913ddm015070029000c.html

こちらで60ページ(!)試し読みできます↓
http://www.kawade.co.jp/tachiyomi/978-4-309-02397-7.pdf

舞台はとある商店街。
「トルタ」というメキシコのサンドイッチ屋を営む霧生は、店の経営が行き詰まり途方に暮れている。
彼の相談相手は、潰れかけた店舗をいくつも復活させてきた商店街の救世主と言えるやり手の男・図領だ。
最初の数十ページだけ読んだら、つぶれかけ商店街の再生ストーリーとも読めそうだけど、途中からあらぬ方向に話は暴走し始める。

とは言え明らかな暴走がはじまるのを待つまでもなく、最初の1行から常に「なにかとんでもなくよくないことが起こりそうな気配」にさらされている感じがある。この感覚は個人的に3.11以降日々感じ続けているものだ。

多分中学生とかでも全然読めるレベルのめちゃめちゃ平易なことばで書かれていて、だからこそ書かれていることのすごみや空恐ろしさが際立つ。言葉のチョイスのセンスと技術がすごい精度なのだ。(「(笑)」の使い方が鋭すぎて、思わず吹き出しつつ戦慄)

とにかく目を背けたくなるようなひどすぎる光景や思想が、めちゃめちゃ淡々と綴られていくさまがマジで怖い。
ことばの平易さ、世界観など、坂本慎太郎『ナマで踊ろう』に通じるものを感じた。

作中に登場する集団“未来系”が過激化した先に標榜する「ある思想」は、はたから見たら単なる逃避でしかない。吐き気を覚えるような思想を喜々として語る未来系の面々。とは言え、彼らを自分とはまったく違うクズ人間だと切り捨てる自信が俺にあるのか。そう自問すると、作中であっという間に彼らに取り込まれ、戻れなくなっていく「普通の人間」たちの姿が脳裏に浮かぶ。

大きな流れに取り込まれていく「普通の人たち」は、自分がなぜこんなにも流されてしまうのかわからないままに、深みにはまっていく。
しかし、彼らを絡め取る権力者のほうも、自分がなぜそのような行動=弱者を管理し支配し搾取するのか、その欲望の理由を完全に自覚できていない様子なのが、より怖い。
でも実際の世界だってそうだ。扇動する側・される側に関わらず、知らぬ間に事態は進行してしまい、気づいたら元に戻ることができなくなっている。

冒頭から感じていた嫌な予感は読み進めるごとに具現化し、最後にひとつのクライマックス(というか始まり?)を迎えるのだが、そういう最悪のカタストロフィにすでに片足を踏みれていたとして、ひとはやはり流れに抗えず、一歩を踏み出してしまうのだろうか。作中では意外にも、“あちら側”に踏み出さないための具体的な方法論が提示される。それは極めてささやかな、しかしかなりのタフさを求められるものだ。

しかし、他者や世界と向き合うということは本来そういうものだろう。インスタントな言葉やまやかしの思想によって築かれる“つながり”は、いっときの興奮と快感をもたらすが、それがどれだけ脆く危ういものであるかは、これまでの歴史が証明している。

『呪文』は、読み終わって「さあ明日も頑張ろう!」「元気出して笑顔で行くぞ!」と思えるようになるとか、そういう目に見える即効性はまったくもってないし、むしろ読む人にとってはけっこうなショックになる可能性もある。この小説は読み手を都合よく癒やしてくれる、コスパのよいサプリのような存在ではない。

けど、俺はこれを読んで、ギリギリ歯を食いしばりながら、なんとかこの世界に立っていようと思えた。そう思えているうちは大丈夫、なはず、と、なんとか自分に言い聞かせながらではあるけど。

これをどう受け止め、そのうえで世界とどう向き合っていくのか。5年後、この小説をいまより前向きな気持ちで読める自分と世界でいられるだろうか。

フィクションだからこそできる・フォクションでしかできないやり方で、世界を刺激し、現実への抗いかたを示している1冊。いまこの表現に出会えてよかったと思う。震えながら、勇気づけられる。

今年V6ツアーに行けない俺が選んだ「2015年ライブで聴きたい曲」極私的ベスト14+@

(※結局行きました→V6の20周年ライブがめちゃめちゃよかった・2015年10月29日@代々木



一般発売で撃沈したあの日から
「俺はV6のライブに行けないのだ」
という現実と日々向き合っているマンこと俺だけど、そういう切なさ/やりきれなさとは別に、V6楽曲は日々聴き続けている。

特に『SUPER Very best』を買ったのはやっぱりでかくて、えーこんないい曲あったの? この曲知ってたけどこんなによかったっけ?という発見や気づきがめちゃめちゃあり、ふと「これライブで見たかったなあ」と思ってまた無力感にうちひしがれたりらじばんだr(ry

ということで今回はベストの収録曲の中から、「今年のツアーで聴きたい曲ランキングBEST15」を独断偏見満載で選んだ。(言うまでもなく、ここで選ばなかった曲達にも最大限の敬意を)(あと「聴きたかった」ではなくあくまで「聴きたい」としてるところに俺の意気込みを感じていただきたい)

俺今回のツアー、いちおうセトリネタバレを回避してるの。ここからものすごい奇跡が起きてライブに行けることになるかもしれないし(例:道で倒れている人を助けたら大富豪で助けたお礼に金持ちコネクションでチケットを手に入れてもらう、とか)

なのでここで挙げた曲が今回のセトリに入ってるのかどうかまったく知らないで書いてるのだが、実際どうなってるのかなあ。もし今年結局最後までライブ行けなかったら、DVD発売までセトリ回避しようかなあ……




14位『太陽のあたる場所』

これ知らなかった……こんな曲あったんだ。いい曲だ。

この曲1999年7月リリースてことは、V6にとって90年代最後のシングルがこの曲だったのか。そう考えるとまた別種の感慨があるな。ベスト盤の流れで聴くと、ラップの感じはだいぶ洗練されてきてる感じ。坂本ラップがイケボすぎて照れる。この頃はほんと坂本&イノッチの二大巨塔体制なのな。ふたりともうますぎる。

ということもあり、これ、いまの6人でセルフカバーしてほしい。歌割りとかもガラッと変えてバランスも6人均等にして。そういう意味でも、いまライブで見れたらけっこうグッとくる気がする。



13位『野生の花』

これもちゃんと聴いたの初めてでしたが、すごい曲だなー。
あくまでベスト盤の中での話だけど、これ以前の曲って、歌う主体がV6本人って感じの曲がほとんどだった感じがあって。なんというか「頑張れ」って歌詞があったらそれを言ってるのはV6本人たちという感じがするというか。それって6人の人柄とかV6としてのキャラクターと楽曲ががっちりコミットしてるってことだと思うんだけど。

でもこの曲ってちょっとフィクションというか、V6というキャラクターからは切り離された感じというか「歌で演じてる」感じがして、そこが新鮮だし、歌で演じることができるくらいの表現力を身につけた6人の成長も感じる。だからこそいまの6人が歌ったらまた違うすごみが生まれるのでは。

つかこれ田島貴男さんの曲なんだ! Bメロがもろ田島さん節でかっけー。
あとこの曲の大サビをカミセンの森田が担った意味は大きい気がする。
「お前、行け」って背中を押された森田の、まだ頼りないけど「男」の表情をみせる声もいい。
派手な曲ではないけど、少なくともこのベストの中ではひとつのターニングポイントになってる曲。



12位『BEAT YOUR HEART』

すみませんこの曲もちゃんと知らなかったけど……うわかっこええ!
イントロすげえクール。90年代バンザイ。こんな曲あったのか…しかもこれデビュー3曲目て…すごいな。最初サビがどこかわからなかったw 「♪よー! えびばでぃげっだうん!」のとこがサビでいいのか?

ホーンの♪ぱぱぱぱぱっぱっぱっぱっぱぱーぱぱっぱぱっのリフの耳残り率すごい。Bメロの転調も気持ちいいなあ。
カミセンのラップにどぎまぎしてしまう。そしてトニセンの安定感よ。こういう曲いまのライブでもやってんのかなあ。聴きたいなあ。



11位『スピリット』

『OMG』のDVDで見たときは全然ピンときてなかったんだけど、改めて聴くととてもいい曲。素直にライブで盛り上がりたい。

DISC3前半の楽曲は個人的な記憶からはすっぽり抜け落ちてる時期だったんだけど、この時期のV6(も)、すごかったのな…。もはやなんか盤石感すらある。

6人のボーカルの表現力もなんの心配もいらないほど頼もしいし、楽曲のクオリティはうなぎのぼりに上昇しつづけてるし。あらゆる意味でたくさんの「武器」を手にしたグループの、「円熟」を感じる楽曲がズラリ並んでる感じ。

なかでも初期の友情・努力・勝利的世界観の進化系『LIGHT IN YOUR HEART』、さらに別のディメンションに飛び級しはじめてる『GUILTY』、そして人の背中を押す「V6の応援歌」の超絶アップデート版であるこの『スピリット』と、ポップスとしてのクオリティがどんどん高まってる。

なかでもこの曲は、聴いててなんの不安もない安定感がありながらも、余分な既視感を取り払う気づきにもあふれてて、すごいハイクオリティ。

あとボーカルの録り方(特にサビのユニゾン)も変わりはじめてる時期な気がする。単純に言うと6人それぞれの声をより尊重した録り方になってるというか。その方向性はこの3曲でより加速して、で『only dreaming』に雪崩れ込むという流れだったのか。うーーん、ベスト盤で聴くからこその気づきだなあ。



10位『ありがとうのうた』

これ、めっちゃええ曲やんけ!!!!!!!111 これはメドレーじゃなくてぜひフルで歌ってほしい。

曲としてはもちろん知ってたけど、「ありがとう」という王道・鉄板・普遍的すぎるテーマをここまで洗練されたかたちでメッセージしてる曲だったとは。すごく繊細かつ慎重に精査された歌詞が沁みる。

今回ベストを聴いて改めて気づかされたことのひとつに、(言い方なんか他にねーのかよとは思いつつあえて言葉にするなら)V6はずっと「応援歌」を歌ってきたグループなのだなあ、ということがあった。

20年やってるアイドルグループにしては「シングルにおける恋愛曲の割合」が少ない気がするんです。それよりも大半を占めるのは、<未来・希望・勇気・愛・絆>といった、でっかい意味での応援歌的で前向きなメッセージ。端的にいうと、すっごく真面目。もう少し正確に言うと、生真面目。

バレーボールの応援団的なやつでデビューしたというグループの性格もあるのかもだし、そもそもアルバム曲では全然そうじゃない曲もたくさんあるんだけど、まあ一般に広く知られる存在になりうるシングルとして打ち出す際に、とにかくそういう役割というか使命を背負ったグループだったのだな、と、このベストを聴いて勝手に思った。

で、ここからは完全に俺の好みというか人間性の問題だけど、俺は応援ソング的なやつが元々わりと苦手な性格で、この曲の<感謝>というメッセージも、俺個人の基本的なスタンスとしては普段はあんま素直に受け入れられるメッセージではなかったりする。

んだけど、この曲はありだと思えるの。それはシンプルに、「ありがとう」という使い古されすぎまくりまくったメッセージをどう届けるか、というところがめちゃめちゃシビアにこだわりぬかれていて、そういうプロの仕事っぷりがすごい精度で表現されている結果だと思う。最初から最後まで、一度として歌い上げる瞬間がない。ボーカルもオケも至って平熱。だから沁みる。

6人の歌もすごくいい。こういう穏やかな曲で聴かせる声の魅力に気づかされる。あと間奏のストリングスソロがめちゃめちゃ好き。安牌を置きにいくんじゃなくて、この曲だけの、この曲こその響きが鳴ってるメロディ。

「ありがとう」だけじゃなくて「ありがとうのうた」と冠するところも、別に理屈はないけど、なんかいいな。



9位『出せない手紙』

これ、いい曲……(ボキャブラリー喪失中 ライブでやってるのかな、こういうガチのバラード系。

ちょっと前に歌詞が恩田陸だと知って驚愕した曲。『ネバーランド』のドラマ版を三宅氏がやってたのね。否応にも切ない、でも明確に悲劇とも言い切れない、安易に割り切れないマーブル模様というかグラデーションの世界観が恩田ワールドでもあり、V6的には新境地という気もして素敵。

あとちょっとブレイクビーツっぽいリズムも変わってて好き。サビの「♪信じられるように~(タカタカタッタッ)」のとことか(伝わる自信皆無
これ2001年の曲なのか。なんかそういう年代ごとの音楽の流行の変遷と絡めたV6のガチ楽曲分析みたいなの誰か詳しい人やってくれないかしら(←人任せ



8位『Sky's The Limit』

謝罪。俺、この曲、正直リリースされたときあんまピンときてなかった。ファンの方たちがすごい盛り上がってるのは見てて感じながらも、もちろん悪い曲じゃないけど、そこまでいいかあ?と。

で、この曲もベスト盤で聴いてその意義に気付かされた。めちゃめちゃ有り体に言えばデビュー時のユーロビート路線の2015年アップデート版とも言える音なんだけど、音の変化というより、俺自身がこのベスト盤を通してV6サウンドをうまく体内に取り入れられるように変化したことで、この曲をより味わうことができるようになった気がする。

逆に言うと、V6の音楽に長い時間真摯に向き合ってきた人ほどグッとくる曲なんじゃないかと。

この曲を含む20周年の今年出たシングルはどれもそうだけど、V6はファンとの絆というかつながりをすごく大事にしてきたグループなんだなあ、というのも今回気づいたことだった。『over』とかベストに入ってる『~此処から~』とか、そういう曲を正面から届けられる誠実さも、彼らの大事な魅力のひとつなのだなと。

それにしても『~此処から~』には腰抜かしたけど(俺が買ったのは初回Aだった)。メンバー作詞作曲曲であの渋さw 渋すぎないか!? もうちょっと調子乗ってもいいのでは…と思ったけど、まああの感じもV6らしさなのか。文句なしの名曲ですが。念のため。

で、そういう曲だからこそ、ライブの現場で、ファンの前でどんなパフォーマンスで届けられるのか、目撃したいと思う。



7位『COSMIC RESCUE』

これいい曲やんけ!(何度目
個人的な聴きどころはなんといっても前奏~ブリッジのシンセリフ&ボコーダーボイス。この耳をグッと掴んで離さない引力が、楽曲の強度を物語ってる。サビだけ聴くと普通に聴きなじみのいいポップスなんだけどなあ。この曲をバンドでコピーするならボコーダー係やりたい。やらせて!

初期の曲ではどうにも偏りがあるように思えてしまったカミセンとトニセンのボーカルバランスもいい塩梅になってる。カミセンのしゃかりきな歌声が全面に出てきたからこそ、トニセンの確かな歌声の得難さが浮きだつという相乗効果。自称森田剛ボーカル研究家としては大サビソロもたまらん。

俺の中で『サンダーバード-Your Voice-』と『COSMIC RESCUE』はなんかセットって感覚があって、どっちもタイアップソングとしては異常なほどクオリティ高いところとか、ワクワク感が異常なところとか、なんか双子みたいな2曲。で、もちろんライブでも確実に盛り上がるだろう。見たい聴きたい歌いたい!(©中山秀征



6位『IN THE WIND』

んがあああああああああああちょーーーーーーーーーーーいい曲やんけ!!!!!!!!!!!!!!1111
ディスコ~ソウルな雰囲気がたまらんし、なにより曲のクオリティが高すぎる。これライブでやってるのかなあ。うわ超ライブで聴きたい……聴かせてえ!!!! 行けないけど!!!!!!!!!!!111111(発狂&号泣

いきなり取り乱したけど、サビのメロディ美しい&心地よい……うあー知らなかったこんないい曲あったのかあ。キー抑えめな6人のボーカルもいい。ファルセットも素敵。

AメロでふとSMAPのアルバム『SMAP012 ~VIVA AMIGOS!』収録の『世界は僕の足の下』のAメロのメロディラインを思い出したりもした。音楽性としては90年代中~後半のSMAPに近い感もある。

つか今回のベスト盤の中ではけっこー異質というかイレギュラーな感じ。ここまでのクオリティのシングルを切りながらも、こっちには振らなかったのだな。後出しジャンケン的に考えると、まあそれはそれで正解だった気もする。

しかしいい曲。間奏の展開も洒落てるなあ。ラストの「醒めない 夢のように」のキメまで完璧やんけ! こういう曲、いまも出せばいいのに。や、うーんでもこの若さだからこそいいのかなあ。うーんとにかくいい曲だ。知らなかった。知れてよかった。「ライブで聴きたい曲」って縛りにしたからこの順位だけど、楽曲としてだけならもっと好きかも。



5位『愛なんだ』

ほぼV6を知らない時代から、密かに俺のカラオケレパートリーに入ってた曲。だって歌うのすげー楽しいんだもん!この曲。ライブであの多幸感に包まれたい。

「傷つくことを恐れるな」「振り向いてばかりいるな」っていうある種手垢にまみれたメッセージを「だめ だめ だめ だめだよ BABY」っていう愛らしさのトッピングで、嫌味なくストンと心に届けてしまうのがにくい。

小さいころからいちばん馴染み深かかった曲かもなあ。ディスコグラフィ的に見ると、ガツガツ攻撃的なシングルから方向転換するっていうタイミングでこの曲を引き寄せたのはすげーデカかったのでは。とにかくいい曲。それしか言葉が出てこない。この文字数の少なさが逆にそのへんを物語ってる的な。ライブで聴いて多幸感に包まれたい。以上!(ボキャブラリーの限界疑惑



4位『TAKE ME HIGHER』

出た問題作(俺の中で)。
今年に入ってから歌番組で何回か見た「♪わなていくゆーべいびー ていくみていくみはいやー♪」って歌始まりのバージョンが超かっこよくて、ちゃんと音源聴きたかった曲。で聴いてみたら、めちゃめちゃ変わってる曲だったという。

♪てってってーてってれー のシンセリフ(至高)で始まる1番~2番までは文句なしにかっこいい。もうめちゃくちゃかっこいい。それこそライブで超盛り上がりそう。踊りたい。俺も。

んだけど、間奏でいきなりのストリングスソロ、からの荒ぶるギター(裏では地味に弦も荒ぶってるし)、からの♪いつかは届くきっと~のブリッジを挟んでついに大サビに行くかと思いきやまたもや荒ぶるギターw! なんだこの構成w

最後はなんか大団円風に終わるんだけど、途中どこに連れてかれるのかハラハラしたw
しかしすべて♪てってってーてってれーのリフがもっていってしまう曲。結論としてはすごいかっけー。

これもライブでフルでやったりしてるのかしら…どうするんだろ間奏の演出とか。とにかくイントロでぶちアガるのは確実だけど。

あと余談として今回ベスト盤聴いてすごい発見だったのが、今回ちゃんと聴くまでユーロビートってものにものすごい偏見があって、あえて聴くようなもんじゃねーだろ、俺には関係のない音楽だし、と思ってた、で、V6の初期曲がどれだけユーロビートにおける本道なのかは知らないけど、今回ほぼ初めてちゃんとユーロビートサウンドを聴いてみて……かっこいいやんけ!と。

厳密に言うとユーロビートがかっこいいというか、音楽が産業としてガンガンいってる時代の、ある種の“豊かさ”にあふれまくってる音だなあと。

いちいち音が厚いし、とりあえずドンシャリ効かせとけばOKみたいな無粋さがないというか。チャラい中にもそういう一線を守っているからこそ、なんか豊かに聴こえるのかな。



3位『Orange』

『タイガー&ドラゴン』の主題歌『UTAO UTAO』ではじめてV6に興味を持ち始めた当時の俺の心を射抜いた曲。実はこの曲だけ延々聴いてた時期があった。大学2年くらいだったか。リリースからもう10年経つのか。古びないなあ。この曲もフルで歌ってくれえ。あの長いイントロがあってこそ、この曲だし。

この曲はトラックのクオリティは言うまでもなく、ボーカルも素晴らしい。録音・ミックスもよくて、ちゃんとそれぞれの声がいい感じで聴こえる。歌のキーが基本低くて、男の俺でもちょっと歌いづらいくらいなんだけど、みんないい声して歌ってるんだよなあ。

『出せない手紙』のときにも書いたけど、この曲もポジとかネガとか、明確な指標では表せない感情を表現してる感じがあって、そういう曲を10周年タイミングで出す・出せるというのは、すごくいいことだと思う。それだけ自身の表現に自負がないとできないことだと思うし。

未だにV6の中でトップを争うほど好きな曲で、好きすぎてあまり言うことがないという例のやつ。つか単純に超かっけーよ! 大好き。



2位『グッデイ!!』

この曲はサビくらいは知ってた気がするけど、ちゃんと聴いたのははじめてだった。で、最高だった。すげえいい曲なのな!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!111111 つか驚いた。この曲もフルで(ry うーん好きな曲ほどちゃんとフルでやってほしい率は高くなるな。この曲は特に間奏がすばらしいので、フルでないと魅力半減だもん。

イントロも歌のメロもキャッチーだけど、実はリズムというかビートが主体になってる楽曲で、イントロもそうだし、間奏に入る前の4小節の展開もほぼリズム要素だけで突っ走ってて最高。ライブでは踊りまくってたりするのかしら。イントロだけループさせたらとてもV6とは思えないトラックw 間奏の展開も個性的ですごくいい。間奏のとこもバリバリ踊ってんのかな。はあ……見たい。

スピード感がありつつも、ちゃんと歌心も感じられる名チューン。歌詞も応援歌ではあるけど、メッセージが上滑りしてなくて心にストンと届く洗練さ。ボーカル面ではイノッチのスキルを再確認。ええ声や。

これ、『Orange』の次に出た曲だったのか。V6のディスコグラフィの中では『Orange』が突出してチャレンジングな曲なのかと思ってたけど、ベスト盤の流れで聴くと、この曲にもフロンティア精神がちゃんと息づいてるのがわかる。今回ベストで聴いていちばん驚いて好きになった曲かも。

つかDISC2の打率の高さすごいな! なんか覚醒した感ある。特に『Darling』からの流れはアイドルとしての最強感あふれすぎててヤバい。『Darling』とか『HONEY BEAT』がこんなにいい曲だったのかというのも今回改めて知ったし、それを言うなら『愛のMelody』もこんなに踊れるダンスチューンだったのかと発見だったし、先述の『COSMIC RESCUE』と『サンダーバード-Your Voice-』もそうだよな。もうどれだけ語っても終わらん(ry



1位『kEEP oN.』

この曲を生で聴くまでは死ねない。密かにそう思ってる曲が人生の中でいくつかあって、この曲も俺にとってそういう存在。

『スピリット』のところで書いた、長いキャリアの中でV6が手にした「武器」というのはスキルとかテクニックと言いかえてもいいと思うんですが、そういうものを手にした表現者が向かう先としてわかりやすいのは「円熟」なんだと思う。実際V6もそっちに進んで異様なクオリティの楽曲を連発してたんじゃないかと。

でもそういう楽曲じたいの良し悪しがどうこうではなく、V6というグループとして、一直線に「円熟」へと向かうことをよしとしなかったんだな、6人は。だからこそ、この曲が、そしてOMGというアルバム生まれたんだと思う。

ベスト盤の流れで聴くことによって、V6のディスコグラフィの中ではある意味突然変異的に捉えていた『Oh! My! Goodness!』も実は必然のもとに生まれたアルバムだったんだなあ、という感慨があった。例えるなら手にした武器を磨き上げるのではなく、いっかい放り投げて、身軽になったカラダでどこまで飛べるかダイブしたような感じ。

これは言うまでもなく、武器を使いこなすだけのスキルと積み重ねがないとできないことで、『OMG』はここまでの道のりを歩んできたV6だからこそできたアルバムだったんだと。

とは言え俺がデビュー時からのV6ファンだったとして、いきなりこのへんの曲を連続して出されたら、それはそれでもしかしたら戸惑ったかもしれないw でもそこまで振り切ったからこそ、俺みたいな門外漢が夢中になったわけなので、そのへんは彗眼と言うしかない。つか俺はまんまとハメられた側なわけですが(爆

で、これもいまさらすぎるし他の人も散々言い尽くしてる感あるけどいいもんはいいんだから何回でも言います『kEEP oN.』クソ名曲やんけ!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!111111

特にベスト盤の流れで聴くと、ここまでの音楽性/6人のボーカル/メッセージなどなどアーティスト・V6のさまざまな変遷がほんとに1曲に凝縮されてて、しかもこれだけアクロバティックな構成でありながらポップ・ミュージックとして堂々と鳴り響くという、ムチャクチャなんだけど、だからこそひたすらに美しい音楽。最高。いまのところV6の中でこの曲がいちばん好きかも。

つかやってるよね。今回のツアーで。当然。やってないわけはない。それくらいに思ってる。




というわけでランキングはこれで終わり。すでに長すぎるというのは重々わかっていつつ、もうちょっと書きたいことがあるのでまだ続くらしい。まあ誰も読んでねーだろうしいいか…(←




番外その1『君がいない世界』

こないだ『Sky's The Limit』の通常盤を聴いたんだけど、表題曲はもちろん、アイドルバリバリの『Eyes to Eyes』に、これシングルでもいいんじゃないかと思う変化球な応援歌『明日は来るから』、そして6人のユニゾンなしのバラード『君がいない世界』っていうミニアルバム級の充実度で。

その中で現時点、ほんとにリアルタイムでいまいちばん聴いてるのが『君がいない世界』。

元カノに偶然会って未練ウジウジってだけの内容なんだけど、それだけの話をどこまでドラマチックに表現できるかがプロの力量なわけで、歌詞・メロ・トラックどれも素晴らしい。「きっとここにつながっていたんだ」という掴みがさすがだし、ハンドクラップ音を使用したリズムトラックもサビの裏打ちシンセも、ありそうでなさそうなストレンジな質感でよい。

そんな楽曲のクオリティと同時に、この曲を繰り返し聴いてしまう理由は、6人のボーカルをよく聴ける曲であることもでかい。森田→長野・岡田→坂本→長野・岡田→井ノ原→三宅→長野・岡田、と6人のユニゾンが一切ない歌割りで、しかもじっくり歌う系のバラードなので、みんなの声がよく聴こえる。

この曲を森田の長めのソロで始めたかったのはすごくよくわかるし、(森田剛ボーカル研究家としてはこの曲だけで20000字書けるけど今回は自重)森田と対称的な坂本の円熟ボーカル(力がまったく入っていないように聴こえるのがすごい)もさすがだし、イノッチの味ありすぎなブリッジが心に沁みすぎるし、大サビの三宅の歌声には心の襞をざわつかせる得難い魅力がある。ということを踏まえつつ、いちばん発見だったのは長野と岡田のボーカルだった。

V6の歌声をモノマネしてみるとわかりやすいけど(←したのか)まず森田・三宅はけっこうマネしやすい。坂本・イノッチもできるかどうかは別として特徴はつかみやすいと思う。

対して長野と岡田ってちょっとマネしづらくないですか?歌に特徴的なアクセントがあるわけでもないし、抑揚の付け方も抑えめという、ほかの4人に比べてフラットな歌い方をしているからだと思う。

何が言いたいかというと、それこそベスト盤を聴いて「トニセン・カミセンという2世代のボーカルがミックスされることで生まれる面白さ」がV6のボーカルの魅力だと思ってたんだけど、つかまあそれはそれで実際ありつつも、ボーカルの個性の強い4人がいる一方で、フラットに歌を届ける長野と岡田がいなかったら「V6のうた」は成立しなかったんだなあ、ということを、この曲を聴いてて思ったのだった。

なんか、それこそいろんな個性をひとつにミックスさせるための潤滑油というか、このふたりの歌声があることで6人の声が「V6のうた」としてしっくり馴染んでるというか。

だから最初はこの曲「なんで全員ソロじゃなくて長野と岡田だけいっしょなんだろ?」って思ったけど、サビを長野・岡田で歌うからこそ、逆説的にV6のボーカルの真髄を開陳している曲になってるんだと思う。この曲を聴いてからベスト盤聴くと、また違った声の聴こえ方したりするもん。

長々と書きましたが結論としては、は2015年現在の6人のボーカルを活かしに活かしてるのがこの曲で、だからこそライブで生声で聴きたいということが言いたかったのだった。まあ今回のライブじゃなくてもいいから、いつか歌って欲しいなあ。

あと個人的に、この曲を6人全員の声マネで歌うという宴会芸をほぼ完成させつつあるのですが(森田パートは完璧)、そんなものを見せる宴会に参加する予定は少なくとも今回の人生では皆無だし仮にそもそも人前でやったらボコられること必至なので(特に森田の真似は死んでも見せられん)来世に持ち越し予定(←吐くほどどうでもいい情報)




番外その2『musicmind』

なんでいきなり関係ないアルバムの話なんだよ! と。自分もそう思います。すみません(←怒られる前に謝るスタイル

実はベストの前に『musicmind』というアルバムを聴きまして、まあまたこれがいいアルバムで。

これちょうど10年前、つまり10周年のタイミングで出たアルバムなのな。それで初っ端から6分超えの長尺ロックチューンかましたりとか最高やんけ!!!!1 『サンダーバード-Your Voice-』はランキングに入れようと思いつつも、こっちに入ってるバージョン違いのほうがかっこよかったので泣く泣く外したのだった。おそらく生バンドよね? 演奏者のクレジットが載ってないのが残念すぎる。すげーかっけーの。

あと『恋と弾丸』『ずっと僕らは』『夕焼けドロップ』とデュオ曲がどれもめちゃめちゃ出色の出来。特に『夕焼けドロップ』は、長野と井ノ原コンビが、声質の相性としては決して合ってるわけではないんだけど、このふたりにしか描けない世界観を開陳してて最高。これもライブで楽しそうな曲だよなあ。と、めちゃめちゃクオリティ高いアルバム。このアルバム全曲分でも全然書きたくなるレベル。

何が言いたいかというと、この20年に出た数々のオリジナルアルバムにはまだまだこういう豊かな音楽がザクザク収められているのだろうし、このベスト盤で何かをわかった気になるのは違うなと、ふと思ったのだった。

なんか最初は全曲レビューしようかなとか、V6の音楽性の変遷を分析してみようかなとか色々考えてたんだけど、そもそも俺にそんなスキルがないという前提もありつつ、それ以上に、このベスト盤だけで語れる20年じゃないというのは『OMG』と『musicmind』というたった2枚のオリジナルアルバムしか聴いてない俺でもわかる。

だから今回はあくまで俺の好みに徹して、自分が思う好きなところを好きなだけ素直に書くことにした。なのでこういう形式のあれになった。分析とかは頭の良い人にまかせた! 俺、頭悪いし酔ってるときしか書かないから! とはいえそれっぽいこと書いてる部分もあるけど、まあ酔ってるから許して(←最低の言い訳

というわけで一応これで終わり。肩がバキバキに痛いので推敲しないで上げます。あ…書き忘れてた。本当はこないだOMGツアーの『FLASH BACK』マルチアングル映像をはじめて観てわかった「パフォーマーV6の真髄」的なやつも書きたかったんだけど、これもう書き始めてからひと月たってるしこれ以上あれするとほんとあれなのでもうやめよう。こんな意味不明な長文を勝手に発表できるってほんとインターネット最高としか(ry 俺に黒歴史という概念はないんです。なぜかって? 常に黒歴史を更新してるからさ!

最後に。V6のみなさん20周年おめでとうございます。俺まだツアー諦めてねーから!!!!1(断末魔
まあ今年行けなくても次回いつになるかわかんねーけどやっぱいつか見に行きたい。ライブの場でこれらの楽曲がどう自分の身体に飛び込んでくるのか、それを体感するまでは、まだ死ねねーや(©ぶっさん

「そっちのほうが面白いからなんじゃねえのか」――ドラマ『ど根性ガエル』が肯定したもの

『ど根性ガエル』は2015年のいまだからこそ見るべき(とは言えエバーグリーンな輝きをも同時に放っているのでいつ見てもそのときどきのよさを感じられる作品だとは思いますが)切実かつ豊かなドラマで本当に傑作なので見てない人はほかの予定をさしおいてでもいますぐに見るべきだしそのためなら手段を選ぶ必要はない。見ましょう。見れ!


(以上本文、以下余談)


毎回ボロ泣きしながら見てたけど、なんで泣くかって言うと登場人物に共感or感情移入するからでは(それはそれでもちろんなくはないけど)厳密にはなくて、作品とは別の俺個人としての大事な人とか俺自身のこととかこの世界のこととかを考えて泣いてた。つか見ててそういうことに思いを巡らさざるをえない作品だった、少なくとも俺には。俺にとってそれくらい『ど根性ガエル』は現実世界に深くコミットした作品だった。

最終回に出てきたひろしにそっくりな男は、俺がいま生きている現実世界の矛盾や葛藤をいちばん反映した野郎だ。

あの男は知っている。ど根性なんかではどうにもならないような悲惨で大変なことだらけで、人と人のつながりなんてめちゃめちゃ簡単に千切れて消えてしまって、平面ガエルのピョン吉なんて100000000%賭けても絶対存在しえないのが、自分が死ぬまで生きなければいけない世界なのだということを、ひろしにそっくりなあの男は痛いほど知っている。で、そんな世界に絶望してもいるのだろう。

なんでか知らないけどあの男は『ど根性ガエル』の世界に迷い込み、空腹に耐えかねてちょっとずつ食い逃げをはたらき(あの慎ましさがまた情けないというかいじらしいというか泣ける)、ひろし宅にたどりついた。

あの男は平面ガエルのピョン吉と、彼を囲むひろしをはじめとする“あの世界”の住人たちを見て、何を思ったんだろう。彼が最後に五郎に見せた笑顔は、安堵しているようでもあり、どこか諦めているようにも見えた。「こんな世界、ありえない」。もしかしたらそんなことを思っていたのかもしれない。じゃあ、この作品が提示した“あの世界”は、やっぱり存在しえない架空の夢の世界なのか? 俺はただただ、絵に書いた餅を見せられてただけなのか? ふざけんな。そんなわけなあるか。

ひろしは最終話で、いなくなったピョン吉について「なんでかわかんないのに俺のせいで平面ガエルになって、今度は俺を成長させるためにいなくなるって、そんなのあんまりじゃないか」(激意訳)というようなことを言った。ひろしは昔、絵本で同じような話を読んで、すごく怒ったことがあったらしい。なんで成長するために別れなければいけないんだ。終わらない物語があったっていいじゃないか。

「ピョン吉の死」という大きな命題を掲げて進んできた物語は、9話で実質的な“終わり”を迎え、最終話でけっこうあっさりと復活を遂げた。最後、ひろしとピョン吉が「ど根性ーー!」と叫びながら走り続けるシーンは、普通に見れば希望に満ち溢れてるようにも見えるかもしれないけど、俺にはそうは見えなかった。

ピョン吉が死んだ理由も、ピョン吉が戻ってこれた理由も、作中で説明されることはなかった。だからつまり、理由なんてないのだ。生まれた理由も、死ぬ理由も、どっちもなーーーーんもない。これが、この世界である――というのが、この作品の提示した世界観だった。

これ、例のひろしにそっくりなあの男のように“世界に絶望する理由”としても、十分すぎる現実だと思う。だってどんなにいいことがあったって、どんなに成功したって、どんなに愛を育んだって、あるとき、いつか、なんの理由もなしに消え去ってしまう、そんな可能性を孕んだまま生きていかなければいけないのがこの世界なんだってことでしょ。ヘビーだよそれ確かに。キツいよ、なんでそんなとこで生きなきゃならんのよ。辛いよ。しんどいよ。

でも人はいろんなところでこの感覚に晒され続けてる。理不尽な暴力。予期せぬ天災。望むはずもない病気や事故。で、『ど根性ガエル』にはこういうネガティブネスに対抗しうるいろんな方法やヒントがいくつも提示されてるんだけど、俺がもっとも響いたのはやっぱりピョン吉の存在だった。

ピョン吉ってこの作品のなかでいちばんの“ありえない嘘”だ。平面ガエルなんて絶対存在しえない。でも、そんなありえない存在に、いちばん心を動かされてしまう。これって要は「フィクションだからこそ持ちえる力」なんだと思う。

ピョン吉は、シャツから剥がれ落ち自らの死を覚悟したとき、「自分は生きていていいんだろうか」と自問する。それはフィクション=物語がいまの世界において果たして効力を持ちうるのか、という、このドラマ自体が抱える自問だったんじゃないか。そして一度は死を迎え、再びこの世に生を取り戻したピョン吉に、最後の最後にこの作品はひとつの結論を与えた。

「そっちのほうが面白いからなんじゃねえのか」

これ、重要なのは、これを見出したのはピョン吉じゃなくてひろしだってことだ。生まれた意味も死ななければいけない意味も持ち得ない、でもいま再びここにいるピョン吉に対して、面白ければいいじゃん、と、ひろしがピョン吉の存在を肯定したのだ。で、そんなひろしをピョン吉も「生きてていいぜ」と肯定する。

ゲラゲラ笑えるドタバタコメディの中にシリアスで切実なメッセージを込め続けた『ど根性ガエル』の矜持が詰まったこのひと言を、最後の最後にひろしに言わせた作り手の勇気に思いを馳せる。

どんなフィクションだって、どんなつくりものだって、人が必死こいて作ってる。そういう人の血が通った表現だけが、いま生きている現実を変えうるパワーを持つんだということが、この作品を見れば一発でわかると思う。

ひろしに似たあの男は、いまどうして暮らしているだろう。あいつは俺とおんなじだ。あいつだってひとりきりのふりをしているけど、誰かに肯定され、誰かを肯定しながら生きている。

で、あいつも俺も、理由はないけど『ど根性ガエル』に出会った。そっからどう生きるかは、自分次第なんだよな。根性だけじゃどうにもなんない世の中だってのは知ってるけど、見ると根性出してみたくなるんだよ、このドラマ。

最後にもっかい、冒頭のやつを繰り返します。

『ど根性ガエル』は2015年のいまだからこそ見るべき(とは言えエバーグリーンな輝きをも同時に放っているのでいつ見てもそのときどきのよさを感じられる作品だとは思いますが)切実かつ豊かなドラマで本当に傑作なので見てない人はほかの予定をさしおいてでもいますぐに見るべきだしそのためなら手段を選ぶ必要はない。見ましょう。見れ!

<雨上がり、アスファルトの匂い>――『ユーモアしちゃうよ』を500回聴いて考えた

この曲は「雨上がり」という言葉から始まる。


雨上がり。いい言葉だよねー。
雲間からさす眩しい陽の光、葉っぱの上の水滴にその光が反射してキラっと光る。
そんな光景が思い浮かぶ。
近年でも出色のポップチューンにふさわしい始まりだ。

でも、こないだ聴いててふと思った。
「雨上がり」ってことは、この曲の世界にはそれまで「雨」が降ってたってことなんだよな。

そう思って、続く歌詞に目をやると、
「アスファルトの匂い」
というフレーズが飛び込んでくる。
湿って蒸れた地面からムワッと立ち上ってくる、あのなんとも言えない匂い。

つよぽんの優しい歌声で歌われてたから全然気にもとめなかったけど、なんでこのフレーズを持ってきたんだろう。
そのあとの「子どもたち はしゃぐ声BGM」につなげるなら、もっとわかりやすくポジティブな言葉でもいいはずなのに。





もうひとつ、何度も何度も聴いてきたはずなのに、急に気になったフレーズがある。
サビの最後、決めのフレーズ。

「アユレディフォ スマイル?」

Google翻訳さんに訳してもらうと、
<あなたは笑顔のために準備ができていますか?>
と出てきた。
まあもう少し整えると「笑顔になる準備はできてるかい?」という感じかなあ。

これ、その前のサビの内容、つまり君の笑顔で嫌なことも全部吹っ飛んじゃう、そんな笑顔をいつも感じていたいから僕はユーモア=YOU MOREしちゃうよ、という歌詞を受けてのフレーズだ。

この歌の主人公は、誰かの笑顔で元気になった自分が、“ユーモアする”ことでお返しに誰かを笑顔にしてあげようとしている。
笑顔と笑顔の交換。なんて素敵なコミュニケーションだろう。

でも、こないだ聴いてて、ふと思った。
笑顔という概念がなんで成立するかといえば、「笑顔じゃない時間、笑顔になりたくてもなれない時間」があるからだ。
ずっと笑顔でいる(ように周りからは見える)人だって、心から笑っているかどうかはその人にしかわからない。

それは天気だって同じだ。
晴れの日しかない世界に雨という概念は存在しないだろう。
「雨上がり」は、「雨」なしには生まれ得ない。





いま俺のiTunesの再生回数を見てみたら、シングル音源がちょうど100回、カラオケが122回(カラオケのほうが多く聴いてたのかw)、あとこれ以外に、正月のカウントダウンTVで初披露したときに録画した放送から音声だけ録音したやつを取り込んで、シングル出るまでそれを聴いてたんだけど、それが342回。なので全部合わせて500回以上は聴いてることになる。

で、なんか、聴けば聴くほど、色々考えさせられる。この曲。

俺は前に『Mr.S』ツアーのことを書いたとき、こう書いた。


<「俺ら、いま、キツくね?」っていう現状認識なんだと思う、いまのSMAPは。>
http://ameblo.jp/oddcourage/entry-11980389543.html


これも何回も言ってるけど、そもそもSMAPは「いま・ここ」から決して目をそらさない表現者だ。
そんな彼らがなんでいま「ユーモアしちゃうこと」を歌うのか。
なんでそんな曲が「雨上がり」から始まるのか。
なんでそのあと「アスファルトの匂い」と続くのか。
なんで最後に5人揃って「アユレディフォ スマイル?」と歌うのか。





SMAPにはメッセージ性の強い曲もそうでない曲もあるけど、どの曲も人に何かを押し付けたり、指図したり、扇動することをしない。
彼らは、自身の表現を受け取った人の主体性にすべてを委ねている。
これって、聴き手である俺たちを信頼してくれていると同時に、試しているんだと思う。


「HEY, YOU, MOREしちゃうよ」
「MORE しちゃいなよ」
「アユレディフォ スマイル?」


底抜けに明るいこの曲を聴くたびに俺は、

「で、きみはどうする?」

と、そう言われてる気がする。

長い雨が降ろうとも、噎せ返るアスファルトの上を、俺たちは歩いていくんだ。
そういう曲を2015年のいまSMAPが歌ってくれたことがほんとうに嬉しいし励まされる。
で、励まされてばかりいちゃダメだな、とも思う。
そのことを繰り返し心に刻むために、何度も何度もこの曲を聴くのかもしれないなー。